横須賀・三浦版【11月7日(金)号】
ふれあい広場付近(同園の撮影管理業務を担う京急アドエンタープライズの提供)

横須賀火力発電所 海辺に新たな憩いの場 市民開放エリア供用開始

 横須賀火力発電所(久里浜9の2の1)を運営する「JERAパワー横須賀合同会社」は、同施設内で整備を進めていた市民開放エリア「JERA park YOKOSUKA」を11月5日に開園した。同月1日には先行的に市内の少年サッカーチームが園内の「ふれあいグラウンド」を体験利用した。

 地域共生のまちづくりを目指して整地や植樹作業など公園化を進め、10月29日に行われた竣工式には、上地克明横須賀市長らが出席した。

 今回、開かれたのは、同施設内の約18万3千平方メートルの敷地。これをサッカーやテニスなどのスポーツが楽しめる「ふれあいグラウンド」、イベント利用が可能な「ふれあい広場」、施設南側に整備され、千葉県・南房総エリアの山々や伊豆大島を望む展望デッキを備える「ふれあいの丘」の3エリアに分類している。後者2エリアを周るように整備され、徒歩・ランニング・サイクリングの専用コースが設置された「オーバルコース」もあり、自由に周遊できる。

 敷地内には約120台分の駐車場(有料)、無料の駐輪場も備える。開園時間は夏季(4月〜9月)が午前9時から午後5時。冬季(10月〜3月)は午前9時から午後4時(グラウンドは午後3時まで)。正門から入場し、自由に利用できる。

 グラウンドのみ事前予約必須で有料。希望者は「e―kanagawa電子申請」から。
デフリンピックを表す手話ポーズをとる志希さん(左)と志野さん

加藤姉妹 二人で立つ世界の舞台 バスケでデフリンピックへ

 聴覚に障がいのある人の国際的なスポーツ大会「第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025」が11月15日に開幕する。この大会のバスケットボール競技に、関東学院大学2年の加藤志希さん・志野さん姉妹(横須賀市鴨居在住)が日本代表として出場する。

 生まれつき聴覚に障がいがある双子の加藤姉妹。聴力に差はあるが、補聴器を装着すればある程度の会話が可能な二人とバスケットボールの出会いは、小学校に入学して間もなくのこと。バスケ経験者の両親らの影響もあって地域のミニバスケットボールチームで競技をはじめ、鴨居中、横須賀大津高、そろって進学した関東学院大でもプレーしている。

 高校では県大会で8強入りを果たす原動力となったほか、22年にはデフバスケ女子日本代表のトライアウトを通過。強化選手として、国内トップレベルの環境で経験を積んできた。

 長年の悲願だったデフリンピック出場について、姉の志希さんは「楽しみから緊張に変わってきたが、このためにバスケをやってきた」、妹の志野さんは「大学の友人に、『応援に行くから絶対に勝って』と言われているので頑張りたい」と意気込みを話す。

独自サインで意思疎通

 補聴器により聴力の障がいを軽減させ、懸命な努力と仲間のサポートもあって健聴者のチームでバスケ人生を歩んできた二人。志希さんが「パスをもらうために声を出すよう指導されてきた」と言えば、志野さんも「大学では試合中でもお互いのプレーについてアドバイスを積極的に伝え合っている」と語るなど、ともに「バスケは声のスポーツ」であることを実感してきた。

 しかし、デフバスケでは補聴器などの装着が禁じられており、選手の聴力も「少し聞こえる」「まったく聞こえない」など個人差がある。

 声による意思疎通が難しいなか、これを克服するために日本代表チームが取り入れているのは、視覚的にコミュニケーションを図る「サインバスケット」。「リバウンド」を示す手話など、瞬時に意思を伝える視覚的なサインをチームで独自に考案して共有し、世界の頂点を目指す。

広めたいデフスポーツ

 趣味はともに動画の視聴だが、好みは「昔流行したドラマ」という志希さんに対し、「ドラえもんの映画」という志野さん。「全然分かり合えない」と笑うが、バスケについてはプレー技術や練習に対する姿勢など、互いに尊敬しあう間柄だ。

