横須賀・三浦版【8月1日(金)号】
ツルハシを使用して人力で掘られたと推察される壕内

久里浜駐屯地地下壕 本土決戦の備え一部公開 総延長約2Km、防空退避目的

 陸上自衛隊久里浜駐屯地(横須賀市久比里2の1の1)は7月30日、施設内に残る太平洋戦争中の地下壕を公開すると発表した。総延長約2Kmにおよぶ広範な地下施設で、安全性が確保されている一部のエリアに限って一般見学を可能とする。防衛省では、自衛隊への理解を深めてもらう狙いで施設の見学ツアーを積極的に行っており、これの一環として受け入れる。太平洋戦争末期に本土決戦に備えた旧日本軍の戦略を知る貴重な資料でもあり、多くの関心を呼びそうだ。

 大戦中の1944年11月から本土空襲が本格化したことで全国各地に半地下式または地下式の防空壕が築造された。横須賀軍港を抱え、軍事施設が集積する横須賀では山と隣接して建物が建つ立地条件を生かした横穴式の防空壕が数多く築かれた。陸・海軍合わせて100カ所以上あるとされ、総延長が1Kmを超える大規模壕もある。軍用機や軍用艇の格納など軍需産業の生産設備移転もあったという。

 久里浜駐屯地は1939年に旧海軍通信学校として開設され、地下壕は終戦までに4カ所築かれた。掘削時期や目的を示す史料は確認されておらず謎に包まれている部分が多いが、44年から45年の大戦末期、空襲を避けるために施設の地下化が進められた市内各地の地下壕・地下施設との類似性が見られることから同様の役割を担ったと推察されている。ただ未完成部分が少なくなく、突貫工事であった可能性もある。戦後は一部、倉庫として利用されていたが、ほとんど放置されたままの状態だった。

 残存する4カ所の地下壕のうち、3カ所は出入り口が土砂で埋まっているため、公開は延べ約1・2KmあるA地区と呼ばれる場所のみ。安全点検調査を済ませ、今後は説明板などを設置していく。旧日本軍の防空退避壕の中でも屈指の規模であり、同駐屯地の広報担当者は、「『日本最古の駐屯地』内にある戦争関連遺跡として保存するとともに、広報活動に利活用していく」と話している。

 見学希望は、久里浜駐屯地のホームページ(https://www.mod.go.jp/gsdf/sigsch/)で受け付けている。

三浦義明坐像と永井住職(今年4月撮影)

満昌寺 三浦義明坐像を後世に 180年ぶりの改修 CFで費用募る

 横須賀市大矢部にある臨済宗建長寺派の名刹「満昌寺」の国指定重要文化財「木造 三浦義明坐像」の修復作業が文化庁管轄のもと、京都府で進んでいる。同寺では現在、修復にかかる費用をクラウドファンディング(CF)で募っている。集めた資金は、義明の没後850年となる2030年に計画している法要儀式「遠諱(おんき)」にも充当する予定だ。

 相模国の国衙(こくが)の役職(在庁官人)だった三浦大介義明は平安時代の1092年、三浦義継の子として衣笠で生を受けた。幼少期から弓馬に秀でており、15歳で元服。自身の兄弟や息子らを三浦半島全域に配置して領地を治めるなど、政治・人格に優れた人物と伝えられている。1180年、源頼朝の平家追討の旗揚げにいち早く呼応。鎌倉幕府の成立にも大きな役割を果たしたとともに三浦一族繁栄の礎となり、89歳で戦死した。

 同寺は頼朝が義明の菩提を弔うために1194年に創建。坐像は、義明をかたどった等身大の武人俗体彫刻で鎌倉時代後期の造立とされている。像高81・4cm、重さは約70kgある。寄木造りで玉眼入り、頭頂には冠をのせ、右手に笏(しゃく)を持ち、太刀を携えている。

