横須賀・三浦版【10月24日(金)号】
ゴールテープにに飛び込んだ「男子の部」の長島選手(右)と「女子の部」尾村選手

横須賀市中学駅伝 熱い走り、繋いだタスキ 優勝は男子「追浜」女子「大津」

 横須賀市中学校駅伝競走大会(男子第76回・女子第42回)が10月18日、国道16号 馬堀海岸直線道路をコースにして行われた。男女ともに市内24校が出場。男子は2年連続で追浜中、女子は大津中が優勝した。両校に加え、男子上位の横須賀学院、浦賀、大津と女子上位の横須賀学院、野比が11月1日(土)に横浜八景島・海の公園で開かれる県大会に出場する。

11月1日 横浜八景島で県大会

 男子コースは6区間(15・9Km)、女子コースは5区間(11・54Km)で競われた。

 男子は各校のエース級が集まる1区で追浜、大津、常葉が激しい競り合いを演じ、2区で追浜が抜け出すとその後は独走状態をキープ。最終区で区間タイ記録の走りで猛追する横須賀学院の石角直瑛選手(3年)を振り切り、長島煉選手(3年)がゴールテープに飛び込んだ。

 キャプテンで1区を務めた石川誠修選手(3年)は、「先行逃げ切りの戦略通りのタスキリレーができた」と満足げな表情を浮かべながらメンバーを称えた。

 今年度から部活動は活動日と時間に制限が設けられるようになったが、「タイトなスケジュールの中で練習密度を高めた。朝の時間帯は各自の判断で自主練習。主体性を持つことが成長につながった」と石川選手。昨年に続き挑む県大会は「10位以内をめざす」と力を込めた。

 女子は大津の1年生エース、角田結愛選手が序盤から飛び出し、2位に33秒差をつける圧巻の走りを見せた。後続の選手も順位をキープしながら優位にレースを運んだ最終区。果敢に追い上げる横須賀学院の海野初音選手(3年)を尾村庵樹選手(3年)が意地の走りでかわして優勝を決めた。

 キャプテンの服部美海選手(3年)は「練習時のタイム順に出走メンバーを決めて逃げ切る戦法がハマった」とレースを総括。「現地を何度も走る事ができる地の利も優位に働いた」と顔を上気させて喜びを語った。
写真はイメージ

横須賀こころの電話 「厳しい運営」維持困難 物価上昇で膨らむ事業費

 心に不安や悩みを抱える人の相談を受ける電話ボランティア「横須賀こころの電話」の運営が岐路に立たされている。横須賀市からの委託を受けて365日、年中無休で対応しているが、昨今の物価や職員人件費の上昇などにより維持運営が困難な状況となっている。その一方で、横須賀市が生成AIを活用した傾聴相談サービスの実証実験に着手したこともあり、自動化できる業務と人が担うべき業務との線引きも進みそうだ。

 「横須賀こころの電話」は、2000年代はじめに市内の自殺者数が高い水準で推移したことを受け、自殺予防の必要性を訴えた藤野英明市議の提案で設立された。運営はNPO法人横須賀こころの電話に委託され、以来20年超の実績がある。

 活動は約50人の市民ボランティアが支えており、現在は平日の夕方から深夜、休日は朝から深夜まで無料で電話相談に応じている。年間5千件にのぼる相談内容は「寂しいから話を聞いてほしい」というものから、家族や職場での人間関係の悩みなど多岐にわたる。近年の傾向として、SNSでの誹謗中傷で傷つき、心の救いを求めてくる若者が増えているという。

 運営状況の悪化は近年の物価や人件費の高騰によるものだ。「収益源を持たず、市の委託費は開設当初からほとんど変わっていない」と同法人の中島直行理事長。認定NPO法人ではないことから、寄付をしても税制上の優遇措置がないため集まりにくいという構造的な問題も抱えている。

 現在は窮状を訴える呼びかけをホームページに掲載。1口1千円の賛助会員を募っている。苦しい状況を打開するためにグッズを制作して販売することなども検討。事業運営を安定化させ、自殺防止をはじめとする市民の心の健康づくりに寄与していく考えだ。

