高津区版【9月19日(金)号】
水が溢れる道路=中原区下新城付近

川崎市 記録的大雨、各所で被害 高津区役所、昇降機も浸水

 9月11日、首都圏を襲った記録的な大雨。川崎市では局地的に1時間に100ミリを超える雨が降り、各所で道路冠水や浸水被害に見舞われた。

 気象庁はこの日の午後1時53分、川崎市に大雨(浸水害)、洪水警報を発表。雨足は徐々に強まり、宮前区では最大で1時間で91・5ミリ、高津区では116・5ミリ、中原区では市内過去最大となる131・5ミリを観測した。

 これにあわせ、数年に一度レベルの短時間の大雨を観測・解析した際に発表され、災害の危険度の高まりを伝える「記録的短時間大雨情報」が2時51分以降繰り返し出され、3時48分、市は危険な場所から全員の避難を促す「警戒レベル4の土砂災害警戒情報」を発表。市危機管理本部では、災害応急対策活動要因を増強する警戒体制1号動員(浸水被害)、2号動員(土砂災害)を発令、全ての区で「災害対応シフト」が取られた。

8カ所で道路冠水

 市の発表では、この大雨により計8カ所で道路冠水が発生。このうち、高津区内では「二子千年線」(末長)のアンダーパスや「高津6号線」(梶ヶ谷3・4丁目交差点付近)、さらに「野川高75号線」(久末交差点付近)で道路が冠水し、交通規制が敷かれた。また、高津区役所のエレベータが浸水で停止するなど影響は各方面に及んだ。高津消防署では管轄内において、結果的に床下・床上浸水などの被害が25件発生した。

 同署は市民の安全を守るため、午後2時38分の指令を皮切りに毎日勤務者と非番の職員を動員。消防隊を2隊増強(消防隊1隊、水難救助隊1隊)し、合計9隊で対応に当たった。担当者は「(令和元年東日本台風時の)多摩川水系の氾濫ではないため、広範囲に被害が及んだ」と分析。その上で「今回の雨は台風と異なり、局地的に雨雲が発達し、激しい雨が降ったため、マイ・タイムライン(防災行動計画)に沿った行動が困難な状況だった」とも話している。

「罹災証明」34件

 川崎市では今回の大雨被害に関して、中原、高津、宮前の3区役所で連休中も罹災証明の臨時受け付けを実施。発災後から16日(午前9時時点)までに、高津区では34件の申請があった。

 市危機管理本部では「こうしたゲリラ豪雨は、短時間で大量に雨が降り、川が急に増水するなど非常に危険。普段から自治体の呼びかけや気象情報に注意し、対応を確認するなど備えを進めてほしい」と呼び掛けている。

桐光学園野球部の新監督に今夏就任し、チームの指揮をとっている 天野 喜英さん 相模原市在住 41歳

薫陶を胸に 進化を誓う

 ○…春1回夏4回甲子園に出場、全国的に注目を浴びる神奈川県で「四天王」とも称される高校野球の強豪・桐光学園。約40年にわたりチームを率いて今夏に勇退した野呂雅之前監督の後を継ぎ、名門の指揮を任された。出身校でもあり、コーチとしても14年目。「体に染みつきすぎている」というほど近くで学んできた恩師の教えを継承する決意を固め、「一つ一つのプレーを丁寧に、自分たちから崩れない、最少失点で守り勝つ野球をより進化させていきたい」と抱負を語る。

 ○…相模原市出身。小1から野球を始め、中学で硬式へ。チームの柱として全国大会に出場するなどの活躍が野呂監督の目にとまり声をかけられた。第一印象は「シュッとしていて格好良い監督だな」。運命の出会いを経て桐光学園に入り、卒業後は指導者の道も見すえて東海大学に進学。セガサミーに6年勤め、2012年に体育教員として母校に着任した。

 ○…毎朝40分ほどグラウンドを走るのが日課。オフは近所のスーパーへ買い出しに行くなど家での時間を過ごすが「家族サービスとまで言えるかなあ」と少し気恥ずかしそう。父の背中を追って2人の息子も野球に打ち込んでおり、キャッチボールで心を通わせる。

 ○…2001年春の選抜で、桐光学園として初めて甲子園の土を踏んだときの主将で捕手。初出場が決まった当時、新百合ヶ丘駅に掲げられた懸垂幕を見て「皆さんに応援されて野球ができている。桐光の一員として、一人の人間として、しっかり行動しなければ」と襟を正したことを覚えている。「野呂監督には『いろいろなことに気づきなさい』と言われてきた。社会で必要とされる人間になろうと」。野球を通じて学んだ「人間教育」を受け継いでいく。

