横須賀・三浦版【4月4日(金)号】
整備後のうらりマルシェ周辺のイメージ(上・三浦市提供)と協定書を交わす吉田市長(左)、来海社長

三崎漁港用地利活用事業 2033年全面開業目指す 市と興和地所が基本協定

 三崎漁港の新たな海業振興を目指す「新海業プロジェクト」を巡り、三浦市と興和グループ(本社・名古屋市)は3月28日、周辺用地を利活用するための基本協定を締結した。今後、産直センター「うらりマルシェ」の改修や新商業施設の建設などを具体化させるため、関係事業者や国・県との間で協議を進め、事業計画や実施計画を作成。来年3月末までに事業契約を締結し、2033年の全面開業を目指すとしている。

 まちの活性化に向けた一大事業が正式に始動する。市は24年4月にプロジェクトを公民連携で進めるための事業者を公募。同年5月に興和グループを優先交渉権者に決定した。

 市は漁港施設を軸に観光業を含めた地域活性化を図る海業を推進。同グループは募集時の提案にうらりマルシェの改修や飲食店、スパ、コンドミニアムなどが入居する5階建ての複合施設の建設などを盛り込んでいた。具体的な事業費は今後検討するが、原則同グループが負担する。

観光客300万人へ

 この日の記者会見で、吉田英男市長は同プロジェクトについて「海業振興による三崎漁港周辺の魅力向上と地域振興を一体的に図るもの」と意義を強調。「市としての大きな目的に沿った事業。国や県の協力を受けながらしっかりと進めたい」と抱負を述べた。

 また興和地所の来海(きまち)忠男社長は、三崎ブランドを生かしながら「東京から一番近い文化・歴史を持つリゾート地として日中の観光客や宿泊需要を喚起したい」と説明。現在年間100万人程度の観光客を「300万人程度のお客様が来ていただけるまちになり、三崎の振興や市が発展することへの寄与になれば」と事業への思いを語った。

 基本協定に基づき、同グループは3カ月以内に事業計画案を作成。市が内容を確認する。

 計画には関係事業者との協議内容を盛り込む必要があり、協議終了後の3カ月以内に改めて事業計画を作成する。漁港を活用するための実施計画の作成と平行してその後申請手続きなどを行い、26年3月末までに事業契約を締結する。その後、うらりマルシェを中心に段階的に整備を進め、「遅くても2033年頃には全面オープンしたい」(来海社長)としている。

平松廣司会頭(左)とタイミーの石橋孝宣執行役員

人材不足解消に「スキマ時間」 横須賀商議所とタイミー連携

 横須賀商工会議所は3月31日、短時間アルバイトマッチングサービスの(株)タイミー(本社・東京都港区)と包括連携協定を結んだ。人手不足が全国的な課題となっており、同商議所では、スキマ時間を有効活用する働き方を広げることで地域経済の活力を維持していく考え。全国の商議所で8例目、神奈川県内では初となる。

潜在労働力を掘り起こし

 同社は長期の雇用契約を結ばずに、自分の都合の良い時間だけ働く「スキマバイト」という新しい働き方の概念を広めた業界大手。雇用者が「働いて欲しい時間」と被雇用者の「働きたい時間」のマッチングをシステム化して急成長を遂げている。

 今回は若年層の流出と高齢化を背景とする地域の労働力不足に危機感を持つ同商議所に対して、同社が連携を持ちかけた。横須賀市内で「タイミー」の登録事業者はチェーン店が大半を占めており、約5千社の会員を持つ商議所のネットワークを借りて仕事のバリエーションを一気に広げる狙いだ。

 同商議所の平松廣司会頭は「外出時間に制約のある子育て世代など、地域に潜在する労働力の掘り起こしにつながる」と期待を述べた。

 タイミーでは、「ワーカー」と呼ばれる仕事を希望する人が、スマートフォンアプリの求人検索で条件に合った案件に申し込む。面接や履歴書なしですぐに働くことが可能で、勤務終了後すぐに同社から入金されるのが特徴。

