多摩区・麻生区版【4月25日(金)号】

川崎市介護・福祉 離職防止へカスハラ窓口 暴言など迷惑行為受け

 川崎市は4月1日、市内の介護・障害福祉事業所向けのカスタマーハラスメント(カスハラ)相談窓口を新たに設置した。市の調査では、介護・福祉職員らの約3割が暴言を受けたなどの被害報告があり、職員が離職する原因の一つになっている。市は支援体制を整え、人材の定着を図りたい考えだ。

 カスハラは、顧客や取引先などが企業や従業員に対し社会通念上不当な要求や言動を繰り返し、労働者の就業環境が害される行為。暴行や暴言、脅迫などが挙げられる。

 市が実施した介護労働者実態調査によると、仕事中に利用者やその家族から「暴言」を受けたと回答した職員の割合は28・9%に上り、「暴力」を受けた経験があるとの回答も11・6%だった。具体的には、「ばかやろう」などと大声で暴言をうけた、定められた生活援助以上のサービスを要求された、脅しや唾をかけられたといったカスハラが報告されている。

 新たに開設する相談窓口では、介護・障害福祉にかかわる従事者や事業所からの相談を、警察OBでハラスメント対策に詳しい相談員が受け付ける。知識を生かし被害を受けた時の対応方法や予防策を助言し、法的な対応が必要な場合は法律相談にも取り次ぐ。職員が精神的に追い詰められ退職や休職に追い込まれることのないよう、助言を通して心理的な負担軽減につなげていく。

 窓口は、市福祉人材バンクのウェブサイト上に設け、メールまたは電話で受付。電話相談は平日の午前9時から午後7時まで、メール相談は24時間対応する。市の高齢者事業推進課は「安心して働き続けられる職場環境を整えることで、人材を確保し、質の高い介護福祉サービスの提供につなげたい」と話す。

 相談窓口の設置を要望してきた川崎市介護支援専門員連絡会の出口智子代表理事は「現場の被害は深刻。相談窓口が設置されたことは問題解決の第一歩になる。専門的な対応について相談できることは、職員が問題を抱え込むことの防止につながり、離職対策、人手不足の解消にもなる」と期待を寄せる。

タマノカンアオイの暗紫色の花(中央)と緑色の葉

タマノカンアオイ 豊かな自然に今も咲く 牧野富太郎氏 川崎で発見

 植物学者で、「日本の植物分類学の父」と言われる牧野富太郎氏が川崎市で発見したタマノカンアオイ。生田緑地(多摩区)で暗紫色の花を咲かせているのを記者が見つけた。

 牧野氏は多くの新種・新品種を発見し約1500種の植物に命名した。

 そんな牧野氏が1931年、稲田登戸(現在の向ヶ丘遊園駅周辺)で発見したのがタマノカンアオイだ。ウマノスズクサ科カンアオイ属の常緑多年草で、多摩丘陵で見つかったことから「タマ」の名が付く。多摩丘陵の大規模な住宅開発などによって急速に減少し、現在は環境省のレッドリストで絶滅危惧II類に指定されている。

 4月13日に閉幕した全国都市緑化かわさきフェアでは同植物を描いたボタニカルアートも登場。牧野氏が発見したという事実も紹介され、川崎市との縁を伝えていた。

 そのタマノカンアオイが生田緑地内で4月18日、葉の根元で土に埋もれるように花を咲かせていた。花弁がなく、地味な見た目もあり、気付かれないことが多いという。葉は濃緑色で薄く、白い斑紋があるものもある。川崎の自然調査や保全などを行っているかわさき自然調査団の藤間熈子さん(92)は「存在する場所は自然が豊かな証拠。川崎市の自然を後世まで守っていってほしい」と思いを話した。

