8月5日(日)の足柄金太郎まつりで登場する金太郎ねぶたの制作に携わる 太田 光陽さん 飯田岡在住 69歳
闇照らす「祭男」の情熱
○…ロウで描いた目は光を灯すと力強さを醸し出す。鮮やかな色彩は染料を混ぜ合わせて作るたった一つのもの。絵師によって表情も色彩も変わるのが、生まれ育った青森県弘前市の文化財「ねぷた」。中学生になると子ども用ねぷたを描くようになり、19歳で上京するまで祭りに情熱を注いだ。「光が入ったねぷたは壮大で勇壮。太鼓や笛を鳴らしながら歩く、あの瞬間がたまらない」
○…電機メーカーに就職して一時離れたねぷたの世界に戻ったのは40歳を過ぎてから。「祭りで地域を盛り上げたい」という若かりし頃の祭魂に突き動かされた。2016年まで26回続いた「川東ひかり祭り」を立ち上げ、15年には足柄金太郎まつりにねぷたの導入を提案。仕事終わりに制作して励んだねぷたが、故郷から500Km離れた地で練り歩く様子を誇らしく見つめる。
○…三国志や水滸伝などの勇壮な武将を描くのが本体正面の「鏡絵」で、裏面は武将を見送る女性を描いた「見送り絵」、土台を支える「牡丹の絵」。脳裏に焼き付いた弘前のねぷたを浮かべ、自宅の3階に構えたアトリエで制作する。墨で描く繊細な毛髪や緻密な衣装、ロウの入れ方で変わる光の使い方はすべてオリジナル。巨大なねぷたを描く作業は昼夜に及び、完成は高さ3m、直径2mにもなる。
○…まちに残る伝統芸能や文化を残そうと、小田原ちょうちんの製作ボランティアとしても活動。指導にもあたり、祭りを通じて出会った仲間とは時折酒を酌み交わす。にぎやかな笛の音を聞くだけで思わず顔が緩むのは根っからの祭男である証。いまだ残る津軽弁で軽快に語るのは惚れ込んで居を構えた小田原への思いだ。「これからは子どもたちに祭りの楽しさを伝えていきたい」
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