茅ヶ崎・寒川版【8月15日(金)号】
講演する川野さん=提供

茅ヶ崎市 戦後80年 平和つなげ 講演会など開催

 今日で、終戦から80年となる。茅ヶ崎市では多くの市民に戦争の悲惨さについて考えてもらおうと、キャンドルナイトと講演を企画している。担当者は「平和への思いをつないでいく機会としてほしい」と話している。

キャンドルナイト

 市は8月15日(金)、市役所前広場で「平和をつなぐ キャンドルナイト」を行う。午後7時から8時まで。

 市内各公民館や原爆展などで、市民から募集した「平和への思い」をテーマにした絵やメッセージを書いた用紙をキャンドルホルダーに貼り、灯をともす。市多様性社会推進課(市役所本庁舎2階窓口)では、15日5時まで用紙の提出を受け付けている。

平和のつどい

 また、17日(日)には「平和のつどい・平和講演会」を市役所分庁舎6階コミュニティホールで開催する。

 平和のつどい(午後1時30分〜2時30分)では、茅ヶ崎市核兵器廃絶平和都市宣言の朗読や広島・長崎市長のメッセージ紹介、「平和について」ポスター・作文コンテストの表彰などを行う。

 平和講演会「原爆の子の像 六年竹組の仲間たち〜佐々木禎子さんの思いをつなぐ」(2時40分〜4時)では、「原爆の子の像」のモデルになった佐々木さんの幼なじみの川野登美子さんらと会場をオンラインでつないで、像の建立までの話や佐々木さんとの思い出について語る。

 「平和のつどい・平和講演会」は事前申し込み制。市内在住・在学・在勤者を対象に先着100人。無料。電話(市同課【電話】0467・81・7150)は15日午後5時まで。市ホームページからの電子申請は16日(土)まで。

平和テーマに絵画作品募集

 子どもを対象に、「平和なまち」絵画コンテストの応募作品を募っている。テーマは「私にとっての平和」。応募作品の中から10作品を選出し、市から平和首長会議事務局へ応募する。「平和首長会議会長賞」を受賞した作品は同会議のクリアファイルのデザインに採用される。

 対象は、今年11月1日時点で6歳以上15歳以下の市内在住・在学者。作品は、B4・八切り・A3のいずれかのサイズ。申し込み締め切りは10月17日(金)。同課へ直接持ち込み、もしくは郵送で。
支援を求めているガザの大学生ムサブさん=提供

絵本作家 古知屋さん ガザに清潔で安全な水を 井戸水プロジェクト開始

 茅ヶ崎市在住の絵本作家・古知屋恵子さんが中心となって発足した市民グループが、パレスチナ自治区ガザに井戸を設置するプロジェクトを立ち上げ、支援を募っている。古知屋さんは「ガザの人々の尊厳を守る一歩として応援してもらえたら」と話す。

 イスラム組織ハマスとイスラエルとの紛争が続くガザの状況を見て「何かできることはないかと思っていた」という古知屋さん。「茅ヶ崎からもパレスチナの現状について発信しよう」と、市民グループ「パレスチガ」を立ち上げ、イベントなどを行ってきた。

 SNSでも発信を続けていると、多くのパレスチナ人から支援を求める声が届くように。その中で知り合ったのが看護学生のヌールさんと大学生のムサブさんだった。

 「深刻な水不足の対策として、井戸水をくみ上げるための太陽光発電パネルを設置したい」という2人。古知屋さんたちは「ガザ井戸水プロジェクト」を立ち上げ、支援を始めた。

 井戸水をくみ上げる装置を設置するのに必要な費用はソーラーパネルやバッテリー、給水タンクなどのほか、両替のための手数料も合わせて約540万円と試算。2カ所分1080万円を目標に、6月末から支援金の募集を始めた。8月1日現在で約450万円が集まったという。

 古知屋さんは「清潔な水が供給できれば、水を求めて長距離を移動する必要がなくなり、子どもや高齢者の負担が軽減され、感染症のリスクも減少する。将来的に農業などへの利用も可能になる」と話している。

 支援金は振込で受け付けているほか、募金箱を設置中(上の表を参照)。活動の状況はウェブサイト(https://kininaru-news.jimdofree.com/)で確認を。