 デフバスケを始め、周囲から期待や励ましの声が多く届くようなったことに「誰かに応援してもらうという新しい世界が広がったことが嬉しい」と志希さん。志野さんは、「子どもの頃、健聴者と一緒に行動するのが難しいこともあった。でも、デフスポーツは平等な環境でプレーできるし、私自身もっと早く知りたかったという思いがある」と話す。世界の舞台に立ち、デフの子どもにデフスポーツの存在を広めることも二人の大きな目標だ。

 横須賀市にゆかりのある選手として、ライフル射撃に桂玲子さん((株)ハイテクノ)、陸上に猿樂彩香さん(横須賀市立ろう学校)も出場する。

紙芝居で火災予防や救急法を伝える「デコボコドリームズ」の代表を務める 蛭田 伸一さん 横須賀市平成町在住 55歳

 ○…地震や火災で避難する時に大切なことを伝える「おかしも(押さない・駆けない・しゃべらない・戻らない)」の標語。これの意味や意義を園児や児童に紙芝居でわかりやすく伝える防災紙芝居ボランティアで県内各地を飛び回る。子育て世代が集まるイベントや教育現場など依頼があればどこにでも出向く。

 ○…横浜市消防局に勤務する現役消防士。仕事の一環として、幼稚園で火災予防を啓発する出前授業を行ったが反応は今ひとつ。「どうすれば子どもたちの興味を引きつけられるか」。試行錯誤を重ねてたどり着いたのが紙芝居。「かさいへん(火災編)」に登場するのはユーモラスに描いた亀たち。ストーリーも絵もすべてオリジナル。情感を込める場面ではゆっくりとした語り口に。注意喚起は少し強めの口調で最後にギャグを交える。自己流ながら5年間の実践で伝え方のメソッドを確立させた。

 ○…届けるのは「防災を楽しく学んで欲しい」というメッセージ。デジタル全盛の時代の中でアナログな表現手法が改めて見直されていることを感じている。消防士の業務は火災時の対応だけでなく、風水害での出動や救命救急など多岐にわたる。職業としての役割とやりがいを次世代に伝えることが活動の次のステップだ。今夏、横浜市で開かれた花火大会中に台船が燃えた火災事故では同市の水難隊が任務にあたった。「活動の一幕を紙芝居で伝える」。そんな構想も思い描く。

 ○…消防の仕事は「できて当たり前」。実際の現場で感謝を伝えられる機会は少ないが、紙芝居ボランティアでは参加者から「ありがとう」の言葉を直接聞くことができる。モチベーションはそれだけで十分。自分の経験を生かせる活動に、さらに磨きをかける。
スラロームレースの見どころであるマーク回航

ANAウインドサーフィンワールドカップ 横須賀・三浦大会 11.13Thu―11.17Mon 津久井浜海岸 Tsukuihama beach

 ウインドサーフィンの世界最速を決する「ANAウインドサーフィンワールドカップ横須賀・三浦大会」が11月13日(木)から17日(月)までの5日間、津久井浜海岸(横須賀市)で開かれる。今回で7回目を数える。

 世界を転戦してきたトッププロによるワールドツアーの最終戦。2025年の年間王者をかけて白熱のレースが展開される。迎え撃つ格好の日本人選手陣は、地の利を生かしてどこまで食い下がれるかが見もの。同海岸をホームゲレンデとする複数の選手も出場を決めており、活躍に期待がかかる。海上観覧船の運航(有料)などもあり、迫力のマーク回航シーンなどを間近に見ることができる。会場では全国物産展やフランスの雰囲気を味わえるマルシェ、海辺のステージライブなども楽しめる。

テック企業社長、W杯に挑む 観戦システム開発の横井さん

同大会では、数年前からGPS機器を用いた観戦システムが導入されている。レース海面は沖合に設置されることが多く、ビーチから選手の一挙一動を把握することは難しい。選手の位置をリアルタイムで取得して会場のモニター画面やスマートフォンで実況をわかりやすく伝える仕組みが大きな役割を果たしている。開発者は横井愼也さん(42)。横須賀市内に本社を置くベンチャー企業「N-Sports tracking Lab 合同会社」の代表でウインド(W)サーフィンのトップアマチュアだ。今回、出場権を獲得してW杯に初参戦する。