それぞれの大会で活躍した久地第三レッズ(左)と下作延第一ペッパーズのメンバーら

区内少年野球チーム 猛暑に負けず「ナイスプレー」 2つの大会で熱戦展開

 記録的な猛暑に見舞われた今夏。高津区の少年野球チームの子ども達が甲子園にも負けないような熱戦を繰り広げた。

高津区秋季大会は「久地第三レッズ」が制す

 瀬田球場や諏訪第一球場で8月17日から31日にかけて開かれた「第33回高津区秋季少年野球大会 兼 川崎西ライオンズクラブ杯争奪大会(高津区少年野球連盟主催・川崎西ライオンズクラブ後援)」では「久地第三レッズ」が優勝を飾った。

 野球を通じてフェアプレー精神を養い、児童の健全育成と体力の増進を図る目的に開かれているこの大会には今回、区内から11チームが参加。優勝を目指し競い合った。

 そんな中、久地第三レッズは堅実な守備とチャンスに強いバッティングで勝ち進み、31日に瀬田球場で開かれた決勝戦でも躍動。オール上作野球部との好ゲームを制し栄冠を勝ち取った。この結果、優勝した久地第三レッズと準優勝のオール上作野球部、3位の東高津野球部の3チームが9月27日(土)から開催される「第36回川崎市学童軟式野球大会」に出場する。

 優勝チームのキャプテンを務める島村亮成選手は「初戦は相手に逆転されるなど、苦しい試合となりましたが、その試合を勝利したことで勢いがつきました」と今大会を総括。その上で「準備をしっかり重ね、優勝を目指したい」と抱負を述べていた。

「下作延第一ペッパーズ」低学年チームは関東へ

 また「下作延第一ペッパーズ」の4年生以下のメンバーで構成された低学年チームはこの夏、横浜市などで開かれた「アルファクラブ武蔵野 第5回関東地区低学年学童軟式野球大会 神奈川県予選大会(神奈川県学童野球連盟主催)」に出場。ブロック優勝を果たし、県代表として関東大会への出場を決めた。

 春に行われた川崎市予選を勝ち抜き同大会に駒を進めた下作延第一ペッパーズは、勢いそのままに強豪が揃った県大会でも快進撃。初戦から3試合連続二桁得点の破壊力で勝ち抜き、決勝戦では横浜市のチームと対戦。息詰まる投手戦の中、2対2で迎えた最終回、2死満塁から劇的サヨナラ安打が飛び出し接戦を制し、ブロック優勝。10月に埼玉県で行われる関東大会への切符を掴み取った。

 キャプテンの宮田真斗選手は「川崎市代表として、負けてしまったチームの思いも一緒に戦いました。10月に開かれる関東大会では、他の代表チームに負けないよう、一丸となって優勝を目指していきたい」とコメントした。
花摘みをする川崎浴場組合のメンバー

緑化かわさきフェア 経済効果は89億円 公式記録まとまる

 川崎市制100周年を象徴する事業として開催した「第41回全国都市緑化かわさきフェア(かわさきフェア)」の全容をデータと写真で記録した公式記録を、川崎市がまとめた。計53日間の祭典がもたらした経済効果や波及効果なども分析、総括している。

 1983年から続く都市緑化フェアで初めて、かわさきフェアは2024年秋と25年春の2期制で開催された。市の公式記録によれば、来場者数は約162万人で、秋開催(24年10月19日〜11月17日)の30日間の来場者数は約94万人、春開催(25年3月22日〜4月13日)の23日間の来場者数は約68万人だった。

 主要会場の来場者数は、富士見公園(川崎区)は計71万5千人、等々力緑地(中原区)は約60万4千人、生田緑地(多摩区)は約30万4千人。年齢別では、秋開催は50代以上の世代が過半数を占めた一方で、春開催は10歳未満を含む40代以下の世代が52%だった。来場者の居住地は秋も春も川崎市内が6割以上で、神奈川県内(市を除く)は3割弱だった。

「地域経済が活性化」

 「かわさきフェア実行委員会」の経費(予算ベース)は約25億円。一方で、来場者への調査結果から算出した消費額などから推計した神奈川県内への経済波及効果は計135・2億円だった。このうち川崎市内への波及効果は88・7億円で、「直接効果」は69・4億円、直接効果を受け経済活動が活性化するなどの「間接効果」は19・3億円と推計。公式記録では、「地域経済の活性化に大きく貢献した」と総括している。