藤沢・茅ヶ崎・寒川を管轄する藤沢税務署の新署長に就任した 前田 真宏さん 横浜市神奈川区在住 60歳

地域を知り、人を知り

 ○…県内屈指の規模を誇る税務署のかじ取り役だ。地元愛が強く、気概を持った湘南の地域住民に感銘を受け、「私自身もしっかりしなければ」と気持ちを引き締める。まずは職員が「藤沢署で良かった」と思えるような環境づくりに尽力していく考え。「自分の代で全てが変わるわけではないが、着実に良くなるためのステップを踏んでいきたい」。職員がやりがいを持って働けるような署を目指していく。

 ○…高校生の時、同級生から「税務署に就職したい」という話を聞き、つられて自身も同じ道を選んだ。「軽いきっかけだった」と天井を見上げながら述懐する。税務大学校では勉強漬けの日々を送った。印象に残っているのは1993年に国税庁へ異動した際、電子的に手続きが行えるe―taxや全国5万6000人以上の職員が利用するシステムなどの開発を経験したこと。「激務だった。でも便利になったという納税者や職員の声にうれしく思ったと同時に、やりがいも感じた」と笑顔を見せる。

 ○…高校卒業まで山口県で育った。自宅近くのミニバスチームで競技の魅力に触れ、学生時代はバスケットボールに打ち込んでいた。現在も趣味の一つ。バスケ漫画の金字塔『SLAM DUNK』ゆかりの地である湘南に赴任したことは「これもまた縁を感じる」とキラリと目を輝かせる。

 ○…大切にしていることは一期一会。「地域があって人がいて、今の仕事ができる」。税金を納めてもらうだけでなく、人との出会いを大切にする。「喜んで納税します、なんて人はいない」と冗談を交えつつ、「税務署のイメージが変わったという声だけでもありがたい」とも。気軽に相談できるような身近な存在になることを目指し、地域に溶け込んでいく。

海岸をデザインする子どもたち=提供

夢の茅ヶ崎海岸デザイン マイクラ茅ヶ崎市長杯

 「茅ヶ崎市長杯 マイクラで茅ヶ崎海岸づくり―茅ヶ崎海岸グランドプランをデザインしよう!―」が7月27日、高砂コミュニティセンターで開催された。

 これは、市が策定を進める「茅ヶ崎海岸グランドプラン」に子どもたちの視点を取り入れようと、デジタルをあそぶアフタースクール LaLaLa KIDSとNPO法人茅ヶ崎海岸づくり推進機構が共催したイベント。

 当日は、市内の小学4年生から中学3年生までの30人が参加。10グループに分かれ、世界的に人気のゲーム「マインクラフト」で「素敵な夢の茅ヶ崎海岸」をテーマに制作活動に挑戦した。

 会場では子どもたちが意見を交わしながら、画面上でブロックを一つひとつ丁寧に配置していく姿が見られた。海岸線を駆け抜けるジェットコースターや海の上を走るモノレールといった夢あふれるアイデアから、近年の気候変動に対応するための涼しい休憩所、誰もが楽しめるよう工夫された散策路まで、多彩な「夢の茅ヶ崎海岸」が次々と誕生した。

 主催者は、「このイベントを通じて、子どもたちに『自分たちの海岸を一緒につくる』という意識が芽生えるとともに、個性豊かな作品が今後のグランドプランを検討する上で大切なヒントになれば」と話していた。

市長表敬した同チームの面々

湘南ユナイテッドBC 「4万人の集客目指す」

 プロバスケットボールB3リーグ「湘南ユナイテッドBC」が7月31日、茅ヶ崎市の佐藤光市長を表敬訪問し、9月から始まる新シーズンに向けた意気込みを伝えた。

 内田旦人キャプテンと新加入の伊集貴也選手、茅ヶ崎在住の丹野合気選手、堀田剛司GMらが訪問。新たに指揮を執ることになった鈴木友貴HCは「プレーオフ出場は最低限。選手の頑張りを結果に結びつけたい」とし、選手らは「昨季11位の悔しさを知る選手と、新加入した選手の化学反応で優勝を狙っていく」と意気込みを語った。

