3月12日は日本記念日協会が認定する「だがしの日」。平成が終わりを告げようとしているなか、南鴨宮の住宅街には古き良き昭和の空気を漂わせる駄菓子屋がある――。
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青い庇が目をひく「和月堂」のオープンは1965年。前回の東京五輪が開催された翌年のことだ。それから半世紀以上にわたって店を切り盛りするのは石川竹子さん(78)。コンビニでも駄菓子が買える時代に「うちは品数で勝負」と、紐がついた飴やきなこ棒など店内に並ぶ菓子は数百種にもおよぶ。それでも消費期限内に売り切れる適量をまんべんなく仕入れる術は、長年の経験で培った勘によるものだ。
店の全盛期は昭和から平成初期。特に遠足シーズンになると、100円玉を3つ握りしめた小学生であふれかえった。一つひとつの価格が安く、子どもでも簡単に300円分を計算できるのも駄菓子の魅力。だが、消費税導入後は「税込早見表」が店内に貼られるようになり、最近ではスマホの電卓機能を使って買い物をする子どもも増えた。
便利な時代になったが、時に竹子さんは子どもに勘定をさせる。「買い物に来たのに、『計算できないの?』って言われちゃうんだもん。たまらないよ」と夫の義和さん(83)は笑うが、そんなやりとりにも温かみを感じるのは石川さん夫妻が子ども好きだからこそ。
昔は買ったばかりのろう石でお絵描きをする光景が日常的だった店の前の道路も、いつしか抜け道となり交通量が増えた。子どもの事故を心配し、店すれすれを走る車が減速するきっかけになればと、「ガチャガチャ」と呼ばれる小型自販機を出入り口付近に設置するのも日課のひとつだ。
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経済産業省の商業統計調査によれば、1982年に全国で10万カ所を超えていた駄菓子屋を含む菓子小売業者数は、2014年には約1万4000カ所まで減少している。
業界に厳しい風が吹く中、離れて暮らす息子たちから「引退」も勧められる。だが、「おばさん全然変わってない。やっててくれてありがとう」と市外から駆け付けてくれる人、「社会人になったから、駄菓子をたくさん買う夢が叶った」と嬉しそうにお札で買い物をしていく人が後を絶たない。「成長した姿をみられるのは楽しい」という竹子さん。老若男女にとっての心のオアシスは、まだ枯れる心配はなさそうだ。