横須賀・三浦版【1月1日(水)号】
今年1年の展望と抱負を語る上地克明横須賀市長(右)と吉田英男三浦市長(=昨年12月13日、両市役所)

まちの魅力高め施策推進 横須賀・三浦両市長、新春インタビュー

 タウンニュース横須賀・三浦編集室では新年の幕開けにあたり、横須賀市の上地克明市長と三浦市の吉田英男市長に、新春インタビューを行った。両市長は昨年を振り返り、能登半島地震を契機とした災害対策の重要性を改めて認識。市民の防災意識向上や自助・共助の重要性を強調した。観光振興で上地市長は「音楽・スポーツ・エンターテイメント都市」構想を推進し、浦賀地区の再開発などにも意欲を示した。吉田市長は、新海業プロジェクトを推進し、三崎漁港の海業振興を目指す考え。また両市が直面する人口減少対策については、国策としての少子化対策や子育て支援の強化を求めるとともに、三浦半島の利便性向上や子育てしやすい環境づくりに取り組むとした。(聞き手・本紙編集長 佐藤弦也)

上地横須賀市長インタビュー続き災害対策、半島ぐるみで備蓄物資、相互補完へ協定「音楽×スポーツ×エンタメ」で好循環

 ――まず、昨年1年間を振り返っての所感をお願いします。

 「やはり能登半島の地震が最も印象に残っています。自然災害の脅威に対してどう向き合うべきか、改めて認識させられる出来事でした。同じ半島という立地を踏まえれば、三浦半島は運命共同体です。防災や安心安全に向けて考えを巡らした1年でもありました」

 ――半島ぐるみでの防災で具体策は。

 「現在横須賀市を含む4市1町は防災に関する相互応援協定を結んでいます。また『ブルーカーボン』(海藻などに吸収されるCO2由来の炭素)を増やす脱炭素の取り組みや太陽光発電導入に向けても共同で進めていますが、これらに加え、防災用の備蓄物資を互いに融通しあえるよう検討を始めました。今後、防災に限らず、幅広い分野で自治体間の連携を強化していきたいと考えています」

 ――市長が就任来掲げる「音楽・スポーツ・エンターテイメント都市」について。政策としての成熟度を感じる一方で、目に見える効果はどのようにお考えですか。

 「音楽・スポーツ・エンターテイメントは、あくまで横須賀復活のツールです。横須賀をかつてのような賑わいのある、人々が楽しんで豊かに暮らせる街にしたいと考えています。その中で人々が幸福感や豊かさを感じ、人が集まり、税収が増え、福祉にお金を回せるようにしたいのです」

 ――福祉の充実という点で具体的な成果は。

 「子育て支援の拡充や保健師の役割強化など、様々な施策を展開しています。妊活から子育て、高齢者介護まで、切れ目ない支援体制を構築することで、市民の生活を支えています」

 ――人口減少と少子高齢化についての考えは。

 「自然減は仕方がない部分もあります。一方で、高度成長期に建てられた住宅、団地で育った方たちが街を出ていくという流れはある程度縮小していると考えています。今後は横須賀の魅力を発信し、移住・定住を促進することで人口減少と高齢化に対応していきます。子育て支援はもちろん、自然環境や都市機能の充実など、多角的な施策を展開していく考えです」

浦賀再開発に意欲「第2の開国」

 ――久里浜地区の開発については、どのような展望をお持ちですか。

 「久里浜地区は、スポーツ・医療・商業が一体となった、横須賀の南の拠点を担う地区です。3月には市立うわまち病院が移転し、市立総合医療センターとして開院する予定です。マリノスや商店街、工業地帯などが連携し、地域全体で自走してくれることを期待しています」

 ――浦賀ドック周辺の再開発について昨年11月に事業パートナーの公募が発表されました。

 「浦賀地区の再開発は、私の悲願です。選挙で公約した『第2の開国』を実現する上で、浦賀は最後の仕上げとなる重要な地区です。住友重機械工業さんとの信頼関係を築くまでに長い年月がかかりましたが、ようやく公募にこぎつけました。歴史と海を中心に、浦賀を魅力的な街にしたいと考えています」

 ――来年度の予算編成について。今夏には市長選が控えています。4年前は本格予算を発表し、続投への意欲を感じました。編成の方針は。

 「2月議会には本格予算を提出する予定です。

選挙に限らず、どういう状況でも市政を止めることがないよう、本格予算を組むべきだと考えています。来年度は、これまで仕掛けてきた施策を確実に実行し、市民の皆さんに成果を味わっていただけるようにしたいと考えています」

 ――最後に、市民の皆さんへのメッセージをお願いします。

 「コロナ禍を乗り越え、ようやく様々な施策が芽吹いてきました。今後はその芽を伸ばし、果実を実らせ、新しい価値を創造する時期です。市民の皆さんには、その成果を楽しんでいただきたいと思います。また、自然災害への備えも重要です。市としても防災体制の強化に努めますが、市民の皆さんも防災意識を高めていただきたいと思います」

吉田三浦市長インタビュー続き市制70周年、市民誇れる町に人口減・防災・交通…課題向き合う

 ――まずは昨年の振り返りをお願いします。

 「元旦に発生した能登半島地震は、半島という地域特性を持つ三浦市にとっても他人事ではありませんでした。市民の防災意識が高まり、改めて日頃からの備えに取り組んだ年となりました。4月からは夜間タクシー不足解消のため、ライドシェアの実証実験を開始しました。6月には、子育て賃貸住宅やコミュニティーセンタ―などが一体となった『チェルSeaみうら』が完成するなど、さまざまな事業が進捗しました。一方、人口減少という課題は依然抱えており、引き続き取り組んでいかなければなりません」

