箱根囃子保存会の副会長 杉山 智一さん 元箱根勤務 39歳
箱根の音色、いつまでも
○…オールバックのごつい顔は「アニキ」の3文字が似合いそう。元箱根でアニキを知らない子は少ない。4カ月後に迫る湖水祭や鳥居焼きまつりを盛り上げる箱根囃子保存会の一員として、次の担い手を育てるべく幼稚園で太鼓を教えている。恥ずかしがり屋も初心者も、この人に出会えばすぐ輪に溶けこむ。「自分の名前をリズムで表してごらん」「みんなで叩こう」「さぁ誰が一番面白いかな」
○…お囃子を始めたのは小学4年生の頃。夏まつりで山車に乗るのが地元っ子のステータスとあって、稽古には数十人がひしめいた。指導は厳しく手のマメが潰れたからといってバチを手放すと補欠にされてしまうから、真剣勝負だった。あの頃学校になくて、お囃子にあったもの。それは地域の絆。「大人は他人の子でも放っておかない。だから困った時に相談し合える。太鼓を通じて誰もがそんな間柄になれたら」。
○…相洋高校を卒業後、地元企業の伊豆箱根鉄道(株)に入社。大雄山線の駅員として約7年間、小田原駅で切符切りや無人駅での掃除を担当し、朝晩の混雑の中で様々な人に向き合った。骨の髄までしみ込んだのが「あいさつの大切さ」だった。当時の乗客の一人だったのが今の奥さんで高校生と中学生2人の娘さんがいる。「あいさつが自分から言えるか言えないかで、子どもの将来は変わる」と腕を組む。親子間でも礼儀は徹底しているそうだ。
○…現在は両親が創業した「権現からめもち」の店長。箱根神社境内のため外国人のおもてなしは日常茶飯事。「北京語も台湾語も話しますよ。あと日本語を少し」。ある晩のこと、店が大繁盛している夢を見たという。夢の中で忙しそうな自分にレシピを聞き、4年前に完成させたのが看板メニュー「俺のうどん赤」。試行錯誤を繰り返したという赤いスープの見た目に驚かされるが、驚くほどマイルドな味わい。この一杯に人柄を感じた。
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