町田版【10月30日(木)号】
受賞したケーキを紹介する浅倉さん=上=、細かな装飾がほどこされた受賞作品

忠生・洋菓子店浅倉さん 「細かな装飾」で高評価 今月、ケーキコンテストで

忠生の洋菓子店スイーツガーデン・バニラシュガーのパティシエ、浅倉彩さんが今月、洋菓子コンテスト「ジャパン・ケーキショー東京」のデコレーションケーキ部門(バタークリーム仕上げ)で最高評価に次ぐ「大会会長賞」を受賞した。「明るくかわいい」を細かな装飾で表現。高い支持が集まった。

ジャパン・ケーキショー東京は日本最大級の洋菓子コンテストで、今回は全国からおよそ1450点にのぼる作品が出展。審査は今月、デコレーションケーキのほか、工芸菓子やギフト菓子などの部門別に行われた。浅倉さんの作品は「イースター」をテーマに明るくかわいいを細かな装飾で表現したもので、過去何度も挑戦してきたなか、自身の作品が他と比べてさみしい印象をもつことが少なくなかったことから、「今回はやりすぎと思うほど、はなやかな仕上がりにした」という。

最高評価に次ぐ「大会会長賞」の受賞に浅倉さんは「周囲の支援があり得ることができた。ただ、20年前からこのコンテストの最高評価を狙ってきたので、今回も届かず悔しさもある。来年以降も挑戦を続けていきたい」と話している。

他にも

今回のジャパン・ケーキショーでは町田市内の洋菓子店や企業に勤めるパティシエなども評価を受けた。

その一人、原町田・洋菓子店「パティスリー アンカド」の田中晴香さんはギフト菓子部門に、国産の落花生を使用した焼き菓子を出展。落花生の風味が生きた作品は評価を受け、大会会長賞に次ぐ、金賞を受賞した。

田中さんは「味とクオリティーが評価される部門で結果を出すことができてうれしい」と話している。
新キャラクター「ゆず娘」(左)と今年発売の「ゆずはちみつ」を持つ足立次長

JA町田 ユズ製品を「名産品に」 商品開発進め、キャラでPRも

JA町田市がユズ製品を一押し商品として売り出している。PRのためのキャラクターを今年度誕生させ、新商品の販売も開始。ユズ製品を町田の名産品の1つに育てていきたい考えだ。

JA町田のユズ商品の開発はおよそ10年に及ぶ。加工から販売までを手がける6次産業化商品として手がけるようになり、2019年にはプライベートブランドとしてこんにゃくゼリーにした商品を発表。今年度はスイーツや、はちみつと組み合わせた新商品の販売を開始し、ユズ商品PRのため、キャラクターを誕生させた。それら商品の一部は先ごろ発表された市内の名産品が並ぶ「まちだ名産品」に認定され、商品開発を担当するJA町田市経済部次長の足立正文さんは「名産品の少ない町田の名物の1つになればと考えている。出荷する農家の所得向上につながるようにしていきたい」と話す。

「もったいない」

JA町田がユズ商品を手がけるきっかけになったのは、市内で植木の生産・販売を手掛ける横田竜雄さんからの相談だった。「寒さに強く育てやすいため、市内のどこの農家でも育てられていることが多い」というユズ。10年以上前、横田さんの農園で販売用に育てていたユズの木が大きくなり、大量の実をつけるようになったものの、「トラック1台分くらいのユズを捨てていた。もったいないと思い、JAに相談した」と横田さんは振り返る。その際はJAに紹介してもらった市内事業者と商品開発を進め、ゆずリキュールやゆずポン酢を開発。軌道に乗るとユズ商品に対して注目が集まったという。

JA町田がPRを強化するなか、発起人である横田さん自身も、ユズ商品に対して手応えを感じている。「こんにゃくゼリーのような思いがけない商品が出てきてうれしい。JAの商品はユズの香りが高く、自分のユズが使われていると思うと喜びもひとしお」と笑顔。一方で、「ユズの木には釘のような鋭いトゲがあり、取るのは本当に大変。生産者の高齢化による担い手不足という課題もある」と横田さん。今後はトゲの少ない品種のものを採用したり、市民が参加できる『ゆずもぎ取り体験農園』のような場所をつくるなど、みんなに知ってもらう取り組みを進めていってもらいたい」と期待を寄せている。