 今後はAIによる相談の進化が予想されるが、中島理事長は「デジタル技術に馴染めない人や解決ではなく『人間同士の対話』を求める人は一定数存在する。そうした人たちの受け皿になっていく」と思いを語った。

AI活用の傾聴相談

 行政サービスのDX化を推進している横須賀市は、AI技術を用いた悩み相談に特化した傾聴サービスの実証実験に乗り出した。この分野で高い技術力を持つ民間会社の「ZIAI」社と10月9日に連携協定を締結。24時間365日いつでも相談可能な体制を整えるほか、英語対応をできるようにする。自治体が取り組む傾聴相談の多言語化は全国初。待ち時間なしで受け答えできる点もメリットとしている。

 相談への回答は臨床心理士や言語学者等が監修し、必要に応じて職員によるサポートへとつなげる仕組みを設ける。子育ての悩みを抱える育児世代や児童や生徒などの利用も想定。市は相談データを蓄積することで埋もれがちな市民ニーズを可視化させていく。横須賀市LINE公式アカウントの中に相談メニューが追加され、誰でも利用できる。実証は12月まで。

横須賀市医師会会長で、成人用ワクチン手帳配布に取り組む 高宮 光さん 横須賀市根岸町在住 70歳

”積極的医師会”を体現す

 ○…成人用ワクチン手帳の取り組みを横須賀で導入した。母子手帳で管理される子どもと違い、大人はそれがない。とりわけ高齢者は、一度病に罹ると重症化したり、生死に直結したりする疾病も多い。「まずは病気にならないことが重要。そのために、どんなワクチンがあるのか。それだけでも知ってもらえれば」。市民の健康増進のため、市に要望を重ね実現に至った。

 ○…根岸町にある「高宮小児科」を開院して34年になる。「父を少しでも助けたい」。医師としての歩みは、そんな思いから始まった。父は市内で小児科医として40年超にわたり白衣をまとった。休日はもちろん、元旦も休まない。まさに365日1日も欠かさず朝から晩まで患者と向き合う。その傍ら研究にも余念がない。そんな背中を見て育ち、「すべてを犠牲にする父の姿に、尊敬の念を抱かずにはいられなかった」。だからこそ自らも小児科医に。父から”誠意ある診療”を受け継ぎ、モットーに掲げている。

 ○…会長職や診察業務と、「なかなか休めないね」と忙殺される。そんな日々だが、週に1度、娘と二診体制を敷くといい、「やっぱり一緒に仕事ができるのはうれしい」と頬が緩む瞬間だ。

 ○…顧問を務める横須賀市救急医療センターでは、病院への搬送患者を減らす「1・5次救急」の確立に手ごたえを感じている。今年6月に就任した医師会会長としては会から必要な情報を市民に届ける「積極的医師会」を掲げる。ワクチン手帳はその第1弾だ。「病気啓発動画を市民に配信する取り組みや、その次も構想中」。患者や市民と誠実に向き合い、地域医療発展に向け、不断の努力を欠かさない。目標とする父がそうであったように。

映画『夢みる小学校 完結編』 テストも通知表もない 先進教育を長期視点で追跡

 社会性やメッセージ性のある良質なドキュメンタリー映画を届ける市民グループ「16ミリ試写室」は11月14日(金)、宿題やテスト、通知表はおろか、「先生」という呼称さえないユニークな教育を実践している小学校を舞台にした映画『夢みる小学校 完結編』=作品画像=の上映会を開く。

 2022年に公開され大きな反響を呼んだ作品。既存の教育の枠に捉われない先進的かつ個性的な取り組みを行う複数の学校を紹介している。

 完結編は、同作の公開から3年後の子どもたちを追加取材して長期的な視点で再編集したもの。成長して中学生となった生徒の姿を伝える。「子どもファースト」の考えに基づく教育の実践が、子どもたちの成長にどんな影響を与えているのかを脳科学者の茂木健一郎氏や教育評論家の尾木直樹氏といった専門家も出演して解説を加えている。多様性が求められる現代の教育のあり方について一石を投じる。