 修復は約180年ぶり。作業を担当する(公財)美術院が昨年4月に坐像の状態を調査するため、解体。胎内には文字が書かれた木札が入っており、三浦一族の子孫がこれを解読すると、前回の作業が江戸時代の1846年であることが判明した。

 坐像は今年5月末に搬出されており、2026年3月頃に修復作業が終了する予定。坐像と台座それぞれの経年劣化している継ぎ目や塗装などを約10カ月かけて直す。

 費用は約600万円。半分を国が負担し、残りを県・市・同寺で分担する。

 同寺の永井宗寛住職は「三浦半島の歴史を代表する人物だが、近年は彼を知らない人も多い。没後850年の節目を迎えるにあたり、改めて、生き様や生涯を伝えていくのが使命だと感じている」と話す。

 CFは10月15日(水)まで、朝日新聞社が運営する「A-portみらい」で実施している。

三浦市議会初の女性議長に就任した 神田 眞弓さん 三浦市三崎在住 68歳

「完全中立」立場を自覚

 ○…「重い職責を実感している。三浦市議会の伝統を受け継ぎ、誠心誠意務めたい」――。議長の任を受けた市議会7月定例会初日、壇上で力強く所信を述べた。市政施行70周年の記念すべき年に、女性として初の重責を担った。5期18年の議員生活で培った経験を生かし、まとめ役に徹する。

 ○…生まれも育ちも三浦市三崎。短大卒業後は地元に戻って幼稚園教諭などの職に就いた。4人の子を育てた経験から、2007年の初当選後は子育て政策に注力。自民党会派の一員としてパイプを生かし、前市長に働きかけ、ひとり親家庭などに対する経済的支援の窓口となる「子ども課」の創設に尽力した。「厳しい財政の中、優秀な職員のお陰で同課が成り立っている」と感謝の心を忘れない。

 ○…女性の視点から考えた、有効性のある政策の実行力と市民第一の姿勢が評価され、市議会運営委員長など数々の要職を歴任。消滅可能性自治体である地元を「人が魅力的で温かい」と愛してやまず、存続させるために動き続けてきた。これまで議長席に座った43人を”師”と表現し、「先人たちはしっかりと議会をまとめてきた。私も名に恥じない働きをしなければ」と自覚を口にする。

 ○…7月議会は、20年ぶりに新市長が誕生したこともあり、連日傍聴席が埋まるなど注目を集めている。「市長派、反市長派とそれぞれ考えがあり、やりづらい部分もある」。だが、やじを飛ばした一部の傍聴人に「議会の秩序を乱す行為は許さない」と注意する場面も。不測の事態にも、議場の責任者として毅然と対応した。出口嘉一市長とは意見を異にする部分もあるが、議長職は完全中立。もちろん性別も関係ない。

横総高ものつくり研究部 “郷土の宝”魂吹き込んだ 「横須賀時計塔」からくり人形修復

 横須賀市役所本庁舎前にある高さ10mの時計塔の中に備え付けられていた三浦大介義明の銅像と横須賀の郷土芸能の虎踊り、飴屋踊り、とっぴきぴー踊りをモチーフにしたからくり人形が、7月28日から同市役所3号館1階市民ホールで展示されている。

 時計塔のリニューアルに合わせて動かなくなっていた銅像と人形を再生するプロジェクト。横須賀総合高校ものつくり研究部のメンバーが約4カ月費やして修復作業に取り組んだ。

 時計塔は、1985年3月の本庁舎完成に合わせて市内の篤志家が寄贈したもの。定刻になると音楽に合わせて踊る仕掛けで多くの市民に親しまれていた。これが経年劣化で故障と修理を繰り返すようになり、2001年にはからくり部分の自動演出が停止に。以降、時計塔内部で20年以上も放置されたままになっていた。