 ワーカーを受け入れる事業者側は、求めるスキルと勤務時間を最短1時間から設定する。ワーカーに支払う報酬金額の30%をサービス利用料として同社に支払う仕組み。一時的な労働力確保の手段にするだけでなく、仕事の体験を通じて優秀な人材をスカウトして長期雇用に繋げることも期待できるという。

 同社は近く、同商議所の会員企業向けにタイミーを利用した人材活用の説明会を実施する。業種別の受け入れ事例など、蓄積したノウハウを提供することで地域への浸透をめざす。

「笑い療法士」を名乗り、出前講演を精力的に行っている 川村 崇子さん 横須賀市佐島在住 69歳

笑い届ける関西のおばちゃん

 ○…認知症を正しく理解するための講演会。85歳以上の発症率をクイズ形式で問いかけ、慌てて回答しようとする人たちを「待て! 順番に聞くよ」と大袈裟な身振りで制する。関西弁のぶっきらぼうな物言いは、演者と客席の距離を縮めるためのテクニック。介護現場の「あるある」エピソードを巧みに切り取った漫談で会場の関心を引き寄せる。笑いを感染させる力は芸人顔負けだ。

 ○…肩書は「笑い療法士」。笑いは元気の源、笑いは身体の万能薬のメッセージを携えて人前に立つ。介護福祉士の顔を持つが、ユニークな講演活動が評判となり、宣伝は一切行っていないのにも関わらず口コミで町内会や福祉団体からの依頼が舞い込む。昨年は横須賀市内だけで25カ所を訪れた。リピートを求めるファンも増殖中だ。

 ○…講演スタイルの原型は、滋賀県米原市の社会福祉協議会職員時代にある。「人生100年時代」をテーマにした講座を担当することになり、綾小路きみまろさんを手本にしたパフォーマンスが大ウケした。太鼓やギターの演奏を交えたリズムゲームを取り入れたら参加者の笑顔がさらに増え、名刺に記載している「高齢者を元気にする笑い塾」のメソッドが完成した。

 ○…娘に誘われて移住してきたのが2年前。関西からやってきた「ヨソモノ」が受け入れてもらえるか不安があったが、散歩中に出会った人たちにかつての活動を話すと「聞いてみたい」の声。ネガティブな気持ちが晴れ、「もう必要ない」と思っていた鳴り物や小道具を取り寄せて新天地で話芸を披露する日々だ。新たな挑戦として、高齢者の日常を発信するYouTube番組も構想中。お腹の底から笑って若くなる。そんなストーリーを編んでいく。

(株)リフレックス 三浦市に50万円寄付

 廃棄物処理・資源リサイクル業者のリフレックス(本社=横須賀市内川)は3月31日、「企業版ふるさと納税」(地方創生応援税制)を利用して三浦市に50万円を寄付した。吉田英男市長から同社の本田雅昭社長=写真右=に感謝状が贈られた。

 同社では、営業エリアと重なる三浦半島の自治体に4年前から寄付を行っている。三浦市では、今夏の海水浴場再開に向けた費用に充てるという。

爲壮稔氏

横須賀市長選 爲壮稔氏が出馬表明 福祉、平和・基地問題に主眼

 任期満了に伴う横須賀市長選(6月15日告示、22日投開票)を巡り、共産党三浦半島地区委員会常任委員の爲壮(ためそう)稔氏(71)が3月27日、無所属での立候補を表明した。「基地が身近にある横須賀市から、戦争や平和に対する意思表示を明確に示す必要がある」と決意を話した。

 爲壮氏は横須賀市東浦賀在住。約40年医療や福祉の現場に従事。昨年の衆院選に共産党から神奈川11区に立候補した。

 主な政策はケア労働人材の待遇改善や、市が退会している県基地関係市連絡協議会への復帰・地位協定の改定、物価高対策、高齢者の医療福祉施策の復活、給食費の無償化などを掲げている。

 立候補は現職の上地克明市長、元市議の小幡沙央里氏に続き、3人目。

劇場版『荒野に希望の灯をともす』提供:日本電波ニュース社

ドキュメンタリー映画上映&監督トーク 用水路建設に命ささげた医師の記録

 戦乱のアフガニスタンとパキスタンで病や貧困に苦しむ市井の人に寄り添い続けた日本人医師、中村哲氏の活動を記録した映画『荒野に希望の灯をともす』の上映会が4月20日(日)、横須賀市文化会館大ホール(深田台50)で開かれる。ドキュメンタリー映画の良作を自主上映している「16ミリ試写室」の主催。

