横須賀・三浦版【10月3日(金)号】
制度により子どもを受け入れる岩波幼稚園

こども誰でも通園制度 就労問わずに通園 10月から横須賀市内6園で

 横須賀市は、親の就業を問わず保育所等に子どもを預けることができる「こども誰でも通園制度」を10月1日から開始した。保育園や幼稚園に通っていない未就学児が月一定時間利用でき、集団生活など子ども同士が交流する機会を創出する。

 国が新たに創設した子育て支援制度で、2026年度から全国の自治体で本格的に実施される。これに先駆け、需要を早期に確認する狙いで導入した横須賀市では、事前に申請のあった市内6つの幼稚園やこども園で受け入れを始めた。

 対象となるのは、0歳6カ月から満3歳未満。この年齢の子どもは幼稚園の入園資格がなく、保護者が就労していなければ保育園に入園することもできない。そのため、同年齢の子どもと関わる機会の損失だけでなく、子どもの預け先がないことで保護者の負担も大きいとされていた。

 制度の利用条件は、子どもの年齢のほかに、市内在住であること、保育所や幼稚園、認定こども園、地域型保育事業所、企業主導型保育事業所に在籍していないこと。在園児との合同型、一時預りとの合同型など、実施形態は園により異なる。利用時間は1カ月10時間まで、利用料金は1時間300円から350円。希望者は市に申請し、事前面談などの審査を受ける必要がある。

つながり広げる場に

 受け入れ先のひとつ、岩波幼稚園(鴨居)の岩波啓之園長は、「かつては『公園デビュー』という言葉もあったが、今は少子化の影響か公園に行っても親子がいないことも多く、仲間づくりが困難」と話す。

 そのうえで、「子どもは子どもとの関わり合いのなかで成長できるし、スマホで簡単に情報が得られる時代とはいえ、親も対面による交流を通じてこそ子育ての困難を解決する力が育まれる」とし、親子ともにつながりを広げる場として制度の活用を呼び掛けている。

 利用者で市内在住の倉重恭子さんは、次男の柊人(しゅうと)ちゃん(1歳)の交流の機会づくりのために、これまで子育て支援センターなどへ出掛けていたという。しかし、「子ども同士だけで遊ぶことも成長のために必要ではないか」と考え、制度を活用して岩波幼稚園に通園させることを決めたという。「親の私がそばにいない状況で、新たな世界が広がるきっかけになればいいなと思っています」と期待を込めて話していた。

 岩波幼稚園以外の受け入れ先は、追浜幼稚園、田浦幼稚園、聖佳幼稚園、sukasuka-nursery、長岡こども園。詳しくは横須賀市子育て支援課【電話】046・822・9476。
自宅には展示会に向けた写真が多数

武在住山室さん 89歳作家魂 ご覧あれ 筆置いた画家の写真展

 横須賀市武在住の元洋画家・山室紀元さん(89歳)が初の写真展を10月8日(水)に「佐島なぎさの丘自治会館」(佐島の丘2の15の17)で開催する。山室さんは3年ほど前、手の自由が利かなくなり、筆を置いた。今回展示されるのは、かつて絵の制作時、参考資料に撮っていた風景写真のフィルムを現像した23点。約30年前に訪れた長野県・上高地で撮影した風景で、絵描きの視点で切り取った美しい作品群となっている。

 山室さんは中学生時代から絵に興味を持っていたが、大学を卒業後は就職。しかし「何か物足りない」。そんな思いから一念発起し、名のある画家に師事。35歳で独立して以来、風景画を中心に抽象画や半抽象画を描いてきた。神奈川県立近代美術館に作品が収蔵されたり、銀座などで30回ほど個展を開いたりするなど、長年プロとしての道を歩んできた。過去には横須賀市長賞も受賞している。しかし、3年前に左手が不自由になり、絵筆を握ることが困難になった。それでも「何かやらないと、じっとしていられない」との思いから、かつて絵の参考資料として撮り溜めていたフィルム写真に目を向けた。

