寄 稿 ゆたかにかえる。先見と行動 開成町 山神ゆたか
私・山神ゆたかの人生と開成町のこれまでを振り返ってみたいと思います。私は、昭和41年、開成町中家村地区に生まれました。酒田村と吉田島村の合併により開成町が誕生してから約10年、町全域が都市計画区域に決定された頃でした。
開成小学校では腕白坊主、いわゆるガキ大将でした。文命中学校では野球に熱中する一方、イベント企画等にも精を出す、かなり尖った仕切り屋でした。町は人口が1万人を突破、小・中ともに新しい校舎と体育館が完成。非常に恵まれた環境で育てていただいたことに深く感謝しております。
大学の野球部で三原則のひとつである「謙虚さ」をたたき込まれ、社会人一年目に父の急逝を受け人生のはかなさと命の尊さを学び、ひととして角が取れていきました。この頃、開成駅が開業、足柄大橋が開通、町は着実に発展を続けました。あじさい祭とかいせい阿波おどりが始まり、町の知名度が上がるとともに、町民の皆様の誇りと絆がさらに育まれるようになったと思います。
その後、勤務先の破綻を受け、トップのマネジメントがいかに重要であるかを身をもって体験しました。外資系企業に転職後、生き馬の目を抜く厳しい世界を生き抜いたことは自信になりましたが、社会環境の変化の速さに、時代の先を読むことがますます難しい世の中になったことを痛感する日々でした。
町は一段と発展。瀬戸屋敷が開園、紫水大橋が開通、そして南部地区土地区画整理事業が竣工、県西地区で唯一の人口増加自治体となっております。
私は、前述の通り先人たちが築いた素晴らしい開成町をさらに発展させ、バランスの良い活力を生み出すために、全身全霊で働く覚悟です。国として少子高齢・人口減少社会に突入している中で、足柄地域が生き抜くために、若さと行動力を最大限発揮し、民間感覚とネットワークをフル活用して邁進いたします。
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