湯河原の星が山やターンパイクの大観山で、アンテナを高く伸ばしているワゴン車を見た事のある人も多いだろう。携帯電話で誰とでも話せるようになった現在も、雑音入り混じる無線を愛してやまない人たちだ。
自動車関連企業に勤めるCさん(小田原市・57)は湯河原峠に車を停め、2時間以上交信に挑戦していた。車内に響く「ザー」という滝のような音に耳を澄ませていると、かすかに男性の声が混ざる。すかさずマイクを手に自分のコールサインを相手に伝えた。「こちらジュリエットホテルワン…」アルファベットは無線で相手が聞き取りやすくするため、独特の言い回しを使う。Jは「ジュリエット」、Hは「ホテル」、Aは「アルファ」といった具合だ。交信中は世間話もほとんどせず、シンプルな応答が主な目的だ。
携帯電話があるのに無線に魅せられた理由を挙げてもらうと「つながりそうでつながらない、そのスリルかな」。Cさんは小学生の頃にトランシーバーを手にしたのが入門のきっかけ。湯河原峠付近からは九州まで交信できるが、より良い条件を求めて箱根外輪山の明神ヶ岳に登った事もある。アンテナを背負っての登山だった。
箱根の白銀山付近の道端でYの字のアンテナを伸ばしていたのは、大井町から来た鶴留武彦さん(53)。様々な区分けのある周波数の中で、鶴留さんは「短波」での交信が専門。ノートパソコン画面には交信済みの無線拠点が80局ほど並んでいた。無線は中学2年生の頃に入門したが無線ファンの数は20年ほど前がピークで「今は激減した」と寂しそう。
続ける理由を聞くと「電波が飛んでいるという感動ですかね」とぽつり。第一級アマチュア無線技士の資格をもつ鶴留さんは、言葉での呼びかけのかわりに、特殊な機材で「ツ・ツー」とモールス信号を打つ。無機質にも見える交信は、貴重な友人同士が存在を確かめ合うように、技術を磨き合うようにも見えた。