(公社)小田原青年会議所 第61代理事長に就任した 石崎 健太郎さん 酒匂在住 39歳
愛、それは守ること、残すこと
○…誰が時代を切り拓くのか―。大化の改新の中大兄皇子、源頼朝、維新志士。振り返ればみな20代、30代の若者だった。なぜ若者が私利私欲を捨てて勇んだのか。「愛する家族と地域を守るため。明るい豊かな社会を次世代に残したい思いこそが愛」と61代目は語る。数多の先達が残してくれたこの現世を「今度は私たちが残していかなくてはいけない」という覚悟でテーマ「愛」を掲げた。
○…(株)精巧舎の長男は会社の隣の自宅から町田小学校に通い、中高は静岡聖光学院へ。元来あった歴史好きに高校の恩師が拍車をかけ、大学は史学を専攻。最も好きな本は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。明治維新にあつい御仁かと思いきや、「古代が一番好き」とディープな歴史の使者だった。当時を読み解く術は文献。仮説を立て文献を読みあさっては不確かなことが多い時代の正体を探った。
○…大学卒業後は中栄信用金庫に勤め、必死で駆け抜けた20代。父親には「継がなくていい」と言われたが、幼い頃からすぐそこにあった企業。ずっと見てきた親父の背中。30歳を迎え自然と芽生えたのは「自分がやんなきゃ。やりたい」という使命感。ただ産業機器メンテナンスは全くの畑違い。戻ってきた社長の倅を社員たちはあたたかく育て、信金時代に培った営業力も活かしている。入社後程なく青年会議所に入会。「尊敬する親父も入っていた。ここで成長し親父を越えたい」と迷いはなかった。
○…少々強面。ただ内面は「柔和」の言葉がよく似合う。息子3人の将来を問えば、それぞれの顔を思い浮かべて瞳は宙を仰いだ。ある沈黙の後、「義理人情とでも言いますか。思いやりがあり、人の心が解る人に」。成長は何も子どもだけではない。自らも青年会議所も節目の年だ。「竹って節目がないと真っ直ぐ天に伸びないし、しなやかさも欠ける。太い節目が竹の強度を増すんです」。世に生を得るは事を成すにあり。
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