 上映後に作品を手掛けたオオタ ヴィン監督のビデオメッセージもある。

 会場は横須賀市文化会館大ホール(深田台50)。時間は午前10時30分と午後1時50分。チケットは全席自由で一般1200円(前売り1000円)、高校生以下無料。販売は同会館ほか。問い合わせは【携帯電話】090・2901・0862。

仮装をばっちり決めて表彰を受けたチームがステージに。最優秀賞は「サザエさん」一家。右から2番目が川村さん

「みうら観光大使」川村さん ぜんぶ自前で企画  故郷に恩返しのイベント

 三浦市小網代出身で「みうら観光大使」を務めるお笑い芸人、たんぽぽの川村エミコさんがプロデュースするイベント「ホワイトハロウィン」が10月18日、三崎のうらりマルシェで開かれた。

 ハロウィンといえば「かぼちゃ」だが、三浦の特産品のダイコンを全面に打ち出し、会場内にダイコンを模ったオブジェやジャック・オー・ランタンが置かれた。

 仮装姿でステージを歩く企画には23組が出演、ユニークなコスチュームで客席を沸かせた。ゲストで登場した出口嘉一三浦市長は、最優秀賞に「サザエさん」一家に扮したチームを選んだ。

 夏頃に今回のアイデアが思い浮かび、自ら会場予約の電話を入れたという川村さん。ステージではマイクを握って司会を務め、自身が作詞を手掛けた歌を披露。親交のある芸人の出演交渉も行い、会場装飾などDIYでイベントを作り上げた。この日の来場者は約300人。企画をブラッシュアップして来年も実施するという。

不断寺で「お十夜」

 浄土宗不断寺(横須賀市長井5の1の1)で10月25日(土)・26日(日)の両日、十夜法要、通称「お十夜」が開かれる。同寺で100年ほど前から続くとされる催しで、2日間を通して、100軒近い屋台が境内と周辺にずらりと並ぶ。

 お十夜は浄土宗寺院で行われる秋の念仏行事。元々は旧暦の10月5日の夜から15日の朝まで、十日十夜にわたって念仏を唱える法要だった。

 25日午後3時からは、10種の玉を組み合わせてオリジナルの「腕輪念珠」を作るワークショップ(1500円/予約不要)、午後5時からは同寺住職による法話などがある。26日は、午後3時30分から住職・副住職とともに稚児が練り歩く行列、午後4時・7時から他寺院の住職とともに、華やかな十夜法要が行われる。各行事、檀家に限らず誰でも参加可能。

 詳細は同寺【電話】046・856・2352。

コーヒーイベントの仕掛け人、野口量司さんらをゲストに迎えた10月20日の配信。左が金子さん

YouTubeライブ配信 横須賀愛を語る”秘密基地” 金子さんがチャンネル立ち上げ

「横須賀の好きなところは何ですか」「市内で女子が一人飲みできる居酒屋は」--。ここは横須賀の情報をYouTubeで生配信し、語り合う「いろはのおでこスタジオ」(横須賀市上町)。4帖半ほどの一室、スマートフォンを用いて配信が行われ、リアルタイムで視聴者も巻き込みながら横須賀を語っている。

 同スペースは、上町在住の金子初音さんが今年9月に立ち上げたスタジオ。「横須賀をポジティブに語る」をルールに、コミュニティー放送局「FMブルー湘南」でパーソナリティも務めている金子さんが進行。NPO法人の理事長や地域情報紙の元記者、イベントの仕掛け人など、地域で活動するゲストと語り合う。テーマはゲストの「知りたいこと」。これを視聴者に投げかけ、出演者と視聴者の双方向的な意思疎通が図れる構成を目指している。

 金子さんは以前から別のチャンネルでYouTube活動をしていた。そこで得た、視聴者から即時反応がある利点と、横須賀を発信する人が少ない現状に目をつけ、今年6月頃からチャンネルの開設を構想。賃貸物件の2階部分をDIYでスタジオにすると、9月には配信を開始。以来、約1時間の配信を第8回まで重ねている。

 チャンネル登録者数やコメント数は伸び悩んでいるといい、視聴者層も市外が大半だ。だが、「まずは、横須賀市民がYouTube上で地域の情報を得たり、コメントしたりする土壌を作れれば」と前を向く。