 作業は困難を極めた。広い範囲に錆が付着し、元の形状や細部の構造が判別できないほどの状態だった。メンバーは、素材や製造方法を見極めるところからスタート。1体の人形を慎重に分解して構造や仕組みを理解し、時間を掛けて丁寧に錆落としに励んだ。組み立て作業は元の動きを再現できるよう工夫を重ね、抜け落ちてなくなっていた虎踊りの虎の髭は、プラモデルの廃材を加工して表現するなどアイデアを凝らした。着色と仕上げではもとの金色を再現することにこだわったという。

 展示場所には、今回の一連の活動を紹介する大判パネルが飾られている。

集えパフォーマー 「わんぱくフェス」出演者募集

 横須賀市内の青少年育成団体らで構成される実行委員会が開催する「わんぱくフェスティバル」が11月16日(日)に平成町の県立保健福祉大学で開かれる。

 子どもや地域の青少年支援団体の発表・交流を図ることを目的とし、約20年前から継続して行われているイベント。例年ステージ発表やワークショップ、模擬店など、計30以上の団体が参加している。

 これに先立ち、同実行委員会では、ダンスや演奏などをステージで披露する市内在住の小・中学生中心の団体を募集している。

 参加費2千円。申し込みは、はがきに代表者名・連絡先・団体名・ジャンル・人数を記載して、横須賀市子育て支援課 〒238─0004 横須賀市小川町16 はぐくみかん青少年育成担当へ。8月21日(木)必着。応募者多数の場合は抽選。問合せは同課【電話】046・824・5377。

浦賀の引揚船第1便になった「氷川丸」の資料写真に目をやる安齊さん

「戦死だけが悲惨じゃない」 浦賀引揚船 コレラの悲劇語り継ぐ

 「祖国の土を踏める」--。一体、どれほどの希望だっただろうか。終戦を告げる玉音放送から数カ月。遠い異国の戦地から故郷への帰還を夢見て船に乗った人々を待っていたのは、安堵だけではなかった。コレラの蔓延により、上陸を阻まれた引揚者たちの悲劇が、浦賀の地であった。

* * * * *

 当時、在外日本人生存者数は軍人や一般人を含めて約660万人。これ以外にも相当数の生死不明者がいたとされる。引揚指定港となった浦賀では、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れ、全国では4番目、太平洋岸では最大だった。

 しかし46年、中国広東・海防方面からの引き揚げが開始されると、多数のコレラ患者が発生。長瀬にあった「旧海軍対潜学校」に検疫所が設けられ、検疫が済むまでは上陸の許可が下りず、多くの船が海上で停泊。感染者は検疫所や医療機関に収容されたが、分かっているだけでも398人、正確な統計資料はないが、数千人が命を落としたとする見方もある。

風化防ぐ資料館を

 「悲惨なのは戦死することだけではなかったことを知ってほしい。帰還には想像に及ばないほどの苦難があった。これを伝えていかなければ」。浦賀の引揚船の歴史を伝承する市民グループ「中島三郎助と遊ぶ会」の安齊孝夫さん(72)はそう話す。

 同会は1993年、幕末期の浦賀奉行所与力、中島三郎助を顕彰する団体として設立した。引揚船の歴史にも触れる機会があり、語り継ぐ活動を開始。これまで30回ほどパネル展を開いたり、地域の小学生に歴史を教えたりと、後世に伝えるべく取り組んできた。

 しかし、長年の活動で会員の高齢化は顕著に。保有する資料や写真なども劣化が進む。「以前まで、引揚船の歴史を語る団体は市内にもあったが、いまはウチだけじゃないかな。展示も今年が最後かもしれない」。会の存続、そして伝承が危ぶまれている現状に不安が口をつく。

 浦賀と同様に指定引揚港だった京都府舞鶴市には常設の記念館がある。「関東では引揚の歴史を語る場がない。このままでは史実を残していく機会が失われる」と窮状を訴える。

 このような事態を受け以前発行した資料冊子を増刷し全国の図書館に配布する活動に着手している。それとともに「いずれは、浦賀に常設の資料館を確保できれば」と願いを込める。
話しながら塗り絵を楽しんだ

