往年の箱根駅伝ランナー 加藤 安信さん 南足柄市儘下在住 59歳
黙々と、今もこれからも
○…南足柄市制記念駅伝競走大会に14年ぶりに出場した南足柄市役所チームの監督を務めた。大会直前に、競技の経歴を知る加藤市長から要請を受けた。休部状態の市役所陸上部。復活のレースに集まった選手たちには「楽しく走って、襷をゴールまで持ってきてくれればいい」と声をかけた。結果は出場40チーム中22位。その結果よりも市役所チームとして出場できたことが嬉しかったという。
○…山北高校に入学してから陸上競技を始めた。高2の冬に友だちと沿道の応援に行った箱根駅伝を見て「衝撃を受けた」。それ以来、「箱根を走りたい」との思いで練習に打ち込むと3年生で関東大会に出場。当時上位の常連だった東京農大の門を叩いた。大学2年で臨んだ1977年の第53回大会で初めてメンバーに入ると、憧れの復路6区を任され「無我夢中」で走った。結果は堂々の区間2位。「区間賞を獲りたかった」と今も悔やむが3年時は3区で3位、主将を務めた4年時は7区で区間2位と輝かしい成績を残した。
○…勤務先の南足柄市役所では農業委員会の事務局長を務め、自宅でも米作りに汗を流す。春は田植え、秋には稲刈りと、私生活の大半を農業に費やすなか、30歳を過ぎた頃に母校の東農大から指導者の要請を受けた。コーチと監督をそれぞれ2年間ずつ務め教え子を3度、箱根駅伝に導いた。「土日だけの指導でしたが選手がよくやってくれた。私が監督車に乗ると勝てなかった」と苦笑いした。
○…競技で培った厳しさはあまり外見に発露しない。長い距離を黙々と走る姿勢は市役所での勤務にも現れている。今回のレースをきっかけに市役所では陸上部再興の機運もある。市役所での指導もさることながら、これまでの経験を活かしもう一度、後進の指導にあたりたい気持ちもある。「南足柄の陸上競技の普及に協力したい」。今回のレースが何かのきっかけになるかもしれない。