誰かの動画発信拠点に

 同チャンネルでは、横須賀や三浦半島にまつわる写真映えスポット紹介などを行う縦型ショート動画も更新中。投稿量を増やし、拡散力を身に着け、「いずれは、面白い動画を持っているが発信の場がない人々のためのプラットフォームにもなれば」と展望を話す。

 登録者数1千人と収益化を目下の目標に掲げる。「横須賀の人が何か知りたい時に見てもらえるチャンネルにしたい」。詳細は「いろはのおでこスタジオ」で検索。

1943年当時の祖父。この年に横須賀警備隊に赴任し、第二海堡で砲台長を務めた。撮影者は海軍特別報道班員で、戦後も写真家として活躍した真継不二夫さん。訓練中の様子を撮影に来た際に撮ってもらったという

「横須賀空襲」迎撃を指揮した祖父 手記からたどる決戦の風景

 終戦から80年の節目にあたり、政治やメディアなどあらゆる場で先の大戦に関する話題が取り上げられている。教育現場でも当時の記録を振り返る機会が設けられる中、我が家では小学6年生の娘が夏休みの自由研究として、彼女が生まれる前に他界した曾祖父の戦争をテーマに調べていた。そんな娘を手助けしようと、記者にとっては母方の祖父にあたり、旧日本海軍の軍人だった服部和彦(1919─2009)が遺した戦中の記録を綴った手記を読んでいたところ、横須賀空襲の迎撃に深く関わっていたことを知った。そんな折、横須賀・三浦編集室へ異動することになり、運命的なものを感じて祖父の足跡をたどってみることにした。(下村大輔) 

 大正時代の男性の平均身長が約160cmとされる中、178cmの長身だった祖父は運動神経抜群で、慶応義塾大学では体育会ホッケー部に所属。「法学部卒というより、ホッケー部卒という方が適切」と生前に冗談まじりに語っていたほど、一年の半分以上は練習に明け暮れる毎日だったそうだ。

 映画や麻雀を楽しんだり、銀座の街に繰り出す級友たちをうらやましく眺めながらも、猛練習の甲斐あってホッケー部ではレギュラーの座を勝ち取り、全日本選手権優勝に貢献。そんな活躍が認められて日本代表候補にも選出され、1940年に開催が予定されていた東京五輪に出場するはずだった。しかし、日中戦争勃発などの影響から大会は中止に。檜舞台を踏む機会は訪れることがなかった。

繰り上げ卒業し海軍へ

 日中戦争が長期化する中、41年12月には太平洋戦争が開戦。真珠湾への奇襲作戦成功を知らせるラジオ放送を大学近くの碁会所で聞いたという祖父は、「『いよいよ始まったか』という程度で、碁会所の中もきわめて冷静だった」と振り返っている。

 ホッケー部のリーグ戦が終わり、本来であれば束の間の休息を楽しむ予定だった42年秋、勅令により半年間繰り上げて大学を卒業した。限られた学生生活が戦争により突然終止符を打たれることになったが、「五体満足なかぎり卒業すればすぐ兵隊。戦う者はわれわれの世代しかなく、誠に当然のことと受け止めていた」と海軍を志願。予備学生の採用試験に合格し、卒業からわずか4日後の9月30日に旧日本海軍へ入隊した。

 祖父が遺した手記のタイトルは『はるかなり、わが青春』。明るい性格で仲間を大切にしていたことからも、生まれる時代さえ違っていれば、手記の内容は全日本選手権4連覇を果たしたホッケー部の八面六臂の活躍や、級友とのかけがえのない思い出話であふれていたに違いない。

息抜きに演芸大会

 予備学生とは、旧日本海軍に設けられた将校を養成する制度。受験対象は大学や高等専門学校の卒業生で、超難関とされる採用試験に合格すれば一年の訓練を経て少尉に任官されるものだった。

 狭き門を突破し、祖父とともに「第二期海軍兵科予備学生」として採用された学生は555人。約一年かけ、台湾の海軍航空隊で基礎教育、館山海軍砲術学校(千葉県)で術科課程を受ける。