 ――能登半島地震を受けて講じた防災対策は。

 「ハード面の整備はもちろんですが、市民の防災意識向上と自助・共助の取り組みが重要だと考えています。具体的には、消防団の資機材充実、観光客向けの避難経路表示の改善などに取り組んでいます」

 ――ライドシェアが3月までの「試行」という形で再スタートを切ることになりました。改めて事業の必要性と展望についてお聞かせください。

 「タクシー事業者の撤退により、夜間の交通手段確保が課題となっていました。飲食店や観光事業者、市民からの要望もあり、ライドシェアの実証実験を開始しました。当初は、周知不足やアプリの使い勝手など課題もありましたが、徐々に改善され、金・土曜日に利用者が増加しています。本格実施に向けて関係者と調整していましたが、市議会から事業の採算性に対する意見をいただき、試行運行として継続することになりました。今後は利用率向上と広報活動の強化に取り組みます」

 ――地域公共交通のあり方について、どのようにお考えですか。

 「現時点では、日中の交通手段については大きな課題があるとは認識していません。夜間の移動手段不足解消が喫緊の課題です。公共交通全体の維持には多額の費用がかかります。高齢化社会における移動手段の確保などについては、先進事例を参考にしながら慎重に議論を進めていきたいと考えています」

 ――三崎漁港の海業振興を目指して取り組む「新海業プロジェクト」について。地元の事業者などから興和グループが提案した計画の概要が見えず不安視する声が上がっています。

 「事業提案の内容は、変更になる可能性が高い未成熟な情報であり、公表することで、憶測や混乱を招く可能性があるため、事業者と協議の上、当面は非公開としています。3月に予定している基本協定の締結後、具体的な契約内容と合わせて丁寧に説明していく予定です」

 ――昨夏、開設が見送られた三浦海岸海水浴場の再開に向けて展望は。

 「今夏は市が開設者となり、新たなモデルで海水浴場を運営する予定です。民間の事業者とも連携し、砂浜全体の活用方法を検討しています。ビーチスポーツなどを楽しめるような、時代に即した多様なニーズに対応できる海水浴場を目指します」

 ――深刻な人口減少が続いています。対策についてどう考えますか。

 「市としても三浦への移住を考えている方を対象にした講座や婚活イベントを実施するなどの対策に取り組んでいますが、人口減少を食い止めるのは容易ではありません。根本的には国策として、少子化対策や子育て支援を強化していく必要があるでしょう。一方で、三浦半島の利便性向上や、子育てしやすい環境づくりなどに取り組む必要があると考えています」

 ――きょう1月1日は市制記念日で市政70周年の節目です。市民に向けてのメッセージをお願いします。

 「三浦市は『人よし、食よし、気分よし』というフレーズを前面に出していますので、多くの皆さんに三浦市の良さを知ってもらい住んでもらえるよう、様々な取り組みを進めていきます。市民の皆さんが誇れるような町にしていきたいと思います」

開院を控える市立総合医療センター

横須賀市立総合医療センター 3月開院、地域医療の要に 33床増床、搬送用ヘリポートも

 施設の老朽化と患者増加で手狭になった横須賀市立うわまち病院は、今年3月1日に神明町に移転し「市立総合医療センター」として新たなスタートを切る。病棟は昨年11月に竣工しており、開院に向け機材搬入など最後の調整を行っている。

 同院の移転が決まったのは2018年。県道から病院までの進入路の幅が狭いことも移転の理由の一つに挙げられていた。

 新院は鉄骨造一部鉄筋コンクリート造の地上7階建てで、屋上には三浦半島初の救急搬送用ヘリポート施設を整備。現行の417床から33床増床し、手術室も5室から10室に増室した。外来患者向けの化学療法室を19床整備し、抗がん剤治療を提供する体制を強化。標ぼう診療科に歯科、歯科口腔外科などを追加し、合計34科の体制となる。

 京急久里浜駅から徒歩約7分に位置しており、久里浜地区における賑わいの創出にも期待が向けられる。うわまち病院から引き続き新院でも院長を務める沼田裕一医師は「優しい心、深い知識、高い技術で地域医療に貢献していきます」と抱負を語った。

 移転後の同院跡地の一部については、市が看護系大学を設置する方針を示しており、最短で30年度の開学を目指す。

横須賀商工会議所 平松廣司会頭ひらまつ・ひろし/1949年横須賀市生まれ。横浜市立大大学院卒、72年三浦信用金庫(現かながわ信金)入庫。同金庫会長、全国信用金庫協会会長。75歳

トップに聞く 地域経済活性化の道しるべは

 2025年が幕を開けた。新型コロナが5類以降してから1年半が経過し、地域社会もポストコロナの生活様式が定着した一方、ダメージの尾を引く企業にとっては再起に向けた模索が続く。少子高齢化と人口減という共通の課題を抱える横須賀三浦両市の活性化の見通しは。両商工会議所のトップに聞いた。

三浦市「三浦らしさ」で誘客促進

 ――三浦市の経済について現状の受け止めは。

 「コロナ禍の影響は依然として残りますが、観光需要は回復傾向にあります。ただ、インバウンド(訪日外国人観光客)を中心に観光客が鎌倉や葉山などに流れてしまう傾向が続いており、マグロや食の魅力といった三浦らしさを生かした誘致が課題です。漁業は船舶の減少、農業は後継者不足や天候不順による不作が続いています。全体的にはマイナス傾向で、課題は山積しています」

