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歴史家 徳富蘇峰の大作 山北町 河村城址【中】

文化

公開:2014年10月11日

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城山の山頂にたたずむ石碑
城山の山頂にたたずむ石碑

 山北町城山の河村城址に、高さ3・5mの石碑があり、題字には「河村城址碑 菅原正敬」と刻まれている。「菅原正敬」は明治から昭和の言論者で歴史家の徳富蘇峰(1863〜1957)が使った雅号だ。

 二宮町にある徳富蘇峰記念館に残る昭和18年までの記録よると、蘇峰が筆をとった墓石や胸像、石碑は全国115カ所にある。このうち神奈川県内には6カ所あり、墓石3基と胸像1基、名所旧跡の石碑が2基。石碑は、逗子湾の海中にある『徳富健次郎之碑』と、山北町・河村城址にある『河村城址碑』の2基で、いずれも昭和初期に建立された高さ3m以上の石碑だ。

 河村城址碑の裏面にある文学博士・沼田頼輔(1867〜1934)の撰文(昭和3年10月)によると、この石碑は川村青年団が昭和天皇即位の奉祝事業として建立した。その際に川村保勝会が組織された。町編纂の『山北町史』には「建碑総費用2500円」とあり、現在の価値で約600万円にもなる。地元青年団が酒匂川から石碑を引き上げたとする記載もあり「父親から聞いたことがある」と証言する住民もいる。

 建碑事業には、大正2年から11年まで川村小の校長を務めた長坂邨太郎が深く関わり、神奈川県師範学校の同窓生だった沼田頼輔に撰文を依頼。沼田と親交がある歴史家の徳富蘇峰に、題字の揮ごうを依頼した。

 公益財団法人・徳富蘇峰記念塩崎財団の塩崎信彦常務理事は「『近世日本国民史』百巻を編纂した蘇峰は大正12年に恩賜賞(おんししょう)を受章している。昭和初期は歴史家としても広く認知された時期で、書の依頼も多かった。『菅原正敬』と署名した石碑は全国的にも珍しく、その大きさも随一」と評価する。

 石碑建立から3年後の昭和9年になると、新聞紙上をも騒がせた「河村城跡論争」が沸き起こることになる。以降6年もの長きにわたり続く城跡をめぐる歴史論争には、歴史家、徳富蘇峰が題字を揮ごうした、この石碑が深くかかわることになる。     (つづく)

◆取材協力/徳富蘇峰記念館(二宮町二宮605)

徳富蘇峰(昭和5年 民友社にて)
徳富蘇峰(昭和5年 民友社にて)

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