 また運営会社(株)湘南ユナイテッド藤沢の小河静雄社長は、2026-27シーズンからの新リーグへの変更に伴い、年間4万人の集客と2・5億円の売上が必要とし、協力を呼びかけた。佐藤市長は「練習場の提供など協力していければ」と話した。

(左)『寒川町史』15より(中央)昭和19年度学校日誌(右)昭和20年度学校日誌8月15日=提供

寒川文書館 戦時下の寒川を探る

 寒川文書館(寒川町宮山135の1)では12月28日(日)まで、企画展「学校日誌からみる戦時下の寒川」を開催している。時間は午前9時から午後5時。月曜休館。

 これは、戦後80年を機に、寒川小学校が所蔵している国民学校時代の日誌を通して当時の町の様子を紹介する企画。

 また、8月30日(土)には関連講座「学校日誌の保存と活用」が寒川総合図書館で開催される。学校に残された記録資料のあり方を考える講座で、文書館職員による展示解説も予定されている。先着20人。

(問)文書館【電話】0467・75・3691
当時住んでいた御所見村の写真を手にする佐藤さん

故郷から見た3度の空襲  寒川町在住 佐藤博さん(91)

「あの時の記憶を伝えなくては、お迎えが来てもいけないよ」。戦争末期、多くの市民が犠牲になった無差別空襲。寒川町在住の佐藤博さん(91)は東京、横浜、平塚の空襲を目撃した。

 佐藤さんが当時住んでいた御所見村(現在の藤沢市)は、敵機の来襲を早期に発見し、防衛司令部や住民に知らせるための防空監視哨がある、開けた土地にあった。

 1945年3月10日の東京大空襲と7月16日の平塚大空襲は夜間に起こった。「夜中で飛行機や煙は見えなかったけれど、空が赤く染まる光景が目に焼き付いている。あの炎の下にいた人がどんなに大変な思いをしたか、それを思うと今も胸が痛む」と振り返る。

 そして、なによりも印象に残っているのが5月29日の横浜大空襲だったという。「昼間に起こったから一部始終を見ていたんだ」

 その日、小学校に向かう途中だった佐藤さんは空襲警報を受け、自宅に引き返した。鳴り止まないサイレンの中、父、母、兄、妹と共に防空壕に入ると、まもなくして轟音が響き渡った。「『ゴォー』という音につられて思わず外に出た」。自宅付近の丘に駆け上がった佐藤さんが目にしたのはB29爆撃機。「B29はサイパンから富士山を目印にやってきた。東に向きを変えて横浜に向かったのが見えた」。しばらくして、東の空に雨のような白い光が降り注ぐと、次第に空が炎と黒煙に包まれていったという。「何が起こっているかその当時はわからなかったけれど、『ああ、横浜もやられた』と思った」

 終戦を知ったのは担任教諭からの「戦争は終わった。米が食えるぞ」の一言だった。当時は1カ月当たり8日分の米の配給のみ。ひえやあわを食べる生活で、終戦後も食糧難に苦しんだという。

 また、1番上の兄が戦地から帰ってくることはなかった。「兄は小学校教諭をしていた。出征する前夜、両親と話し込む姿をよく覚えている。戦場に行く兄が誇らしい気持ちとともに、すごく心配だった」

 終戦後は大学を卒業後、郵政省に入り59歳まで働いて退職。2人の娘を育て上げ、妻とともに船で世界一周の旅に何度も出かけるなど充実した生活を送ってきた。79歳で胃がんを患い、摘出手術を受けたものの、91歳になった今も体を動かし汗を流す。今、自らの体験を語ることについて「記録に残すことで、少しでも後世に伝えることができたら」と話した。

通っていた女学校の写真(右上)を見せる佐藤さん

終戦後に樺太から避難を経験 茅ヶ崎市柳島海岸在住 佐藤京子さん(93)

 茅ヶ崎市柳島海岸在住の佐藤京子さん(93)は、戦争のため数奇な運命を辿ることになった。

 札幌で生まれ、14歳まで当時日本の統治下にあった南樺太で過ごした佐藤さん。祖父は現地で郵便網の整備に尽力した人で、その祖父が営む郵便局がある、南部の大泊で母親や姉、妹とともに暮らしていた。

