横須賀・三浦 もうひとりのラストサムライコラム
公開日:2025.10.24
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第17回 文・写真 藤野浩章
火災で焼失してしまった蒼隼(そうしゅん)丸に代わる船を造るにあたって、栗原村(現・座間市)の豪商・大矢弥市(やいち)が費用を出したが、彼が奉行所に申し出たのはそれだけではなかった。非常時のための備蓄米「御囲米(おかこいまい)」と、そのための蔵の建築費用も寄付したというのだ。
幕府財政難という状況で、これはありがたい申し出だ。奉行所は「奇特な者」として弥市に武士の身分を与え、御囲米の管理も任せたという。"奇特な"という表現は現代の意味でなく"前例のない善行、褒められるべきことを行った人"という意味。もちろん、弥市に商売上の便宜を求める意図もあったろう。あるいは浦賀にやって来た直後だったから仲間入りの挨拶代わり、ということだったのかもしれない。しかし栗原村の名主(なぬし)として教育熱心で、変化する世に対応できる人物を育てるために「誠志(せいし)館」という郷(ごう)学校を開こうとしていた事からも、篤志家(とくしか)としての一面の方が大きかったのだろう。
一方、浦賀奉行所は単に幕府の役人という立場だけでなく、商人や船大工、農民などさまざまな層と日常的にコミュニケーションを取り、商いや暮らしを見守る立場だったのだ。弥市のように、ピンチに助けられる事も多々あったろう。他の役人よりも、町の人々との距離は格段に近かったのかもしれない。
だからこそ三郎助は、生まれ育ち、守る立場になった浦賀を最後まで愛したし、町の人々や仲間に愛される存在だったのだろう。
そしていよいよ、その時がやって来る。日本の歴史に重大な影響を与えたペリーの来航は、事前に予告されたものだったのだ。
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