 富士通のシステムエンジニアだった。趣味で始めたWサーフィンにハマり、自分のギアに記録媒体を取り付けてデータを取得し、技術向上に役立てていた。セイルを引き込む角度によるスピードの違いや回航時にボードを傾ける適切な角度など、曖昧で定性な感覚を数値化していく独自のアプローチで飛躍的な成長を遂げた。Wサーフィン自体、30代からの挑戦だったが、身体能力の高さも相まって瞬く間にレースの表彰台の常連となった。同じ頃、社内で新ビジネス創出の機運が高まり、スポーツとテクノロジーを組み合わせたシステムの開発担当に。現在の原型となるGPSトラッキングを考案した。広範囲で行われる競技の状況をリアルタイムで可視化し、観戦体験や選手の安全確認に寄与するこの技術をより発展させるために独立起業の道を選び、この分野の第一人者となった。

 現在は、自転車ロードレースやトライアスロンでも運用が広がり、全日本駅伝でもこのシステムが採用された。社会への技術応用も検討されており、「自動運転バスやローカル線の運行状況の可視化などに役立てることができる」と横井さん。多忙な業務に比例して練習時間の確保は難しくなる一方だが、競技者であり続けたいという。「W杯は世界の走りを間近にできる。海上での気づきが、事業の核になる」

石丸謙二郎墨絵個展 9日にトークショー

 俳優でナレーターの石丸謙二郎さんが新たな活動として近年、力を注ぐ墨絵の新作を展示する「石丸謙二郎 墨絵個展」が、谷戸のギャラリー按針(横須賀市東逸見町1の51/(有)按針2階)で、11月23日までの土曜・日曜日限定で開かれている。時間は午後0時から5時。

 登山を趣味とする石丸さんが訪れた山の風景の記録として始めた墨絵。技法は我流ながら完成度は玄人肌。今回は15点が飾られている。

 9日(日)には石丸さんのトークショーがある。午後1時から2時で入場無料(先着50席以上は立見)。問い合わせは主催のコロボックルの会【携帯電話】090・3205・6111。
創設者の阿部倉吉(右)

夫婦で築いた福祉の礎 戦後復興期に誕生「共楽荘」

 横須賀市衣笠栄町にある高齢者福祉施設「共楽荘」は戦後、困窮する高齢者の悲惨な状況を目の当たりにした創設者・阿部倉吉(1898〜1953)の熱意により、1948年に産声を上げた市内で最も長い歴史を刻む老人福祉総合センターだ。倉吉から事業を引き継いだ妻・阿部絢子(享年99)の尽力もありながら64年には神奈川県第一号となる特別養護老人ホームを設置。戦後の混乱期から、当時では珍しい高齢者の豊かさや尊厳を重視した福祉を形作ってきた。11月11日の「介護の日」を前に、資料や絢子元会長を知る元職員の内田京子さん(88)、職員の小笠原和美さん(83)、四戸正子さん(74)の証言から、その歩みと歴史を振り返る。

敗戦の混乱の中孤児や老人を救済

 阿部倉吉は45年の終戦時、戦死者や傷病兵の妻子を支援する「財団法人横須賀隣人会」で従事していた。しかし、家や親を失い街をさまよう子どもたちの姿に目を背けられなかった。凄惨な現実を前に阿部は旧海軍の寄宿舎を借りて身寄りのない子どもたちを収容。同年12月には児童養護施設「春光園」を開設した。

 拠り所を失ったのは高齢者も同様だった。だが、「日本軍に協力した」と、横須賀に進駐した米軍は、老人保護には”冷淡”だった。そこで、阿部は隣人会を辞し、老人の保護に向けて48年10月に財団法人阿部睦会を設立。翌年には旧海軍工廠の工員宿舎を借り受け、「厳しい生活条件の中でも将来に向けて少しでも共に明るく楽しく生活ができるように」という希望を込めた養老保護施設「共楽荘」を開設した。