市内で販売

JAでは、これらのユズ加工品を、市内の農産物直売所「アグリハウス」各店で販売している。また、11月8日(土)・9日(日)の「キラリ☆まちだ祭」(町田シバヒロ)の農業祭や、11月14日(金)・15日(土)の「収獲感謝市」(鶴川、忠生、南、堺の各支店)では、商品の販売や試食会も予定している(実施内容は各支店により異なる)。

足立さんは「アグリハウスは組合員でなくても誰でも利用できる。町田のユズは酸味が強すぎず食べやすいのが特徴。イベントや直売所で、その魅力を知っていただければ。今度も商品化を進めていきたい」と話している。

玉川大学の学長を務める 小原 一仁さん 町田市在住 46歳

「本当の自分」立ち向かう

 ○…就任して2年目。より多くの学生に通ってもらうには、と頭を悩ませる毎日を送る。大学内各所の声に耳を傾け、改善について議論。その魅力を高めるための取り組みを進める。最終決定者として孤立するトップもいるなか、周囲と腹を割って話せる腰の低さが強み。「元々、お調子者。誰とも仲良くできると思っている。みんなで一緒に大学を良くしていきたい」と笑う。

 ○…大学を運営する学園創立者一族の家に生まれた。関連する学校に通い学びを得るなか、自分が特別な存在と意識させられるように。友だちにいじられると愛想笑いを浮かべつつも内心は複雑な思いに包まれ、芽生えたのが反骨心。「『本当の自分』を行動から評価してほしいと思っていた。勉強などに打ち込む力になったのも事実」。アニメなどで興味をもつのは日の目を見ない敵役。不利な状況でも立ち向かう姿に惹かれてきた。

 ○…ひと息抜けるのが家族との時間だ。2人の娘と行うTVゲームはいつも勝った負けたで白熱。心からはしゃげるひと時になっている。一方で、思考整理の場になっているのが妻との会話。思うまま吐き出す言葉を受けてもらうことで自身の考えがまとまっていく。小中学生の子どもをもつ母親としての意見は学校運営のヒントにもつながり、家族には感謝の気持ちしかない。

 ○…大学を含めた学園を永久的に残すことを使命とする。そのために必要と思うのが団結力。職員、教員みんなが一丸となれば、体制が崩れることはないという考えだ。他に率いる力のある人がいるのであれば快く席をゆずる気持ちだが、「私以上に覚悟をもっている人はいないと思う」。本当の自分の力が試される時。果敢に立ち向かうつもりだ。

福祉と経済の橋渡し 社協 新会長に深澤氏

 町田市社会福祉協議会の新会長に先ごろ、町田商工会議所の会頭などを歴任した深澤勝氏=写真=が就任した。経済団体出身の会長就任は初。前任の鈴木忠会長が商工会議所の会頭経験者として声をかけ、理事を経て就任が決まった。

 深澤氏は、福祉分野については自身を「素人」と話し、現在は市内のサポートセンターなどの現場に足を運び、社協の幅広い事業について学んでいるという。また自身の役割を、これまで接点が少なかった経済界と社協との「足掛け役」と位置づけ、市内に約1万社ある事業所や、障害者雇用に取り組む企業等に社協の活動を知ってもらうきっかけづくりを担いたい考えという。「企業や個人が社会貢献するのが当然の時代。経済界と福祉の架け橋となる会長がいても良いと考え、引き受けた」と話す。当面の目標は、経済界と福祉の連携を深め、推進すること。「地道に地に足をつけた活動で、支援の輪を広げたい。社協の活動に関心を持ち、接点を持っていただけたら」と呼びかけた。

 深澤氏は町田市を中心に土地開発や建売分譲などを手がける株式会社創建の代表取締役社長。商工会議所の会頭など、長年にわたり経済界で要職を歴任してきた。

全国特別支援学校フットサル大会 日本ライオンズ主催で自立性育む競技開催

 東京都調布市にある京王アリーナTOKYOで11月1日(土)午前9時から、「第4回 全国特別支援学校フットサル大会」が行われる。

 全国12の地区大会を勝ち抜いた特別支援学校が頂点を目指す同大会。奉仕活動に励む全国のライオンズクラブで組織される(公財)日本ライオンズ(小野寺眞悟理事長)主催で、スポーツ庁などと連携して開催しており、今回は近隣クラブが運営に携わっている。