 市はかわさきフェアの開催にあたり、多くの市民が自然と関わる機会を創出し、緑を通じたコミュニティーの活性化を目指した。会場やネットで実施した来場者アンケートでは、フェアを通じて「花やみどり、自然への関心が高まったか」との質問に「高まった」「やや高まった」と答えた人は、秋も春も9割近かった。

 市の担当者は「ボランティアの方々が新たな活動を始めるなど、継続的な動きも生まれている。何をレガシーとして残せるか、今後の取り組みも大切」と話している。

 公式記録は市の公式ウェブサイトのほか各区役所などで閲覧できる。

マンホールトイレの構造(断面図)

災害時のトイレ対策方針 川崎市 在宅避難の備え求める 10月31日までパブコメ

 川崎市は「災害時のトイレ対策方針(案)」をこのほどまとめ、9月8日からパブリックコメント(市民意見募集)を開始した。過去の災害の教訓を踏まえ、下水道設備を利用したマンホールトイレの整備や在宅避難時の携帯トイレに関する啓発などを進めていく方針だ。

 内閣府は2024年1月の能登半島地震の被災地の状況などから、同年12月に「避難所におけるトイレの確保・管理ガイドライン」等を改定し、市町村に対し、在宅避難者等の支援方策を検討するよう求めている。これを受けて川崎市では今年4月、4つの方向性を盛り込んだ「新たな災害時のトイレ対策の考え方について」をまとめ、市議会総務委員会に提示。今回の方針案では「考え方」の内容を整理し、一部を拡充した。

 方針案では3つの方向性を掲げている。

 一つ目が「避難所におけるマンホールトイレを軸としたトイレ対策への転換」。これまでは避難所などに設置する仮設トイレを軸に対策を進めていたが、各地の災害では、避難所のトイレが詰まって使用禁止になったり、仮設トイレのし尿処理が追い付かずに不衛生な状態になるなど、課題が指摘されていた。そのため市では既設の下水道管を利用したマンホールトイレの設備を、31年度までに計174カ所の避難所(24カ所は整備済み)に整備する方針だ。

トイレも「自助」重要

 二つ目が「市民の具体的な行動につなげる自助・共助への働きかけ」で、4月の「考え方」より項目の昇順を上げて内容を拡充した。市ではマンションなど共同住宅の居住率が7割を超え、人口規模も大きいことから在宅避難が中心になる。しかし携帯トイレを3日分以上備蓄する世帯の割合は32・1%、災害時のトイレの使用方法を知る人は34・5%で、市民の備えが十分ではない。「自分の命は自分で守る」という「自助」の意識を高めるよう、市民への啓発を進めるという。

 そして三つ目が「共助・公助が連携したトイレ対策の地域展開」。市は「川崎市防災協力事業所登録制度」により、これまでに389の民間事業者から災害時のトイレ利用などの協力体制を構築してきた。市の担当者は「今度は地域のスーパーなどにも協力を得られるよう、声掛けしていく」としている。

 方針案は市のウェブサイトのほか、各区役所や図書館などで閲覧できる。意見提出は10月31日(金)まで、専用フォームや郵送のほか、市危機管理本部危機管理部などで受け付ける。問い合わせは市の危機管理部【電話】044・200・2842。

自身のキャリア、生かして

 会員数17人と少数精鋭ながら、メンバー間のまとまりの良さと家庭的な雰囲気で精力的に奉仕事業を手掛ける同クラブ。2021年以来の就任となる新リーダーは「第一に何事も意見をよく聞き、全員の合意の上で事業を実施すること。第二には、新しい時代感覚を持って、緩やかな改革を進めていくこと。そして第三に、何よりもロータリー活動を楽しむこと。以上のことを念頭にクラブ運営に取り組んでいければ」と抱負を語る。

 具体的には3年間、継続している子ども対象のブレイキン大会のほか、子ども食堂支援、献血活動などのさらなる発展に力を注いでいくとの事。自身30年にわたる公務員キャリアや町内会・老人会役員の経験を生かし、次世代に繋がるロータリー活動を構築していく方針を打ち出している。

