横須賀・三浦版【7月25日(金)号】
7月21日に開かれたプレ音楽ライブ。約40人が集まった

鷹取温泉 「レンタル銭湯」再出発 湯に浸からずに多世代集う場に

 かつて地域住民に親しまれ、現在は廃業している「鷹取温泉」(横須賀市鷹取1丁目)をレンタルスペースとして貸し出すユニークな取り組みが動き始めている。壁面のタイルや浴槽、下駄箱などは残したまま、銭湯が持つ「昭和レトロ」な雰囲気を楽しんでもらう。ワークショップやマルシェ、音楽ライブなどを想定。若者から地域住民まで幅広く利用してもらい、多世代が集える場として今夏のオープンを目指している。

「本日のお湯はローズ湯です」--。経営当時の看板を脇目に階段を上ると、下駄箱やタイル、カランといった廃業した当時のままの設備が姿を現す。約60平方メートルほどの男湯では浴槽に楽器が置かれ、音楽ライブを楽しむ人々であふれている。

 同銭湯をレンタルスペースとして利活用しているのは、追浜に拠点を置き、使われなくなった建物をリノベーションしている(株)メゾンドヌック(谷口和泉代表)。谷口代表によると鷹取温泉は6年ほど前に閉業して以降、使用されていなかった。浴場として復活させるのは採算が取れず、「昭和レトロながら今風にリバイバルされた、若者が押し寄せる空間にしよう」と当時のままの姿を生かして所有者からスペースを借りて事業に着手した。

 4階建てビルの2階にある同銭湯。1階には既存の店舗があり、レンタルスペースでのイベントなどを通じて地域住民らとの交流を促進し「新たな賑わいを創出できたら」と谷口代表は話す。

出店ハードル下げる

 男湯・女湯それぞれ違ったコンセプトで改装を進めている。男湯は広い空間を利用して、ワークショップやマルシェ、アートギャラリーの開催、撮影スペースなどを想定。女湯は音楽ライブや1日飲食営業などをめざす。「飲食店営業許可を取得し、チャレンジショップのような利用も進められたら」

消えゆく存在か

 かつては生活の一部として、なくてはならなかった公衆浴場だが、生活様式の変化や経営者の高齢化、燃料費の高騰など複合的な理由を背景に全国的にも減少の一途をたどる。横須賀市内では、1960年代から70年にかけて100店ほどが存在。しかし徐々に減少を続け、2018年4月時点の「横須賀浴場事業協同組合」加盟店は16店だったが、現時点では11店にまでその数を減らしている。

 谷口代表は「銭湯の持つ温かみや歴史を受け継ぎながら、この空間をつないでいきたい。『いつも何かやってるよね』と思ってもらえる場所になれば」と話している。

 利用は男湯・女湯それぞれ1万3千円ほど、両方予約で2万円を予定している。現在クラウドファンディングで整備にかかる費用などを募集中。詳細は「鷹取温泉 レンタル」で検索。

久里浜工業団地一角にある工場用地

食肉会社コーシン 久里浜工業団地に新工場 精肉総菜事業の新拠点

 自社牧場で生産する「三浦牛」のブランドを代表とする食肉加工・製造販売の(株)コーシン(本社=横須賀市武1の3の15)は、内川にある久里浜工業団地に新工場を建設する。7月18日に横須賀市が発表した。2026年2月末の竣工、4月の操業開始をめざす。

2026年4月の操業めざす

 同社を中核とするコーシングループは、野菜を生産するコーシンファームなども抱え、農畜産物の生産から販売まで一貫して手掛けるビジネスモデルの構築をめざしている。新工場の拡張移転は横須賀市の学校給食事業や小卸事業の規模拡大を背景としており、精肉総菜事業の新拠点として機能させる。同社によれば用地をすでに取得しており、鉄骨造2階建の工場を建てる。敷地面積は1230・00平方メートル、延べ床面積は974・10平方メートル。

 同社の設備投資に対して、横須賀市は企業立地等促進制度を適用し、固定資産税と都市計画税をともに5年間全額免除。地域経済の活性化や雇用創出などを期待する。

 同社は1986年設立。資本金3千万円で従業員数は98人。市内では本町のコースカベイサイドストアーズに直営店と飲食店(フードコート)を出店している。

音楽プロデューサーで、歌手・作家としても活動。主演映画の公開も控える S-KENさん(エスケン) 三浦市三崎在住 78歳

往時の三崎の狂騒を小説に

 ○…「晩年はやり残した本の執筆や作詞作曲でもしてのんびり暮らすつもりだった」。昨年4月、カルチャーの発信地である東京を離れて三崎に移住。「世界と繋がる港の開放的な雰囲気」に親近感を覚え、妻と2匹の愛犬を引き連れてやってきた。仕事のペースを落として、好きなことだけに没入するはずだったが映画の主役、音楽ステージと依頼が次々と舞い込んでくる。日本のサブカルチャーの牽引者は老いて益々盛んだ。

 ○…音楽プロデューサーとして携わった作品は109タイトル。第一線で活躍するアーティストと交流も深く、誘いを受けたのが市民ホール「うらり」でのライブ。後輩バンドのメンバーが三崎を気に入り、急遽決まった企画に友情出演、「よろめきながら地下鉄へ」など40年前の曲から最新作を軽快なステップとともに披露した。

