2015年、7月26日。全国高校野球選手権大会西東京大会決勝。早稲田実業―東海大菅生。一塁側のネクストバッターズサークルに背番号3、清宮幸太郎がその姿を現すと「どっと」、大歓声が起こる。
マウンドに立ちはだかる背番号1・勝俣翔貴は清宮を5打数無安打に抑える。右肩を脱臼し、肩が上がらない中、本来のショートではなく、一塁で強行出場。満員に埋まったライトスタンドにアーチをかけた主将・江藤勇治。小田原足柄シニアで育った2人が躍動するも、西東京代表の座は今や高校通算本塁打100本男となった清宮らに閉ざされた。
変わらぬ「光景」、進化する「目標」
6月、全日本大学野球選手権。「3番・サード勝俣。背番号7」。国際武道大学でプレーを続ける勝俣が”あの夏”以来の神宮球場に帰ってきた。「打席の感触が一番やりやすい」と大学日本一を決める大舞台でのプレーを楽しんでいた。
勝俣は決勝進出を決めた試合後、中学、高校時代に苦楽を共にした江藤(現・立教大学野球部2年)と再会。「おーい、勝俣」といつも通りに呼びかける江藤。今大会はメンバー入りできなかったかつての”球友”に、勝俣も「秋はグラウンドで戦おう」と応えた。
迎えた翌6月11日の決勝戦。東京読売巨人軍終身名誉監督で立教大学OBの長嶋茂雄氏も観戦に訪れた大一番。勝俣は第2打席でセンター前に弾き返し、初回に5点を失ったチームを鼓舞するも惜敗。慣れ親しんだ神宮で最高の笑みを浮かべる日は、またも持ち越しとなった。「チーム、個人としても悔しい大会になった」と大粒の汗を拭ったが、「楽しめました。また、ここに戻って来られるように準備をして、日本一になりたい」。溢れる悔しさの中にも時折、笑みを浮かべる背番号7が、かつての主戦場での決戦の後に誓ったその視線に一切のブレはなかった。「次こそは―」。拠点である千葉県勝浦市から大学野球の頂きを掴みにかかる。
そして59年ぶりの大学日本一の瞬間を3塁側の応援スタンドから見届けた江藤も「勝俣と戦えるのは、選手権しかない。秋こそは同じ舞台でできるように夏のキャンプ、オープン戦でアピールをしていきたい」。それぞれが語る秋への決意と2年前の夏。2人は同じ秋へと向かう。
勝俣、江藤に苦杯をなめさせた清宮は、今夏が高校ラストイヤー。「タイプは違うけど同じ打者として、もちろん意識している」(勝俣)、「一年生からあれだけ注目されていたのでチーム全体で頭にあった。あの日の負けは今にも活きている」(江藤)。どこまで放物線を描けるのか―。激闘の夏よ、「いざ」。
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