宝永堂 中心市街地で商い140年 道具屋として明治に創業
ジュエリーや茶道具などを取り扱い、町田駅周辺の中心市街地における代表的な店舗の1つになっている宝永堂(原町田)が今年、創業140周年を迎えた。海外との貿易の窓口となった横浜と絹で栄えた八王子を結ぶ町田街道の中間地点にある「道具屋」として創業。以来、町田の中心市街地に欠かせない存在となってきた。
創業は明治時代の1885年。内閣制度が発足するなど、日本の近代化が進んだとされる年に海外との貿易の窓口となった横浜と当時の輸出における花形産業だった絹の生産地、八王子を結ぶ町田街道の中間に位置する場所で店が開かれた。現在の町田中心市街地にあたる原町田村のなかで、創業したのは現在、宝永堂を運営する株式会社宝永堂の社長を務める三橋信介さんの祖父、治平さん。「貿易商などがお昼に立ち寄るなか、商売をやってみたくなったんでしょう。西洋の置時計などを扱っていたようです」と三橋さん。以来、戦時などの困難をくぐりぬけながら商いを続け、戦後には三橋さんの叔父や父である国民さんが運営会社を経営するようになり、宝石販売をメインに衣料スーパーを運営するなど、事業を拡大していったという。
三橋さんは「工芸品作家でもあった父の理解もあり、茶道具も取り扱うようになった。日本の景気拡大とともに事業が大きく伸びていきましたね」と振り返る。
信頼厚く
一方、不動産バブルの崩壊や景気低迷が進むなかでも宝永堂が町田の一等地で店を開き続けることができた理由の1つが周囲からの信頼の厚さだ。優良企業とされる「優良申告法人」に何度も指定され、駅前における「町田の顔」として美にこだわった店舗づくりには高い支持が集まる。町田市の企業を中心に2千を超える事業者が名を連ねる公益社団法人町田法人会の担当者は宝永堂について「町田屈指の会社であることは間違いない」と話す。
企業の信用調査にあたる帝国データバンク東京西支店の担当者によると、100年以上の歴史をもつ東京都内の会社は11月下旬時点で4690社。町田市内では26社といい、長寿企業の特徴としては宝永堂を含め不動産事業にあたっているところが多いという。「固定客をつかんでいる点も宝永堂さんの強み。財務体質も良好で今後も町田を代表する会社として発展していってもらいたい」と話している。
創業は明治時代の1885年。内閣制度が発足するなど、日本の近代化が進んだとされる年に海外との貿易の窓口となった横浜と当時の輸出における花形産業だった絹の生産地、八王子を結ぶ町田街道の中間に位置する場所で店が開かれた。現在の町田中心市街地にあたる原町田村のなかで、創業したのは現在、宝永堂を運営する株式会社宝永堂の社長を務める三橋信介さんの祖父、治平さん。「貿易商などがお昼に立ち寄るなか、商売をやってみたくなったんでしょう。西洋の置時計などを扱っていたようです」と三橋さん。以来、戦時などの困難をくぐりぬけながら商いを続け、戦後には三橋さんの叔父や父である国民さんが運営会社を経営するようになり、宝石販売をメインに衣料スーパーを運営するなど、事業を拡大していったという。
三橋さんは「工芸品作家でもあった父の理解もあり、茶道具も取り扱うようになった。日本の景気拡大とともに事業が大きく伸びていきましたね」と振り返る。
信頼厚く
一方、不動産バブルの崩壊や景気低迷が進むなかでも宝永堂が町田の一等地で店を開き続けることができた理由の1つが周囲からの信頼の厚さだ。優良企業とされる「優良申告法人」に何度も指定され、駅前における「町田の顔」として美にこだわった店舗づくりには高い支持が集まる。町田市の企業を中心に2千を超える事業者が名を連ねる公益社団法人町田法人会の担当者は宝永堂について「町田屈指の会社であることは間違いない」と話す。
企業の信用調査にあたる帝国データバンク東京西支店の担当者によると、100年以上の歴史をもつ東京都内の会社は11月下旬時点で4690社。町田市内では26社といい、長寿企業の特徴としては宝永堂を含め不動産事業にあたっているところが多いという。「固定客をつかんでいる点も宝永堂さんの強み。財務体質も良好で今後も町田を代表する会社として発展していってもらいたい」と話している。