 ――観光需要に対し好材料になり得るものは。

 「昨秋、三崎マグロの血合い肉を特産品化する取り組みで、愛称が『茜身(あかねみ)』に決まりました。茜身には未病改善に有効とされる抗酸化成分『セレノネイン』が多く含まれて、ブランド化を推進することでさらなる観光客誘致に繋がると期待しています」

 ――三崎漁港の利活用プロジェクトが公民連携で進んでいます。

 「市の財政状況を考えると、民間の力を活用した再開発はやむを得ないでしょう。しかし、現状では計画の具体性に欠け、市民に不安が広がっていることは否めません。会議所としては、行政と連携し、市民や事業者双方にとってより良い計画になるよう、協力していきたいと考えています」

 ――再開発にあたり、重要だと考える点は。

 「まずは道路整備を優先すべきです。施設を充実させても、アクセスが悪ければ渋滞が発生し、利便性が損なわれます。また、東京のような商業施設をそのまま持ってくるのではなく、三浦の特性やニーズを汲み取った計画であるべきです。地元の一次産業と消費者を繋ぐ場として、市民も利用しやすい施設を目指してほしいと思います」

 ――商工会議所として力を入れたいことは。

 「人事の整備です。高齢化が進む役員の後継者を育成し、スムーズなバトンタッチができるように備えたいと考えています。課題は多いですが、三浦市の経済を活性化させるために、会議所としてできる限りのことをしていきます」

横須賀市「何で勝負するか」示す年に

 ──横須賀の景気状況をどう捉えていますか。

 「原材料費の高騰、賃金上昇、人手不足と中小企業に大きな負担がかかっている状況です。被雇用者は待遇改善が図られていますが、中小零細が大半を占める横須賀では、大手との格差が鮮明になっています。企業は適切な価格転嫁を発注者に求めて経営を安定させることが必要となりますが、交渉は難しいでしょう。こうした実情を踏まえ、商議所として国・県・市などに補助金や補填、支援制度の拡充を強く要望していきます」

 ──商議所が頼みの綱となっている事業者は少なくありません。

 「売上拡大や事業承継、創業など経営に役立つ公的な支援メニューが世の中にいくつも存在します。商議所には多くの情報があり、活用を積極的に推進しています。事業者と近い距離にいる職員が伴走支援することもあります」

 ──吉本興業所属のお笑い芸人を「特命職員」に迎えるなど、ユニークな取り組みが注目を集めています。

 「芸人の発想力を商品開発や集客に活かしていく試みです。型通りではないアドバイスを期待しています。これとは別に吉本興業とのつながりを活かして、お笑いライブなどを切り口にした集客戦略を考えています。落語や漫才、演劇、音楽を多目的に使用できる空間を民間資本で開設できたらと。若者に向けた発信を強めている上地克明市長のエンタメ路線を側面支援するもので、こちらはシニア市場を強く意識しています。シニアマーケットの攻略は超高齢化社会の重要テーマです」

 ──全国信用金庫協会の会長に就任しました。

 「全国の信用金庫を訪れるケースが増え、これまでに7つのエリアを視察しました。横須賀で人口減少の危機が叫ばれていますが、地方の状況はより深刻です。そうした中でも、地域の得意分野を磨き上げて、存在感を発揮しているまちがありました。『何で勝負するか』を戦略的に考えて行動することが大事です。商議所としての方向性を示していきます」

横須賀市文化会館 60周年 文化の灯をつなぐ 60年の記憶、未来への光

 横須賀の文化発信拠点として親しまれてきた横須賀市文化会館が今年で開館60周年を迎える。横須賀を見守る文化の灯台は、半世紀以上にわたり、市民に愛され、数々の名公演を生み出してきた。本特集では、開館からの歴史や著名人による公演、読者から募集した思い出エピソードなどを紹介する。

 千人超を動員できる大ホールと250人規模の中ホールと、書道、絵画、写真、工芸品など、市民の芸術文化活動による創作品を展示する展示室、市民ギャラリーのほか、6つの会議室から成る。

 開館は1965年。前年には東海道新幹線開業、東京五輪開催など、日本中が高度経済成長に沸く時代、地域文化の殿堂として市民サークルの活動や発表会、楽団による演奏会などが開かれ市民に親しまれてきた。

有名バンド公演、婚礼会場にも

 本町に横須賀芸術劇場が開館(94年)するまで、大ホールは横須賀三浦地区随一の多目的ホールとして、市民活動の発表のほか著名アーティストの公演や人気番組の収録などにも使用されていた。

 72年9月には、故・内田裕也氏がプロデューサーを務める「フラワー・トラヴェリン・バンド」が同館で公演。同バンドの最後のアルバム「MAKE UP」のうち5曲は同日のライブ音源が収録され、ジャケットには舞台上での集合写真が使用された(同作品は現在も購入可能)。そのほか、松任谷由実や浜田省吾といった人気アーティストもコンサートを実施するなど、市民にとって「非日常」を味わえる会場でもあった。

 文化芸術の展示・公演だけでなく、婚礼会場としても盛んに利用されていた同館。83年から87年まで事務職として同館に勤務していた宮崎久美子さん(62)は「当時は月に2、3件程度だったが、70年代は仏滅の日でも予約が埋まっていたと先輩から聞いた」と話す。実際に71年には結婚式場として1166件の利用があったことが記録として残っている。結婚式、披露宴ともに3階の広間で行われ、宮崎さんら事務職員が司婚助手を務めることもあったという。