 機銃訓練や野外演習などスケジュールがぎっしり組まれ、肉体的にも精神的にも厳しい毎日。その合間には、息抜きとして歌謡曲や落語、ものまねなどを披露しあう演芸大会などが開かれて盛り上がったと手記に記されている。

配属は横須賀海軍警備隊

 全課程を終えて発表される卒業後の配属先は、予備学生たちにとって最大の関心事。希望を事前に提出する際、祖父は「一身を犠牲にしても悔いはない」と、書面には敵と接する「第一線」と記した。祖父の父が総督府の官僚であったことから台湾で生まれ育った生い立ちもあり、特に南方を希望したという。

 迎えた配属先の発表日。予備学生全員が集められて次々と配属先を命じられ、「そのたびに声にならないどよめきが、さざなみのように広がった」。激戦が続く外地に送られる者が多数を占める中、祖父が命じられたのは「横須賀海軍警備隊」。腎臓に持病があったことに加え、入学してくる第三期予備学生の教官を任せようということが、内地勤務を命じられた理由だった。

 それから、購入したばかりの真新しい日本刀を手に、颯爽と北や南へ散っていく同期生たちを見送った祖父。その4日後、祖父がいつも連れ立っていた仲間の戦死の知らせが届いた。死地に赴くことにも「お先に行くぜ」と悲壮感なく出征していく同期生が多いなか、彼だけは「俺は死にたくないなぁ」と祖父に漏らしていたという。その後、終戦までに555人中106人が戦地で命を落とした。

第二海堡で排球

 43年8月、東京湾に浮かぶ人工島「第二海堡」の防空砲台長に就任。部隊の編制や教育訓練計画の実施、新設された砲座へ高角砲を据え付ける作業などの任務で忙しい日々を過ごした。

 第二海堡は横須賀鎮守府(現在のアメリカ海軍横須賀基地内の司令部庁舎)から近いものの上官が訪れることはなく、自身について「お山の大将ならぬ小島の大将だった」という。

 母校の排球部からボールを分けてもらい、訓練後の「別科」として排球(バレーボール)に興じたり、爆薬を海に放り込むと浮かんでくるクロダイを捕まえて酒の肴にするなど、のどかな日常もあった。日々厳しい訓練も重ねていたが、「ここまで敵機が侵攻してくるようになれば、我が国もおしまいだ」と考えていたそうだ。

 第二海堡で3カ月の勤務を終えると、館山海軍砲術学校の分隊長を経て、45年7月に再び横須賀に転任。いよいよ戦局が悪化する中で大きな編成替えがあり、手記によれば祖父は小原台・第二海堡・猿島・野島崎・金沢文庫の砲台を指揮下に置く第二高角大隊長に任命された※。

※注釈:横須賀海軍警備隊戦闘詳報には、小原台・第二海堡・猿島の各砲台は第五高角大隊の指揮下と記されている

荒ぶる横須賀の軍港

 それからまもない7月18日昼前、横須賀市内に空襲警報が発令。午後3時30分頃から、約250機の米軍艦載機により空襲が始まった。いわゆる”横須賀空襲”だ。

 防空指揮所の発令を受け、横須賀市が俯瞰できる金沢文庫周辺の高台にある砲台で指揮をとっていた祖父は、傘下の砲台へ「対空戦闘」を指示。辺りにはラッパの勇壮な音色が響き、張り詰める緊張感。手記には「機動部隊から発進した数百の敵艦載機で、大型双眼鏡の中が真っ黒になるほどだった」とある。

 敵の狙いは横須賀軍港に停泊する戦艦「長門」。第一・第三高角大隊の対空砲火をくぐり抜け、横須賀上空でひらりと身を翻して長門を攻撃する艦載機。もはや個々の敵機に狙いを定める余裕はなく、大量の弾丸を撃ちまくる弾幕射撃で対応するしかなかった。

 第二高角大隊では、横浜方面から低空で侵入してきた2機を野島崎砲台の射撃により撃墜。しかし、約40分間の空襲で長門以外にも駆逐艦や潜水艦など多くの船が損傷したほか、軍と民間人で50人以上が犠牲となった。海面には木片やドラム缶が漂い、大量の魚が白い腹を見せて浮き上がっていたという。

