秦野市手をつなぐ育成会(相原和枝会長)や秦野ロータリークラブ、市職員など市民の有志で構成された支援隊(杉崎貞夫代表)は、2011年から計9回、宮城県南三陸町や女川町などで支援活動を続けてきた。仮設住宅での炊き出しでは、住民らの手を借りながら、一緒に汁や焼きそば等を作り、秦野市内の市民団体や企業などから提供された野菜や茶葉、花などの物資を届けてきた。秦野と被災地を繋いできた支援活動の中で、「支援する側とされる側」を超えた「人と人のつながり」が形成されている。
秦野から運ばれた希望
「秦野から布団や洋服、食べ物、花をいっぱい積んだバスがきた時の感動は忘れられない。希望を貰ったんだもの」
女川町で被災した齋藤桃子さん(石巻市・66)は、2011年11月に仮設住宅で初めて支援隊を迎えた時の心境をそう振り返る。
あらゆるものが不足していた当時、全国から単発的な支援が来たが、現場の状況を踏まえた上での支援は珍しかった。「相原さんは来る数カ月前から『何が必要?子どもは何人?』って10日に1度電話をくれた。そんな風に支援をしてくれた人はそれまでいなかったんだ」。齋藤さんがリーダーを担った仮設住宅は35戸と小規模。支援物資は大きな仮設住宅にまとめて運ばれる事が多かったという。
「こんなに貰っていいの?」戸惑う齋藤さんに相原会長は言った。「大丈夫だよ、齋藤さん。皆で応援するんだから。何でも言って」
多くの町民が亡くなり、家を失くし、絶望に陥っていた心に、初めて余裕ができた。「秦野の人に報いるためにも、元気で笑顔でいよう。亡くなった人の分も強く生きよう」と齋藤さんは決心したという。
齋藤さんは1年後、仮設住宅を出て、現在は石巻市に自宅を構え暮らしている。
支援者から友人へ
女川町の復興が進み、支援隊は2013年6月から南三陸町へ支援場所を変えた。齋藤さんや女川町で出会った漁師の阿部誠さん(67)・和子さん(64)夫婦は、支援隊が向かう仮設住宅へ、女川の海産物などを届け、支援を手伝っている。
「齋藤さんってさばさばして話が合うし面白い人なのよ。阿部さんは海の幸を送って下さるから、私も秦野の山の幸を送ってるんです」と相原会長。齋藤さんも阿部さん夫婦も、今では大切な友人だ。
支援隊が6回訪問した南三陸町の平成の森仮設住宅。同自治会の畠山扶美夫会長(66)は「若い人には学校や仕事があるが、高齢者には娯楽が少なく、家に引きこもりがちになる人もいた。秦野の人たちが来ると、お祭りのように賑やかになって、喜ぶ方も多かった」と話す。メンバーは現地の人たちと顔見知りになり、震災当時の苦労話を聞くだけでなく、共に食事をしながら、離れた友人として一緒に会話を楽しんできた。
「昨年の訪問で最後にしようと思っていたけど、やっぱりこれからもいこうと思います」と相原会長。今後の訪問は災害公営住宅へ移って行った人との再会の場にもなる。
相原会長の娘、成美さん(40)は、支援隊への参加の中で、同仮設住宅で暮らす阿部純子さん(47)と親睦を深めてきた。純子さんは夫と、2人の娘・有希ちゃん(9)と紗千(さち)ちゃん(5)の4人家族。成美さんは「純子さんからLINEで、家族で撮った面白い写真を送ってくれるの」と微笑む。
5年経ち、成美さんは、子どもたちの成長を感じる。「最初は純子さんの後ろに隠れていたさっちゃんが、『なるみちゃんだ!』と駆け寄ってきてくれて。こんなに大きくなったんだなって」。震災の経験で受けたストレスによって、不安定になっていたことを知っているからこそ、何気ない笑顔に安心するという。
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田原ふるさと公園野菜直売研究所0463-84-1281/そば処東雲0463-84-1282 https://www.kankou-hadano.org/pointinformation/pointinformationguide/point_tawarafurusatokouen.html |
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