 現在、市内での大型公演はより駅からのアクセスに優れた横須賀芸術劇場で開催されることが増えたが、近年では地元有志による新たなイベントも催されている。昨年4月に実施された古本市「ブックミュージアム」には市内のほか県外からも約400人を動員し、新たな文化の萌芽が見られた。三浦半島の学術・文化発信の拠点として、今後も市民とともに歩み続ける。

25年度内に集大成企画

 同館は60周年にちなんだ記念事業を複数展開。昨年は周年記念のロゴマーク=写真下=の公募を行ったほか、同館周辺を見渡した鳥瞰(ちょうかん)図を作成。今後は60周年にちなんだ展示企画を検討しているほか、集大成として音楽・演劇・ダンス・俳句・食など様々なジャンルを楽しめる「よこすかフェスタ」を実施する予定だ。岡田典一館長は「支えてくれた地域に感謝。周辺町内会・商店会とともに、地域一体のカルチャーストリートとして盛り上げていきたい」と話した。

読者発 文化会館思い出エピソード

 ・1978年、「8時だョ!全員集合」の収録を観に行きました。本物らしきパトカーが舞台上にセットしてありびっくり!どうやって搬入したのだろう…(平作在住 男性68歳)

 ・1981年の2月、柳ジョージ&レイニーウッドのコンサートが私が初めて行ったライブでした。アンプを通したギター・ベースの音、体中に覆いかぶさる歌声には衝撃を受けました。(三春町在住 女性58歳)

 ・1976年、TBS系「家族そろって歌合戦」の収録が行われ、妻と長女と一緒に出演。準優勝することが出来ました。司会のてんや・わんやさにゃ審査員の笠置シヅ子さん、高木東六さんらのサインが排他記念色紙は思い出の品です。(岩戸在住 男性82歳)

海岸沿いに戸建て住宅や集合住宅が建ち並ぶ秋谷の立石海岸

高級住宅続々、別荘ニーズ追い風 「秋谷ブランド」に熱視線 2027年にはインターナショナルスクールも

 相模湾を抱きながら南北に伸びる横須賀市西海岸地区。その一角にある秋谷地区が今、不動産関係者らから富裕層向けの開発エリアとして熱視線を浴びている。別荘地やセカンドハウスニーズを追い風に、海岸沿いに高級住宅街や集合住宅が建ち並び、かつて「南葉山」と称された場所は「秋谷ブランド」として新たな価値を醸成しつつある。開発の最前線を探った。

 「秋谷エリアは芸能人や著名人が別荘を構える知る人ぞ知る別荘地。立石海岸や江の島、富士山、そして美しい夕日を望む贅沢なロケーションです」

 昨年11月、秋谷に新たに建設された高級賃貸マンションのメディア向け内覧会。案内した不動産会社のスタッフが、物件の魅力を声高に紹介した。

 風光明媚な景色を見渡せる眺望や著名建築家が設計した機能性とデザイン性。家賃は19万8千円から、最高層の3LDKは90万円と高額だが、同日時点で27戸のうち、4割の入居が決まっているという。

 開発したのは横浜市に本社を構える大藤不動産。登壇した戸熊敦哉社長は「富裕層向けのビジネスが賑わう中、秋谷エリアが新たなブランドとして確立されつつある」と手応えを語る。

 秋谷エリアの住宅建設ニーズは高級物件を中心に活況だ。同社によると、戸建て平均販売価格は過去約10年で4634万円から6578万円と、4割近く上昇。土地の価格も高騰し、場所によっては3年前から3倍近く上がっているケースもあるという。戸熊社長は開発地としての先見性をこう語った。

 「立地環境のポテンシャルに加え、開発途上。すでに別荘地として確立された葉山や鎌倉よりも開発に乗り出しやすい」

多様な人が居住

 横須賀市と葉山町にまたがる湘南国際村では、2027年8月に小中一貫のインターナショナルスクール「秋谷葉山国際学園」(仮称)が開校する見通しだ。全学年で定員440人を想定し、グローバルな視点を育む「国際バカロレア教育」を視野に人材育成に取り組む。

 用地利活用の優先交渉権者に選ばれた秋谷国際学園運営会社の梅田優祐社長は秋谷について「自然豊かな土地で漁師やクリエイター、米軍など多様な背景を持った人がいる。子どもたちにとっても『自分らしく生きる』ことに寛容な街」と評価。めぐりの森を活用した自然教育や最先端のテクノロジー教育を組み込むとしており、「土地の特性を最大限生かした学校にしていきたい」と意気込む。

市関係者も期待

 深刻な人口減少に歯止めがかからず、対策が喫緊の課題となっている横須賀市。自然減が進む秋谷エリアも昨年の人口は前年比で2・6%減で、市平均の1・1%減を上回った。一方、開発によるブランド化について、市関係者は観光振興や定住の促進にもつながるとして対策の好機と受け止める。

 市は2021年4月、秋谷の一部市街化調整区域の開発行為基準を見直し、ホテルや商業施設を建設できるエリアを拡大した。今年度廃止される「秋谷老人福祉センター」の跡地には、1月中にも休憩や宿泊が可能な便益施設などを公募する。

 市都市戦略課の吉田裕一課長は「市全体のブランド化を目指しているが、秋谷は特にポテンシャルが高い。交流人口が増加することで将来的な移住定住促進の可能性もあり、秋谷を先例としてブランド化に弾みをつけたい」と波及に期待を寄せた。

昨年6月に理事長に就いた高瀨氏

かなしん 高瀨理事長インタビュー 「店舗基盤に密着度高める」

 かながわ信用金庫の経営戦略が際立ち始めた。合理化やコスト削減を理由に数多の金融機関が店舗の統合や縮小を進める中、既存店の維持を声高に唱えている。「店舗を基盤に地域との密着度を高める」という従来の方針を堅持していく考えとともに、新年の展望を高瀨清孝理事長に聞いた。