 日頃の成果披露に加え社会性や就労意欲の向上も目的の同大会。主体性を促すため、監督やコーチは試合中の指示が禁止されるなどユニークな規定も見どころ。大会は観戦自由。詳細は日本ライオンズHPで確認を。
町田の歴史を振り返る井上さん

戦争から復興、発展 昭和100年インタビュー いかに町田ができたのか 東京町田学園理事長 井上博行さん

今年は1926年に昭和が始まって100年に当たる年。この間日本は、戦争、高度経済成長、バブル、高齢化社会への突入と変化を遂げてきた。そして、町田も例外ではない。

どのように街が出来上がったのか、長く街を見続けてきた学校法人東京町田学園理事長の井上博行さんに話を聞いた。

戦禍は限定的

井上さんは1940年、木曽町の農家に生まれた。周辺一帯は全て田んぼ。井戸で水を汲み、娯楽の中心はラジオといわゆる田舎の農村だった。また、境川沿いは「暴れ川で洪水が頻に発生。原町田などは作物を育てるには適さず牧草地として利用されていた」と振り返る。

戦時中、空襲などによる被害は限定的だった。そして、それが商業の街の側面を増していくことにつながった。

戦後になると横浜線に多くの貨物列車が走行していたことや、結ぶ八王子や横浜が大規模な空襲に見舞われたのに対し、被害が少なかったことから物が集まりやすい状況が形成されていった。「横浜線は絹糸と砂利を汽車で運んでいたのを覚えている」。物が集まれば人が集まる。闇市が展開されたり、米軍の払い下げシートを販売した「吉川百貨店」が人気を博したりしたという。

交通網充実で人口増

町田市の人口は1958年からの20年間で約20万人増加する。井上さんによるとこれを支えたのが「高速道路と団地の造成」だ。東名高速道路は1969年に全線開通。交通の便と住環境が整ったことで一気にベッドタウンとしての色を強めた。また、井上さんは「一時期は『東急が長津田から乗り入れてくる』との話を聞いたこともあった」という。東急社内で計画が変更になり実現こそしなかったが、現在も駅前には町田東急ツインズが存在。乗り入れ計画の名残だという。

更なる開発に期待

「(同じく多摩地域の)立川に比べると現時点で町田は再開発が遅れているのではないか」と井上さん。最高値地点での基準地価やリゾートホテルの有無などがそう考える理由だ。「インバウンドも含め、人を呼び込むものが必要だ」と主張する。

現在、町田駅周辺では再開発が進みつつある。さらに来年には市長選。「小田急と新しい市長が協力して、しっかりした街を作って行ってもらいたい」と未来に期待を込めた。
【平岩はるなさん】福島県出身。昭和音楽大学音楽学部声楽学科卒業。中学3年生から声楽を学び、現在は藤原歌劇団に所属し活動している。

「昭和100年記念コンサート」出演歌手インタビュー 「思い出振り返り楽しんで」

 市内でボイストレーナーとして活動し、劇団四季やミュージカルを目指す子どもたちの指導も行っているオペラ歌手・平岩はるなさんが、11月3日(祝)に町田市民フォーラムで行われる「昭和100年記念コンサート」に出演する。公演前にインタビューを行った。

--昭和歌謡の魅力は

 「言葉がシンプルで、メロディも複雑ではないところです。1音に1つの言葉が当てられていることが多く、とても歌いやすく覚えやすい。それがずっと心に残る理由だと思います。私自身、昭和生まれで、物心ついた時からテレビの歌番組で昭和歌謡に親しんできました」

--思い入れのある曲は

 「(今回歌う中で)特に『蘇州夜曲』はとても思い入れがあります。小さい頃からお世話になっていた方が大好きだった曲で、地元の福島でリサイタルをさせていただいた時や、何か大切なことがある時にも歌わせていただいている曲です」

--公演への意気込みを

 「一人でも多くの方にお届けできたら。ご自身の青春時代など、その時の思い出を振り返りながら楽しんでいただきたいです」
イベントのチラシ

町田市スポーツ協会 「イベントで体験を」 11月9日 総合体育館

 (一財)町田市スポーツ協会は11月9日(日)さまざまなスポーツ体験ができる恒例の催し「すぽーつ祭まちだ」を市立総合体育館(南成瀬)で開催する。

 ソフトボール、トランポリン、テニス、新体操など各種スポーツを体験できるほか、空手道や合気道、なぎなたなどのデモンストレーション、ウォーキングイベント、専門機器による健康測定などが予定されている。