 横須賀だけでなく川崎などからやってきた120人の生活困窮者とともにスタートした。しかし、宿舎は放置されたバラックで畳や建具はなく、雑草も生い茂り、荒れ放題。阿部は私財で環境を整え、入居者は大部屋での共同生活を始めた。この時代、全国的にも食料不足の中、敷地内で野菜を育てたり、豚やニワトリを飼育したり、時には米海軍基地から余った食料をもらうこともあったという。

妻・絢子の決意

 阿部の中の指針だった「日本一の養老院を」。これに向け、建て替えや診療所の設置、夫婦寮の新築を掲げた。しかしその矢先の53年、志半ばで急逝してしまう。

 その後、発見された遺書の下書きにより、妻の絢子が事業を継ぐことに。以来、60年超にわたり絢子が会長としてけん引した。しかし、当時の絢子は専業主婦で、福祉領域は全くの素人。同時に、夫が残した多額の借金も発覚する。

 これに対し、絢子は資産を処分し借金返済に充てた。また、事業にかかる資金を工面するため、美空ひばりや三橋美智也といった人気歌手を呼んだチャリティーショーを毎年開催。ひとたび公演が行われると、市民が長蛇の列を作るほどの盛況ぶりだったという。これらにより、夫が残した共楽荘の新築や診療所、夫婦寮の新設という事業を完遂した。

 絢子は以後、敷地内で展示即売会を開いて利用者が好きな衣服を買えるようにしたり、すいとんやお粥が中心だった食事を一新したりと、当時、最低限の衣食住の確保にとどまっていた養老施設において、これらの先駆的な取り組みを進めていた。「お年寄りに美味しいご飯を食べさせてほしい」と熱意をぶつけられ、初の栄養士として60年に入職した内田さんは「絢子元会長は、何よりも高齢者を大切にする温かい心を持っていた」と振り返る。そのような思いから生まれた「健康は食事から」という考えは今に継承されている。

 63年には「老人福祉法」が制定され、その翌年、共楽荘は神奈川県下第一号の特別養護老人ホームの認可を受けた。さらに70年代以降は、在宅入浴サービスや在宅老人に向けた給食サービスなど、地域の福祉にも裾野を伸ばした。地元の祭りや行事にも参加するなど地域との繋がりも重視していたことが伺える。77年には高校生向けの福祉ワークキャンプを開始。画期的な活動として全国から注目を浴びた。

 「そこまでする人なの?」。四戸さんは25年程前のある出来事を語る。民生委員から絢子のもとに衰弱した独居高齢者を発見した旨の連絡があった。絢子は四戸さんを車に乗せ、すぐさま自宅へ行き保護。施設に連れ帰ると「あなたお風呂に入れてあげなさい」と四戸さんに一言。食事も提供し、以後施設へ入居したという。「進んで職員の子どもの面倒を見たり、終業後にドライブに連れて行ってくれたり。誰に対しても家族のように接する。そんな親みたいな人だった」。3人は口を揃えて懐かしむ。

 「高齢者の尊厳と豊かさ」を重視する先進的な福祉を実現させ、神奈川県第一号の特別養護老人ホーム設置など、共楽荘は横須賀から日本の高齢者福祉の歴史に確かな足跡を刻んできた。

横須賀市中央図書館 軍港都市の検閲、いかに 明治から昭和の出版物展示

 横須賀市立中央図書館(上町1の61)は、「20世紀前半の横須賀と出版」と題した企画展示を実施している。軍港都市として栄えた横須賀で明治期から戦前ごろに店舗を構えていた書店や絵はがき店、新聞社などを紹介するとともに、出版物など66点を展示している。同館、自然・人文博物館、教育研究所の3館連携企画の一環。12月24日(水)まで。

 明治初期に土産品として人気を博した、横須賀造船所を中心に描いた一覧図や「相模中央新聞」、「軍港よろづ新報」といった横須賀に本社を置いていた新聞社の紙面などの展示がある。