* * * *

 ──昨年6月、新理事長に就きました。

 「会長(平松廣司氏)が築いてきた強固な基盤があり、それを守りつつ発展させることが私の役割です。経営状況については、法人向け融資が堅調で健全性が向上したことで順調に推移しています」

 ──大手金融機関を中心にコスト削減などを目的とする店舗の撤退が目立ち始めています。

 「地域密着の金融サービスが信用金庫の根底にある理念。『店舗なくして地域を守ることはできない』という考えに変わりはありません。きめ細やかなフェイストゥフェイスの訪問活動を中心に、身近に相談できる体制を保つことでメインバンク化を推進していきます。ただ店舗を継続していくために体制の見直しは必要です。一部の店舗で昼休業を取り入れています。効果的な人員配置を行いつつ、多くのお客様にご利用いただける仕組みを整えています」

 ──経営課題に解決策を示すコンサルタント業務やビジネスマッチングに力を入れています。

 「事業承継や再構築、起業や創業の相談を顧客サポート部のフォローで各営業店を中心に取り組んでいます。販路拡大や新しいビジネスを創出するためのビジネスマッチングも主体的に進めているところです」

 ──地域振興にも挑んでいます。

 「金融サービスだけでなく地域全体を盛り立てるのも我々の責務。当金庫の呼びかけで立ち上がった『三浦半島地域活性化協議会』があります。産官学金言の連携で活性化のアイデアを生み出して、実行していきます。2月に三浦半島に点在するクラフトビールのブルワリーをバスでめぐるツアーを企画。交流人口の拡大を狙います」

 ──店舗スペースを活用してアート作品を展示しています。

 「横須賀美術館の所蔵品のレプリカの展示を栄町支店、横浜営業部、藤沢営業部の3店舗で行いました。横須賀に足を運ぶきっかけを創出するほか、店舗スペースを利活用する実験的な試みです。お客様が来店したくなるような付加価値の提供を模索しています」

海軍電灯と呼ばれていた「伊勢山崎探照灯」。防衛大学校の走水海上訓練場のとなりにある

三浦半島に眠る戦跡に焦点 在野の研究者 ガイド本製作

 明治初期から太平洋戦争の終焉まで、首都防備を目的に三浦半島各所に築かれた軍事施設の遺構、いわゆる戦争遺跡(戦跡)を紹介するガイド本の発行に東京湾要塞研究家のデビット佐藤氏が挑んでいる。戦争の負の遺産として捉われがちな建造物などに光を当て、軍事的な役割だけでなく、歴史的な価値も後世に伝える。製作費用の一部を捻出するためにクラウドファンディングを活用して、取り組みの共感者を広げていく考え。太平洋戦争の終結から80年となる今夏の完成を目指している。

「埋もれさせてはいけない」

 戦跡には、大砲が置かれていた砲座や弾薬庫、観測場や兵舎などの遺構のほかに戦没者の慰霊塔などがある。戦争の歴史を伝える史料として、行政や団体が管理しているものもあれば、忘れ去られて放置状態になっているケースも少なくない。

 「埋もれさせてはいけない」──。

 佐藤氏は、明治以降の要塞を専門的に研究している人がほとんどいないことを知り、約20年前に本格的な調査に乗り出した在野の研究者。知り得た情報は個人で開設したホームページ「東京湾要塞」(【URL】https://tokyowanyosai.com/)で公開。2018年からは本紙連載コーナー「東京湾要塞地帯を行く!」で三浦半島の戦跡を紹介している。

 自費出版する今回のガイド本は、80回を数える先の連載原稿を加筆修正して再構築し、写真を中心に平易な言葉でわかりやく解説する。単なる史料ではなく、自分の足で現地を訪れて五感で感じてもらうことに主眼を置く。理解をより深めるために、ガイド本をテキストにした戦跡ツアーの造成なども視野に入れる。

 佐藤氏を駆り立てるのは危機感だ。「身近にある戦跡も開発や経年劣化により、次々と消失していく」。現実的な見方として、数多ある戦跡を保存していくことは難しいが、「誰かが遺していかなければ、戦争があったことすら風化してしまう」というのが佐藤さんの考え。戦跡は何も語らないからこそ、「事実を事実として正確に伝えていくことが必要」だと唱える。

 ガイド本には、戦跡の保存活用について考える対談なども計画している。追浜地区で海軍航空隊の施設として掘られた「貝山地下壕」の見学ツアーを実施しているNPO法人アクションおっぱまの昌子住江理事長との意見交換を通じて、未来志向の提言を発信する考えだ。

「井上塾」元塾生の証言記録も

 関連企画として、終戦後、長井地区で隠棲生活を送った”最後の海軍大将”こと井上成美(1889〜1975年)に関する取材も進めている。

 井上は戦争の責任を強く感じて表舞台から身を引く一方、地域の子どもらに英語を教える塾を開き、実直な性格から多くの信頼と尊敬を集めたことで知られている。

 当時の塾生らが「井上成美氏を語り継ぐ会」を組織し、井上の教えや行動を後世に残す活動を行ってきたが、大半が80代後半となり、思い出を語れる人が少なくなっていることから証言記録をまとめる。塾のあった邸宅(資料館)が昨春に取り壊され、貴重な資料が散逸しかけたこともあり、今回のガイド本の中に盛り込むことにした。

