町田版【7月31日(木)号】

地域の声から「ハス田公園」 下小山田町に 26日オープン

 地域に親しまれてきたハス田の景観を生かした「小山田蓮田緑地」(下小山田町)=写真=が7月26日、開園した。市と地域住民が協力し構想を練り上げた公園で、人と自然が共生する場としての活用が期待されている。

 小山田蓮田緑地は、「里山の原風景を残した水と自然が親しめる憩いの場」をコンセプトとした公園。園内は約1・6ヘクタールの広さで、中心となるハス田の周囲には、多目的・芝生広場があり、インクルーシブ・健康遊具などが設置されている。

 市が進める体験型農業プログラムの会場となる環境教育農園なども整備され、公園内の「みんなのトイレ」は2025年12月、「多目的休憩棟」は26年3月の完成を予定している。ハス田の花が咲くのは来年以降になるという。

元々、ハス田

 公園の構想には、地域住民も加わってきた。小山田蓮田緑地が開園した地は元々、ハスの栽培が行われてきたところだったものの、ハス田の担い手の高齢化により、今後の維持管理に不安の声が上がるようになったことが公園開園の発端となった。

 19年には市と地元町内会が共同で公園開園に向けたワークショップを実施。「自然を守り、地域の人が集える場所に」との声が多く寄せられ、20年には公園の基本計画が策定された。その後も住民参加の形で整備に向けた話し合いが続けられ、今回の開園に至ったという。

 市の担当者は「小山田地域の思いを反映し、形にできたもの。地域の方々に楽しんでもらえる場所になれば」と話している。

「魅力高める場に」

 26日の開園日にはオープンを記念したテープカットや関係者のあいさつが行われ、多くの来園者で賑わいをみせた。

 登壇した石阪丈一市長は「近くの清掃工場の整備と合わせて、地域全体の魅力を高める事業として実現した。多くの人に訪れてもらいたい」と述べた。

 今後は町内会主催のイベントなどもこの緑地で開催予定といい、地域に根差した交流の拠点として活用が見込まれている。

6月に行われた総会

町田市商連 負債返済、ひと区切り 00年代半ばの事業で

 20を超える商店会が加盟する町田市商店会連合会(市商連)が先ごろ、総会を開き、2000年代半ばに取り組みを始めた事業によって抱えた負債を返済し終えたと報告した。市商連会長の林伸光さんは「ひと区切りとなった。今後は会の若返りに目を向けていきたい」としている。

 市商連は町田市内の商店会を支える存在として1950年に創立。販促企画やイベントを実施するなど、商店会のサポート役を務めてきた。時代に合わせたさまざまな新規事業に取り組み、市内商店会の活性化に貢献してきたが、00年代半ばに取り組んだポイントカード事業では利用が伸びず負債を抱えることに。大きな打撃を受け、町田市や町田商工会議所などの支援を受けながら、負債を分割して返済していくことが決定。今年6月までの全額返済を目指してきた。

 事業に対する透明性を高めるため、新たに税理士を加えるなどしてきたという市商連。中心になって負債の返済に取り組んできた林さんは「長かったと感じる一方、よくやったなとも。『失敗は成功のもと』にしたいと取り組んできた」と振り返る。

若返りを

 ひと区切りついた林さんは7月以降、会の若返りを図っていくという。

 定着した年末のキャンペーンや、近年取り組みを始めたデジタル化を「若い人に進めてもらいたい」とし、その一環として、2人だった副会長を4人増やして6人に。「新しく就任した副会長には一緒に事業にあたりながら、取り組みについて知ってもらいたいと考えている。私も70代。会長職をゆずることができれば」と林さん。「当会への加入促進を含め、新しい視点で会を活性化してもらいたいと思う」と話している。

「感謝している」

 新たに副会長に就いた60代の関口昌也さんは「火中の栗を拾ってくれた林さんには感謝している。その功労者から頼まれては副会長を受けない訳にはいかなかった。各商店会の支援に力を入れていきたい」と意気込んでいる。

伊藤さん

優秀なオペラ歌手が町田に集結 三縄みどり門下生コンサート第2弾

 東京藝術大学ほかで優秀な門下生を数多く輩出している高名なソプラノ歌手・三縄みどりさんの門下生5人が8月13日(水)、町田に集結して2回目のコンサートを開催する。会場は町田市民フォーラム3階ホール。

 今回の出演は東京藝術大学卒業後、歌手・ボイストレーナーとして大活躍中のソプラノ唐沢萌加さん、東京藝術大学及び大学院修了で特待生として二期会マスタークラスに進み既に大活躍中のソプラノ河向来実さん、東京藝術大学卒業、二期会研修所を特待生として修了しコンクール優勝歴も持つソプラノ早川愛さん、東京藝術大学及び大学院修了、コンクール優勝歴を持ち、現在はびわ湖声楽アンサンブルメンバーとして活躍中のメゾソプラノ岩石智華子さん、東京藝術大学卒業後シチリアに留学してコンクール優秀歴を持つメゾソプラノ伊藤名佳子さんの5人。今回は「海」「風」「旅」をテーマに日本歌曲、ドイツリート、フランス歌曲、オペラアリアなどを披露する。「優秀な声楽家が一堂に会するのは滅多に無い事です。ぜひ多くの方に足をお運び頂き『生の歌声』の素晴らしさを実感して頂けましたら幸いです。皆様のご予約お待ちしております」と主宰の柴田素光さん。