 同協会に加盟する38団体が集結し競技やスポーツに取り組むことの魅力を伝える。

直接会場へ

 催しは午前9時30分から午後3時30分まで。参加無料で、事前申し込み不要。参加希望者は公共の交通機関を利用のうえ、直接会場へ。スポーツ体験参加者は室内用シューズを持参。当日は軽食の販売もある。市スポーツ協会は「来て見て触れて、スポーツの魅力を体感してもらいたい」としている。

 詳細・問い合わせは同協会【電話】042・724・3443まで。
榛葉さん

「昭和生まれ昭和育ち必聴」 オペラ歌手が”昭和を歌う”

 昭和100年を記念し、オペラ歌手が昭和の名曲を歌い上げるコンサートが11月3日(月・祝)、町田市民フォーラムで開催される。

 当日は豪華3部構成。1部で日本歌曲18曲、2部で懐かしの昭和歌謡20曲を披露するほか、3部では来場者も一体となり抒情歌を18曲歌う。出演はソプラノの長田真澄さん、平岩はるなさん、玉田弓絵さん、メゾソプラノの高橋未来子さん、テノールの榛葉樹人さん、バリトンの井上雅人さんら実力派が揃う。

 「テレビでも活躍する榛葉さんのリードで一緒に歌える貴重な機会。しばし昭和にタイムスリップし、懐かしい名曲に浸ってください」と主催者。午後1時開演(0時30分開場)。チケット3千円。会場は町田市民フォーラム3階ホール。予約・問合せは主催者・柴田さん【携帯電話】090・1734・8116へ。
紅花染講習会の様子

紅花でストール染め 11月8日 藕絲館で

 町田市大賀藕絲(ぐうし)館(下小山田町3267)で11月8日(土)、紅花餅を使った「紅花染講習会」が行われる。

 この講習会は「紅花染め入門編」として企画されており、大賀藕絲館で育てた紅花を使った「紅花餅」から綾帯揚ストールを染め上げる。伝統色彩士協会から講師を招き、初めての人も歓迎。担当者は「紅花餅から染める貴重な講習会です。ぜひご参加ください」と呼び掛けている。

 時間は午後1時から4時まで。参加費は5千円(税込)。定員15人。申込は大賀藕絲館【電話】042・797・1616。

町田RC サンゴ研究団体を支援 千葉で合同調査

 社会奉仕団体・東京町田ロータリークラブは先ごろ、支援してきた玉川学園サンゴ研究部のOBらで構成される団体「Coral Friends」のメンバーと千葉県でサンゴ礁の実態調査研究を行った=写真。共に海に潜り、サンゴの生態を調査したもので、今後の作業で必要となる備品も寄贈。新たに立ち上がったCoral Friendsへの支援を約束した。

「広めていく」

 現場に立ち会った森谷孝雄ロータリークラブ会長は「サンゴのことを教えてもらい、海の環境を学ぶ機会になった。Coral Friendsは今後、この千葉の海でサンゴの状況を定点観測していくそう。引き続き、支援していく考え」とコメント。この取り組みを町田市内などで広め、環境問題への意識を高めていく役割を担っていきたいと話している。
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開催をPRする実行委員ら

アート浴びる1カ月 小野路でまち巡り

『里山でアートを浴びる1ヶ月』がテーマのまち巡りアートイベント「あーとde小野路"幸"詣(さちもう)で」が、11月8日(土)から12月7日(日)まで開催される。風情ある小野路のまちと里山を散策しながら、ピアノカフェショパンなど3会場をメインに、絵画、音楽、演劇などを楽しむ。

このイベントは、多摩地域ゆかりの画家・澤村祥さんのエネルギー溢れる作品を多くの人に知ってもらうことや、小野路の魅力である自然や歴史に加え、作家が移り住む「アート」の側面があることを発信することが目的。アートに絞ったイベントは地域で初めての試みだという。

期間中は澤村さんの作品の常設展示のほか、11月15日(土)から30日(日)までは小野路公会堂で100号などの大型の本作が展示される。土日には、オープニングコンサートや演劇公演、篠笛コンサートなど多彩なプログラムも予定。スタンプラリーや着物レンタルで散策する企画も行われる。

実行委員会の齊藤達也さんは「11月は散策に持ってこいの季節。一人でも多くの方に足を運んで小野路の秋を味わってほしい」と話す。同じく実行委員会の近藤波美さんは「里山や宿場町の風情を歩きながら様々なアートを浴びてほしい。イチオシは公会堂での大型作品展示。間近で見る迫力を感じてほしい」と語った。

