大和版【1月1日(水)号】
新たな一年の抱負を語る古谷田市長

古谷田力市長インタビュー つながりで幸せつくる 新たな総合計画に意欲

 タウンニュース大和版では、古谷田力市長に新春インタビューを行った。2025年度から始まる第10次総合計画の策定が進む中、市長は新たな一年にむけて抱負を語った。

(聞き手・本紙編集長 佐々木淳)

 ――2024年を振り返ってください。

 「昨年を振り返りますと、ちょうど1年前、令和6年能登半島地震が発生しました。すぐに市役所に駆け付け、職員とともに高岡市の救援要請に対応するために汗を流したことが、昨日のことのように感じられます。災害現場に自ら赴き、見聞きしたことや経験したことを踏まえ、いつくるか分からない大規模災害から市民とまちを守れるよう、災害対応力の強化に努めてまいりました。また、物価高騰対策をはじめ、不妊治療の先進医療費の助成など、市内事業者や市民の皆様を支援するため、様々な施策に取り組んでまいりました。これら施策を取り組むにあたり、自ら現地に赴き、市民の皆様に直接お会いし、率直なご意見や思いを肌で感じることのできた1年となりました」

 ――2025年度から新たな総合計画がスタートします。方針や方向性などについてお聞かせください。

 「新たな総合計画については、その基本構想を昨年の12月議会にて了承いただき、いよいよ、令和7年度から第10次大和市総合計画としてスタートいたします。この総合計画では、将来都市像に『みんながつながる健幸都市やまと』を掲げ、市民の皆様が、健康に暮らし、幸せを感じられるまちの実現を目指します。『幸せ』の感じ方は人それぞれ異なりますが、つながりが幸せの大事な要素のひとつとされていることから、市民、各種団体、事業者、地域、行政等、大和市に関わる『みんな』がつながり、協力することが『健幸』なまちをつくる原動力になると捉え、新たな総合計画の下、『つながり』を意識した取り組みを進めることにより、明るく楽しい未来の希望に満ち、元気があふれる大和市となるよう、市政を進めてまいります」

市民が主役の市政めざす

 ――就任以来、地域の祭りや式典から、自治会の会合まで市長はこまめに顔を出しています。

 「昨年だけでも約550件の催しや会合にお邪魔しました。出会いは偶然でなく必然だと思っています。人と人は会うべくして会うもの。その機会を減らしたくありません。これからも現場の声を聞く姿勢を貫いていきたいと思います」

 ――市長は2024年度の当初予算を「幕開け」と位置付けましたが、25年度当初予算はどのような位置づけになりますでしょうか。

 「25年度当初予算は、新しい総合計画のもとで迎える最初の予算です。その意味では、新総合計画で打ち出している『つながり』を意識した予算になると考えています。市財政全体の状況をみると、物価高騰や少子高齢化の進展で、扶助費や人件費などの義務的経費が大きく増加する一方、税収の伸びが歳出の増加に追いついておらず、厳しい財政運営が続いています。そういった中でも、『みんながつながる健幸都市やまと』の実現のため、アイディアと工夫を凝らして事業を進めたいと思っています」

 ――昨年10月、庁内に「コンプライアンス推進課」が新設されました。前市長によるパワハラ問題や公共工事のやり直し問題などを受け設置されました。市職員の職場環境はどう変わったでしょうか。また、「こういう職場環境を目指す」などお考えがありましたらお聞かせください。

 「市民や社会に信頼される市役所となるよう、市のガバナンス強化を図るため、昨年10月にコンプライアンス推進課を新設しました。同課では、職員等のハラスメント対策や内部通報制度に係る外部相談窓口の設置、第三者機関の設置などの再発防止策のほか、12月には『ハラスメント防止月間』を導入するなど、新たな取り組みを進めています。今後も職員が楽しく働け、活気あふれる職場を構築するとともに、庁内のコミュニケーションが積極的に図られ、職員が意見を発しやすい風通しの良い職場となるよう努めてまいります」