「麻生多摩美の森の会」の会長を務める 小田桐 浩さん 麻生区高石在住 78歳

育てる力 地域に還元

 ○…川崎市と協力しながら、約40人の会員と共に多摩美にある「麻生区市民健康の森」の保全、育成に勤しむ。会長として舵取り役を任されて丸1年。無我夢中で活動に向き合い続けたこともあってか、4月初旬に行われた子ども向けの体験会には、例年より20人近く多い参加者が森に足を運んだ。「初めて多摩美の森の自然にふれる人も多かった。今後もさまざまな人に楽しんでもらえれば」と更なる盛り上がりに期待を込める。

 ○…18歳で地元・青森県を離れた後は、保険会社に勤務し全国を飛び回った。転勤した数は16回。中でも特に印象深いのは、幹部候補の育成を行う主任教官を任された時だ。「叱りつけるだけでも、おだてるだけでもだめ。人の上に立つための人間性を養うための教育を心がけた」

 ○…一線を退くと、「お隣さんのこともよく知らない」状態だったことに気付く。新たな居場所を探していた時に見つけたのが、現在所属する会と似た活動を行う「多摩美みどりの会」のチラシ。早速連絡をとり、豊かな緑の中で地域活動に従事する日々が始まった。5年前には両会の橋渡し役として情報共有をするため、現在の会にも入会。昨年新たに15人の新メンバーを迎えた今、目指すところは健全な人材育成だ。自身の経験を生かし、次世代を担う仲間の大成を願う。

 ○…2カ月に1回、現役時代の仲間たちと「たわいもない話」を肴に酒を酌み交わすのが楽しみの一つだ。3人の子どもの話になると「家族の仲が良い。これは自慢できる」と前のめり。正月に孫を連れて顔を出し、記念日には贈り物をしてくれる我が子の優しさに目を細める。「家内とこのまま良い距離感で健康に」。日常に溢れた幸せを噛みしめ今を生きる。

遺構を調査する渡辺さん(右、明治大学平和教育登戸研究所資料館所蔵)

戦後80年 戦禍の記憶 特別編 元教員の渡辺さんに聞く 「学習運動」今に根付く 登戸研究所資料館15年

 明治大学平和教育登戸研究所資料館(多摩区)は2010年の開館から今年で15周年を迎えた。秘密戦研究施設「旧日本陸軍登戸研究所」の歴史を伝える貴重な施設だが、その史実の発見と継承には、川崎市民の力が大きな役割を果たした。同資料館の展示専門委員で法政二高の元教員、渡辺賢二さん(81)の証言の後編をお送りする。

市内に多数の元所員

 川崎市が1985年度から進めた「平和教育学級」は、計千人以上が参加した市民講座だった。渡辺さんが率いた「中原平和教育学級」は、明大生田キャンパス界隈に現存した「登戸研究所」に注目した。

 88年3月。生田キャンパス正門付近の「動物慰霊碑」の見学会で、渡辺さんは初見の高齢男性に目が留まった。「失礼ながら元所員では」と尋ねると、男性は「そうです」。研究所の工場で働いた井上三郎さん(故人)だった。こう教えてくれた。「所内のことは墓場まで持っていけと言われていたので、街で元所員と顔を合わせても、お互い声もかけなかった。だが終戦から40年近く過ぎ、元所員で『登研会』を作った」

 井上さんらが発起人となり、82年に「登研会」が発足。封印された時を語り合う「同窓会」だった。渡辺さんは「人生の一部を失ったようで苦しかった」という井上さんの言葉を覚えている。

 井上さんは「登研会」の名簿を渡辺さんに託した。名簿に記載された元所員278人のうち、99人が川崎市民だった。この結果に「平和教育学級」に参加していた高校生が「アンケートを送ろう」と提案。仕事内容などを尋ねる質問を記載したアンケートを作成し、市教委の協力を得て市内の99人に送ったところ、27人から回答があった。

 そして回答者の一人、小林コトさん(故人)から、約900枚に及ぶ内部文書の複写が提供された。小林さんは15歳から所内でタイピストとして勤務し、文書の複写を保管して終戦時に持ち出していた。研究所の記録は防衛庁(現防衛省)にも残らなかったほど貴重な資料だ。渡辺さんは「毒物の購入伝票や毒物兵器を持参した出張記録、所員が業務で致命傷を負った記録もあった。本格的な調査につながる大きな手掛かりだった」。

