73年前の8月15日、秦野市内にも終戦を伝える玉音放送が流れた。
当時の暮らしを知る語り手が高齢化する中、戦時体験を後世へどう伝えていくのか―。教育支援や平和教育を行っている中地区退職女性教職員の会・ゆりの会(一安ふさ子会長)は、学校やイベントで語り部を続けてきた。
山田知江(のりえ)さん(89)=鶴巻北=は60歳で退職後、ゆりの会に入会。戦時中に学生時代を送った仲間と2001年から語り部を始めた。「私が元気で喋れるうちに、戦争の苦しみや、勉強をしたくてもできない世の中だったことを今の子ども達に伝えられたら」と山田さんは想いを語る。
当初は語り部が一人で話すスタイルだったが、近年では戦争を体験していない若い会員に聞き手を頼み、対話形式で実施。他にも朗読劇や山田さんが戦時中に習った薙刀の披露、当時の生活用品や焼夷弾などを実際に触ってもらい五感に訴える平和教育を心がけているという。聞き手を務める露木和子さん(65)=鶴巻=は「話を聞く中で年輩の方が体験したことを自分が語り継げるよう、バトンを渡されていると感じています」と話す。
7月30日、秦野市文化会館で開かれた中地区教育文化研究所主催の「親と子で考える平和学習会」では、ゆりの会の原アヤ子さん(88)=南矢名=が語り部として、露木さんと共に登壇した。
寺山で育った原さんは「女学生を終えるまで、ずっと戦争の中を生きてきました」と話を始めた。露木さんが1945年の平塚空襲について尋ねると、原さんは「弘法山北側、高取山から平塚を見ると火の海の中で家が燃えているのがよく分かり、恐ろしくて震えました。戦闘機から黒い雨のように降っているものが焼夷弾だと後から知りました」と子ども達にも分かりやすいように、丁寧な言葉で話した。露木さんは焼夷弾を手に説明を補足した。
参加した子ども達は「戦争がどれだけ恐ろしいか分かった。実話でびっくりした」、「焼夷弾など実物を見せてもらい勉強になった。僕の祖父も戦争を体験したと聞き、今度聞いてみようと思った」と感想を述べていた。
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