観覧は無料(一部プログラム、ワークショップは有料)。詳細はイベントHPを参照。問合せは実行委員会 sawamurasachi2025@gmail.com まで。

「将来への不安解消」マネーセミナー 11月6・8日 レンブラントで

老後資金や資産運用、相続などのお金について学ぶことができる参加無料のマネーセミナーが11月6日(木)・8日(土)、JR町田駅徒歩2分のレンブラントホテル東京町田で開かれる。「将来への漠然とした不安を解消してくれる」との声を集める資産アドバイザーの蔵野雅章さんが開くマネーセミナーでライフプランの幅広い悩みに対応してくれるという。対象は25〜69歳の男女で時間は両日共に午前10時30分開始、11時50分まで。各定員20人・事前予約制。申し込み・詳細は関連リンクから。(問)ファイナンシャル・ジャパン(株)蔵野さんまでメール(masaaki.kurano@financialjapan.jp)または電話【携帯電話】090・5766・4889まで。

俳優・森次晃嗣さんに聞く 「ウルトラセブンは分身」 シニアに熱いメッセージ

 ウルトラマンシリーズは来年、放送開始から60周年の節目を迎える。数ある名作の中でも誉れ高いのが「ウルトラセブン」だ。主役のモロボシ・ダンを演じた俳優、森次晃嗣さん(82)=藤沢市在住=に、当時の思い出や年齢を重ねても元気に過ごす秘訣を聞いた。

 --「セブン」撮影当時の思い出は。

 「高校卒業と同時に、文字通りかばん一つで北海道から上京し、ジャズ喫茶などで住み込みで働いた。オーディションを勝ち抜いてモロボシ・ダン役を射止めたのは24歳の時。撮影には毎日始発で藤沢の自宅を出て、成城学園前のスタジオまで通った。40度の熱があっても撮影したことも。過酷なスケジュールで、よく1年やれたと思う。特に心に残っているのは、海底人が人間の海底開発に抗議して攻撃してくる『ノンマルトの使者』。実はもともと地球に住んでいたのは海底人の方で、ダンも地球人がしたことに苦悩する。ウルトラセブンは戦争もテーマに置く、社会派ドラマだった。怪獣もエレキングやキングジョーなど魅力があったから、人気があるんじゃないかな」

 --ウルトラセブン=モロボシ・ダンは、森次さんにとってどのような存在ですか。

 「もはや分身と言える存在だと思う。色んな役を演じてきたけれど、やっぱりモロボシ・ダンなんだ」

 --他のウルトラマン役を演じた俳優とも交流があるとか。

 「昨年、同じ藤沢に住む、つるの剛士さん(ウルトラマンダイナ役)から『今日暇ですか』と電話があってね。彼の自宅に行ったら高野八誠さん(『ウルトラマンガイア』ウルトラマンアグル=藤宮博也役)とか若いウルトラマンも何人かいて。お酒を飲んで、話をして、元気をもらったよ」

 --「セブン」の後も、時代劇から現代劇までさまざまな役を演じてきました。長く活躍できた秘訣は。

 「60代に入ってからは、若くはないけれどおじいちゃんでもない、難しい役どころが多くなった。でも挑戦することを大事にしていたので、もらった役は全力で取り組んできた。70代に入り、流石に体力の衰えを感じるようになって、海までの散歩を日課にしていた。振り返ると好きなことをやってこられたと思う。でも、まだまだファンのみんなに元気な所を見せていかないとね」

 --現在は藤沢で飲食店「ジョリー・シャポー」を経営されています。

 「以前は店でシャンソンを歌ったりもしていた。今はほとんど娘に任せているけれど、今も年に数回はファンミーティングを開いている。ファンの皆さんが、こんなに長くセブンを大切に思ってくれてありがたい」

 --ファンからサインを求められた際、色紙には必ず「正義」「勇気」「希望」と書くとか。

 「正義を貫くには勇気がいる。勇気があれば希望が生まれる。この言葉を生涯大事にしている」

 --最後に読者にメッセージをお願いします。

 「いつ何が起きるか分からないからね。若い人に力をもらって、一緒に楽しくいきいきと生きていきましょう」
チラシ

家政学院博物館 「碗」に見る食文化 11月4日(火)から特別展 相原駅からバス

 相原町にある東京家政学院生活文化博物館(加藤晴美館長)は11月4日(火)から2026年2月6日(金)まで特別展「飯碗グランプリ-あなたはどれが好き?―」を開催する。