約1万筆の署名

 89年には「中原平和教育学級」の取り組みを著書『私の街から戦争が見えた』として発表し、メディアの注目を集めた。だが翌90年、明治大学が研究所の遺構のうち旧本館の取り壊しを発表。保存を求める市民の声に押され、市は旧本館を撮影のうえ川崎市平和館での記録保存を決めたものの、林立していた遺構は徐々に姿を消した。

 やがて「登研会」も声をあげ、2006年には「平和教育学級」の参加者を中心に遺構保存を求める「川崎市民の会」が発足。07年には遺構保存と資料展示施設の設置を求める9803筆の署名が集まり、請願書とともに市議会に提出した。

 なぜ約1万もの署名が集まったのか。「市民の会」共同代表を務めた渡辺さんは「学習の力です」と笑みを見せる。保存を求める上で、頻繁に見学会を開いたそうだ。「毎回、何百人もの市民が集まった。政治運動ではなく歴史を継承する学習運動だったからこそ、浸透したのだと思う」

 市民の「学習運動」の先に、現在の「資料館」がある。渡辺さんは言う。「まれにみる運動だった。あの力は今も根付いていると思う」
川の上を泳ぐこいのぼり=4月21日

多摩区・麻生区のこいのぼり 生田・五反田川

 五反田自治会は5月6日(火・休)午後3時まで五反田川にこいのぼりを設置している。生田駅南口登戸方面の魚見橋周辺と生田大橋付近の川の上を約170匹が泳ぐ。

 2008年に始まり、地元の子どもたちに思い出を残そうと続く恒例行事。同会の中山浩会長は「多くの人に足を運んでもらい、季節感を味わってほしい」と話す。

二ヶ領用水を泳ぐこいのぼり

多摩区・麻生区のこいのぼり 登戸・二ヶ領用水

 登戸中部町会は5月6日(火・休)の午後1時まで、二ヶ領用水新川橋付近から上流へ約120mの流域にこいのぼりを掲げる。

 約170匹のこいのぼりは、地元住民の提供のほか、近隣の丸山幼稚園、なのはな保育園、Gakkenほいくえん登戸、アスク向ヶ丘遊園北保育園の園児が手づくりした。

菜の花の海で泳ぐ姿=4月21日

多摩区・麻生区のこいのぼり 東百合丘・長沢中近く

 ヒサマツ自然農法の会の畑(麻生区東百合丘2の20の28)では、5月末までこいのぼりを飾っている。今は菜の花も見頃。管理する島貫松江さんは「多摩区、麻生区の方もお気軽に」と呼びかける。(問)島貫さん【携帯電話】080・7848・3731

昨年のアンバサダー。佐藤直樹区長(後列中央)と

多摩区の魅力を発信 アンバサダー募集中

 多摩区はインスタグラムなどを使い、区の魅力を発信する「多摩区PRアンバサダー」を5月11日(日)まで募集している。

 発信を通じて交流人口の増加や地域の活性化につなげていく狙いだ。

 自身のインスタグラムに指定のハッシュタグを付けて多摩区の魅力を投稿することや、年1回以上、公式「note」への記事投稿を行う活動が求められる。また、イベントへの参加の機会もある。活動の期間は6月1日(日)から2026年3月31日(火)まで。

 応募資格はインスタグラムのアカウント(非公開不可)を持っており、多摩区の魅力を伝えたいという熱意のある18歳以上の人。募集は5人程度を予定している。

 応募方法などの詳細は区のサイト(https://www.city.kawasaki.jp/tama/page/0000150608.html)か、公式インスタグラム「ピクニックタウン多摩区@picnictown_tama」から確認できる。(問)区地域振興課【電話】044・935・3148
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ブルーラインの新駅設置が予定されているヨネッティー王禅寺付近

