東京大学三崎臨海実験所異聞〜団夫妻が残したもの〜
実験所では無給という異例の立場ながらも着々と研究業績を積み重ねた團夫妻ですが、戦後はそれをバネに新天地で教育と研究に邁進。勝磨は都立大学理学部教授、...(続きを読む)
文・日下部順治、吉本尚その29 番外編【6】【完】
2019年12月13日
実験所では無給という異例の立場ながらも着々と研究業績を積み重ねた團夫妻ですが、戦後はそれをバネに新天地で教育と研究に邁進。勝磨は都立大学理学部教授、...(続きを読む)
文・日下部順治、吉本尚その29 番外編【6】【完】
2019年12月13日
横須賀市長井には長井婦人会保育園という大変立派な保育園があるのですが、経営を行うほど活発な婦人会の存在こそ、團ジーンが戦後地元の人々のために尽力した...(続きを読む)
文・日下部順治、吉本尚その28 番外編【5】
2019年11月1日
「男爵はこの道をフォードでかっ飛ばして」とは、戦前の團氏を見覚える小網代のある古老の話。男爵家の次男坊の勝磨氏をこの辺りの人たちはそんなふうに呼んで...(続きを読む)
文・日下部順治、吉本尚その27 番外編【4】
2019年10月4日
團夫妻にとってのライフワークであった発生学とは、受精とその後に起こる一連の細胞分裂を通じて様々な臓器がどのように生まれ、生物体がどのようにして完成し...(続きを読む)
文・日下部順治、吉本尚その26 番外編【3】
2019年9月6日
私(吉本)は團先生晩年の都立大学時代にその教えを受け、この臨海実験所で一夏を過ごすというまたとない機会を頂いたのですが、東大で学位取得後に先生の留学...(続きを読む)
文・日下部順治、吉本尚その25 番外編【2】
2019年8月9日
ここからは番外編と題し、団勝磨の都立大学時代の教え子で分子生物学を専攻していた吉本尚氏(小網代在住)にお願いし、夫妻と親交のあった当時のエピソードを...(続きを読む)
文・日下部順治、吉本尚その24 番外編【1】
2019年7月12日
団夫妻の長女みかさんからの便りにあった、重さん夫婦に触れたエピソードをお届けします。 『重さんが勲章を授与されることに...(続きを読む)
文・日下部順治その23 夫妻の最期と、長女みかさん
2019年6月14日
冨山一郎所長時代の昭和30年代、実験所の黄金時代が続きます。この時点で団勝磨は都立大学の教授の職にあり、団ジーンはお茶の水女子大学に転じて、講師を務...(続きを読む)
文・日下部順治その22 実験所を支えた地元の2人【7】
2019年5月1日
勝磨は先遣隊の大佐から実験所が爆破対象であることを聞き、急ぎ彼の有名な「The last one to go」(最後に立ち去るものより)のメッセージ...(続きを読む)
文・日下部順治その21 実験所を支えた地元の2人【6】
2019年4月5日
昭和15(1940)年12月1日、先任の採取人である青木熊吉が逝去。同8日、太平洋戦争に突入し、実験所も重さんも戦乱の時代に巻き込まれていきます。三...(続きを読む)
文・日下部順治その20 実験所を支えた地元の2人【5】
2019年3月8日
団勝磨の自伝「ウニと語る」から重さんの仕事ぶりをお伝えします。 少し専門的になりますが、この書にコマチの産卵という小...(続きを読む)
文・日下部順治その19 実験所を支えた地元の2人【4】
2019年2月8日
実験所が採集人を探しているという話が重さんの耳に入り、当時実験所を切り盛りしていた大島正満に会うと「明日からでも来てくれ」ということでした。なぜなら...(続きを読む)
文・日下部順治その18 実験所を支えた地元の2人【3】
2019年1月11日
〜団夫妻が残したもの〜
明治43(1910)年、昭和天皇が学習院初等科時代(幼名「迪宮(みちのみや)」の頃)に実験所を訪問され、魚釣りなどをお楽しみになりました。水族室でタ...(続きを読む)
文・日下部順治その17 実験所を支えた地元の2人【2】
2018年12月14日
三崎臨海実験所は、団勝磨・ジーン夫妻をはじめ、多くの秀でた研究者・学術論文を輩出してきましたが、そこには陰で支えた2人の功労者がいました。今回はその...(続きを読む)
文・日下部順治その16 実験所を支えた地元の2人
2018年11月2日
前号つづき【三浦市内在住・團勝磨の教え子からの、都立大学時代の「思い出の記」後編】 「團先生は私の東京都立大学在任中は...(続きを読む)
文・日下部順治その15 在りし日の思い出の記【2】
2018年10月5日
前号つづき【団夫妻の長女・みかさんからの、箱根仙石原時代の「思い出の記」後編】 「小田原出身のおばちゃんがいて、母を助...(続きを読む)
文・日下部順治その14 在りし日の思い出の記
2018年9月7日
私は団ジーンの足跡をたどるべく、戦時中から昭和20(1945)年10月まで子供たちと疎開していた、団一家の別荘のあった箱根仙石原の疎開先の今を訪ねて...(続きを読む)
文・日下部順治その13 箱根仙石原の足跡を訪ねて
2018年8月3日
既出のとおり、戦時中は箱根に疎開していた団ジーン。これまで戦火を避けてのことと言われてきましたが、この事情を知る人の話では、敵性外国人であるジーンを...(続きを読む)
文・日下部順治その12 今に残る団ジーンの足跡
2018年7月6日
話は再び団ジーンに戻ります。先日、ジーンの長女である「団みか」さんから快報が届きました。ジーンが三崎臨海実験所からお茶の水女子大を通じて愛用していた...(続きを読む)
文・日下部順治その11 日米つなぐ位相差顕微鏡
2018年6月8日
臨海実験所の建物群のうち、現在利用が中止されている元水族館棟と本館。国際的な交流機関であり、日本の動物学発生の地を象徴する二棟が、このまま取り壊しを...(続きを読む)
文・日下部順治その10 知られざる歴史の舞台
2018年5月11日