県ベスト8入りした立花学園ピッチャー 田中重臣さん 箱根町在住 17歳
これからも変わり続ける
○…ベスト4をかけた横浜戦当日、箱根の自宅を出る際に親から言われた「やる事をやれば良い試合になる」が、現実となった。強豪に4対3とつめ寄った立花学園のピッチャー。同学園は3点を取られたが執念で食らいつき、自身の左中間タイムリーに加え仲間が長打を連発。同点で観客席が爆発した瞬間を振り返り「勝ちたいとしか思えなかった。ものすごく嬉しかった」と目を細める。1点を取られ、ベスト4進出はならなかったが、その後横浜高校は優勝校となった。今も地元箱根では「もしかしたら立花が」「来年こそ」の感嘆が絶えない。
○…箱根町出身で、湯本小学校2年生の頃に野球好きの父・貞充(さだみつ)さんの手ほどきでグローブをはめた。しかし山に囲まれた箱根には練習場所も少なく4年生に「箱根フリッパーズ」に入り、宮城野まで上って練習を続けた。箱根中学時代に小田原足柄シニアに入部。ある日コーチからの「やりたいポジションはどこだ」の一言で、キャッチャーから憧れのピッチャーを担当、試合で結果を出し、現在に至っている。
○…立花学園高校のグラウンドは大井町にあり、第一生命よりもさらに山奥にある。コンビニまで歩けば数時間はかかりそうな隔絶の地で寮生活を送り、野球尽くしの毎日だった。尊敬敬する選手は?という質問には、同じ食卓を囲み、千葉ロッテマリーンズに入った一つ上の先輩・山口祥吾さんを挙げる。
○…高校生活の集大成となる大会を前にした今年2月、三宅秀二前監督が離任することに。プレッシャーが降り注ぐマウンドに立つたび恩師に刻み付けられた言葉「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」がよみがえった。卒業後は就職を予定。今はワイシャツ姿となって後輩を見守る日々。「社会人になっても続けます」。前向きに切り替わった目線は過去を語る表情とは別人のようだった。
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