 午後2時30分開演(2時開場)で3千円。(問)柴田さん【携帯電話】090・1734・8116。

父への思いを穏やかに話す込谷さん

残された戦記、次世代へ 父の思い、一冊に

 父親の「声なき声」を一冊の冊子にまとめたのは、込谷れい子さん(75・金森在住)。20年間にわたる母の介護の最中に偶然見つけた父・喜幸さんの戦記。「これは私の責任」と不慣れなパソコンに向き合い、父の達筆な崩し字は、知人らの協力を得て解読した。「1日2時間パソコンに向き合っても、進むのは1ページがやっとでした」と振り返る。

 戦記には、1941年の入隊から帰還するまでの約6年間がつづられ、入隊時に抱いた「国家の為に一命を捧げる」という喜びも束の間、新兵時代は日常的に制裁を受け、「顔が腫れていない日は一日も無い」ほどの過酷な教練が続いたとある。

 そして、中国大陸での戦闘で目の前で分隊長が心臓を撃ち抜かれ戦死。自身の失敗を泣いて叱ってくれた優しい上官の死に対して、深い悲しみに襲われた様子などがしるされていた。

 戦後間もない1948年に壮絶な体験を振り返ってつづられたもので、父の喜び、苦しみ、そして悲しみが克明にしるされ、込谷さん自身も断片的にしか知らなかった父の姿があったという。

 2019年に完成した冊子は100部印刷し、近隣の小中学校や知人らに配布した。「青春を戦争に奪われた父の無念を思うと、この戦記を誰かに見てほしかったのだろうと感じます」。込谷さんは、若い世代に読んでほしいと願う。「2度と戦争はしてはいけない、ということを伝えたい」

少年時代、北海道で戦争を体験した北村さん

教科書なき学び舎 北の大地で奪われた時間

 金森に暮らす北村昇さん(93)。その穏やかな表情の裏には、少年時代に体験した戦争の鮮烈な記憶が刻まれている。太平洋戦争の開戦当時、北海道羽幌町で小学3年生だった北村さんにとって、戦争は遠い南の島の話だった。「最初は景気の良い話ばかりだったんだけどね」。しかし、日本軍玉砕のニュースで空気は一変。「戦況がにわかに変わり、北海道にもたいへんな状態が近づいていると感じた」

 教室を軍隊が使用するようになり、残された学び舎はすし詰め状態になるなど、学校から平穏な日常が失われていった。学用品も「筆はない。墨はない。半紙はない」というあり様で、ある日、北村さんが山の上で農作業をしていると、いつもと違う長いサイレンが鳴り響いた。ふと遠くを見ると、「遠くにね、バーっと赤い光が見えたんです」。後でそれが50キロ離れた工場への空襲だと知ることに。肌で感じた戦争の恐怖だった。兄2人も戦地へと送られ、6年生になった北村さんもニシン漁や農作業に駆り出された。

我が子の死に、泣けぬ親たち

 北村さんの記憶に、今なお最も悲しい光景として焼き付いているのが、戦死した兵士の「町葬」だ。「死んだ兵隊さんの親がね、涙一つ流さないんだよね。『泣いてはいけない』ことになっていたから。我慢してたんだよ。もう本当に、見るに耐えられなかった。自分の子どもが死んで、泣けないはずがないでしょう」。終戦を告げた玉音放送は、ラジオの雑音で「何を言っているんだか、わからなかった」。戦争が終わったと聞いて「ほっとした」一方で、「この先どうなるか」という強い不安に襲われたという。

 そして、戦後の混乱期をくぐり抜け、仕事が一段落した頃に長男が住む地域近くの町田へ居を移したのだという。北村さんは、戦争体験を伝えることの難しさを語る。「口で言ってもね、わからんと思いますよ。今とは桁違いの時代だから。国民が犠牲になったんだ。それがやっぱりこの戦争の最大の失敗だったと思う」

猛暑に・・・涼スポット「活躍中」 風鈴や地域の水場など

 猛暑日が続く町田市内で涼を感じられるスポットが数多くある。

 その1つが、町田駅周辺の中心市街地にある浄運寺・境内の風鈴=左写真。数多く並べられ、心地よい風が吹くたびに「カランカラン」という涼しげな音色を奏で、立ち寄った人たちの耳を楽しませている。「数年前から始め、最近は風鈴を求めてやってきてくれる人が増えてきました」と同寺の室矢教恵住職。今年は暑さが続く9月下旬ごろまで飾りつける予定という

 一方で、地域の「水場」となっているのが、中町・東京ガスライフバル町田まちだ店の店舗前に設置されている非常用井戸。近隣住民が生活用水をくみに来る一方で、子どもたちの水遊び場になることもあるという。