 支援を求めるクラウドファンディングは1月中旬にスタートさせる。

三浦商議所 新春講演会 柔道家の松本薫さん迎え

 三浦商工会議所では1月22日(水)、五輪柔道金メダリストの松本薫さん=写真=を迎えて新春講演会を開く。

 松本さんは帝京大学柔道部出身で2012年のロンドン五輪で金メダル、16年のリオ五輪で銅メダルを獲得。19年の引退会見で「アイスクリームつくります」の発言が注目を集め、セカンドキャリアとして製造開発と販売に携わっている。

 講演会の演題は「『勝ち』にこだわる闘争心」。栄光を掴んだ柔道家の源流を本人が語る。

 会場は三浦市民ホール(三浦市三崎5の3の1)。午後3時開演。募集定員100人(先着順)。参加無料。

 申し込みは三浦商工会議所のホームページ(【URL】https://www.miura-cci.com/)から受付。

三浦半島巡って開運祈願 御朱印と「龍玉」頒布

 三浦半島にある6カ所の寺社仏閣を巡って新年の開運を祈願する「開運半島詣り」がきょう1月1日(水)から始まる。各社の御朱印を揃えると、特別に奉製した「開運札」がもらえる人気企画。

 実施するのは三浦市の海南神社(三崎4の12の11)、福泉寺(初声町三戸1020)、横須賀市の西叶神社(西浦賀1の1の13)、浄楽寺(芦名2の30の5)、葉山町の森戸大明神(堀内1025)、長運寺(長柄615)。用意しているオリジナル御朱印には、それぞれの龍が描かれ、開運や疫病退散を願う。500円。全て揃えると、特製のホログラム開運札を無償で授与する。

 昨年に続き、大願成就を願う「龍玉めぐり」も。それぞれ紋章があしらわれており、全て集めると最後に7つ目の「満貫玉」が授けられる。

 龍玉(満貫玉)は、各千円。詳細は海南神社【電話】046・881・3038。

昨年5月に行われた調査会の様子(写真提供)

三浦半島昆虫研究会 「一途な昆虫愛」垣根なく 地道な活動48年 多世代集う調査活動

 カブトムシやクワガタ、チョウにトンボ。子どもの頃、誰しも一度は興味を惹かれた昆虫の愛好家が集う団体がある。横須賀市自然・人文博物館(横須賀市深田台)を拠点に三浦半島全域で調査活動を行う「三浦半島昆虫研究会」(三昆研)だ。所属するのは小学生から80代までの約100人。老いも若きも、みんな昆虫が大好き。対等で風通しの良い関係性を生み出す秘訣が、「昆虫愛」という共通項だ。



 昨年11月、三浦半島地域などの昆虫に関する最新の研究成果を発表するスタディートークが同館で行われた。学芸員や社会人に混ざって登壇したのは、小学生や中学生ら。手書きの絵や写真に細やかな記録が添えられ、いずれも大人が舌を巻く発表内容だった。

 同会は1977年に発足。同館学芸員と市民研究家のグループ、六浦中学校(横浜市)生物部元顧問・OBが共同で研究活動を行うようになったのがきっかけで、以来歴史を重ねてきた。

 会員は元教員や塾講師、ITエンジニアなどさまざま。一方、調査活動では、甲虫類やチョウ類で神奈川県レッドリストの調査員になっている会員もいる。

 活動の中心は年2回、城ヶ島や大楠山、森戸川流域などで三浦半島内の昆虫を観察する調査会と、研究成果を発表する年4回の例会。情報交換会の「サロン」や、年2回、会報誌「かまくらちょう」も発行する。

一時は存続難も

 一時は会が高齢化し、存続が危ぶまれた時期もあったが、現在は学生から社会人、シニア世代まで多様な人材が集う場として定着。特に同館が毎夏主催する昆虫教室の受講者が入会するケースが増えており、ジュニア世代の参加も目立つようになった。発足時に代表を務め、16年から再度代表幹事に就いた中村進一さん(73)は「会員は多世代だけど、大人も子どもも関係なくフラットな関係がうちの良さ。子どもたちの親御さんも熱心で、会の活動を支えてくれている」と感謝する。

 この日、スタディートークに登壇した高橋颯汰郎さん(関東学院六浦中学校2年)は小学3年生のときに入会。元々昆虫好きで、入会後は全国を飛び回り昆虫採集に熱を入れるようになった。今の目標は国内に200種類近く生息するトンボを収集。「日本にいるトンボを全部集めたい。将来は学芸員になれたら」と目を輝かせる。母の知美さん(49)は「ここは子どもを含めて昆虫に詳しい人ばかり。息子の世界が広がり人生が変わった」と目を見張る。

50周年へ研究記録

 昆虫への愛着は大人も負けていない。中村さんも60年近くチョウを研究し、標本製作については県内でも屈指の実績で研究者も一目置く存在だ。同会の活動をサポートする同館学芸員の内舩俊樹さん(47)は会について「研究団体との協力関係は博物館にとっても不可欠。地域の昆虫研究をパートナー関係を築きながら進めたい」と話す。

 2年後の2027年には発足50周年を迎える。三浦半島に生息する昆虫の記録を取りまとめた「三浦半島昆虫誌」の発刊を構想しているといい、中村さんは「半世紀の活動の節目に、これまでの研究成果を後世に残したい」と意気込んだ。

研究者さながらの探求心

 三昆研会員の長崎仁平さん(汐入小学校4年)=写真左=は昨年、県内の小中学生が観察や調査、実験の成果を応募する「木原記念こども科学賞」で最優秀賞(小学校高学年)を、後藤渚さん(鶴久保小学校4年)=右=は特別賞(同)を受賞した。