 フィルムをデータ化し、自宅のプリンターで大きく引き伸ばしたところ、写真家ではない自身が撮ったとは思えないほどの出来栄えに驚いた。周囲からも「写真もうまいじゃないか」と勧められ、普段から同自治会館に通っていたこともあり、今回の写真展開催が決まった。作品は、約30年前に上高地の田代湿原付近で撮影された風景が中心でサイズはA4〜A3。撮影時期が5月頃だったこともあり、残雪と新芽、枯れ木が共存する独特の光景を精密に描写している。

かくしゃくたる身体

 山室さんは今でも車を運転したり、近所のスーパーで食材を買い自ら料理をしたり、認知症予防によいとされる脚部を鍛えようとリハビリデイサロンで汗を流したりと、90歳を前に明朗快活な生活を送る。それでも「元気の秘訣はわからない」と謙遜して語る。山室さんは「これからの人生でもう一度写真展を開催できるか分からない。ぜひ足を運んで89歳の心を込めた作品をご覧ください」と話している。

 会期は1日のみで午前10時から午後0時30分。入場無料。作品購入も可能(当日山室さんへ)。

「株式会社やとと」の代表で、汐入・谷戸地域の活性化を図っている 藤原 香奈さん 横須賀市汐入町在住 34歳

谷戸活性”面”で捉える

 ○…細く、急峻な地に位置する「谷戸」。車は入れないうえ、高齢化は顕著。生活利便施設もない。それでも「不便だからこそ想像力・創造力が生まれる。人とのつながりや自然があり、小さな工夫から価値を生み出す余白がある」。木工体験や草木染体験、地域住民で育てていく広場、本の展示やワークショップを行う場の創出など、汐入町・谷戸地域の活性化を目指したまちづくりに着手し、2年半。「町内会をはじめ、近隣住民の方の協力あってこそ」。柔和な人柄で地域になじみ、谷戸一帯の活力を生み出してきた。

 ○…川崎市出身。大学時代からまちづくりに興味があり日本各地へ足を運び研究を重ねた。そこで出会った仲間に招き入れられ、2年半前に移住。程よく温かい住民との距離感、豊かな自然-。それらが醸成する「息苦しくない田舎感」に強く惹かれた。

 ○…人口減に高齢化、既存建物は解体すると、再建築不可になるケースもあるなど、谷戸が有する課題は山積。しかし単に開発が進めばいいとも思わない。「この地域の文脈にあったまちづくりが必要。そして谷戸の価値を確立し、大切な場であることを発信したい」。今年6月に法人化した「株式会社やとと」の語源とした「谷戸to〜」には、谷戸からつくる、一緒につくりたい、そんな願いが込められている。

 ○…現在着手中で来春開業をめざす民泊は単なる宿泊施設ではない。谷戸の草木を使ったワークショップや、自身が同町で運営する一棟貸し施設と連携させ「谷戸の暮らしの豊かさを体験してほしい」。本職である、まちづくりに伴走支援を行う企画制作事務所でのノウハウを生かしながら、エリアを面で捉え”谷の灯り”を紡いでいく。

よこすか開国花火 まさかの中止、飲食店困惑 米政府封鎖の余波、米海軍基地開放も

 横須賀市は10月5日(日)に開催予定の「よこすか開国花火大会」の中止を発表した。アメリカ政府の連邦議会で予算が可決されず、政府機関が封鎖になったことが理由だ。市は米海軍横須賀基地から、花火大会と同時開催の「日米親善ヨコスカフレンドシップデー2025」の中止連絡を受け、花火大会開催を断念した。

 昨年、同時期に行った花火大会には18・5万人の来場があり、今年は19万人を見込んでいた。市は観覧者の約半数が米海軍基地内で観覧すると想定しており、近隣の三笠公園が大規模工事中で受け入れることができないことなどから、苦渋の決断を下した。上地克明市長は「安全に観覧してもらう代替地の検討をしたが、雑踏事故の懸念があり、断腸の思いだ」とコメントしている。