三浦学苑高美術部 塗り絵で世代間交流

 三浦学苑高校美術部による高齢者向けの絵画教室が7月25日、衣笠商店街であった。色鉛筆の使い方を指導し、参加者らは金魚、うちわなど夏の代名詞と呼べる題材の塗り絵を完成させた。

 「最初は薄い色から塗って、濃淡をつけます」――。各種コンクールでの入賞や同校文化祭恒例の巨大絵の展示など、目標を持って制作活動に取り組んでいる部員8人が、それぞれ参加者の隣に座り、分かりやすくコツを伝えた。

 部長の田村凛さん(2年)は「皆さん上手で、実力を感じる。孫の話を聞いたり学校生活のことを話したりしながら描けた」と笑顔を見せた。部内で"色使いの名手"の異名をとる瀬川久瑠美さん(2年)は、赤、青、緑などの色の特徴を教えつつ、自身の作品の題材である「横須賀バーガー」の配色を完成させた。「色がついていく過程が芸術の魅力。世代間で交流できるのも楽しい」と語った。指導を受けた関屋正人さん(67)は「塗り絵が好きになった。高校生はデジタル画材にも詳しく、話が興味深い」と話した。

 教室は衣笠第一地域包括支援センターが主催する高齢の地域住民向けレクリエーションの一環で行われ、計19人が参加した。昨年に続く2度目の実施で、前回は「明治安田生命大人の塗り絵コンクール」の入賞者を輩出した。定年後の時間を有意義に過ごしてもらおうと、同センターは毎月2回、フィットネス体験などを開催している。
活断層群について解説する茅野会長

三浦半島活断層調査会 巨大地震に備え呼びかけ 設立30周年記念講演で

 横須賀・三浦両市などに分布する活断層群について調査、研究を行い、日頃から地震への備えを呼びかける市民団体「三浦半島活断層調査会」が、設立30周年を迎えた。市自然・人文博物館で同会の研究成果などを発表するパネル展が8月6日(水)まで開かれており、茅野教幸会長は「改めて啓発する機会になれば」と話している。

 三浦半島は、北から衣笠、北武、武山、南下浦、引橋の各活断層が存在し、いずれも地震を引き起こす恐れがある危険地帯。中でも震度6弱以上の揺れを発生させるとされる武山断層は、約2200年前に活動した形跡があり、同断層の活動間隔も約2000年であることから、30年以内に再び動く確率が高いとみられる。

 会員で理学博士の柴田健一郎氏は「プレートが動くと、関東大震災級の揺れが起こる可能性がある」と危機感をあらわにする。

 同会は1995年の阪神淡路大震災を機に発足。断層群の視察などを通じ、市民レベルで災害の危険性について考えてきた。会員は現在60人で、セミナーなどで講師として周知活動を行うこともある。

 7月、断層群が相模湾まで伸びており、沿岸に巨大津波が押し寄せる可能性を東京大学地震研究所などが指摘した。新たな避難計画を練る必要性を迫られる中、同会は「常に発信を続け、被害を小さくする」をモットーに、市民に「正しく恐れる」の心構えを持ってもらうねらいだ。

 茅野会長は、同博物館でのギャラリートークで「地震を止めることはできないので、まず避難生活を想定した備蓄を。停電、断水を見越して、日頃から風呂に水を溜めたり汚物を入れる大きなポリ袋を用意したりすると良い」と備えを呼びかけた。

「ビレッジボイス」(横須賀市長沢) 市在住画家が2人展

 横須賀市在住のアーティスト・愛泉さん、おみりゅうさんによる展示会が8月18日(月)から、カフェ「ビレッジボイス」(長沢3の2の1)で開かれる。偶然知り合った2人が意気投合し、開催に至った初の企画。青を基調とした細やかなタッチが特徴的な愛泉さん、動植物をモチーフに主に水彩画を描くおみりゅうさんの絵を約20点展示する。期間は同24日(日)を除く同31日(日)まで。入場無料。最終日は、ジャズを聴きながら鑑賞できる(有料、予約【携帯電話】080・7107・7764)。

