〜入野の八坂神社に伝承される貴重な祭り囃子〜
平塚市入野(いの)の八坂神社に伝わる「入野ばやし」は入野にしか伝わっていない珍しい祭り囃子(ばやし)で、祭礼時の巡行中に演奏されない曲は特に“間物(まもの)”と呼ばれ、演奏される機会は非常に少ない。平塚市を含め近隣に伝わる祭り囃子の殆どが、1曲あるいは2曲程度しか伝承されていないが、入野ばやしは9種類という多くの曲をキザミなどでつなぐ構成となっていて、非常に難易度の高い祭り囃子である。昔から「入野は太鼓が上手い」と言われ、かつての入野は近隣の地区にも太鼓を教えていたほどで、その技術の高さは現在でもなお健在である。今回は、「入野ばやし」をテーマとした。「相模国神社祭礼」は神奈川県内(旧相模国)の神社の祭礼を中心に紹介するウェブサイトで、伊勢原市在住のわたくし添田悟郎が運営している。神社祭礼の活性化を主な目的とし、文献調査と実際の祭礼の取材を行っている。
平塚市博物館のサークルの一つである「祭りばやし研究会」では、2022年からこの入野ばやしの習得に取り組んでいて、ようやく一通り演奏ができるようになったことから、今年10月11日に行われた同会の定例会に初めて「入野太鼓保存会」の中心的な2人の伝承者である、畠中直人(はたなかなおと)さんと畠中皓暉(こうき)さんの親子に来ていただき、交流会を開催する運びとなった。
入野ばやしに失われた笛を
平塚市内で伝承されている祭り囃子では、田村の八坂神社に伝承されている「田村ばやし」と、四之宮の前鳥神社に伝承されている「前鳥囃子(さきとりばやし)」の2つが平塚市の重要文化財に指定されている。しかしながら、入野ばやしの太鼓は非常に上手いが、残念ながら笛が無いために重要文化財には認められなかったという話は以前から聞いていた。
私は同系統の祭り囃子の笛の伝承者の一人として、この貴重な入野ばやしに失われた笛を取り戻したいという思いから、2018年ごろから入野ばやしの太鼓の譜面化と笛の編曲・作曲に取り組んだ。残念ながらかつて入野で吹かれていた笛の音源は残されていなかったため、私が約30年前に二宮町の故・守泉長次氏から習ってきた大山囃子の笛を基本に編曲し、入野にしかない「大間昇殿」などの曲は自分で作曲を行った。初めて入野の太鼓に合わせて笛を吹かせて頂いたのは、2019年4月に行われた入野の八坂神社の例大祭の時で、翌年の平塚市中央公民館で行われた「第44回 ひらつか民俗芸能まつり」では、入野太鼓保存会のメンバーとして笛を演奏させて頂いた。
高難度の太鼓に四苦八苦
入野ばやしに念願の笛を入れることはできたが、当時、感じていたことは入野でしか伝承されていない入野ばやしの伝承者が少ないということである。平塚市の重要文化財として登録されている田村ばやしと前鳥囃子は広く認識されているが、肩書の何もない入野ばやしが今後消滅する可能性が頭によぎったのである。そこで、私が指導を担当させて頂いている平塚市博物館の「祭りばやし研究会」で、入野ばやしを練習曲とすることで伝承が継続される可能性が高まるのではという考えから、平塚市博物館館長の浜野達也さんと、祭りばやし研究会のサークル担当である学芸員の福田麻友子さんに相談し、祭りばやし研究会で入野ばやしを練習することが決まった。
それまで祭りばやし研究会では簡易的な入野ばやしを練習する機会はあったが、完全な入野ばやし全曲を会員に習得してもらうには正確で分かり易い譜面の準備が不可欠であった。幸いにも入野ばやしの太鼓の譜面は笛を編曲・作曲する際に既に作成していたので、更に畠中直人さんからアドバイスを頂き、会員に配布できる状態に完成させた。しかしながら、会員の殆どが地元の太鼓連に所属しない未経験者であっため、実際に練習を始めると入野ばやしの難易度の高さから習得には困難を極めた。会員の皆さんの中にはかなりのストレスを感じた方もいたと思われるが、地道に、できる曲を少しずつ増やして行った。私が手ごたえを感じ始めたのは今年に入ってからである。祭りばやし研究会で毎月1回の定例会以外に、練習日が毎月1回設定されていて、私は仕事の関係で出席したことは無いが、どうやらそこでかなり積極的に練習をしているようで、会員の方々の努力によりレベルが急激に上がって来たのを実感した。今年の夏ごろには入野ばやしの全ての曲が何とか演奏できるようになり、入野の畠中親子に当会との交流会を打診したのである。
畠中親子の圧巻の演奏
交流会では最初に祭りばやし研究会が入野ばやしを演奏し、畠中親子に感想を頂いた。本家を前にして流石に緊張したようで、いつも通りの演奏ができなかったが、何とか最後までやりきることができ、畠中親子からは「失敗しても最後まで演奏を続けることが大事」というお言葉を頂いた。続いて、入野太鼓保存会の畠中親子が太鼓を、私が笛を演奏して研究会の会員に入野ばやしを聴いてもらい、曲の合間で質疑応答を取るかたちで進行した。ありがたいことに、畠中親子には入野の祭礼で実際に使用している締太鼓を持参して頂き、平塚市特有の甲高い音を実際に体感することができた。最初の屋台囃子の演奏を終えて会員に感想を伺ったが、間近で聴く圧巻の演奏に会員は只々言葉を失い、なかなか意見が出てこなかったことが印象的であった。その後は畠中直人さんの分かり易い解説に会員の緊張が徐々にほぐれたのか、曲が進むにつれて質問が多く出るようになった。最後に畠中親子と研究会の会員との合同演奏が行われ、定例会終了後も畠中親子に直接話を伺う会員もいるなど、非常に充実した時間を共有することができた。
交流会を終えて
私がこの交流会の中で一番印象に残ったことは畠中皓暉さんが祭りばやし研究会の演奏に対する感想で述べた、「もう少し強弱を付けて演奏した方がいいですよ」というコメントで、確かに畠中親子の太鼓に合わせて笛を演奏していた私でも、その強弱は十分に感じられる程で、会員の方々もその違いに納得していた様子であった。皓暉さんはまだ高校3年生だが、私が同じ年でこのコメントが出せたかという問いには全く自信がなく、彼の能力の高さと入野ばやしに対する強い熱意を感じたのであった。
交流会を終えた会員からは「同じ曲を演奏しているのに全くの別物」とか、「バチがまるで別の生き物の様に動いている」など、多くのコメントが寄せられ、今後の会員のモチベーション向上につながったことに対し、畠中親子には心から感謝したい。また、近年の少子高齢化に伴い祭り囃子に携わる人口が減少し、多くの太鼓連および囃子連が継続に不安を抱えていると思われるので、今後も祭り囃子の活性化の為に尽力していきたい。
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