山田瑛理氏

市長選 山田瑛理氏が出馬へ 元市議、無所属で

 任期満了に伴い10月26日(日)に投開票される川崎市長選挙に、元川崎市議会議員の山田瑛理氏(42)が9月12日、立候補する意思を表明した。

 川崎区出身の山田氏はソニーの子会社に約12年半勤めた後、2019年の川崎市議選に自民党公認で川崎区から出馬し初当選。2期目の途中、9月11日に市議を辞職し、無所属で出馬することを決めた。山田氏は同党に離党届を提出している。

 12日に行われた会見で「参院選の結果に市民が今何とかしてほしい、今大変なことがあるということを感じた。幸せな未来をつくるには市長でないとできない」と市長選へ思いを語った。庶民感覚を生かし2児の母親目線で、教育格差の是正、年齢を問わない留学支援、中小企業支援などを訴え「今に応え、希望、夢があふれるまちにしていきたい」と語った。

 市長選には、これまでに新人の國谷涼太氏、現職の福田紀彦氏、新人の宮部龍彦氏、野末明美氏が出馬の意向を示している。(9月14日起稿)

東京で受けた空襲の記憶を辿る曽武川さん

戦後80年 戦禍の記憶【11】 麻生区王禅寺西在住 曽武川(そぶかわ) 重春さん(94) 積まれては運ばれる遺体 まひした恐怖心

 東京都文京区、東京大学赤門の並びの長屋で、5人きょうだいの末っ子として生まれた。10歳のときに真珠湾攻撃が起き、開戦。「いつも日本が勝っていると聞いていたから、戦争がそんなに恐ろしいものと最初は思わなかった」

 だが戦局が悪化すると状況は一変。東京大空襲の半月ほど前、板金工を営む父の工場がある下谷地区(現在の台東区)が空襲を受けた。数日後、父と共に現地へ行くと橋から見下ろした隅田川は遺体で埋め尽くされていた。「あの広い隅田川が人の死体でいっぱいだった。水なんか見えやしない」

 そして3月10日未明、米軍爆撃機B29の空襲で東京・下町は死者約10万人、負傷者4万人という大被害を受けた。焼夷弾による火の海の中、夜中にもかかわらず戦闘機を操縦する米兵の顔は「はっきりと見えた」。近くの東大に逃げ込むと、幸いにも焼夷弾は落ちてこなかった。「もし別の方向に逃げていたら、今、生きていない」

 東京が焼け野原になり茨城県へ一時避難。ひと月ほどして東京・青山へ転居した。青山でも空襲を受け青山霊園へ逃げた。空襲後、辺りに火がくすぶる中、表参道へ行くと石灯籠付近にどこからともなく遺体が運ばれてきた。トラックで運び出されるとまた次の遺体が山となる。その様子を繰り返し見た。「真っ黒に焦げていた。人の形のまま」。感覚がまひして恐怖心がない。ただ赤ん坊を抱えたまま真っ黒になった母親の遺体を見て「可哀そう」と思った。

 赤坂御所の脇道を歩いていたとき。止まっている黒焦げの車の横を通り過ぎようとして何かを踏みそうになった。下敷きになった人の頭だった。「危うく踏んでしまうところだった。ぞっとした」

 玉音放送は家で母と聞いた。「負けたというのはよくわからない。でも、戦争が終わったんだと思った」。戦後も食料難は続いた。あるとき米軍支給のコンビーフを口にし、「米兵はこんなうまいもの食べていたのか、これじゃ勝てるわけがねえやと思った」。

 こうして思い出すと今の日本は平和だとつくづく思う。「戦争をする国のリーダーは、自分の家族が犠牲者になったらどんな気持ちになるか、考えないのだろうか」と語気を強める。「もう二度とあの苦しみは味わいたくないよ」

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今年で戦後80年。体験者が年々減少し、戦争の記憶が風化しつつある。当事者の記憶を後世に残すとともに平和の意義について考える。不定期で連載。

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ポールウォーキングを行う参加者

GO!GO!!フロンターレ

秋冬開催の運動教室

 フロンタウンさぎぬまは、日々の健康を気遣う人向けに、運動教室を開催している。

 教室の前半では、屋外で専用ポールを使った正しい姿勢でのウォーキングや、軽い筋力トレーニングを行い、全身運動で運動効果を高める。転倒予防や足腰への負担軽減が見込まれる。

 後半は室内でマットに横になりながらストレッチ。ゆっくりと体をほぐして、心までリフレッシュする。いつまでも元気な脚腰で自立した生活を続けたい、健康寿命を延ばしていきたいという人におすすめだ。