 祖父を含む海軍の士官たちが横須賀鎮守府に集められ、玉音放送を聴いたのはそれから約一カ月後のことだった。

戦う理由は家族のため

 終戦後は生命保険会社に勤め、退職後に新たな趣味として船釣りに出かけていた。よく利用していたのが、新安浦港を拠点とする釣り船「こうゆう丸」。猿島や第二海堡など、かつて命をかけて戦った場所を眺めながら釣り糸を垂れるのを楽しんでいた。戦争について自ら語ることはなかったが、酒を飲んで気分が良くなると軍歌を口ずさんでいたことを思い出す。

 大学生活をアメリカで過ごした記者は、アメリカの人や文化の魅力について祖父に話すことがよくあった。「そうか」と耳を傾けてくれていたが、かつての敵国について内心ではどう思っていたのか。気になって尋ねた時の祖父の言葉が、脳裏に焼き付いている。

 「アメリカが憎くて戦ったのではない。ただ、家族を守らなければならない一心だった」

左から上野会長、今井専務理事、黒田社長

魚貝の安定供給を支援 神奈川トヨタ商事ほか

 神奈川トヨタ商事(株)(横浜市神奈川区・黒田圭次郎代表取締役社長)と神奈川ハマタイヤ(株)(横浜市旭区)は10月15日、(公財)神奈川県栽培漁業協会(三浦市三崎町)に活動支援金として15万円を、2社を傘下に置く(株)KTグループの上野健彦代表取締役会長も個人で支援金を贈った。

 同協会は水産資源の維持増大を目的に、マダイやアワビなどの水産生物から採卵して稚魚や稚貝に育て、東京湾や相模湾へ放流する活動を行っている。プレジャーボートの販売を主要事業としている2社では、同協会の活動を支援するために2015年から毎年寄付を続けている。

 黒田代表取締役は、「プレジャーボートの主な利用者は釣り愛好家。釣りは魚があってこそ」と支援の理由を話す。また、同協会の今井利為専務理事は「水産物の増産につながる活動に応援いただき、大変ありがたい」と感謝した。

ナビゲーター養成講座 「マグロの街」ルーツ学ぶ 新観光ツアー造成に向け

 三浦市を代表するご当地グルメといえば、誰もが認める「三崎マグロ」。その背景には、全国有数の水揚げ量を誇る三崎港の歴史と長年にわたる情報発信の努力がある。

 では、もう一歩踏み込んで、なぜ三崎にマグロが水揚げされるようになったのか? その歴史的経緯や担ってきた役割を深掘りし、観光資源としてのマグロをさらに磨き上げるプロジェクトを三浦市観光協会が始動させる。マグロの消費量が一気に広がった江戸時代を振り出しとする「マグロの街」のルーツを解き明かし、これまでとは違った角度で新たな観光ツアーなどのコンテンツを造成していく。

 実現に向けて同協会では、来訪者をおもてなししながら”三浦ファン”を増やすナビゲーターの養成講座を開講する。三浦・三崎の各地にある江戸時代の痕跡をたどりながら、三崎のマグロが名物となっていった変遷などを学んでツアーの盛り上げ役を務めてもらう。

講座で得た知識を活用して「プロガイド」として活躍する道も用意している。三浦市民以外の参加も可能だ。

 講座は11月23日(日)を皮切りに来年1月17日(土)まで全5回(11月23日・29日(土)、12月6日(土)・21日(日)、1月17日/時間は各日で異なる)。(一社)広域観光ガイドサービスとみうらガイド協会のスタッフが講師を務める。場所は三浦市民交流センター「ニナイテ」(初声町下宮田5の16/ベイシア三浦店2階)、三崎下町ほか。座学とフィールドワークがある。参加無料。モニターツアーのみ参加費1千円。定員15人。申し込み・問い合わせは三浦市交流センター ニナイテ【電話】046・845・9919。

陸から眺める日米基地 ウォーキングで実態把握

 長浦港から横須賀本港に至る米海軍基地と海上自衛隊横須賀基地を陸から眺めながら歩く「横須賀基地ウォッチング」が11月8日(土)、カトリック横須賀三笠教会の主催で開かれる。

