道沿いにやって来る悪霊や疫病から村人や旅人を守る路傍の神、道祖神。秦野市は全国でも3番目に石造道祖神が多い市町村で、今も地元住民の生活に寄り添っている。しかし、土地の所有者が変わったり、大規模な区画整理や開発工事が行われたりすることで、行方が分からなくなってしまうケースもある。
そんな中、秦野市東田原の東公民館近くで、行政の許可を得て資材置き場に転用した水田の際に建つ一体の道祖神の土台が、土地を購入した企業によって整備された。
この道祖神は1806年(文化3年)に造立され、今も毎年そばで道祖神祭りが開かれるなど、古くから”子どもの神様”として人々に親しまれてきた。目の前が東小学校・東中学校の通学路でもある事から、地元・八幡自治会の大津博会長は2月に「多くの子ども達が目にする所でもあるので、ぞんざいに扱わないで欲しい」と依頼。その声に応えコンクリート製の土台が設置され、歩道から上がりやすいよう階段も作られたという。
新たに土地の所有者となった秦野市寺山の(株)K.K建設(加藤純一社長)は舗装工事や宅地造成などを請け負っており、「道祖神が祀られる土地は縁起がいい」とこの土地を購入したという。加藤社長は「道祖神のところは地元の人に好きなように使ってもらえたら」と話している。
大津会長は「道祖神は当時の村人が作ったものだが、民地に建っている。今回は理解のある人に土地が購入されたおかげで守られたが、他の場所では”道祖神が誰のものか”悩ましい事態もあるはず」と話す。
古道・大山街道と共に保存を
この道祖神は大山阿夫利神社へ続く古道・大山街道に面し、道標を兼ねて「いせ原道」「大山道」と記されている。地元では7月の盆に大山の頂上でご来光を仰ぐ「盆山」や、大晦日についた餅を持って大山を登り頂上で焼いて食べる風習が今も残る。
古道は幅が狭く自動車が通りにくいため新道ができてからあまり使われなくなったというが、道が草で覆われてしまえば道祖神や道標も忘れられてしまう可能性もある。東地区には国の登録有形文化財の蓑毛大日堂や史跡・源実朝公御首塚などもあり、歴史散策や観光のコースとして活用できないか、との声もある。
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