ブルーライン延伸へ本格化 横浜市が委託業務発注へ

 横浜市営地下鉄ブルーラインの「あざみ野駅」(横浜市青葉区)から「新百合ヶ丘駅」(麻生区)までの延伸事業について、横浜市は4月、延伸区間の設計業務や土質調査、環境影響評価の委託業務を今年度、発注する方針を示した。

 ブルーラインは横浜市を南北に貫く40・4Kmの地下鉄線で、1日あたりの乗車人員は51万2100人に上る。延伸区間は約6・5Kmで、青葉区の嶮山付近、すすき野付近、麻生区のヨネッティー王禅寺付近に新駅が設けられる予定だ。延伸によって、あざみ野駅から新百合ヶ丘駅間は路線バスで約30分のところ、約10分に短縮。東海道新幹線が接続する新横浜駅へのアクセスも向上する見込み。

 延伸は2019年に事業化が決定。翌年、概略ルートや駅位置が選定され、調査や概略設計が進められてきた。横浜市は2025年度予算に延伸事業の推進費として2億1849万円を計上。延伸区間の線形や駅、施設などの設計業務や土質調査、環境影響評価業務を第2〜第3四半期にかけて発注する予定。建設物価の高騰やコロナ禍による鉄道需要の減少など新たな課題の解消に取り組みながら、当初の計画通り30年の開業へ向けて早期の事業着手を目指すとしている。

 一方、川崎市は今年度予算に「横浜市高速鉄道3号線延伸計画推進事業費」として前年度と同額の500万円を計上。「延伸による鉄道ネットワークの形成に向けて、横浜市と連携し、事業の検討を深めるとともに、国との調整を進める」としている。

新入団員に辞令を渡す井田新団長(左)

多摩と麻生の消防団 新年度、気持ち新たに それぞれ団長が交代

 多摩・麻生の各消防団の団長が交代し、新たなスタートを切った。

 多摩は8代目団長に井田久さんが就いた。4月12日、川崎市消防訓練センター(宮前区)で辞令交付式が行われた。井田団長は新入団員らに辞令を手渡し、「期待と不安でいっぱいだと思うが、早く消防団の水に慣れていただき、団員一丸となって一緒に活動できれば」とエールを送った。多摩消防団は定数175人に対して163人となり、充足率は93・1%。女性団員は定数15人に対し14人。

 麻生は碓井芳春さんが団長となった。13日に麻生消防署で前団長から団旗を手渡された。「素晴らしい諸先輩方から脈々と受け継がれてきたものを昇華させ、さらなる高みに向かわなければならない。第9代消防団長を就任することに身の引き締まる思い」とコメントした。

 麻生消防団は定数168人に対して140人となり、充足率は83・3%となった。女性団員は定数15人に対し12人。

©︎『steichen tokyo』・アルテリッカしんゆり2025公式

アルテリッカしんゆり 昭和歌謡で会場一体 芸術祭が今年も開幕

 新百合ヶ丘駅周辺を会場に、毎春開催している「川崎・しんゆり芸術祭」(アルテリッカしんゆり)が4月19日に幕を開けた。今年は「今、生きる昭和」をテーマに多様なジャンルのプログラムが行われる。

 4月20日には麻生市民館で「アルテリッカ・アカペラ昭和歌謡祭」と題した企画を実施。人気番組「ハモネプ」にも出場経験のあるユニット「リストラーズ」が登場した。『さそり座の女』『ガラスの十代』『銀河鉄道999』など昭和の名歌計21曲を、息の合ったアカペラで歌い上げた。

 観客と共に歌う場も設けられるなど、約1千人が訪れた会場は興奮に包まれた。麻生区内在住の女性は「客席と舞台が一つになっていて最高。幸せな時間だった」と喜びを語った。

 アルテリッカしんゆりは5月11日(日)まで行われる。詳細・問い合わせは同祭事務局【電話】044・952・5024。

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(左から)福田市長、町田瑠唯選手、宮澤選手、テーブスHC