 検閲の強化が進んだ1899年以降の出版物も並んでおり、意図的に裏山が消された、現在のJR横須賀駅を描いた絵はがきや、横須賀鎮守府庁舎が消された横須賀中央大通りと市街地を描いたもののほか、1937年に発行された小学生向けの副読本=写真=には、東京湾要塞司令部による検閲の具体的な指示がふせん付きで記されている。

 軍事上の重要拠点を多く抱えた横須賀では、機密の保持という観点からもこうした検閲は厳格に行われてきたとされる。

 同館担当者によると、「こうした検閲原稿が残存していることは珍しい」と言い、今回初めて展示に至った。

 展示は同館1階と3階で実施している。

ソレイユの丘 壁面に千の思い咲く

 長井海の手公園「ソレイユの丘」で11月2日、色鮮やかな花や自然が描かれた壁面装飾が誕生した。入口すぐにある約25mの壁に施されたもので、来園者らが指に塗料をつけ、花びらを描き出した=写真。

 開園20周年を記念したイベントの一環。「みんなの想いが咲くところ」をコンセプトに、こども向けコンテンツの制作会社「KUMA’S FACTORY」が壁面に下絵を手掛け、老若男女問わず約1千人の来園者らが色とりどりの花びらを描いた。同園の営業時間内であればいつでも見られる。
できたての焼き芋を校庭で食べる児童ら

上宮田小学校 あま〜い焼き芋に舌鼓 PTA企画の食育体験

「ホクホクであま〜い」--。三浦市の上宮田小学校で11月1日、同校の児童ら約70人は、校庭の一画で焼きあげられた、できたての焼き芋を心行くまで味わった。食育やPTAの参加促進も兼ねて同校PTAが企画した催し。

 先導した松原弘和副会長が提供したさつま芋の苗を今年5月に児童らが同校敷地内に植え付け、草が生い茂った7月と9月には休み時間を利用し、雑草取りを実施。そうして約半年かけて育てた愛着あるさつま芋を、泥にまみれながら精一杯引っ張り収穫を行った。

「PTAは負担」「活動は不要」-。そんな声が全国で聞かれ、加入率が減少傾向にあるが、松原副会長は「上宮田小では、このようなイベントの実施で加入が増えている。『PTAってこんな活動もしているんだ』ということをより周知できれば」と展望を話している。

モアーズシティ 体験しよう 防災のこと

 横須賀中央駅すぐの「横須賀モアーズシティ」は11月9日(日)、体験型の防災イベント「防災フェア」を実施する。会場は同施設1階の「モアーズストリート」。時間は午前10時から午後2時。参加無料で事前予約不要。

 同日から始まる秋の火災予防運動に合わせて、防災に関心を持ってもらおうと、市消防局と共催で実施するイベント。大規模地震の揺れを再現できる起震車の乗車体験(雨天中止)や、消防車・救急車の展示、子ども向け防火衣着用体験などがある。

 午前11時からは、市中央消防署レスキュー隊による救助訓練の実演が「COCOhana」付近で行われるほか、午後0時30分から2時まで、正面入り口付近で水消火器の体験、保存食の試食会(午後5時まで)など盛りだくさんの内容となっている。

 詳細や問い合わせは同施設【電話】046・820・4671。

聖夜に向け華やかな音色 しょうぶ園で無料コンサート

 横須賀しょうぶ園(横須賀市阿部倉)は12月7日(日)、「しょうぶ園クリスマスコンサート2025」を開く。

 毎年恒例となっている人気イベントで今年は、横須賀市出身の横森由有さん(ソプラノ)、渡邊達徳さん(ヴァイオリン)、三浦市出身の高梨壮一郎さん(ピアノ)、横須賀を拠点に活動する持齋寛匡さん(テノール)が出演。サンタ伝説、メリー・ウィドウ・ワルツ、チャルダッシュなどの曲目を演奏し、優雅で華やかな音色を届ける。コンサート参加者には同園で育てた花の苗のプレゼントもある。

