TOKYO1964 控え室で流した二度の涙 体操女子団体 銅メダリスト 中村多仁子さん
東京五輪の女子体操競技1日目、規定演技を終えた日本代表チームは、東京体育館の控え室で声がかれるほど泣いていた。
「これまでの人生であれほど涙を流したことは無かった」。当時21歳で日本代表の一員だった、東海大学名誉教授 中村多仁子さん(71 ・伊勢原市在住)はそう振り返る。
女子体操日本代表は、2年前の世界選手権(プラハ)で3位入賞。東京五輪では女子種目の数少ないメダル候補に挙げられていた。とはいえ当時の女子体操はヨーロッパ勢が絶対的な強さ。特に自由演技の技の完成度、表現力で日本は大きく水をあけられていた。
東京五輪で銅メダルに目標を定めた日本代表が、その可能性を見出していたのが「得意とする規定演技で4位にできるだけ差をつけ3位に入り、自由演技で差を詰められても逃げ切る」という作戦だった。
迎えた1日目、会場を包む大きな期待の中で、日本代表6人は実力通りの演技を披露した。しかし結果は4位。3位の東西統一ドイツに2点以上離されていた。
「もうメダルには届かない」。選手、コーチ全員が2時間以上も泣き続けた。日本とヨーロッパ勢の実力差を考えると逆転へのイメージが持てなかったという。
その2日後、自由演技で「練習でやってきたことを出し切きろう」と無欲の日本代表はのびのびと演技を続けた。中村さんも手足がすらりと伸びたスタイルを活かし、得意の段違い平行棒などで得点を伸ばした。プレッシャーを感じていたドイツの選手にミスが続いても、最後までメダルを意識することは無かったという。
全ての種目を終えて、控え室にいた日本代表のもとに「逆転で銅メダル獲得」の一報が飛び込んだ。2日前とは一転、今度は歓喜の涙を流すこととなった。
新潟県出身の中村さん。東京五輪後に結婚し、メキシコ五輪にはママさん選手として出場。引退後、東海大学体育学部創設に合せて助教授に就任。女子体操部を設立し、部員5人からスタートして、9年後には日本一へと導いた。
2020年東京大会に向けて、「子どもたちに、夢を持って邁進すれば叶うということを感じてもらいたい」と笑顔を見せた。
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