 現地の状態を把握して基地問題を考えるきっかけにする。「原子力空母母港化の是非を問う住民運動を成功させる会」の呉東正彦さんと「非核市民宣言運動・ヨコスカ/ヨコスカ平和船団」の新倉裕史さんが案内役を務める。

 午後1時にJR田浦駅改札口集合、3時にヴェルニー公園で解散予定。荒天中止、雨天決行で申し込み不要。問い合わせは三笠教会【電話】046・823・0042。

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昨年開催時の様子(追浜行政センター提供)

追浜で「ワイワイ!」 お笑いライブやマルシェ

 追浜観光協会主催の「ワイ!フェスタおっぱま」が10月26日(日)、夏島グラウンドで開かれる。午前10時から午後5時。

 ステージでは、お笑いタレントのイシバシハザマ、ガリットチュウ、ですよ。、スギちゃんらが登場するほか、戦隊ヒーローショーやダンス、音楽などの催しも。また、昨年に引き続き全高9m超「機動警察パトレイバー」の実物大モデルが立ち上がる。

 そのほか、マルシェや日産自動車(株)追浜工場による抽選会、警察・消防車両の展示などもある。

 入場無料。北消防署追浜出張所近辺から無料シャトルバスあり。問合せは同会事務局【電話】046・865・1111。

コーチ役を務めた柿谷さん(左)と岩本さん

”天才”の足技間近に  ウスイホームがサッカー教室

 不動産会社のウスイホーム(株)は10月19日、元サッカー日本代表の柿谷曜一朗さんと岩本輝雄さんを迎え、横浜市中区のフットサル場でサッカー教室を開いた。同社の地域貢献活動の一環。「ジーニアス”柿谷曜一朗”を体感しよう」と題し、現役時代に天才的なプレーの数々を披露した柿谷さんの足技を間近に触れる機会を提供した。

 横浜市内のサッカーチームに所属する小学生約50人が参加。ボールタッチやパス、ドリブルの基本技術からはじまり、柿谷さんと岩本さんも混じってミニゲームを展開。巧みな足さばきの元プロ選手を相手に子どもたちが果敢に食い下がり、ゴールをめざした。

 同社では、地域のスポーツ・文化振興の支援や企業の社会責任としてSDGsの取り組みを進めている。 

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浦賀奉行所の模型(浦賀コミュニティセンター分館蔵)

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第17回 文・写真 藤野浩章

 火災で焼失してしまった蒼隼(そうしゅん)丸に代わる船を造るにあたって、栗原村(現・座間市)の豪商・大矢弥市(やいち)が費用を出したが、彼が奉行所に申し出たのはそれだけではなかった。非常時のための備蓄米「御囲米(おかこいまい)」と、そのための蔵の建築費用も寄付したというのだ。

 幕府財政難という状況で、これはありがたい申し出だ。奉行所は「奇特な者」として弥市に武士の身分を与え、御囲米の管理も任せたという。"奇特な"という表現は現代の意味でなく"前例のない善行、褒められるべきことを行った人"という意味。もちろん、弥市に商売上の便宜を求める意図もあったろう。あるいは浦賀にやって来た直後だったから仲間入りの挨拶代わり、ということだったのかもしれない。しかし栗原村の名主(なぬし)として教育熱心で、変化する世に対応できる人物を育てるために「誠志(せいし)館」という郷(ごう)学校を開こうとしていた事からも、篤志家(とくしか)としての一面の方が大きかったのだろう。

 一方、浦賀奉行所は単に幕府の役人という立場だけでなく、商人や船大工、農民などさまざまな層と日常的にコミュニケーションを取り、商いや暮らしを見守る立場だったのだ。弥市のように、ピンチに助けられる事も多々あったろう。他の役人よりも、町の人々との距離は格段に近かったのかもしれない。

 だからこそ三郎助は、生まれ育ち、守る立場になった浦賀を最後まで愛したし、町の人々や仲間に愛される存在だったのだろう。

 そしていよいよ、その時がやって来る。日本の歴史に重大な影響を与えたペリーの来航は、事前に予告されたものだったのだ。