未曾有の大地震に襲われたのは中学校の卒業式の日。震災は仲の良い家族を引き裂いた。老人ホームに勤める責任感の強い父は、「利用者を置いていくことはできない」と福島に残った。生活していた南相馬の原町区から、母と2つ下の妹と女3人で避難することになり、当時15歳の佐々木さんは「これからどうやって生きていくのだろう」という不安に押しつぶされそうだった。しかし愛する夫と離れ自分ら子ども2人の面倒を見る母、受け入れられない部分もあるだろう妹のため、現地で頑張る父のためにも「いつまでも落ち込んでいられない。しっかりしなきゃ」と自身を奮い立たせた。
幸いにも、家族や友人は全員無事だった。しかし、母校の体育館は遺体収容所として利用され、その事実を聞いているだけで「辛かった」。
飯舘村に住む祖母の家に避難したが、進学が決まっていた福島の高校が始まるめどは立たず、埼玉、伊勢原と親戚の家へと避難を続けた。そこで神奈川県が秦野高校への編入を提案してくれ、数日遅れで秦野高校へ通うことになった。秦野市の手厚い対応や、避難者向けのイベントには積極的に参加した。同じ境遇の人が集まり、話ができるのがうれしかった。
秦野で新しくできた友人たちは「遠慮しているのか震災のことを聞いてこないし、口にもしない。遠慮しなくても良いと伝えたのだけど」と話す。編入し、最初に声をかけてくれた友人を含め、卒業し別の大学に進学した今も仲が良い。
現在、自宅から通う神奈川大学で経営学を専攻する。昨年は、小さな頃からの夢だったマレーシアに留学、夢を一つ叶えた。現在もさらなる夢に向かってまい進し、勉学に励んでいる。
「秦野は地元福島に似ている。自然もあり、人が優しく気軽に接してくれる」という。福島も忘れられないが、「良くしてくれる秦野を第二の故郷にして、前を向かなきゃ」。
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田原ふるさと公園野菜直売研究所0463-84-1281/そば処東雲0463-84-1282 https://www.kankou-hadano.org/pointinformation/pointinformationguide/point_tawarafurusatokouen.html |
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