横須賀商議所無料セミナー 一歩踏み出す「プチ開業」

 横須賀商工会議所は8月16日(土)、「好き」を仕事にして収入を得る「プチ開業スクール」を開講する。本業を持つ人や家事・育児を担う人がスキマ時間などを活用して取り組むもので、同商議所では副業・兼業などを含めた小さな起業を後押ししていく。

 横須賀市内の開業経験者4人が講師となって成功と失敗の体験談をセミナー形式で話すほか、自分の「好き」を仕事の形にしていくためのワークショップを行う。参加者同士が情報交換する場も設けられる。

 会場は平成町の横須賀商工会議所1階多目的ホール。時間は午後2時から4時。申し込みは左記のフォームからエントリーする。問い合わせは同商議所産業・地域活性課【電話】046・823・0402。

「おはなしシャワー」 朗読劇で平和考える

 朗読公演「絵本で考える命と平和」が8月9日(土)、横須賀市立青少年会館ホール(深田台37)で開催される。太平洋戦争を題材にした絵本の読み聞かせを行う。

 出演は市内で朗読ワークショップなどを開いている団体「おはなしシャワー」(岩間数子主宰)の皆さん。2部制で、第1部では原子爆弾が投下された広島が舞台の『8月6日のこと』など4作品を朗読。第2部では、特攻に志願し犠牲となった若者の実話をもとにしたストーリーを語る。

 絵をスクリーンに拡大投影した上で、BGMや効果音を入れたり、楽器を演奏したりと演出に音響効果も加える。

 岩間さんは「戦争を知らない世代が、平和に心を馳せ、家庭や地域で話し合うきっかけになれば」と話している。

 計2回公演で、時間は午後1時と午後4時から。各回90分程度。入場料大人1000円、高校生以下500円、3歳以下ひざ乗せ無料。予約はohanashi2022@gmail.comまで。(問)【携帯電話】090・6146・3047。

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実際に歩くことで生活者のリアルを感じる。先頭を行く清水さん

市民グループ企画 「観察型まち歩き」 地域ごとの課題や可能性探る

 社会課題を抱える現場を訪れ、「歩く」という行為を通じて日常に潜む変化の兆しを見つけ出すウォーキングイベントを市民グループの「Hanto Innovation Lab」が実施している。初回の7月26日は空き家となっていた市営住宅群を改装し、職住一体型の店舗兼用住宅として再生が進められている田浦月見台エリアを見学した。

 発案者は一級建築士で福祉住環境コーディネーターの清水英行さん。「観察型まち歩き」というユニークなコンセプトを打ち立て、生活課題を見つけ出して改善策を講じていく。道中にあるカフェや個性的なスポットにも立ち寄るなど楽しむ要素も盛り込んでいる。

 坂道と階段を登った先に住宅群が広がる田浦月見台は「空が近く、軍港を見下ろす風景は絶景。一方でその背後には住民の高齢化や空き家の増加、福祉サービスの届きにくさといった現実がある」と清水さん。平地が少ない谷戸と呼ばれる地域の共通課題であり、若者を呼び込む「坂の上のくらし」という新しい仕掛けに可能性を感じているという。都市機能や生活拠点を集約させるコンパクトシティの推進という考え方もあるが、「エリア一帯で若者と高齢者が入れ替わる『まちの新陳代謝』でコミュニティを維持していくことはできないか」と理想を話し、今秋の全面開業に向けて動き出しているまちの胎動を感じることを今回の狙いとした。この日は10人の参加があり、擁壁やブロック塀で支えられた斜面住宅地の暮らしや工夫、安全対策を清水さんが解説、月見台の出店者との交流も楽しんだ。