富士通レッドウェーブ ファンに感謝捧げる リーグ、皇后杯優勝を報告

 女子プロバスケットボールWリーグを2年連続で制した富士通レッドウェーブは4月18日、ラゾーナ川崎プラザルーファ広場(幸区)で優勝報告会を開いた。BTテーブスヘッドコーチや選手らが参加し、会場に訪れたファンと喜びを分かち合った。

 2024―25シーズンから2部制となったWリーグ。レッドウェーブは、8チームで競われる1部プレミアリーグに所属し、レギュラーシーズンを1位で終え、プレーオフセミファイナルに進出。シーズン4位のENEOSサンフラワーズを下し、ファイナルでは同2位のデンソーアイリスと対戦。1勝2敗と後がない状況から4戦目、5戦目を勝利し、2年連続3回目の優勝を決めた。昨年12月には皇后杯も制しており、2冠を達成した。

 優勝報告会で福田紀彦川崎市長は「昨年、次は連覇をとお願いしたが実行するのは難しい。しっかり勝ち切ったことを誇りに思う」と選手を称えた。川崎市が市制101年を迎えたことに触れ、「新しい川崎をつくる年。新たなスタートに花を添えてくれた。次はさらなる高みを目指して、3連覇をみんなで後押しして勝ちにいきましょう」とエールを送った。

 チームの平松浩樹顧問は、リーグ戦、プレーオフの激闘を振り返り、「タフな試合が続く中で頑張れたのも皆さんの応援の力。来年もまたここに戻ってきたい。地元川崎に愛され、誇りに思ってもらえるよう努力し続けるチームでありたい」とファンに感謝の気持ちを伝えた。

 今回の連覇、2冠を祝し、川崎市からスポーツ特別賞が贈られた。テーブスヘッドコーチは「大変光栄。チームの目標だった皇后杯優勝、リーグ連覇を達成し、特別なシーズンだった。多くの困難な時期もあったが選手たちが粘り強く戦い抜いた。引き続き応援を」と呼び掛けた。

 キャプテンの宮澤夕貴選手は優勝が決まった瞬間を振り返り、「シーズン中、苦しいときもあったが、スタッフも含めたこのチームで優勝できてうれしかった」と声を弾ませた。地域やファンへ「今までやってきてこういう結果を出せたのは、支えてくださるファンの方々や川崎市民のおかげ。恩返ししていきたい」と感謝の言葉を述べた。

 会場を訪れた埼玉在住のファンは「選手がケガをしてもみんなでステップアップして頑張っていた。2連覇、2冠はうれしい」と喜んだ。

登戸土地区画整理事業 移り変わるまちを写真で 川崎市がウェブで公開

 登戸土地区画整理事業によって変化を続ける登戸や向ヶ丘遊園。同事業の歴史や変遷を知ってもらおうと、川崎市では、ウェブサイト上で、まちの移り変わりを写真で紹介している。

 計82カ所で過去との違いを比較できる。市職員が話し合い、移り変わりが特徴的なスポットを選定した。市担当者は「少しずつ姿を変えながら歩んできたまち。写真を通じ、その変化の歩みを感じてもらえたら」と話す。サイトは「登戸土地区画整理事業 登戸のまちの移り変わり」で検索。

著書を紹介する田村さん

故郷の記憶 つづる一冊 多摩区の田村弘志さん

 多摩川の流域という地の利を生かし、稲作や紙すき、砂利採掘、養蚕といった産業によって栄えてきた多摩区中野島地区。その中野島に生まれ育ち、昭和、平成、令和と地域の移り変わりを見続けてきた田村弘志さん(88)は昨夏、『中野島のこんなこと知っていますか』と題して一冊の書籍にまとめた。

 現在、会長を務める中野島地区社会福祉協議会が発行する広報紙『なかのしま』の2006年7月1日創刊号から寄稿し続けてきた18年分のコラムを見開きの左ページに配し、右ページに写真などを添えた。中野島の歴史や変遷、文化、人々の暮らしぶりなどを紹介するとともに、生まれ育った故郷への田村さんの思いがつづられている。近隣の小中学校や市内の図書館、多摩区社会福祉協議会などに寄贈した。