 2019年に現地の武装集団に殺害された中村氏の生涯をたどる作品。1984年にパキスタンのペシャワールにあるハンセン病棟で始まった医療活動はアフガニスタンまで広がるが、思いもよらぬ事態に直面する。00年に現地を襲った大干ばつ。渇きと飢えで多くの人が命を落とした。農業は壊滅状態、医療で支えることの限界を悟った中村氏は用水路の建設を決断する。大河クナールから水を引き、乾いた大地を蘇らせるという壮大な計画を打ち立てた。土木工事の専門知識を持たない医師の無謀ともいえる挑戦──。カメラマンで映画監督の谷津賢二氏が20年に渡り撮影した映像から中村氏の生き様を描く。

 午前10時30分と午後2時の2回。各回上映後に谷津監督のトークがあり、中村氏の没後5年となる現地の状況などが聞ける。前売り1000円(当日1200円)、高校生300円、中学生以下無料。市文化会館ほかで販売中。問い合わせは16ミリ試写室の松澤さん【携帯電話】090・2901・0862。

絵本持ち寄り交換イベント

 読み終えた絵本の交換市「絵本マルシェ」が4月5日(土)・6日(日)、横須賀市上町に誕生した「絵本バスジンジャー号」で開かれる。地域と人をつなぐコミュニケーション空間を創り出すよこすか人社プロジェクトの主催。これまでカフェとして機能していたスペースをリニューアルし、乗り合いバスをイメージした絵本を通じた交流拠点として再始動する=写真。

 気に入った絵本の感想文を書いて景品を手に入れる「三冊の絵本旅」と題した企画(ワンドリンク付300円)や絵本の読み聞かせが楽しめる。時間は午前11時から午後3時(6日は4時)。

 詳細はよこすか人社プロジェクト【電話】046・874・8118。

横須賀踏切に設置されたエスコートゾーン

JR横須賀駅前踏切内 視覚障害者の横断、安全に 県がエスコートゾーン初設置

 体の不自由な人でも支障なく活動できるバリアフリー化を進める神奈川県は、視覚障害者の踏切横断を支援する取り組みをスタートしている。横須賀市には3月21日、JR横須賀駅横の「横須賀踏切」にエスコートゾーンが設置された。市内の設置は初だという。

ブロックで方向を誘導

 エスコートゾーンとは、横断歩道や踏切内の中央部に点状の突起を直線に配置したもので、視覚障害者の歩行方向を誘導するブロックのことを指す。道路に斜めに敷かれた横断歩道や直角に交わらない変則的な交差点など、方向感覚を失いやすい場所に設置されるケースが多い。これまで踏切内は、線路と道路の管理主体が異なることなどの理由で設置が進んでいなかった。

県内29ヵ所設置へ

 2022年に奈良県で発生した踏切内における視覚障害者の死亡事故を受けて、安全対策の機運が高まり、国土交通省は「道路の移動等円滑化に関するガイドライン」を改定。県では、24・25年度の2カ年計画で、県道に接し一定の基準を満たす29カ所で設置を進めている。今回の同踏切への設置もこの計画の一環。県内では3月27日現在、伊勢原市と松田町に設置されている。県が三浦市へ整備する予定はない。

 横須賀市管轄の道路に接面する踏切内については、現状未整備で、県と連携し、各鉄道事業者と設置に向けた協議を進めているという。

 横須賀市視覚障害者協会で自身も全盲である白石敏夫会長(74)は「市内で設置が進み良かった。(踏切内で)事故にあったことはないが、危険な思いをしたこともある。エスコートゾーンは歩行者が安心して歩ける材料になる。今後も多くの場所で整備が進んでいけば」と期待を寄せる。

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しんかい6500(同所提供)