 港町ということもあり、街には活気があったという。「今思うと洋風建築が立ち並ぶおしゃれな街並みでした。家の近くには教会があり、ポーランド人の神父に歌ってもらう讃美歌が大好きだった」と振り返る。

 戦争が始まった後は空襲に備えて女学校の裏山に防空壕を掘ったり、バケツリレーの訓練などを行うことはあったが直接の戦火を感じることはなく、8月15日を迎えた。「玉音放送を聞きましたが意味は分からないまま。ただ、母は泣いていました」

ソ連の侵攻で混乱

 しかし一家にとっての苦難はここから始まった。終戦間際に参戦したソ連が樺太にも侵攻。多くの住民が佐藤さんの住む街にも流れてきたという。「ほとんどの人が着の身着のままといった様子で状況が緊迫していることがわかりました。まずは私たち親子だけでも避難した方がいい、ということになって」8月23日、稚内へと渡る宗谷丸に乗り込んだ。「船は避難する人でぎっしり。私たちは最後の方だったので階段に座りました」。

 約10時間の船旅の末に、稚内に到着。すぐに追いかけてくるはずだった祖父や叔母たちが日本に帰国するのは2年後になった。「私たちよりも先に北海道へと向かった船は、潜水艦に撃沈されたそうです。後に調べたら乗船名簿には多くの同級生や知人の名前がありました」

 帰国後は顔見知りを頼り長野や東京へ。高校3年生の時、再び郵便局を開いていた祖父を頼って北海道へと渡った。

祖父に聞いた悲劇

 再会した祖父から聞いた衝撃的な事実を佐藤さんは忘れることができない。1945年8月20日、樺太で9人の電話交換手が集団自決した真岡郵便電信局事件の際「これで最後ですさようなら」という電話を受けたというのだ。「祖父は『死んだらダメだ』と返したそうですが、その願いが届くことはありませんでした。自分とも年齢の近い女性たちが犠牲になったことにショックを受けました」

 26歳で結婚後、2女を授かり約50年前に茅ヶ崎へと住まいを移した佐藤さん。「終戦後にも悲劇があったことを知ってもらい、二度とこのような思いをする人がいない世の中になってほしい。その一助になるのであれば、経験を伝えていきたい」と話している。

文教大学近くの陣地内部=2017年5月に鴨志田さん撮影

米軍の上陸作戦に備え小出に築かれた陣地 元小学校教諭 鴨志田聡さん(70)

 「茅ヶ崎は『第2の沖縄』になっていたかもしれない」。そう話すのは鴨志田聡さん(70)だ。

 鴨志田さんは茅ヶ崎市内で38年間、小学校の教諭を務めた。

巨大な「防空壕」発見

 小学6年生を担任した時には、必ず「身近な戦争体験者に話を聞く」という課題を出していたという鴨志田さん。小出小の教諭をしていた1987年のある日、「子どもたちが防空壕で遊んでいる」と聞いて見に行ったところ、その大きさに驚いたという。

 文教大学そばの山の中腹にある壕だったが、入ってみるとアリの巣のように枝分かれしていた。土地の持ち主は「旧日本車が陣地として掘ったもので、全長2Kmほど、10畳くらいの空間や素掘りの井戸もあった」と話した。

 それからしばらくして、小学校を千葉の佐倉市から年配男性数人が訪れる。聞けば「終戦直前に召集され、小出村国民学校を兵舎として寝泊まりしながら学校裏の丘陵に軽機関銃陣地を構築していた」という。

 その後、訪ねて来た仲間の1人、織本哲郎さんから、当時の様子を詳細に記した手紙が届いた。「陣地を築くための道具も不足していたため、織本さんたちは一度、佐倉の家に帰らされて鍬やシャベルなどを持ち寄るなど、戦争末期の状況がよくわかった」という。

茅ヶ崎が上陸地点に

 「子どもたちが発見した壕も、日本軍が本土決戦のために築いたものかもしれない」。

 鴨志田さんがその答えにたどり着いたのは、91年に開催された市史編さん事務局による写真展だった。

 そこで知ったのが、第2次大戦末期に米軍が立案した日本本土上陸作戦「コロネット作戦」。同作戦は46年3月1日を決行日に、茅ヶ崎海岸に30万人の兵士が上陸、東京や横浜を制圧するというものだった。