 同Labでは、まち歩きで得た知見を行政や大学との協働による政策提案や研究に役立てていく考え。今後は8月2日(土)「衣笠・不入斗」、16日(土)「上町・坂本」、30日(土)「浦賀・鴨居」、9月6日(土)「公郷・根岸」、13日(土)「久里浜・久村」の各エリアを歩く。参加無料。申し込み・問い合わせは、【メール】neptune.hide@gmail.com

上地横須賀市長  「地域への影響最小限に」 追浜工場閉鎖でトップに要望

 横須賀市の上地克明市長は7月29日、日産自動車本社(横浜市)でイヴァン・エスピノーサCEOと面会し、同社追浜工場の車両生産中止に関して、市内経済への影響を最小限に留めるよう要望した。

 主な内容として、従業員の配置転換や再就職支援の円滑な実施に下請け企業に対する説明と支援など。工場閉鎖後の跡地活用への配慮も伝えたという。

 追浜工場は約3900人の従業員を抱える国内主力工場のひとつ。同社は経営再建計画の一環として7月15日、2027年度末で生産を九州に移管すると発表した。総合研究所や衝突試験場などの運用は継続するが、地域経済への打撃が懸念されている。170万平方メートルの敷地面積を誇る広大な土地の使途についても注目が集まっている。

 市によると、上地市長が「地域社会への影響は甚大。特段の配慮、対応をお願いする」と求めたのに対し、エスピノーサ氏は「十分なサポートを実施する。工場跡地の活用を進めるにあたり、市に資するよう慎重に配慮する」と応じたという。

 上地市長は同日の記者会見で「策を講じてもらえると確信した。日産側の真摯(しんし)な対応に納得している」と語った。

 

アスリート支援 大神が横須賀市に寄付

 総合建築業の大神(横須賀市大矢部2の9の20)は7月25日、横須賀市のスポーツ選手応援事業に50万円の寄付を行った。同社の岩崎次郎社長が市役所を訪れ、上地克明市長に手渡した=写真。3年連続3回目。

 同事業は国内外で活躍しているアスリートの活動を支援するもの。今回は同社の申し出により、スノーボード・アルペン競技強化指定選手の余郷隆正さん、さくらさんの兄妹に贈られる。

浦賀奉行所跡

三郎助を追う〜もうひとりのラストサムライ〜 第5回文・写真 藤野浩章

 浦賀コミュニティセンター分館の郷土資料館に展示してある、浦賀奉行所周辺の居住図。これを見ると、与力になった後の三郎助の家は、奉行所からすぐの位置だ。事件が起きると直ちに奉行所に駆けつける場面が本書に何度か出てくるが、家を飛び出してから奉行所の門までは歩いても1分とかからないだろう。

 さらに船を検査した「船番所」は現在の浦賀病院のあたりというから、半径3百mくらいの範囲に奉行所の機能が集約されていたのだ。

 もともと、浦賀奉行所は下田奉行が移転して誕生したが、役人たちの住宅を含めて広大な土地が必要だった。しかも幕府は「港の中央付近に船番所を置く」「奉行所を船番所の近くに」などの条件を定めて浦賀湾の東西を視察した。ところが、すでに物流の要として繁栄していた浦賀では問屋の商いが盛んで、そこに広大な施設を置くというのはなかなか迷惑な話だったろう。実際にさまざまな抵抗があったようで、紆余(うよ)曲折の末19軒を移転させる形で土地を確保したという。

 奉行所だけで東西86m、南北75mの広さ。1720(享保5)年12月に開設され、ここから浦賀の街はまた新たな活気に満ちていくことになる。

 さて、何だかタイムスリップしたような気分に浸りながら奉行所にたどり着くと、知ってはいたものの、だだっ広い空間があるだけだった。

 ここには昭和から平成にかけて浦賀ドック関連の集合住宅が建っていて、当時の名残は堀の石垣と、門に至る石橋の一部だけだという。数々の偉人が駆け抜け、経済に加え外交や国防の拠点にもなった浦賀奉行所。今の姿は、やはり寂しい。