 12月19日(金)までの毎週火曜日と金曜日の開催で、火曜日は午後1時〜2時と2時30分〜3時30分の各2回、名称は「ロコ体操教室」。金曜日は午後1時〜2時10分の1回で、名称は「ポールウォーキング&ストレッチ教室」(宮前区との連携事業)。

 両教室とも予約制先着20人。火曜日は前月の15日、金曜日は開催1週間前から受付(どちらも午前10時)。1回600円。申込みはフロンタウンさぎぬま【電話】044・854・0210、または同所カウンター。

画像はいずれも川崎フロンターレ
父の著書「高津物語」を手に家族の近況ショット

不定期連載コラム 俳優・JUN、かく語りき  第1回 多様化を表現する 「役者」という生き方【1】

 このコーナーに目を留めてくださった皆様、初めまして。私は高津区在住の俳優、鈴木淳と申します。ご縁ありまして今回より、当紙にてコラムをお届けすることと相成りました。どうぞお付き合いください。

 まず、私と「タウンニュース」さんとの関係から。不肖私の父、鈴木穆(あつし)は、1996(平成8)年の「タウンニュース高津区版」創刊と同時に「高津物語」というタイトルで連載を開始し、以降22年9カ月、1085回にわたり掲載されました。この場をお借りして、長年にわたり、父が生まれ育った故郷である高津の諸事実を調査し発表する機会をいただけましたことを、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

 ちなみに、私の名前である「淳(じゅん)」は、6月生まれにちなんで、英語のJUNEと同じ発音であることと、父の名前である「穆(あつし」と同じ読み方が出来ることの2つから名付けられたそうです。

まずは自己紹介、名前の由来について

後者にまつわるエピソードとして、私の幼少期、病院に行った時のことをご紹介します。待合室でスタッフの方が私の名前を間違って「すずきあつしさん」と呼んでしまい、自分のことだと思った父が、私のことはそっちのけで診察室に入ってしまったことがありました。熱が出てフラフラしながらも心の中で「違う!呼ばれているのはこの私だ!」と思ったことを今でもはっきりと覚えています。そんな「すずきあつし」ジュニアの私、「6月生まれのJUN」として、海外の、特に英語圏の方々とお知り合いになった時に、一発で名前を覚えていただけるので、今ではこの名前を贈ってくれた両親に感謝しています。

 現在私は、2023年にタウンニュースの「人物風土記」に取り上げていただいた際にご紹介くださった「多様化の表現者」というワードを指針として、人様のお役に立てる者、すなわち「役者」であるべく励んでおります。どうぞお見知り置きを。

不定期連載 市民健康の森だより 第199回 「悪天候下の活動日」について

 9月4日木曜日は定例の活動日でした。今年の異常気象の一つでしょうが前日にいきなり九州のすぐ南で台風15号が発生し4日は朝から怪しい空模様でした。私たちは事前に活動中止を連絡することはほぼなく、各会員の自己判断で参加と活動実施を決めています。ただこの日は2カ月に1度の、団体会員・大和生研さんからの参加が予定されていました。大和生研さんからは前日に問い合わせがありましたので、自己判断で決めてください、と伝えましたが当日は予定どおり5名の皆さんが参加してくれました。半面、会員はいつもの半分程度の参加人数でした。

雨降りならではの作業も

 9時の開始時間には生憎雨が降り出しました。その為、最初に大和生研さんの皆さんへお願いした作業は屋根の下で出来る「包丁研ぎ」です。2種類の砥石を使い分けて包丁の研ぎ方を会長から指導してもらいました。研ぎの技術を習得できればご家庭では歓迎されるでしょう。雨降りならではの作業です。

 その後、雨は止み大和生研さんには二手に分かれて活躍してもらいました。一つは伐採したクヌギの切り株から出るヒコバエの手入れです(写真)。萌芽更新と言って昔から里山で受け継がれてきた森を守る技術です。大和生研さんには昨秋のクヌギ伐採でも活躍頂いたのでその後の経過観察の意味でも最適な作業割り振りだったように思います。

 もう一つは春日台南斜面に設置されている急階段の清掃です。この階段はかなりの段数があり高齢者や幼児には昇降が厳しい階段となっています。加えて階段にはどうしても落ち葉が重なります。落ち葉が雨でぬれると滑りやすくなり危険が伴います。その点で当日清掃できたのはとてもいいタイミングとなりました。雨模様にも関わらず参加頂いた大和生研社員の皆様には本当に感謝です。今後も2カ月に一度ペースで参加予定ですので適切な作業を用意してお待ちする積りです。