 長崎さんのテーマは「ナナフシモドキを”でっかく”育てる挑戦」。食草や飼育環境を複数パターン用意し、それぞれの成長の記録を写真やグラフとともに事細かにまとめた。後藤さんは県内では絶滅し、憧れの虫だったという「タガメ」の発見や成長記録をまとめた。2人にとって昆虫は「神」(長崎さん)、「かっこよくて可愛い」(後藤さん)。それぞれ次なる研究の目標もあり、探求心はとどまることを知らない。

三浦市「三樹院」 初観音と津軽三味線

 三浦市南下浦町上宮田にある浄土宗「三樹院」は1月18日(土)、新年最初の本尊十一面観音の縁日に合わせて本堂で津軽三味線の演奏を行う。

 津軽三味線を中心とした和楽器の演奏集団「獅子道」の代表を務める小山貢山氏と小山清雄氏が出演する。

 午後0時30分開始、2時から初観音祈願法要がある。参加自由。

 詳細は三樹院【電話】046・888・0619。

鈴木隆裕社長。猿島を望む本社社屋の屋上で

トライアングル鈴木社長インタビュー 三浦半島フィールドに観光振興

 横須賀・三浦半島の成長を支える基幹産業のひとつが「観光」であることは論をまたない。ただ、全国に認知されている観光資源の乏しいこのエリアでは、地域に眠る文化や歴史、豊かな自然を最新のトレンドと組み合わせて観光コンテンツに昇華させていくことが不可欠だ。猿島航路、YOKOSUKA軍港めぐりの運航会社で地域観光のリーディングカンパニーである(株)トライアングルの鈴木隆裕社長に新年の展望と抱負を聞いた。

地域連携が奏功経済効果14億円

 ──まずは、昨年1年を振り返っていただきます。エポックメイキングな出来事として、神奈川で初の「鈴木敏夫とジブリ展」が横須賀美術館で開催されました。

 「開催委員会方式で実施した大型企画でしたが、当社もメンバーとして企画段階から運営に関与しました。世界を代表する数々のアニメ作品を世に送り出してきたジブリの軌跡を、プロデューサーである鈴木敏夫氏の視点を交えて紹介する内容でした。幅広い世代が注目する人気コンテンツなため一定の集客を見込んでいましたが、来館者数は当初の目標の11万人を大幅に上回る約17万人を記録しました。同美術館の歴代最高だそうです。単に来館者数を増やすだけではなく、回遊性を高めて滞在時間を増やすことで、地域全体の賑わいと経済効果を生み出していくことに主眼を置いていました。商店街や個店と連携して実施したスタンプラリーが大きな役割を果たし、市全体として約14億円の経済効果がありました」

 ──公益財団法人日本デザイン振興会が選定する「2024年度グッドデザイン賞」ベスト100の受賞もありました。

 「4月にデビューした猿島航路の新旅客船『NEW KUROFUNE』が選ばれました。猿島の史跡と自然をモチーフにした特徴的なフォルムとともに、市民の協力で集めたアルミ缶を再資源化して作成したオブジェで環境保護のメッセージを発信する一連の取り組みが認められました。受賞を通じて猿島の魅力の発信につながることを期待しています」

猿島公園リブランディング

 ──「ジブリ展」の成功もあり、トライアングルの動向が注目されています。今年はどんなことを仕掛けていきますか。

 「猿島航路が再開して30周年となります。記念事業として、島内各所にあるサイネージ(案内表示)などのデザインの統一化を図り、リブランディングしていきます。現在のものは、必要に応じて設置してきたため、全体としてコンセプトやデザインがバラバラな状態です。これを夜の猿島を舞台にした芸術祭『SENSE ISLAND』を監修する齋藤精一氏にプロデュースをお願いして新しいイメージを打ち出します。猿島を訪れる客層は新型コロナを挟んで変化しています。目的を持たずにのんびり歩いて自然を楽しむカップルが増えています。先の芸術祭などを通じてアートを愛でるような感性の高い若者らに猿島の存在が伝わっているのでしょう」

 ──「観光地域商社」を掲げています。これの具体化として「猿島航路」「軍港めぐり」に続く事業の柱に位置付けている広域観光ガイドについて聞かせてください。

 「『猿島』『第二海堡』『浦賀ドック』など三浦半島の自然や歴史、戦跡などをテーマにしたガイドツアーを行っていますが、これをもう一段発展させてエンタメ要素を取り入れた特別な体験や地域の資源を活かしたツアーの造成に注力します。産業遺産、環境学習、平和学習などを切り口とした教育旅行の誘致も手掛けていきたい。受け入れ態勢を整えるためにガイドの育成も行います。地域や企業、商店街などとの連携も進めたいですね。当社をハブに様々な事業者や人がつながり、新しいビジネスが展開できたらと考えています」

 ──観光振興で神奈川県と連携・協力の協定を結びました。

 「三浦半島には『観音崎公園』『城ケ島公園』などスケールの大きな県立公園があります。自然にあふれ、砲台跡などの歴史的遺構も魅力的。県の力を借りてこれを活かしたツアーを造成します。三浦半島の観光情報をピックアップしたWebメディア『三浦半島ポータルマガジン」で話題を発信していきます」

三崎朝市初売り 1月12日6時

 三崎マグロをはじめ、地魚や新鮮野菜など三浦自慢の特産品が購入できる三崎朝市の初売りが1月12日(日)に開かれる。朝6時から。

 水産会社や加工会社、農家や飲食店など約30店が出店。千円以上の購入で「マグロ1本」が抽選で当たるキャンペーンのほか、参加店が景品を用意するじゃんけん大会もある。当日は甘酒無料配布も。会場は三崎5の3806。問い合わせは三崎朝市協同組合【電話】046・881・4488。

