市民支援隊、南三陸へ 仮設住宅で炊き出し
―――震災から2年と8か月。メディアでは、原発問題はクローズアップされても、被災地の様子を取り上げることは少なくなった。
そんな中、秦野市の支援隊(杉崎貞夫代表・27人)が、11月16日に宮城県南三陸町歌津の「平成の森仮設住宅」で炊き出しを行った。支援隊は、秦野市手をつなぐ育成会や秦野ロータリークラブ、市職員などの有志で構成され、支援物資の提供には多くの市民団体や企業などが協力した。被災地へ赴くのは6回目。南三陸町のがれき処理が他地域に比べ遅れている現状を知り「現地はまだ支援を必要としている」と、このボランティアを企画したという。今回、同支援隊に同行取材した。
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15日の夜、古谷義幸市長らに見送られ市役所を出発した支援隊のバスは、翌朝に宮城へ入る。女川町や石巻市を視察しながら南三陸町に向かった。南三陸町の中心街だった場所はほぼ更地のまま。解体を待つ防災庁舎やプレハブなどが点々と建つだけだった。その光景を目の当たりにし、20mを超える津波が土煙と共に町を飲み込んでいく様子を想像した。
歌津の仮設住宅に着くと、住民たちが「手伝うべか?」とさっと積み下ろしに手を貸す。仮設住宅には、約210世帯560人が暮らしているそうだ。鯛焼きやけんちん汁などの模擬店が始まると、続々と人が集まり行列ができた。子どもたちに人気だったのは、綿あめ。「3つも食べちゃった」と笑顔で話す女の子もいた。くじ引きで手に入れた調味料や食品を両手に抱えるお年寄りの満足そうな顔も印象的だった。
支援活動は平成の森団地自治会(畠山扶美夫会長)や女子会などの協力で成り立っていた。現地の人たちが一緒にその場を盛り上げていることに正直驚いた。肉親を亡くし、狭い仮設住宅で暮らしている人たちにとって、次々と訪れるボランティアを受け入れることは、大きな労力を必要とするはずだ。それでも、現地へ赴く者を笑顔で受け入れ、震災当時の話を聞かせてくれる。そのあたたかさに「その思いを真摯に受け止めなければいけない」という気持ちが自然に湧いた。それは、罪悪感や自己犠牲とはほど遠い感情で、当日の晴れた空のような気持ちだった。とんぼ帰りでもボランティアに向かう理由はここにあるのかもしれない。(記者T)
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