 ――最後に2025年の展望や意気込み、読者にメッセージを。

 「2025年、令和7年がスタートいたしました。今年の干支は『乙巳』です。『乙』は草木がしなやかに伸びる様子などから柔軟性や創造性を象徴し、『巳』は知恵や洞察力を表すとされております。今後も、未来を切り開けるよう、新たな挑戦に対して柔軟に対応し、さらなる発展、繁栄ができるよう果敢にチャレンジしてまいります。市政運営の中心は市民の皆様です。市民の、市民による、市民のための大和市政を創り上げていきたいと考えております。そのためには、市民の皆様の声を聴くことが重要です。今後も地域の集まりやイベントなど、自ら現地・現場に赴き、さまざまな方と出会い、直接ご意見をお伺いできるよう努めてまいります。また、市民の皆様からの声を大切に、『つながり』を意識した取り組みを進めることで、明るく楽しい未来への希望に満ち、元気があふれる『みんながつながる健幸都市やまと』の実現に向け、情熱を持って取り組んでまいります。新しい年が、市民の皆様にとって素晴らしい年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 本年もよろしくお願いいたします」 (了)

相模太子講の世話人たち=12月20日・観音寺

鶴間山観音寺 太子堂が建立30年 1月21日に開帳

 下鶴間にある鶴間山観音寺(田近道啓住職)境内の「太子堂」が、今年で建立から30年の節目を迎える。建築業者らで組織される「相模太子講」(篠原將晃講元)が木造聖徳太子立像を安置するために建造した。

 相模太子講は、建築で使用される「差し金」を中国から持ち帰ったことから「大工の神様」とも言われる聖徳太子を崇敬する職業講。現在、大和市内を中心におよそ40人の講員がいる。聖徳太子の命日とされる毎年1月21日には観音寺で太子堂を開帳し、法要を営むなどの活動を行っている。

 観音寺には、享保10(1725)年につくられたとされる木造聖徳太子立像が、本堂に長らく安置されていた。相模太子講では1995年6月、太子像をまつる六角形の「太子堂」を境内に建立。講員たちの手でおよそ1年かけて造られた。前講元で当時を知る高橋則文さん(92)は「太子像を守るために講員たちが六角堂(太子堂)の建築に励んだ。30年はあっという間に感じる」と振り返る。

匠の技術、次世代へ継承を

 観音寺によると、太子堂に安置されている聖徳太子立像は、高さがおよそ87センチ。右手には柄香炉を持っている。墨書銘から享保10年につくられ、明治期に修理されたことが分かっている。

 普段は太子堂の扉は閉じているが、今年1月21日(火)の午後3時に予定されている法要ではその扉が開かれ、聖徳太子立像がお目見えする。

 昨年12月20日、1カ月後に迫った法要を前に、相模太子講の世話人たちが観音寺を訪れた。講員の伊澤重昭さん(67)は太子堂を見つめ、「当時講員たちはそれぞれの作業場で御堂の骨格をつくり、それらをお寺に持ち寄って皆で組み立てた」と、チーム一丸で建築に汗を流した日々を振り返った。講員の熱意と浄財によって完成した太子堂は、相模太子講の悲願でもあった。

 それから30年。太子堂を守ってきた講員たちも年齢を重ねた。建築技術者の減少が続く厳しい現実がある中、講元の篠原將晃さん(83)は「講員の輪を広げながら、太子堂はもとより、職人たちの技術や情熱も次の世代に引き継いでいきたい」と前を向く。

 「職人の技術向上を常に目指し、太子堂を守っていこうという、皆さんの姿勢と気概には頭が下がる思い」と田近住職。昭和49年に発足した相模太子講は、平成、令和、その先も、活動の火を灯し続ける。