海洋科学の最前線を見学 JAMSTEC一般公開

 有人潜水調査船「しんかい6500」を保有し、海洋と地球に関する研究を行う海洋研究開発機構(JAMSTEC)は5月17日(土)、夏島町にある横須賀本部を一般公開する。

 「しんかい6500」実機のコックピット内見学(限定6組・抽選)や改造後、一般初公開となる深海巡航探査機「うらしま8000」、現在建造が進む北極域研究船「みらいII」の特集ブースなどのほか、海底で採取されたサンプルの展示などが行われる。

 「みらいII」のブースでは、建造現場に密着した職員による現場の様子や注目のコンテンツなどについて聞けるスペシャルトークも行われる。

 事前申込抽選制で4月21日(月)正午までに同機構HP(https://www.jamstec.go.jp/j/)から申し込む。当日は午前9時半から午後4時まで。参加無料。追浜歩道橋付近から無料送迎バスの案内がある。

ソレイユの丘20周年 求む、思い出の一枚 園内での写真を企画展示

 長井海の手公園ソレイユの丘では、今月迎える開園20周年に合わせて、4月29日(火)から「ソレイユの想い出写真展」を開催する。来園者が撮影した思い入れのある写真を園内などに展示する企画で、同14日(月)まで写真データを募集している。

 対象となるのは、家族やパートナー、友人、一人旅など園内で撮影された写真。応募方法は当時の思い出やエピソードを添えて「#ソレイユの丘での想い」をつけてSNSへ投稿するか、同園(〒238-0316 横須賀市長井4丁目)へ郵送する。現物は不可。園内での掲示や公式HPに掲載される。

 同園では、そのほかにも周年企画が目白押しとなっている。7日からは花で装飾されたフォトスポットが園内各地に設置されるほか、22日からは児童絵本「バーバパパ」とコラボしたイベントが行われ、グッズ販売やコラボフードなどが登場する。詳細は同園HP(https://soleil-park.jp/)もしくは【電話】046・857・2500。

教えられた作法でお茶を飲む児童ら

侘び寂び感じる春休み 青少年会館でこども向け野点

 横須賀市青少年会館で3月26日、屋外で茶を点てて楽しむ野点が開かれ小学生らこども45人が参加した。同館の主催。

 関東学院中学校高等学校の茶道部が講師役を務め、参加者にお菓子の食べ方やお茶の点て方、利き手と反対側の手をお椀に添える飲み方などの作法を伝えた。参加者らは「覚えられない」「にがい」「意外と飲める」など口々に話し、日本の伝統文化を楽しんでいた。

 千葉うららさん(4年)は、「はじめて茶道を体験した。むずかしかったけど楽しかったからまたやりたい」と笑顔を見せた。

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横須賀市津久井「万代会館」 日本庭園でワークショップ

 横須賀市津久井にある数奇屋作り風の茅葺屋根建造物「横須賀市立万代会館」で4月13日(日)、地域交流イベント「万代テラコヤ」が開かれる。

 市の重要文化財である建物の概要を市自然・人文博物館の亀井泰治氏が解説するほか、市内の文化財を紹介するパネル展がある。子ども向け企画として、シャボン玉を用いた青空科学実験教室や貝がらアート体験なども楽しめる。

 同館は現在のソニー株式会社で会長などを務めていた万代順四郎氏が1947年から自邸として利用しており、78年に市に寄贈された。

 午前9時30分から正午。参加無料。詳細は万代テラコヤ実行委員会代表の伊藤さん【電話】046・884・8661。

大会に向けて練習を積む松浦さん(左)と鈴木さん

華麗に激しく世界で滑る ローラーダービー日本代表に横須賀勢

 ローラースケートを履いた選手が専用のトラックを回り、得点を競い合うチームスポーツ「ローラーダービー」。今年7月にオーストリアで開かれるワールドカップ(49カ国)に鈴木愛美さん(27・池田町在住)と松浦はるなさん(同・浦賀在住)が選出された。「これまで体づくりやトレーニングを積んできた。狙うはベスト5」と意気込む。