 市が中止の判断を発表したのは2日の午後4時頃。花火大会の会場にほど近い日の出町で飲食店を営む60代の男性店主は一報を受けて、当日の注文を見込んで準備していた食材の仕入れを慌ててキャンセル。「来店とテイクアウトの予約を多数受けており、想定外の出来事だ。平時の3倍の売り上げを期待していたのだが」と落胆を隠さない。大量に仕入れたプラ容器を指さしながら、やり場のない気持ちを打ち明けた。

上町地区社協 上町こどもフェス 10月4日ボラセンで

 上町第一地区社会福祉協議会は10月4日(土)、「上町こどもフェスタ」と題した地域交流イベントを実施する。会場は上町第一地区ボランティアセンター(上町3丁目16)で参加無料。

 わなげやボール送り、ボールすくい、ペットボトルボウリング、ジュースの販売などがある。中学生以下先着150人が楽しめるお楽しみゲームなども用意されている。

 午後1時から3時。雨天は翌日順延。詳細は同センター【電話】046・826・2499。

西口栄通りに揺れる3色フラッグ

トリコロールに黄信号 マリノス売却報道に不安の声

 日産自動車がJ1横浜F・マリノスの株式売却の検討を進めていると各メディアが一斉に報じたことを受け、ホームタウンである横須賀市内では驚きの声が聞かれた。

 練習拠点「F・マリノススポーツパーク〜トリコロールベースクリハマ〜」がある地元の久里浜商店会協同組合(森下守久理事長)は、商店街の街頭にフラッグを掲出したり、大会名に「マリノス」を冠した学童のサッカー大会を開催するなど、久里浜とマリノスを盛り上げる企画を実施してきた。森下理事長は「せっかくトリコロールの青・白・赤が久里浜の商店街に馴染んできたのに、親会社によってカラーも変わってしまうのか」と不安を口にした。

 コミュニティ放送局「FMブルー湘南」のマリノス応援番組でナビゲーターを務める佐々木裕華さんは、「たとえ親会社が代わっても、これまで同様に地域を大事にしてほしい」と話した。

 整備に市が64億円を投じ、完成後20年間にわたり年間1億7千万円の使用料をマリノスが支払う契約の同拠点。市によれば、仮にマリノスが移転して練習場を使用しなくなっても、当初の契約により支払い条件が変わることはないという。

視認性の高い蛍光イエローのTシャツを着用して活動。セミナーでは注意点が伝えられた

横須賀パトラン 「見せる」警戒活動、地域を見守り 心構えや護身術伝えるセミナー

 ランニングやウォーキングを行いながら地域の見守り活動を行う「横須賀パトロールランウォーク」を推進している横須賀市は9月28日、登録者の防犯意識を高めるスキルアップセミナーを実施した。

 市が2024年4月に導入した”ながらボランティア”。見守りの目を増やすことで犯罪を抑止し、不審者を寄せ付けなくする。登録者には市から蛍光イエローの専用Tシャツが渡され、これを着用してパトロールを行う。市市民生活課によれば、個人だけでなく、町内会やランニングチームなどの参加もあり、25年9月末時点で約1千人の登録者があるという。

 この日のセミナーでは、活動ポイントが紹介された。同じ時間帯に走ることで、顔見知りが増え、地域内にゆるやかなつながりが生まれる利点や小さな変化を見逃さない定点観測につながることなどが伝えられた。警察官からは手や胸ぐらを掴まれた時の護身術や「パトラン」アンバサダーの陸上選手による効果的な身体の動かし方のアドバイスもあった。

 同活動は、市内在住の18歳以上であれば誰でも登録できる。申し込み方法などは市のホームページに詳細。

首が白く尻に向かって太くなる「中ぶくれ」が特徴の三浦大根(三浦市農協提供)

「三浦大根」ブランド化100年

 三浦半島の特産品である「三浦大根」がブランド化され、今年で100年を迎えた。命名されて以来、三浦特産の冬大根として名声を維持してきた。しかし栽培が容易で手間が少ない他品種の台頭などにより、いまでは三浦市農協へと共販出荷される約99%が青首大根となっている。その反面、冬の時期には正月用の商材として、また、三浦大根を求めて直売所に足を運ぶ人もいるなど、いまだ根強い人気を誇る。100年の歴史を改めて探った。

