宮城野木賀観光協会会長で、仲間とともに名物の桜並木の手入れを続ける 青野 豊さん 箱根町宮城野在住 68歳
老いて頑張る桜とともに
○…県西でも指折りの規模を誇る桜並木を、仲間とともに世話してきた。戦前の篤志家が植えたソメイヨシノはどれもかなりの老木。幹を呼吸させるため、周囲の苔を剥がし、病気の枝を伐り、肥料を与えるなど、年間の作業も盛りだくさん。それでもこの素晴らしい地域資源を残すため、仲間たちが手弁当で駆け付けてくれる。「昔からある並木なので私らはキレイだなって思う程度ですが、よそから観に来た人の感動は比べものにならないでしょう」
○…ふるさとは茨城県の竜ヶ崎市。場所を説明するのが一苦労のようで「稀勢の里(牛久市出身)のとなり」が口癖だ。高校時代に箱根町で建設業を営んでいた兄から誘われ、転居を決意。電気工事会社に就職、昼間は配線作業に汗を流しながら、夜は宮城野にあった城内高校箱根分校の定時制に通った。「同級生はロープウェイや観光船、タクシー運転手など観光関係のサラリーマンが多かった。見習いの頃はよくご馳走してもらったなぁ」と懐かしむ。こうした経験が刺激になったのかもしれない。「いつか独立し名前を出す」と胸に誓い、26歳にして目標を達成。看板を「豊栄」とした。リゾートマンションの電気工事や太陽光パネルの設置など仕事は多岐におよび、山中湖方面にも仕事に通った。夢を形にしたものの、必ず守らねばならない工期など、背負うプレッシャーは重さを増した。
○…一息おいて、挫折の経験も語った。「40歳のころ、何カ月だったか仕事から離れたくなってしまってね。女房や社内の仲間に助けてもらった」。それから20年以上経った今は、誰かを助ける側にいる。町長の勧めで保護司となり、今は足柄下保護司会会長と観光協会長の二足のわらじ。薬物などで道を誤ってしまった若者と会うようになり、時には「前を向いていきなさい」と肩をたたく。ボロボロの幹にも花が咲くことを知っている人。穏やかに、その言葉は力強い。
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