 同園管理棟2階ホールで午後1時開演。入場無料で定員90人。希望者は往復はがきに、代表者の氏名・住所、参加者の氏名・年齢(5人まで)、代表者の連絡先を明記して、〒238-0033 横須賀市阿部倉18の1横須賀しょうぶ園宛に郵送する。11月20日(木)必着。

 問合せは同園【電話】046・853・3688。
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「クリーンよこすか」 清掃員から見た景色 マシンガンズ滝沢さん講演

 クリーンなまちづくり運動を推進する市民公益活動団体「クリーンよこすか市民の会」は11月15日(土)、「第51回クリーンよこすか市民のつどい」を開催する。

 特別ゲストにお笑い芸人兼ごみ清掃員として活動するマシンガンズの滝沢秀一さん=写真=を迎える。ごみ収集の体験をもとに、清掃員から見た景色と問題点を語る。

 会場は横須賀市文化会館大ホール(深田台50)で午後1時30分から3時50分。入場無料。
横須賀出身でラジオパーソナリティの高嶋ひでたけ氏

メディアの役割 過去未来 YRP主催「放送100年記念講演」

 ラジオ放送が1925年に日本国内で開始されて100年の節目を迎える今年。これを記念して、電波・無線技術の研究開発と関連深い「横須賀リサーチパーク」(YRP)は12月12日(金)、放送100年を冠した記念講演会を開催する。

 NHK放送博物館の元館長の川村誠氏と横須賀出身でニッポン放送オールナイトニッポンパーソナリティの高嶋ひでたけ氏を迎える。川村氏は「放送の100年とこれからのメディア100年」、高嶋氏は「放送も昭和も100年! ラジオは昭和のニューメディア」と題してそれぞれの視点で放送100年の歩みとこれからを語る。YRP代表取締役社長の鈴木茂樹氏がモデレーターとなり、両氏を交えてパネルディスカッションも行う。

 会場はYRPセンター1番館1階YRPホール(光の丘3の4)。午後2時から5時。先着150人で入場無料。

 申し込み・詳細はYRPホームページ(https://yrp.co.jp/)を確認。
黒船来航を再現したジオラマ(ペリー記念館蔵)

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第19回 文・写真 藤野浩章

「老婆心ながら申しておく。異国人との交渉には、いつも頭を柔らかくしておくことが肝心ぞ。考え方の筋道が我々とは違うからの。時には方便を用いることもためらってはならぬ」(第一章)

     ◇

 突如目の前に姿を現した4隻の軍艦。うち2隻は蒸気船だ。すでに世界では蒸気船の時代になりつつあったのだ。

 実はペリーが立案したのは、大艦隊を率いて日本へ行き、アメリカの圧倒的な軍事力を見せつけて開国を迫る作戦だった。そして白羽の矢を立てたのは東インド艦隊司令長官のオーリックだったという。しかし彼はサスケハナ号の艦長と折り合いが悪く、さらに自身に不正の疑いもあって解任されてしまう。そこでペリーの登場となったのだ。しかも、政府は大量の軍艦の派遣を見送ったため、那覇でたった4隻の艦隊を編成して江戸湾を目指すことになった。

 しかし、それでも日本を驚かせるには十分な数だった。冒頭のセリフは、7年前のビッドル来航時に交渉した経験を持つ父・清司(きよし)のもの。66歳の彼は家督(かとく)を三郎助に譲っていたが、その才能は隠居を許さず、異例の再お抱えとなっていた。

 まだどこの船なのか判然としないうちに、これはアメリカ船の再来であると予想した彼の言葉は、交渉の先駆者として力強いものだったろう。「方便」の件(くだり)は物語上の重要な伏線になるが、実際に父子の間でそんな作戦が立てられていたとしても不思議ではない。

 父の思いも胸に、三郎助と通詞(つうじ)の堀達(たつ)之助(のすけ)は、一番船となる押送(おしょくり)船に乗り込んだ。長さ10mほどの小舟が目指したのはもちろん、目の前にそびえる巨大な黒船だ。