50年の天下と50年の堅守

 三浦市で生産される大根の歴史は古く、『新編相模国風土記稿』(1841)には、高円坊村(現高円坊)の大根が上品として名を馳せていたと記述されている。ただ、当時の大根は根がねずみの尾に似た「ねずみ大根」と呼ばれる、今の三浦大根とは異なる品種だった。その後、1905年に「三浦郡農会」の鈴木寿一氏により練馬ダイコンの種子が持ち込まれると、高円坊や小原などの大根と交雑が行われるように。そして25年、同会の岸亀蔵氏が「三浦ダイコン」と命名した。

 これ以降、ポスターやのぼりなどで宣伝がなされ、ブランド品として確立化が進んだ。しかし79年10月、大型台風が三浦大根を襲う。播種を終えていたこともあり、代用として関西地方を中心に栽培されていた青首大根が投入された。栽培が容易で収量が多い点、作業量減少などが生産者にマッチ。消費者のニーズにも合致した。以降数年の内に青首大根がシェアの大部分を占め、現在に至る。

 三浦大根は柔らかな肉質とみずみずしい甘み、煮崩れしづらいといった特徴があり、現在、主に正月商材として年末期に出荷されている。また、冬期には一部直売所でも販売され、足しげく通う根強いファンも存在する。2004年には三浦海岸駅前の飲食店主らでつくる「みうら江戸前倶楽部」が三浦大根を原料にした「だいこん焼酎三浦」を商品化するなど、まちおこしにも活用されてきた。

 三浦半島に根を張り100年。長い歴史の中で希少性の高い大根へ変遷してきた。

観音崎レストハウスの跡地

観音崎レストハウス跡地 小規模ホテルに再生 27年2月末の完工を視野

 県立観音崎公園内にあり、長く市民に親しまれていた憩いの場「観音崎レストハウス」(横須賀市鴨居)の跡地が店舗を含むホテルとして再生されることが分かった。開発者となる京浜急行電鉄株式会社が跡地に設置したお知らせ板によると、2025年12月1日に着工、27年2月末の完工を目指している。近隣住民への説明会も行っている。

 同施設は約60年前、海水浴場客の憩いの場として誕生した。昨年から解体され、現在は空き地になっている。

 今回、建設の対象となる敷地面積は約758平方メートル。高さ9・58mの鉄骨造2階建てで、客室7室と店舗1室を備える。北側から出入できる2台の駐車場も設備する見通しだ。店舗区画は約62平方メートルで出店形態は明らかにされていない。

本気の熱意受け止める 中学生軟式野球 新チーム発足

 横須賀を拠点に活動する中学生軟式野球の新チーム「横須賀レッズ」が11月から本格始動する。現在メンバーを募集している。

 基礎の習得に重きを置いた指導で技術力の向上を図り、中学生球児の頂点である全日本中学軟式野球大会の優勝をめざす。桐蔭学園─帝京大学硬式野球部でプレーし、指導者として19年の経験がある市内在住の高橋正和さんが監督を務める。

 少子化や教員の働き方改革などを背景に、中学校の部活動は大きな転換期を迎えている。野球についても学校単位でチームを組むことが難しい時代となっており、「本格的に打ち込みたいと考える選手の意欲を奪わない環境を用意することがこれからの野球界に必要であり、選択肢の一つとして新チームを発足させた」と高橋さん。一方で、野球一辺倒ではなく、勉学の時間や家族と過ごす時間を確保するために休日の練習時間を半日に設定。父母会を設けず保護者の関与を必要最低限にするなど、支援する側の負担軽減にも努める。大会出場に伴う遠征費の一部は、スポンサー企業を募って充当する考えだという。

 チームに関する問い合わせはメールアドレス(yokosuka.reds@gmail.com)で受付。

モアーズ周年イベント マルシェに銘店ずらり

 横須賀中央駅すぐの「横須賀モアーズシティ」は10月11日(土)、地元の銘店を集めたマルシェを初開催する。会場は同施設1階の「モアーズストリート」。

 同施設は今月、開業28周年を迎えており、記念イベントとして行う。マルシェには横須賀海軍酒保、肉のマルシン池上店、岩沢ポートリー、法塔ベーカリー、たのし屋本舗、湘南製餡の6店が出店。地元の味が一堂に集う。午前10時から午後6時。