このほど、大和市に油絵「はざ木」を寄贈した画家 武田 茂さん つきみ野在住 75歳

描くことで地域貢献を

 ○…市長応接室の扉を開けると、新潟県にある弥彦山と田んぼを描いた風景画が目に入る。絵には収穫した稲をかけて干すための「はざ木」と老人や犬が描かれている。「40年住み続けている大和市のために、何か貢献したい」との思いから、何度も訪れているお気に入りの風景を描いた油絵を寄贈した。「応接室に来るたくさんの人たちに、楽しんでもらえたら」と目を細める。

 ○…東京都世田谷区の出身。物心ついたころから絵が好きだった。小学生の頃には風景画の課題を提出した際に両親が描いたと疑われたこともあったそう。「大人顔負けの画力だった」と少し誇らしげ。高校生の頃に画家の道に進むことを決意したが、父や教師に「画家として生活は難しい」と言われ、大学に進学した。それでも諦め切れずに大学を中退。デッサンの学校に通い、再び絵の道に進んだ。

 ○…アルバイト先で出会った妻と結婚後、絵を描くため2人でパリに移住した。最初は絵がなかなか売れずに苦労した。「妻に本当に支えてもらった」と感謝を忘れない。妻の勤め先が画廊だった。店主の誘いで店に絵を並べると、そこから徐々に作品が売れ始めた。「自分の作品が純粋に評価され、買ってもらえたことが本当にうれしかった」と懐かしむ。帰国してからの約50年で、2千枚以上を描いた。

 ○…2人の息子を育て、現在は妻と2人で暮らしている。キャンピングカーを運転し、日本各地を回るのが楽しみの一つ。そこで出会う美しい風景をキャンバスに描いていく。今後は、市の文化発展のために「条件がそろえば個展を開催していきたい」と前向きだ。30年以上続けているパイプで煙をくゆらせながら、これからもキャンバスに向かい続ける。

寄贈された作品と武田さん(右)

油絵を寄贈 画家武田さん

 つきみ野在住の画家・武田茂さん(75)=人物風土記で紹介が12月19日、大和市役所で古谷田力市長を表敬訪問した。

 これは武田さんが新潟県の弥彦山そばの風景を描いた油絵「はざ木」を寄贈し、市長応接室に飾られたことを受けて行われた。武田さんは「応接室に来た人に見てもらえたら」と話していた。

 古谷田市長は「素晴らしい絵で感動した。本当にありがたい」と感謝を述べた。

今シーズンの感謝伝える 大和シルフィード

 大和市内を拠点に活動する女子サッカーチーム「大和シルフィード」が12月15日、大和なでしこスタジアムで「感謝祭2024」を開催=提供。およそ150人以上が参加した。

 皇后杯の結果を受け、2024シーズンの全公式戦が終了した同クラブ。様々な場面で支えてくれたファンサポーターやパートナー企業に感謝を伝えようと、同イベントが企画された。

 当日は2部制で構成され、第1部は選手がファンと一緒に身体を動かす催しを実施。第2部では、選手たちによるダンスパフォーマンスのほか、退団や引退する選手の挨拶も行われた。昼食には(株)安田物産よりシルフィードカレーも振る舞われ、選手もファンも楽しんだ。

交通事故の恐怖を学ぶ

 スタントマンによる模擬衝突事故を見て、交通事故の危険性を学ぶ「スケアードストレイト」(恐怖を直視する)が12月23日、大和自動車学校で行われた=写真。

 県警などが主催し、大和商業高等専修学校の生徒230人を対象に実施された。参加した3年生の男子生徒は「交通事故で頭を打って大きな怪我をする危険があることから、ヘルメットの重要性がよく分かった」と話した。