ぶつかり合いが魅力

 1930年頃のアメリカに起源を持つとされる同競技は、1チーム5人制で約27m×約17mの平面コートに敷かれた幅約3・6mの楕円形のトラックを反時計回りに回っていく。「得点役」と呼ばれる選手が相手チームを追い抜いた人数がそのままポイントとなり、それを妨害する際の体と体の激しいぶつかり合いが見所となるフルコンタクトスポーツだ。

 現在日本では主に米軍基地が所在する県を中心にチームが点在しているといい、競技人口は数百人程度だが「小柄な人は相手を抜きやすく大柄な人は妨害役に。体型などに関わらず誰でも楽しめるスポーツ。多くの国でチームが存在し、ふらっと練習に参加できて言葉がなくても人と繋がれるのも楽しさの一つ」と鈴木さんは魅力を話す。

 鈴木さんは都内で会社員をする傍ら、松浦さんはパート勤務しながら主に休日に米軍基地内や都内で施設を借りて練習に励んでいる。

 目下の課題は競技への新規参入・継続する壁が高いということ。安全用の防具などは海外から取り寄せており、遠征費や施設利用料なども自己負担。「まずは競技の周知から」とクラウドファンディングで協賛金を募るなどで発信を続けている。

貝山地下壕の写真展 4月17日からサポセンで

 横須賀市本町の市民活動サポートセンターで4月17日(木)から、追浜地区にある戦争遺跡「貝山地下壕」や浦郷町にあった旧海軍航空技術廠(空技廠)付近などを撮影した写真展が行われる。市民団体「貝山地下壕保存する会」の主催。同月29日(月)まで。観覧自由。

 大正5年に開設された「横須賀海軍航空隊」や昭和7年に設置された「海軍航空廠」など、追浜から深浦にかけての一帯は、当時の航空技術が集結しており、軍事的要衝地として大きな役割を担った。戦局が悪化した大戦末期、本土決戦に備えて、機能移転を目的に海軍主導のもとで掘られたのが貝山地下壕だった。総延長は2キロ超と言われており、A地区・B地区・C地区の3つに分かれた多層構造になっている。

 今回の写真展は主に2000年頃に撮影された地下壕や空技廠、現米軍基地となっている旧海軍工廠内、EMクラブなど約40枚を展示する。

横須賀市 「転出超過」改善の兆し 都心不動産高騰、子育て政策奏功

 横須賀市が抱える人口減少の課題で、転入と転出の差による社会増減に改善の兆しが見え始めている。

 市がまとめた最新状況によれば、転出超過が全国最多となった2013年は社会減が1587人を記録したが、24年は307人と当時の5分の1まで改善。転入者が横ばいで推移しているため転出超過を克服するまでには至っていないが、ほぼ全ての年齢層で減少幅が抑制されている。中でも「30歳から59歳」とその子ども世代と考えられる「0歳から14歳」のファミリー層は10年間で1060人増え、24年は30人の転入超過に転じているとしている。特に東京23区からの転入者が増加傾向にあり、過去10年間で321人増えている。

 要因として、都心の不動産価格の高騰により、値ごろ感のある市内の物件が注目を集めていることがある。横須賀中央エリアで開発が進む新築マンションなどがその受け皿となっており、入居者の46%が市外からの転入者というデータがある。

これに加え、エンタメを通じた都市イメージの発信や新婚世帯に向けた住宅取得の補助制度、中学校給食の実現、小児医療費無償化を18歳までとする政策などにより「住むまち」として選ばれようになったことが挙げられる。

 市経営企画部では、「転出に一定の歯止めがかかっている」と分析しており、追い風が吹く中で、子育て世代を意識した環境整備を進める。以前から要望のある雨天や猛暑に対応した屋根付き広場を三笠公園と大矢部弾薬庫跡地に設けるほか、転入のきっかけとなる観光来訪にも注力していく方針を示している。

塗装職人の手ほどきでペンキを塗る児童や保護者

初声小 新入生の気持ち明るく 協議会が靴箱塗り替え

 三浦市初声地区の「地域とともにある学校づくり協議会」は3月26・27の両日、児童が使う靴箱を塗り替えた。

 新入生を明るい空間で迎えようと児童や保護者、地域住民ら計約20人が額に汗を浮かべながら取り組んだ。

 「ペンキが入らないところは押し込むように」。この日は三崎で塗装店を営む浅葉洋介さんが手ほどき。参加者らは劣化した木製の靴箱の汚れを拭き取り、穴の開いた部分を埋めながら刷毛やローラーを使って、5台の靴箱をピンクや黄色など4色に塗り上げた。3年生の大塚陽向さんは「大変だけど楽しい。新1年生が毎日通いたいと思ってくれたら」と笑顔を見せた。