 記念イベントとして同月4日(土)には、1階正面入り口付近を会場に、直径5m程度の囲いの中で競うストリートサッカーを初開催するほか、翌5日(日)は8階でeスポーツの体験会なども行う。同月13日(月)は、10mタイム測定を実施するなど目白押しだ。参加無料。

 詳細や問い合わせなどは、同施設のホームページ(https://yokosuka-mores.jp/)を参照する。

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還暦野球 かつての球児、今も球児 「横須賀シニアクラブ」県制覇し全国へ

 60歳以上のメンバーで編成する還暦野球チームの「横須賀シニアクラブ」は今年、還暦の部、古希の部でともに全国大会出場を決めた。2024年の選考大会で4度目のダブル優勝を遂げたことで出場権を得た。

「古希」は9月に茨城県水戸市で開かれた大会で3回戦に駒を進めたがあえなく敗退したが、「還暦」は10月10日(金)に秦野市で開幕する選手権大会に挑む。投打の主力である高野浩選手を中心に、打ち勝つスタイルで予選を突破。守備面でも、タイプの異なる4人の投手による継投が可能であるなど分厚い選手層が強みだ。両チームに共通するのは豊富な練習量。猛暑だった夏場も週2回のトレーニングを欠かさないなど、メンバーのモチベーションの高さがチーム全体の勢いに繋がっている。

多くの客でにぎわう夜市(写真は過去の開催時)

みうら夜市 フード片手に三崎を散策 灯ろうナイトウォークも

 老舗マグロ料理店をはじめ多様な飲食店がひしめく三浦市三崎下町商店街で10月4日(土)・5日(日)、17回目を数える「みうら夜市」が開催される。両日とも午後4時から9時。

 昭和の香りが残る街を幻想的に照らす「灯ろうナイトウォーク」も、昨年に引き続き同時開催。飲食店やカフェのほか、クラフトワークや雑貨などの物販店も加えた計70店舗が出店し、夜市を盛り上げる。

 今年初の試みとして、大阪万博で話題となった「ワンハンドBENTO」に着想を得て企画された「みうらワンハンドフードフェス」を実施。20の飲食店が歩きながら片手で手軽に食べられる料理やスイーツを販売し、テレビ番組の企画で三浦市に移住した元フィギュアスケーターの高橋成美さんも出店する。

 これに出店する「酒肴懐石よのすけ」のワンハンドフードは、地魚のウルメイワシや自家製の柴漬けを使った押し寿司。食べやすいように、笹の葉にくるんで提供する。

 「生魚でも酢と塩でしめているので、食べ歩きにも安心」と店主の寺尾研さん。女将の美香さんは、「店がオープンして1年目なので、みうら夜市は初出店。とても楽しみです」と話していた。

 問い合わせは三浦市観光商工課【電話】046・882・1111。

引揚船の第一船として浦賀港に入港した氷川丸

戦後の浦賀で起きた悲劇 10月4日から引揚船パネル展

 先の大戦後、引揚指定港となり、太平洋岸では最大の引き揚げ者数を数えた浦賀。当時、軍人や一般人を含めて約660万人の在外邦人がいたとされ、浦賀では約56万人を受け入れた。しかしコレラが蔓延したことにより、祖国を前に多くの命が失われた悲劇もあった。このような引揚船の史実を伝承する市民団体「中島三郎助と遊ぶ会」は10月4日(土)から7日(火)、浦賀コミュニティセンターでパネル展を開く。午前10時から午後3時(7日は正午まで)。

 同会が制作したDVDの放映や船内の様子を写した写真パネルや史料、遺品の展示などを行う。

 7日午後2時からは、第2次世界大戦で命を落とした兵士の魂が、80年ぶりに日本に還るストーリーの映画「神の島」を上映。浦賀港に引き揚げた祖父を持つ谷口広樹監督が手掛けた。死別した家族と再会する場面が浦賀で撮影されているほか、引揚船や引揚桟橋なども登場する。上演後には、谷口氏と郷土史家・山本詔一氏による特別対談もある。

