なんつッ亭大将 古谷一郎 【私の履歴書】 シリーズ 「我が人生の歩み」 第10回・ラーメンでお客様を笑顔に
そんな平和で暇すぎる日々は、まもなく終わりを迎えました。世間で言うところのラーメンフリーク?評論家?の方がお店に来てくださり、お店を雑誌に紹介してくれるというのです。一度、雑誌に出た後は、他の雑誌やテレビからの取材が相次ぎました。当時は、ラーメンブームという事もあり、瞬く間に繁盛店の仲間入りが出来ました。
ただ、忙しくなってくると、別の悩みが増えました。それは店への嫌がらせです。昔の仲間が突然お店に来て、コップを投げつけて沢山割られた事もありました。嫌がらせは段々とエスカレートして、朝、仕込みの為にお店に行くと、店の前に廃油が撒かれていたり、汚い話で恐縮ですが、大量の汚物がバラ撒かれていた事もありました。どうやって持って来たかは今でも不明ですが(笑)。
嫌がらせの電話も沢山ありました。テレビのランキング番組でうちのお店が上位になったときは「一体、順位をいくらで買ったのだ?」とか、酷い時は「店にダンプで突っ込んでやるからな」なんていう電話があった事もありました。ま、そんな事ではメゲないのが僕なのですけどね。今でも、宣伝費にいくら使ってるんだ?なんて嫌味を言われる事がありますが、正直に言ってお金を使っているのはこのタウンニュースだけ(笑)、他は雑誌もテレビも取材料をしっかりもらっていますからね。(僕らの名誉のために、一応念の為。)
こうやって思い返してみると、本当に色々ありましたが、僕にとって一番大きな転機となったのは、長男の誕生でした。産まれたばかりの長男の小さな手が、僕の指をギュッと握りしめてきた時に、僕がこの小さな命を必ず守ってみせる、これからは仕事の鬼になってやるぞ!そう心に誓いました。
それまでは21時までの営業でしたが、長男が生まれたのを機に23時まで営業することにしました。もっともっと稼いで、家族を養い、スタッフの給料を上げ、ついでにカッコいい車も買って、ガンガン遊んでやるぜ!と決意したのです。(遊びは冗談です笑)
それからは、弟子の申し入れが相次ぎました。スタッフが増えた事と、初めのお店での営業が6年に近付いたという事で、国道246号線沿いの今の本店の場所に移転することにしました。手探りでラーメン店を始めて6年。小学6年生から中学生になるようなもので、スタッフと相談してもっと大きく目立つ所で営業をすることにしたのです。
それからも、商業施設への出店要請が相次ぎ、品川、川崎、池袋に出店を続けました。東京への進出を決めたのは、自分達の仕事が日本の中心である東京で、どう評価されるのか試してみたかったからです。東京に進出すると、テレビや雑誌の取材がさらに増え、僕の普通ではない経歴が逆に評価され、数々の中学校や高校での講演依頼や、美容学校では2年連続で特別講師を務めました。地元秦野では、残念ながらなかなか評価されませんでしたが、東京では逆に、僕が過去を乗り越えてラーメン屋に打ち込む姿が評価されました。ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、コンビニの商品や箱根の温泉施設でのお風呂のプロデュース等々、とにかく舞い込んでくる仕事は全てこなしていきました。
その時は、もう古谷はラーメン屋じゃない、などと皮肉を言われる事もありましたが、僕の考えは、「ラーメン屋と言えども、サービス業」ですから、お客様に喜んで貰えると思える仕事の案件には、躊躇わず、胸を張って全て受けて、こなしていきました。この頃は、北は北海道から南は沖縄まで、ラーメンのイベントへの参加要請が沢山あり、日本全国を飛び回りました。僕のような顔をしてよく言うな、と言われそうですが、とにかくお客様の笑顔が嬉しかった。寝不足だろうと疲れていようと、お客様の笑顔が見られたら疲れなんか吹き飛んでしまうのです。その後は、シンガポール、タイ、台湾へと海外への出店を続け、同じ目標を持つ仲間が海外にも増え、沢山のお客様を笑顔にする事が出来ました。テレビの企画番組でも、南米やアフリカに行き、スタッフ達と共に沢山の現地のお客さまを笑顔にする事が出来ました。
思えば、この頃が一番調子に乗っていて、僕自身やや勘違いをしていたかも知れません。何しろ、僕のアイデアがどんどん商品化され、雑誌やテレビに引っ張りだこで、連日連夜の接待で夜の街にも相当繰り出して、浮名を流してしまった事もありましたからね。
ただ、仕事だけは一生懸命やりました。何故なら僕は、自分の仕事に誇りを持っているからです。これまで僕が、学校での講演や若いスタッフに話してきた内容は、「美味しいものを食べると、少しだけ幸せな気持ちになるよね。僕達はお客様の一生を幸せには出来ないけれど、ほんの一瞬、幸せな気持ちになって貰うことは出来る。僕らが今こうして人並みな生活が送れているのは、これまで沢山の人達に小さな幸せを感じてもらえたからだ。だから胸を張り、堂々と、仕事に対して誇りを持とう!そしてこれからもみんなの笑顔のために頑張ろう!」という内容なのです。この気持ちに偽りはありません。(次号に続く)
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