足柄版 掲載号:2016年10月22日号 エリアトップへ

道探訪 「観光案内」(中)

文化

掲載号:2016年10月22日号

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大正末期の観光ガイドブック『道了案内』=南足柄市郷土資料館
大正末期の観光ガイドブック『道了案内』=南足柄市郷土資料館

 足柄平野北部の交通網発展を記す資料が南足柄市郷土資料館にある。松田町の山崎近次郎が大正12年5月に発行した観光冊子『道了案内』と鳥瞰図の絵師、吉田初三郎が昭和5年に描いた『大雄山名所絵図』にはいずれも「摂政宮殿下」(後の昭和天皇)に関する記載があり、明治大正に古刹、大雄山最乗寺を中心に発展したことをうかがい知ることができる。

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 『道了案内』は駅弁の幕の内弁当と同じ20銭で販売された冊子で、明治22年開業の旧東海道線松田駅が最乗寺参拝の玄関口だったことを物語っている。

 冒頭には「交通の便が開け年毎に最乗寺への参拝者が増加。近年は40万人に達している(要約)」とある。参拝者が駅を降り「最乗寺案内は無いか」「道了尊の因縁を書いた物はないか」と尋ねるごとに「御座いません」と答えるのが心苦しくなり、意を決して筆をとったという。

 「この書が登山者のための読み物となり、お土産になれば」と、現代の観光地に不可欠な「以て成し」の気持ちも記している。

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 この案内図は、大雄山最乗寺へのアクセス方法を4つ紹介している。

 初めは「松田駅〜関本」。 十文字橋を通行する片道50銭の乗合自動車と35銭の馬車、80銭の観光案内付人力車といった交通手段を紹介している。

 乗合自動車は大正10年5月に足柄自動車(現・箱根登山バス)が開業し、汽車の発着に合わせて1日往復20便を運行していた。関本で降車して飯沢橋を渡ると両側に桜の参道があり寺渓川にかかる大真橋から二十八丁で道了尊に達する、とある。二十八丁は約3キロ。

 次に「小田原〜狩野」。 「小田原より山麓に至る大雄山鉄道敷設の計画もあるが竣成の日期し難い」とある。実際には冊子発行の2ヵ月後、大正12年7月に着工していることから、当時の松田の人たちが小田原からの大雄山線敷設を複雑な思いで受け止めていた心境が推察できる。

 大雄山線の敷設工事は着工から2ヵ月後の9月に関東大震災に見舞われ工事が大幅に遅れ、開通は大正14年となった。当時の運賃は28銭で1日あたり2300人の利用があった。

 関西からの参拝客が利用するのが「山北駅〜大口〜関本」だった。山北駅から道了尊までは「約二里」(約7キロ)。文命堤や夏季の鮎漁について記載もあるが「文命堤」を「文明堤」と誤字掲載している(本紙も先ごろ同様の誤りをした)。

 4つ目は「箱根宮城野〜明神ヶ岳〜大雄山」。行程は「約三里」(約12キロ)。「畏くも摂政宮殿下には大正十一年六月二十一日に御玉歩をこの峻坂に運ばせ給い、少しのお疲れもなく予定の時刻より早く越えたことは誠に恐れ多き事で土地の人々が山頂に記念碑を建設しようと計画中である(要約)」とのエピソードに高揚感が滲み出ている。

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 35頁の冊子には、足柄平野の「道」と「鉄道」を記した手書き路線図や大雄山最乗寺の見どころのほか、承久の乱の逸話として伝わる「藤原範茂卿の御最後」を付録している。

 巻末の広告は、乗合自動車の「足柄自動車株式会社」のほか、地域に電力を供給した「相州電気株式会社」、土産物や酒、飲水、缶詰、菓子、雨具を販売し手荷物預かりなど観光サービスを提供していた「足柄自動車待合所」、道了尊参りの土産物として鮎寿司や漬物、羊羹を販売し、昼食や宿泊も提供した松田観音前の旅館「油屋政吉」、御神酒を扱う「関野本家」、岡本村塚原の神楽「中村藤蔵」の掲載されている。

 鳥瞰図は次回へつづく。

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