 同店は「多くの方に利用してもらい、災害時にここに来れば、水を得ることができると覚えてもらいたい」と話している。

原町田に巨大めいろ 8月9・10日 子ども向けイベント

 原町田の町田市文化交流センター・5Fけやき東で8月9日(土)・10日(日)、「巨大めいろ」に挑むことができる催しが開かれる=画像。

 9日は正午、10日は午前10時からでいずれも午後5時まで(最終受付は両日とも4時30分)。幼児や小学生が対象で入場料は100円。事前の申し込みは不要。参加希望者は当日会場へ。ぬりえコーナーもあるという。

 問い合わせは市文化交流センター【電話】042・710・6611まで。

旭町で「伝説のプロレス大会」 8月16日 旭町で

 地元出身レスラーなどが出場する全日本プロレスのチャリティー町田大会が8月16日(土)、旭町のサン町田旭体育館で開かれる。国内を代表するプロレス団体の1つである全日本プロレスが旗揚げ前に町田でプレ大会を開催したことを知ってもらおうと本町田出身の杉下由輝さん=写真=が企画し今回で3回目になる。大会は午後2時開場で3時開始。入場料は最前列のプレミアムシートが1万5千円で特別リングサイドが1万円。アリーナ席は8千円、指定席5千円。当日のみの小中高生席は2千円(高校生は身分証が必要)。チケットは会場のサン町田旭体育館などで販売している。問い合わせは全日本プロレスチャリティー町田大会実行委員会メールmachidataikai@yahoo.co.jpまで。

読者プレ

 この大会の招待引換券を本紙読者10人にプレゼントする。申し込みは氏名・年齢・住所・電話番号・紙面の感想を明記のうえ、ハガキまたはメール(machida@townnews.co.jp)で。住所は〒252―0239相模原市中央区中央2―6―4 タウンニュース相模原支社「プロレス」係まで。8月4日(月)必着。

地獄と化した東京 本紙に託された記録

 戦後80年――。戦争の記憶が風化しつつある現代において、三輪町在住の西村元克さん(88)から、壮絶な戦争体験をつづった手記が本紙に寄せられた=写真。

 1937年、東京の下町で生を受けた西村さん。5歳で初空襲を体験し、低空で飛ぶ爆撃機と黒煙が目に焼き付いている。通っていた柔道場では、敵兵に向けた「投石」の猛特訓を受けるなど、子どもたちですら戦力として見なされる時代だった。

忘れられない感触

 「この世の地獄を見るなんて夢にも思わなかった」。手記の中で多く筆が割かれているのが、東京大空襲だ。一夜で火の海と化した街を、家族とリヤカーで逃げ惑う。人を直撃する焼夷弾、全てを飲み込む火の竜巻。猛火から逃れた後、父親を探しに戻ると、そこは言葉を絶する惨状だった。黒焦げの遺体が至る所に転がり、その1つを踏んでしまった時の感触は今も忘れられないという。終戦後も飢えをしのぐため、焼け跡からお金になるものを拾い 、無法地帯と化した闇市は、子どもでも危険と隣り合わせな状況だったという。

 「当時のような時代が再来した時、参考になれば幸いです」と西村さん。「長い歴史の中の流れに対し、こと人間に与えられた生存時間は極めて短い。従って同じ轍を踏む事になるのだろう。一番大事なのは事実の継承と教育が最も有効な手段だと思う」と結ぶ。

当時を振り返る鈴木さん

「戦争あったとは思えなかった」 戦後賑わった中心市街地

 戦後間もない町田を見てきたのが、中心市街地で楽器店を経営し続けてきた鈴木攻一さん(80)。物心ついた頃から町田で暮らすようになり、中心市街地にあった楽器店で戦後から5年ぐらい経た街並みを眺めてきた。

 当時の中心市街地は数年前に戦争があったとは思えないほど、人が溢れかえっていたといい、「現在のJR、小田急線双方の町田駅を急ぎ足で行き交う人が多くて、その通り道は当時、『駆け足通り』と呼ばれていた。中心市街地の街なかも人、人、人という感じだったね」と振り返る。その活気が再び町田に戻ってほしいと思う一方で、平和の世の中になったからこそ、そんな時代を迎えることができたと実感しているという。

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講師の宮田さん

源義経の謎に迫る 8月23日 市民フォーラムで

 多摩丘陵の源義経伝説の謎に迫る「真夏の歴史講演会」が8月23日(土)、町田市民フォーラム3階ホール(原町田)で行われる。主催はいざ!鎌倉古道の会(旧鎌倉古道・歴史遺産の会)。

 平安時代末期、平家を西に追い詰めて滅ぼした源義経。しかし、源平合戦直前の約4年間の多くが、幕府の公式記録「吾妻鏡」から消えているのはなぜなのか--といった歴史の背景に迫る。講師はNHKテレビやラジオ番組で歴史解説を行う古街道研究家で歴史ルポライターの宮田太郎さん。「真夏の楽しい歴史ロマン講演にぜひお越しください」と主催者。

 時間は午後2時から4時まで(1時30分開場)。先着150人で当日受付。参加費一般1500円・会員千円(学生は学生証の提示で無料)。問合せは東野さん【メール】i.touya108@hotmail.co.jpまたは【携帯電話】090・3579・1753。