 江戸時代中期から平成までの飯碗や汁碗、膳など110点を展示。食器の形は食べ物によって変わるため、各時代の食や生活文化のあり方を知ることができる。

 入場無料。時間は午前9時30分から午後4時30分。土日祝と12月25日から1月7日は休館。アクセスは相原駅西口からバスで「東京家政学院」行に乗車し約8分。もしくは「大戸」行、または「法政大学」行(急行を除く)で「相原十字路」下車、徒歩10分。問合せは【電話】042・782・9814。

 

 

足紋作品の例

「足紋」知ってる? 11月2日 小山ヶ丘で

 「あし あ〜とワークショップ」が11月2日(日)、ギャラリーカフェ アルル。(小山ヶ丘3の22の18マンションホワイトホース1階)で開催される。時間は午後1時から3時まで。

 指紋と同じように、一人ひとり異なり生涯変わることのない足の裏の模様「足紋」を、遊びながらアート作品として保存するイベント。参加・材料費は無料で、ドリンク付き。所要時間30分程の時間内自由参加で、当日申込も可能。希望者にはNPO法人全国足紋普及協会の足紋証明書が発行され 、同協会による足紋の話も予定されている。

 問い合わせ・申込はアルル。【電話】042・705・5096。

町田で息づく、心まで温まる一皿。三代目が繋ぐ、老舗カレーの伝統と未来への挑戦 「リッチなカレーの店アサノ」の3代目浅野純平さん

 町田の懐深く、仲見世商店街からスタートし、38年もの間変わらぬ味で人々を魅了し続ける一軒のカレー店があります。扉を開ければ、スパイスの香りと共に迎えてくれるのは、実直な笑顔が印象的な「リッチなカレーの店アサノ」三代目の浅野純平さん(26)。市外からも足を運ぶ人が多く、土日には6席(移転前)の店内に1日で100人を超えるお客さんが押し寄せます。※こちらの内容は町田市シティプロモーションサイト「まちだで好きを続ける」に公開されたものの一部です(8月28日更新)

 浅野さんは高校卒業後に調理の専門学校へ行き、都内の老舗洋食店で4年間修行したのち、店のカウンターに立つようになりました。お店の命とも言えるルーは、初代であるお祖父様が開発した「欧風・和風・東南アジア風」の3つの個性が絶妙に溶け合ったもので、仕込みには4日間を要するといいます。一口頬張れば、複雑にして奥深いスパイスの味が幾重にも広がり、まさに至福の味わいです。現在、店舗を切り盛りする浅野さんは、幼い頃から継ぐことを考えていたのでしょうか。

 「いいえ、全く。料理もお手伝い程度しかしたことがなくて。僕が高校3年生の時、おじいちゃんが亡くなったんです。それでこの味がなくなるのは寂しいな、と。作れるようになりたい、繋いでいきたいという気持ちが芽生えました」

 店のカレーが「家のカレー」として育ってきた浅野さん。働き始めの頃は味の再現に苦労したそうです。昔からの常連さんに「今日の味はどうですか?」と聞きながら、お祖父様が築き上げ、お父様が守ってきた味を追いかけていきました。そのような中、伝統の味を土台に、浅野さんは新しい取り組みを始めたそうです。

 「トッピングは僕が始めました。例えば、玉子やナスのソテー、にんにくの素揚げなどのメニューがあります。洋食屋さんで修行させてもらったので、平日の夜限定でオムレツのトッピングもやっています。どれとどれを合わせたら美味しくなるだろうと考えるのが好きですね」

 店は、カウンター数席のみの、いわば「超オープンキッチン」。この空間で大切にされているのは、お客さんとの温かいコミュニケーションです。それは、「出身どこなの?」などと気さくに声をかける父・信三さんから受け継いだ精神でもあります。お客さん一人ひとりの反応がダイレクトに伝わるといい、「美味しいって顔で食べてくれるのを見ると、やっぱり嬉しいです」と笑顔を見せます。

 「常連さんからおじいちゃんが店主をしていた頃の話を聞けたりして面白いですよ。おじいちゃんはカツカレーに力を入れていたので、チキンカレーとかポークカレーとかメニューに載ってるけど『カツカレー食べろ』って一択だったとか(笑)」