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広島で原爆を経験した 鈴木 庚一さん 湯河原町在住 89歳

公開:2013年9月20日

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語りつくせないあの日

 ○…介護施設で詩を作りながら暮らしている。車いすをゆっくり回しながら、20歳で見た風景をことばに紡ぐ。真鶴尋常小を卒業し、石材を運ぶトラックに乗って助手をしていたころ、徴用を経て出征が決まった。大勢の人が祈りを込めて縫った千人針の布を渡され、真鶴駅で妻と両親に見送られた。「生きて帰れないと思いました。後で千人針からわずかな現金が出てきてね。あれが親心だったのかな」

 ○…山口県で訓練を受けた後、広島に移り米国やソ連の通信傍受を命じられた。通信所の周囲は土のうが積まれ、それに助けられたのかもしれない。8月6日、後輩の兵士が朝食を持ってドアを開いた瞬間に強烈な光がさし込み、猛烈な爆風と揺れに襲われた。つぶれた小屋から這い出た後に上官から情報収集を命じられ、市内に向かって歩いた。出くわしたのは髪も眉も焼け、顔がボールのように膨れ上がった人々。服は燃えて裸同然、手足に剥けた皮がぶら下がっていた。

 ○…原爆ドーム近くの大通りには沢山の黒い塊が点々と残っていた。「火葬場で人を焼いたのとは、違う。溶けた人間です」。言葉を探しながら話した。真鶴に帰るとすぐに体調を崩して歩けなくなった。あの日「黒い雨」を浴びていた。少しずつ体は回復に向かい、伊豆箱根鉄道に入社。バスの運転手として湯河原や真鶴を走り、その後も50歳ごろまでハイヤーのドライバーとして働いた。

 ○…仕事の傍ら被爆者を訪ねたり学校を講演してまわった。原動力になったのは「原爆を見た自分達にしか伝えられない」という思い。数年前に脊椎の病で思うように動けなくなった。長年の支えだった妻の宣子さんも病に伏せている。今の日課は新聞や雑誌、哲学書をめくること。吸収した情報を、薄れる記憶の上に流し込むよう。「侵略はいけない。戦争は英知を集め回避しなければ。しかも自分の国を守らねばならない」。解のない思索は続いている。
 

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