新年最初の骨董市 プロムナードで18日

 毎月第3土曜日の恒例イベント「神奈川やまと古民具骨董市」が1月18日(土)、大和駅前のプロムナードで開かれる。午前7時〜午後3時(予定)。雨天決行。

 新年最初となる「初市」にはおよそ130店舗が出店し、骨董品やお宝の数々が会場を埋め尽くす。獅子舞のお払いや地元太鼓連によるお囃子なども予定されている。

 問い合わせは神奈川やまと古民具骨董市・事務局【電話】046・240・0587へ。

取材を受ける藤本さん=12月11日・マリノス本社

特別企画 福田小卒業生 藤本淳吾さんインタビュー

 日本代表としても活躍していた元プロサッカー選手の藤本淳吾さん(40)は、2024年度に創立50周年を迎えた福田小学校の卒業生だ。

 現在、大和市をホームタウンとする横浜F・マリノスのユースコーチとして活動している藤本さんに、これまでの経歴や福田小の思い出などについて話を聞いた。

身近な存在

 横浜市鶴見区で生まれた。サッカーを習い始めたのは幼稚園児の頃で、サッカー選手だった父の影響が大きかったという。「その頃はスタッフとして活動していた父と試合を見たり、選手たちとボールで遊んでもらっていたこともあった」と藤本さん。「幼い頃からサッカーは身近な存在だった」と振り返る。

青春時代に育った場所

 小学2年生の時に大和市に引っ越し、小学3年生の時は「福田キッカーズ」に1年間所属した。「普段の生活を共にしているメンバーだったし、コーチも入りやすい雰囲気を作ってくれていた。学校で練習試合を行ったり、川でスイカを食べたこともあった」。福田小を卒業後は、渋谷中学校に進んだ。

 大和市について「自分の青春時代に育った場所」と藤本さん。とくに、引地川沿いの千本桜が印象的で「とてもきれい。今も開花の時期になると見に行きたくなる」という。「子どもの頃は川沿いを自転車で走り、公園や駄菓子屋に行きましたね」と少年時代を思い出す。

「楽しむ」ことを大切に

 藤本さんは06年に清水エスパルスに入団し、同年にはJリーグ新人王を獲得。その後は名古屋グランパスや横浜F・マリノスなどを渡り歩いた。

 学生時代も日本代表に選ばれるなど、数多くの試合に出場した。「向上心、努力はもちろんですが、楽しむことを大切にしてきた」と藤本さんは力強く語る。

 印象に残っている試合は、Jリーグデビューとなった開幕戦。「憧れの舞台に立てたんです」と今も鮮明に覚えている。07年3月24日に開催された『キリンチャレンジカップ2007』のペルー戦では日本代表に選出され、「23歳の誕生日にA代表デビューできた」と声を弾ませる。

 22年シーズンで現役を引退し、現在はユースコーチとして活躍する。今後について「選手のために勉強して成長し、指導力を上げていきたい」と語った。

ホームタウンで活動

 昨年11月19日、母校の福田小で創立50周年を記念した講演を行った。「不思議な感覚でした。授業でお米を作ったことや、校庭で遊んだことを思い出し、懐かしかった」と藤本さん。

 12月17日には同クラブが行っている取り組み「サッカー食育キャラバン」で引地台小を訪問。身体を動かすことの楽しさや、食事の大切さなどを教えた。藤本さんは「ホームタウンでもある大和市に今後も協力できれば」と話した。

50周年記念キャラクター「ふくまる」

50周年を祝う 福田小学校で

 大和市立福田小学校(塩原貴明校長)が2024年度、創立50周年を迎えた。

 1975(昭和50)年4月、桜丘小と渋谷小から分離して設置された同校。古来から呼称されている福田の地名から、「福田小学校」と命名されたという。

 昨年11月16日には記念式典が行われ、スライドショーによる在校生の学習発表のほか、卒業生がデザインした50周年記念キャラクター「ふくまる」が紹介。同じく卒業生によるピアノ演奏も行われ、塩原校長は「学校に関わるすべての人と作った、温かみのある式典になった」と話す。

 同校では式典のほか、50周年を記念した催しとして卒業生で元プロサッカー選手の藤本淳吾さんによる記念講演なども実施。昭和から平成、令和と続く同校の半世紀の歩みを祝った。

