開成町戦没者遺族会で活動する 遠藤成雄(せいお)さん 開成町岡野在住 75歳
「両親の苦労に報いたい」
○…母から引き継いだ遺族会の会員。17年が経ち、副会長として年間事業を企画、運営するようになった。「父と母の苦労に報いる」。その思いでこの活動を続ける。悲惨な戦争の終わりから70年。町内の慰霊碑で執り行う式典や一般向けの講演会に備え、終戦の日を迎える。「今年は戦後70年と町制60年が重なる。全国戦没者追悼式にあわせ祈りを捧げたい」
○…1940(昭和15)年3月、田園風景がのどかに広がる開成町北部、旧酒田村の農家に生まれた。「逆境に強いタイプ」と自己分析する。乳飲み子の頃に召集された父親は満州で戦死した。年の近い姉と妹がいたが、2人とも早世した。母はそのうえ、夫も亡くした。「戦争はやってはいけない」-うつむきながら発露する言葉が重く響いた。
〇…役場に隣接する保健センターでの取材。酷暑にもかかわらず、背広とネクタイ姿でやってきた。自身の経歴をまとめた2枚の紙に目を落としながら「氏名は、えんどうせいお。少し読みづらいですが、せいお、です。昭和15年3月生まれ。父は満州で戦病死」…そこから20分ほど、遺族会での活動や終戦の日の催事の説明など自己紹介が続いた。
〇…女手一つで母親に育てられ、高校卒業後に国鉄へ入社。分割民営化を挟み「世界一正確」ともいわれる運行ダイヤを作り、管理してきた。結婚して1男1女を授かり、妻と長男夫婦、3人の孫と暮らす。6年前、94歳の母が父のもとへ旅立った。「ダメですね…。思い出すと…」話題が母に及ぶと目に涙があふれた。
〇…地域の役職や耕作の忙しさもあり、奥さんとの遠出は年に一度。「大阪へ嫁いだ娘の所へ行くくらい」。奥さんの手料理で一番の好物は「すし」。誕生日など祝いの席には母から受け継いだ「すし」が食卓に並ぶ。なかでも「アジのおしずし」には目がない。「戦争のこと?あまり聞かれませんね」。風化を憂いつつ、活動を続ける。