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わたしのまちでいきる 【33】職業体験プログラムの効果「一般社団法人sukasuka-ippo代表理事 五本木愛」

 この連載では、障がいを持って生まれた娘うららとの歩みから、(一社)sukasuka-ippoのルーツなど、さまざまなエピソードを紹介します。

 放課後等デイサービス「onestep」では、商工会議所と連携し独自の職業体験プログラムを実施しています。

 実際に体験を進める中で、私たちもたくさんの気付きがありました。例えば、明るくおしゃべりが大好きな中学生の男の子。体験先では、1日目こそ緊張して口数が少なかったものの、2日目からは本領発揮!おしゃべりが止まりません。そこで「お仕事中は必要なこと以外はしゃべらないよ。例えば...」と職場の方から教わり、身を持って体験したことで意味をしっかりと理解することができたようです。

 別の体験先では、はじめは午前だけの設定だったところを、あえて1日通してのプログラムに。「お昼の休憩時間の使い方を知ってほしいから」という企業側からのうれしい提案でした。休憩をどう過ごすかというのも、1日の流れの中で大切なこと。何でも好きなことをして良い時間ではないけれど、昼食を買ったり外で食べたりする楽しみや、職場の人とのコミュニケーションの時間になること、企業によってもルールがあることを教えてもらいました。

 onestep内でも事前学習として一般的な社会のルールを学んだり、体験先を想定した作業を行ったりしていますが、実践でしか得られないものがたくさんあります。企業側からも細かく評価表をつけてもらうことで、意外な適性を発見したり、次のステップへと生かされています。

-次回に続く

本覚寺の山門

OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜特別編 小栗が見た神奈川宿文・写真 藤野浩章

 ついに横浜が開港することになった1858年。幕府は早くも翌年に横浜港を開く一方、東海道の神奈川宿(しゅく)には欧米諸国がいくつかの寺院に分かれて領事館などを置いた。今回は、当時小栗上野介が実際に見たかもしれない宿場を歩いた。

 スタートは、京急線神奈川駅。日本橋から数えて東海道3番目の宿場だ。第四章では小栗が盟友の栗本鋤雲(じょうん)(瀬兵衛(せへえ))を訪ねる場面が出てくるが、駿河台の自宅を朝6時に出て、神奈川宿に昼前に到着とある。彼の華麗な手綱(たづな)さばきは有名で、とても目立つ登場だったろう。

 本来、各国はここに開港場を設けることを要求していた。しかし東海道の重要な宿場町に外国人が住むことを嫌った幕府は「横浜も神奈川の一部」として、少し離れた寒村である横浜に港をつくった。首都防衛と貿易の利便性を考えると、貿易港横浜は絶妙な場所に位置していたのだ。

 さて、神奈川駅前の青木橋を渡ると、前方の高台にあるのが本覚寺(ほんがくじ)。ここはアメリカ領事館だった。神奈川奉行は別の場所を指定していたが、総領事ハリスは港を見渡せる高台にこだわり、ここを接収して使用した。しかもあろうことか山門は白いペンキで塗られ、本尊は板で囲われるなどやりたい放題。もちろん賃貸料は発生したが、米からなかなか支払われず迷惑したという記録があるという。奇跡的に山門が当時のまま残っているが、ここにわずかに残るペンキが、皮肉なことに日本初の西洋式塗装のあとだという。ちなみに生麦事件の際に負傷したイギリス人2名が逃げ込んだのもこの寺だ。

 南に戻って、駅近くの甚行寺(じんぎょうじ)はフランス公使館。「寺の書院を改装した簡素な公使室」で小栗とフランス公使ロッシュが面会する場面が本書に出てくる。そして少し歩いた滝の川沿いの慶運寺(けいうんじ)はフランス領事館だ。

 さらに川を南に下った浄瀧寺(じょうりゅうじ)はイギリス領事館。ここも本堂などにペンキが塗られてしまったらしい。わざわざ記録に残していることからも、寺院にとっては相当な屈辱だったに違いない。米英と違い、仏の施設には改装はあるもののペンキで塗り潰す、などの記載が見当たらない。もしかして小栗が横須賀製鉄所のパートナーを仏にしたのは、相手の文化を理解する国民性があるのでは?などと考えてしまうが気のせいだろうか。

 あっという間に国際的な場所となった神奈川宿だが、幕府は警戒も怠らなかった。首都高をくぐり10分ほど南へ行くと、住宅地の一角に突然、古い石垣が露出していた。ここが神奈川台場跡。その遺構の一部が史跡として残されているのだ。現在はマンション建設のため埋め立てが進んでいて、数年後にはだいぶ景色が変わることだろう。

 この台場は、五稜郭(ごりょうかく)のように星形をしていて約八千坪の広さ。船だまりがある珍しい形で、設計は勝海舟(かつかいしゅう)だ。伊予松山藩が築城し、1860年に完成している。ここが他の台場と違うのは、その役割。首都防衛はもちろん、対岸は外国船が多数往来する横浜港。そのため、歓迎や君主の誕生日などに祝砲を放つ役割も担っていたのだという。

 他にも、坂本龍馬の妻おりょうが仲居をしていたという割烹(かっぽう)「田中家」が現存するなど、神奈川宿は見どころが多い。

 小栗が馬で駆け抜け、外国人が往来していた全長4キロほどの道。おすすめの散歩コースだ。