 市学校教育課によると、鶴間中学校も24年度に50周年を迎えている。

インタビューに応じる三浦社長

ヘルスロード株式会社 51年目に向けて 三浦社長にインタビュー

 大和市に自然食品・健康食品の専門店をかまえて半世紀。ヘルスロード株式会社の三浦高義社長に話を聞いた。

 -創業時にはどんな思いがあったのでしょうか

 三浦社長「私の父が29歳の時に創業しました。以前はバリバリの営業マンだったのですが、難病を患ってしまいました。その時に断食や玄米菜食で克服し、『健康には食事が重要』と考え、それを伝えようという思いからのスタートでした」

 -跡を継ぐ決心をしたのはいつだったのですか

 三浦社長「25歳の時です。当時住宅メーカーに設計士として勤めていました。今後の人生を考えていた時に、母が体調を崩し父も大変でした。『両親が続けてきた店舗を残したい』という思いが溢れ、決心しました。スタッフの人たちと信頼関係を作るまでは本当に大変でした」

 -これからどんな店舗を目指していくのでしょうか

 三浦社長「情報があふれている現代社会で、振り回される人も多いはずです。だからこそ50年で培ってきた『本当の情報』をこれからも伝えていきます。そしてスタッフやお客様と選び抜いてきた商品を購入いただき、『皆を幸せに、街も幸せに』していくことができたらと思います」

智の輪をくぐる平賀宮司と参列者たち

「最後まで諦めずに」 大和天満宮で合格祈願祭

 「天空に近い神社」として市民に広く親しまれている「大和天満宮」(平賀あずさ宮司/大和南)で12月15日、「合格祈願祭」が執り行われた。

 同神社によると、終戦から5日後の1945(昭和20)年8月20日、厚木基地内から運び出された祠を祀ったという由緒がある。この催事は「学問の神様」で知られる菅原道真公が祀られている、同神社の神事として毎年行われているもの。今年も受験生や就職試験などに挑む人々が合格できるよう、願いを込めて紅白の「智の輪」が設置された。

 当日は、受験生やその親など多くの人が参列。神事の後に智の輪をくぐり、試験合格を祈願した。参列した人々に向けて「最後まで諦めずに戦い抜いてほしい。周りの人々への感謝の気持ちも忘れずに」と話した平賀宮司。「天気も良く、菅原道真公も見守ってくれていたのではないか」と神事を振り返った。

 祈願祭に参列した人たちには、一人ひとり手渡しで「特別合格お守り」が進呈された。

 智の輪は、3月頃まで毎週土・日を主に設置される予定。問い合わせは大和天満宮【電話】046・264・0802へ。

新橋通りで行われた昨年の「総踊り」

昭和52年にスタート 50回の節目まであと少し 神奈川大和阿波おどり

 大和の夏の風物詩「神奈川大和阿波おどり」(主催/神奈川大和阿波おどり振興協会)が来年、第50回の節目を迎える。昭和52年に始まり、平成、令和と続いてきた市内最大級のイベントを振り返る。

 神奈川大和阿波おどりは毎年7月、ステージ演舞を披露する「ぞめき」と、大和駅周辺商店街を舞台に流し踊りで観客を魅了する「本大会」が行われる。今では「関東三大阿波踊り」の一つに数えられ、本大会には毎年30万人以上が訪れるなど、大和市を代表する催しとなった。

 「神奈川大和阿波おどり30周年記念誌」によると、神奈川大和阿波おどりは1977(昭和52)年7月3日午後1時、商店街の振興を目的として新橋通りで始まった。踊り手は100人、観客は500人だった。続く第2回大会は、猛暑の時間帯を避け午後6時にスタート。およそ10連が参加、およそ3万人の人出を記録した。

 その後も回を重ねた阿波おどり。新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの開催となった第46回の本大会は、感染症対策でプロムナードに有料桟敷席を設置して行われた。

 昨年の第48回大会では、各連の選抜メンバーが集結する「総踊り」が、従来の大和中央通りから阿波おどり発祥の地である新橋通りに会場を移して行われた。

 3つの時代を渡り歩いた阿波おどりは、これからも大和の顔として人々を魅了する。

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