町田 社会
公開日:2025.07.31
教科書なき学び舎
北の大地で奪われた時間
金森に暮らす北村昇さん(93)。その穏やかな表情の裏には、少年時代に体験した戦争の鮮烈な記憶が刻まれている。太平洋戦争の開戦当時、北海道羽幌町で小学3年生だった北村さんにとって、戦争は遠い南の島の話だった。「最初は景気の良い話ばかりだったんだけどね」。しかし、日本軍玉砕のニュースで空気は一変。「戦況がにわかに変わり、北海道にもたいへんな状態が近づいていると感じた」
教室を軍隊が使用するようになり、残された学び舎はすし詰め状態になるなど、学校から平穏な日常が失われていった。学用品も「筆はない。墨はない。半紙はない」というあり様で、ある日、北村さんが山の上で農作業をしていると、いつもと違う長いサイレンが鳴り響いた。ふと遠くを見ると、「遠くにね、バーっと赤い光が見えたんです」。後でそれが50キロ離れた工場への空襲だと知ることに。肌で感じた戦争の恐怖だった。兄2人も戦地へと送られ、6年生になった北村さんもニシン漁や農作業に駆り出された。
我が子の死に、泣けぬ親たち
北村さんの記憶に、今なお最も悲しい光景として焼き付いているのが、戦死した兵士の「町葬」だ。「死んだ兵隊さんの親がね、涙一つ流さないんだよね。『泣いてはいけない』ことになっていたから。我慢してたんだよ。もう本当に、見るに耐えられなかった。自分の子どもが死んで、泣けないはずがないでしょう」。終戦を告げた玉音放送は、ラジオの雑音で「何を言っているんだか、わからなかった」。戦争が終わったと聞いて「ほっとした」一方で、「この先どうなるか」という強い不安に襲われたという。
そして、戦後の混乱期をくぐり抜け、仕事が一段落した頃に長男が住む地域近くの町田へ居を移したのだという。北村さんは、戦争体験を伝えることの難しさを語る。「口で言ってもね、わからんと思いますよ。今とは桁違いの時代だから。国民が犠牲になったんだ。それがやっぱりこの戦争の最大の失敗だったと思う」
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