 昭和11(1936)年に中野島の梨農家に生まれた田村さんは、会社勤務、造作家具店の開店などを経て地元でディスカウント店「ジェーソン」を開業した。「昭和は激動の時代。努力すればするだけの報いがあった」と田村さんは振り返る。現在は息子に代替わりしているが、自身は中野島北口通り商店会で会長を務めるなど、地域密着を貫いている。

 「村からまちへ、農村からベッドタウンへと変化していった」と中野島の変遷を語る田村さん。「縁あって今、共に暮らすこの中野島に少しでも愛着を持つ一助になることを願っている」と著書に込めた思いを述べた。

柿生への思いを語る中山さん

尽きることない郷土愛 麻生区・中山茂さん

 明治22(1889)年、市制町村制施行により、岡上村を除いた武蔵国都筑郡の黒川・栗木・片平・五力田・古沢・万福寺・上麻生・下麻生・王禅寺・早野の10村が合併して柿生村になった。その柿生村は昭和14(1939)年、岡上村と共に川崎市へ編入された。その後、昭和47(1972)年の区制施行により多摩区となり、昭和57(1982)年に分区して、麻生区が誕生した。

 「過去があるから今がある。過去を無しにして話をしては、本当に大事なものが失われてしまうよ」。中山茂さん(88)は昭和11(1936)年、今の麻生区片平の柿農家に生まれた。当時はまだ柿生村といった。

 昭和初期から現在に至るまで、麻生区の変遷を見続けてきた。近所の農家で聞いた玉音放送。当時通っていた柿生小学校片平分教場の教師は「これからは自由が貴ばれる時代になる」と言った。「終戦は忘れてはならない出来事。大きく時代が変わった」。農作業も、くわと鎌から機械化が進んでいった。

 昭和21(1946)年9月4日。東京日日新聞(現在の毎日新聞)に、戦争で途絶えていた早慶戦復活の記事が載った。胸が高鳴った。10歳のその日から始まった新聞記事の収集は、今も日課として続ける。80歳の時には、柿生の歴史と新聞記事収集70年の記録をまとめた著作『郷土愛という夢』を刊行した。

 柿生村は、日本最古の甘柿として知られる禅寺丸柿の原産地。村名の由来でもある。「川崎の歴史にとって、柿は非常に重要なもの」。柿農家に育ったということもあり、柿を愛し、地域にその魅力を伝え続けてきた。「柿生禅寺丸柿保存会」の会長も務めた。

 「麻生区は良いまちになった」と感慨にひたる一方、「昔はすれ違えば知らない人でもあいさつを交わしたが今はそんなこともなくなった。まちが発展しても人間関係がすぐにできるわけではない。人の情けは残していかないと」と憂慮する。

 どんな話でも行きつく先は郷土愛。「ふるさとを大切に思う心を、次の世代へとつなげていきたい」と語った。

劇団民藝が新宿で公演 5月10日から 読者を招待

 麻生区黒川に稽古場を構える「劇団民藝」による公演『煮えきらない幽霊たち』が5月10日(土)から19日(月)まで、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(新宿駅新南口徒歩5分ほか)で行われる。全席指定・税込で一般7000円、夜公演チケットは5000円。開演時間は、昼公演が午後1時30分、夜公演が6時30分。詳細は同劇団のウェブサイト。問い合わせは同劇団【電話】044・987・7711。

 本紙読者を、5月14日(水)、16日(金)夜公演に招待。各日3組6人。希望者は、住所、氏名、年齢、電話番号、紙面の感想を明記し、はがきで〒211―0042 中原区下新城3の14の7タウンニュース社「劇団民藝」係へ。メールの場合は【メール】kawasaki@townnews.jp。5月7日(水)必着。当選発表は発送をもって。