 入場無料。上映会は先着200人。問合せは安齊さん【携帯電話】090・8490・6060。

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模擬店で使用した食用油を回収。右が活動を発案した牧田さん

湘南学院 廃食用油を航空燃料に 生徒会が文化祭で回収

 湘南学院高校(横須賀市佐原)の生徒会は、文化祭で回収した廃食用油を持続可能な航空燃料(SAF(サフ))に再資源化する取り組みを実施した。

 使用済みの食用油などを原料に製造されるSAFは、従来の航空燃料よりもCO2排出量を約80%削減できることで近年注目が集まっている。これをインターネットで知った生徒会副会長の牧田雛希(ひなの)さん(3年)は、「SDGsの活動にもつながる。生徒会の活動としてやってみたい」と、指導係の安達知恵教諭に提案。毎年廃棄されていた文化祭の模擬店で使用される食用油に着目し、SAFを製造する企業との打ち合わせなど1年前から準備を進めてきた。

 2日間開催された文化祭で回収された廃食用油は、容量18リットルの一斗缶とペール缶が計21個。牧田さんは「これが飛行機の燃料になるとは」と驚きながら、自身が卒業した来年以降も活動が続いて欲しいと話した。安達教諭も「きっかけを作ってくれたので継続したい」と話していた。

ヤチヨが150万円寄付 横須賀市の設備更新費用に

 食品関連事業を主力に、レトルトカレー「よこすか海軍カレー」などを手掛けている(株)ヤチヨ(鈴木孝博代表取締役)が9月26日、横須賀市役所を訪れ、150万円の寄付を行った。上地克明市長から感謝状が手渡された。

 同社の鈴木孝博代表取締役が市内のコミュニティセンターの黒板が老朽化して利用者が困っていることを知り、設備更新の寄付を申し出た。今後、5施設で新たにホワイトボードが設置される。

 鈴木代表は「地元で仕事をさせてもらっており、少しでも恩返しできればと」コメントしている。

猿島砲台(浦賀見聞誌/国文学研究資料館所蔵)

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第14回 文・写真 藤野浩章

 ビッドル来航後の海防強化策の一環として、江戸湾を守る大名の配置にも変化があった。

 これまでの川越藩、忍(おし)藩に加えて彦根藩と会津藩が加わり、三浦半島の東と北側を川越藩、南と西側を彦根藩、房総半島を忍藩と会津藩が担当。そして浦賀周辺を浦賀奉行所が守ることになった。いわゆる"御固(おかため)四家体制"だ。実際のところ彦根と会津は「家格が合わない」と不満だったようだが、「溜間詰(たまりのまづめ)」という将軍に直接意見が言える家柄だけに、重大な責任を負わせたというわけだ。

 彦根藩では後に大老となる井伊直弼(なおすけ)が不満を漏らす文書が残っているが、それでも上宮田(かみみやだ)や三崎の陣屋、安房(あわ)崎(城ヶ島)、荒崎、剣(つるぎ)崎などの台場を担当。また川越藩は観音崎周辺のほか、猿島台場も築造した。その猿島への拠点となったのが、大津陣屋。今は学校や運動公園がある広大なエリアに千人以上が住み、商業も賑わったという。しかし各藩とも自腹の進駐で、財政は相当厳しかったようだ。

 一方、浦賀奉行所には異国船の応接を専門とする「応接掛(がかり)与力」が新設される。異国船が来たときの対応をマニュアル化し、ネゴシエーター(交渉人)としての与力を据えたのだ。

 加えて、再三にわたって要望していた船の建造が始まる。大型船が必要とする老中・阿部正弘の肝いりで試作が許された「蒼隼(そうしゅん)丸」。スループと呼ばれる、西洋式の2本マストを持つ小さめの船だが、この時の中島父子と船大工棟梁・粕屋勘左衛門(かんざえもん)との絆が、後の大仕事に繋がっていく。

 そんな中、三郎助がついに正式に与力となる。28歳の時だった。