 同協議会は子どもの学びを支援しようと2021年に発足。夏休みに竹灯籠を制作する体験学習などを行っている。

 同校の校舎は建て替えから半世紀以上が経過し、靴箱も老朽化。松岡由紀校長は「暗かった昇降口が明るくなった。地域の皆さんが環境整備に力を貸してくれてありがたい」と話した。

ユーモアと毒舌もう聞けない 牧島功さんお別れ会

 神奈川県議会議長を務めた牧島功さんの「お別れの会」が3月30日、横須賀市本町の斎場で開かれた。河野洋平元衆院議長や黒岩祐治知事、政財界関係者、一般参列者ら約1700人が牧島さんを悼んだ。

 牧島さんは横須賀市出身。小泉純也元防衛長官、純一郎元首相の秘書を経て、横須賀市議を3期、神奈川県議を9期務めた。政界引退後もラジオ出演などを通じて横須賀の発展に向けた提言を行っていたが、2月27日に80歳で死去した。

 牧島氏の長女で元デジタル大臣のかれんさんは、「努力することを教えてくれた人。イノベーティブなリーダーであり、誰もやらないことに挑戦してきた。選挙ポスターをイラストにすると言い出して周囲を驚かせたこともあった」と生前のエピソードを語った。

 小泉進次郎衆院議員は、ユーモアに富んだ語り口と辛辣な言葉の裏に愛情のあった”牧島節”がもう聞けない寂しさを伝えた。

 牧島氏は地域愛をモチベーションとする活性化プロジェクトをいくつも立ち上げた。坂本龍馬の妻、おりょうゆかりの地を広めるための郵便ポスト設置や観音崎の地名の由来である観音像建立、母校の校歌を披露する校歌祭などに関わった。

 FMブルー湘南(78・5MHz)では、牧島氏が担当していたトーク番組を再放送している。毎週月曜日の午後8時から30分間。

ヴェルニー像(横須賀市自然・人文博物館)

OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第41回 横須賀編【7】文・写真 藤野浩章

 ついに横須賀港と決まった製鉄所。

 当時の横須賀は幕府の領地(天領)であったが、実はここを預かっていたのは佐倉藩主の堀田正倫(まさとも)だった。これを返還させ、22戸あった農家と漁民は代替地を用意して移転してもらうことになった。

 あとは、一体いくらかかるのか?だが、仏側の見積もりに欠かせないのが、建設と運営を取り仕切る責任者だ。そこで白羽の矢が立ったのがフランソア・レオン・ヴェルニーだった。仏側の強い希望だったというが、なぜ彼らは1837年生まれで当時弱冠(じゃっかん)28歳の若者を推したのだろうか。

 艦隊司令官ジョーライスは『どことなくムッシュ・オグリと似ている』と表現したが、それは「選ばれた者だけが持つ強い自尊心と内面の強さ」があり「感情より理性を重んじ」「心の広さも併(あわ)せ持っている」ということだという。

 身内がこんなにべた褒めするのには理由があった。本書に詳しいが、彼は中国において「18カ月で砲艦4隻を建造する任務の総責任者」に抜擢され、極めて過酷な状況でついに任務を達成している。それゆえに海軍内で"不屈の男"という評価がされていたのだ。特に、アジア人を見下し「犬とシナ人は入るべからず」という立て札まで立てた英国とは違い、賊(ぞく)に襲われても偏見を持たない姿勢をとり続けたという。

 その評判から日本での任務に適任とされ、頬のそばかすがトレードマークとも言える若者に、本国の海軍大臣よりも高い1万ドルという年俸を提示してまで起用にこだわったのだった。

 彼は悩んだ末、ついに日本行きを決意する。小栗との歴史に残る名コンビ誕生の瞬間だった。