 「米軍の本土進攻作戦の主要上陸地点が茅ヶ崎海岸だったという事実に驚いた」という鴨志田さん。「文教大近くの大きな陣地はその備えとして築かれた中央陣地だった。日本の降伏が半年遅れていたら、茅ヶ崎は沖縄と同じような地上戦の舞台となっていたかもしれない」と、学習で活用できるよう教材化も行ってきた。

 ただ、陣地跡もすでに切り崩されたり、入口がわからなくなった場所も多い。鴨志田さんは「後世に受け継ぐために、陣地跡の保存や記録が必要。また、教育の現場でもぜひ子どもたちに伝えていってほしい」と話している。

会員増強と維持に尽力 寒川RC 山本和好会長

 今年度、重要視しているのは「会員増強と維持をクラブの共通認識にしていくこと」。これまで築き上げてきた歴史を守りつつ、次の世代に引き継いでいくため、「会員とともに更なるレベルアップを図りたい」と意気込んでいる。

 今年度は、昨年盛況に終わった「インクルーシブなスポーツイベント」を継続。さらに国内姉妹クラブの寒河江ロータリークラブや、海外姉妹クラブである台北士林ロータリークラブとの積極的な交流に取り組みたいとしている。

 生まれも育ちも寒川。知人に誘われて2017年に入会した。町の魅力は「住みやすさ」と話す。「クラブの活動を通して町の活性化に尽力できたら」

「原点回帰」で結束 茅ヶ崎RC 加瀨義明会長

 65周年の節目に会長に就任。11月には式典を予定しているほか、数年に一度の、IMや市内3クラブ合同例会、大岡祭でのポリオ募金のホストも今年度に控える。「結束して信頼関係を築き、みんなで楽しみながら、全てを成功に導いていけると信じている」と力強く会員をけん引する。

 「毎週の例会にメリハリを付けてモチベーションのあがるものにし、全員が一つになれる雰囲気をつくり、クラブの一員であるプライドを持てるものにしていきたい」と、今年のテーマに「原点回帰 そして結束して向上しよう」を掲げる。「会社では得られない自己成長、一人ではできない社会貢献など、クラブを通じて行っていきたい」

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RC活動再確認の年に 茅ヶ崎中央RC 湯山文夫会長

 今年度はあえてテーマは掲げず、「活動を楽しみながら親睦を深めていきたい」とする。

 11月には職業体験を予定。会員3社が第一中学の生徒を受け入れることが決まっている。加えて昨年に引き続き、「女性活躍の場づくり」として女性会員2人を理事に起用。「能力が高く楽しみ」と期待を寄せる。

 同クラブ独特の「良好な雰囲気づくり」にも力を入れていく。「中央RCは皆平等だと言われて育ってきた。その風土を継続していきたい」と意欲を見せる。そうした中で、会員らによる同好会活動などを活発化させ、クラブに参加しやすい環境を整えていきたい考え。「改めてロータリー活動を再確認する年にしたい」

スプレー作りを楽しむ参加者=提供

寒川町商工会女性部 アロマ講座で香り楽しむ

 寒川町商工会女性部が7月29日、寒川町民センターでアロマ講座を開催した。

 当日は24人が参加。メディカルアロマセラピストの上山優子さんを講師に招き、自分好みにオイルをブレンドしてオリジナルアロマスプレーを作成した。

 参加者からは「アロマの効能を学んだり、香りを楽しんだりできてあっという間の時間を過ごせた」と喜びの声が上がっていた。

奉仕の流れ大きなものに 茅ヶ崎湘南RC 山本義治会長

 来年で50周年を迎えるのを前に「幅広く着実に準備を進めながら41人の会員とともに、奉仕に取り組んでいく」と語る。

 課題に挙げるのは例会の出席率の向上。「例会だけでなく、懇親の場をつくり楽しめるものにしていきたい」。また、50周年に会員数50人の「50-50」を目指す。「大先輩に教わってきたことがたくさんある。若い人たちでも充実したことをやっていきたい」と力を込める。

 クラブの独自事業として行っているのが、青少年事業としてのサーフィン体験。今年も安全で万全な開催に向け、調整を進めている。「予算組みから勉強し、同世代と一緒に盛り上がって、流れを大きなものにしていきたい」