 ○…70年代初頭、作曲者として評価を受けてポーランド音楽祭に参加。世界放浪を経て、最新の音楽を伝える特派員に。滞在先のニューヨークで勃興し始めたパンクロックに遭遇し、刺激的で攻撃的な若者文化を日本に持ち込んだ。それが「東京ロッカーズ」と呼ばれるムーブメントに発展、多くの才能を世に送り出してきた一方、自身もアーティストとして活動してきた。

 ○…尽きない興味の中で、関心を寄せているのが1960・70年代にマグロ漁の基地として栄えた往時の三崎。手に入れた商店街の地図には、250軒もの飲食店やバーがあり「銀座をしのぐ不夜城と呼ばれていた」。毎日が死と隣り合わせの船乗りが緊張をほどく場所だったこの地には「記録に残されていない人間ドラマがいくつもあり、小説にして残す」と力を込める。ライフワークにしていくつもりだ。

椅子をペイントするアーティスト

「みんなの椅子プロジェクト」 三浦海岸でリペイント

 三浦市在住の画家、イラストレーターらが、店舗などで廃棄予定の椅子をリペイントする企画が7月19日、三浦海岸であった。14人が赤、黄、緑など思い思いの色を塗り、オリジナリティあふれる椅子が32脚完成した。

 同企画は「みんなの椅子プロジェクト」と銘打って実施された。アーティストらは、同月12日から行われている、海岸周辺の飲食店によるバルウォークに参加している店舗から椅子を預かった。この日は気温30度を超える真夏日とあり、眼前に広がる東京湾や青空をイメージした青や、ひまわりの黄色で椅子を彩る人が目立った。

 実行委員会によると「座るところがあるまちには人が集まる」という理念のもと、にぎわいを創出しようと企画したという。参加したグラフィックデザイナーの洲本マサミさんは「三浦から巣立っていく若いクリエイターが、地元に戻ってくれれば。こうして海岸に集結して、活躍ができる場が続いてほしい」と笑顔を見せた。椅子は店舗に返却され、8月31日(日)まで展示される。

変わる追浜 未来を考える 8月3日にシンポジウム

 複数の再開発計画が進行し、大きく変わろうとしている京急追浜駅周辺。中でも横須賀市と国土交通省関東地方整備局が主体となった駅前の機能強化事業「バスタ計画」は今年6月に改定版が発表され、具体化が進んでいる。これを受けて、行政や教育研究機関などが集う「追浜えき・まち・みちデザインセンター」は8月3日(日)、ビジョンや内容を広く市民と共有するシンポジウムを開く。参加無料。

 第1部は同センター長で東京大学大学院教授の羽藤英二氏が登壇。事業計画の詳細を説明する。

 第2部は、追浜観光協会の下澤敏也会長や育児サークル「Oppapamamaile」の神馬彩夏氏などが登壇し、座談会形式で住民一人ひとりにできることを考える。

 午後2時から4時10分。追浜コミュニティセンター北館の3階集会室。申込不要で定員先着200人。問い合わせは主催事務局【電話】03・5226・3030。

北図書館で戦争関連本80冊 絵はがきパネル展示も

 太平洋戦争が終結して80年の節目となる今年、横須賀市立北図書館(夏島町12)では、同館が所蔵する80冊の戦争関連本と絵はがきパネル80枚=写真=で過去の歴史を振り返る展示を行っている。8月17日(日)まで。

 かつて夏島町や浦郷地域には、海軍兵器の開発を担う海軍航空技術廠(空技廠)があり、旧日本海軍の主力戦闘機であった「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」や高高度で飛来するアメリカのB29爆撃機を迎撃するために終戦間際に開発されたロケット戦闘機「秋水」のテスト飛行が行われた。

 今回の展示では、こうした経緯を伝える関連書籍のほか、1938(昭和13)年8月11日に天皇陛下が空技廠の視察をされた際に発行された「行幸記念絵葉書」(複写)80枚を飾っている。

 関連イベントもあり、8月14日(木)には横須賀市池田町在住の紙芝居作家、佐藤まもるさんが、平和をテーマにした紙芝居の実演を行う。会場は同図書館1階の絵本の部屋。午後2時開始で参加自由。

メタバース空間のイメージ(横須賀市提供)

横須賀市×高校生 仮想空間で政策立案体験 若者のキャリア教育に主眼

 横須賀市は、インターネット上の仮想空間である「メタバース」を活用し、高校生に政策立案体験をしてもらう協働プログラムを始動させた。バーチャル空間に「はたらく課」を設置し、市内在住の高校生がまちづくりをテーマに学びを深める。市職員や外部講師などの助言を得ながら、答えのない問いへの課題解決能力を養成し、キャリアアップにつなげていく。

 市担当者は「課題に対して、どのように対応策を練り、アイデアを出すのか。過程の学びを大切にしてもらえたら」と狙いを話している。

発言しやすい空間

 今年度のテーマは、「関係人口の増加」。参加者は、9月6日(土)のキックオフイベント後、市の職員などを交えた4〜5人ほどのチームを編成する。2026年2月までにビジネスマナー講座や起業家とのセッションなどを月に1回程度実施。柔軟な発想力や思考力を醸成し、テーマに沿った政策提案を行う。

 講義の間で(株)RePlayce(東京都)が提供するバーチャル空間を用いてチームごとに会議やグループワークなどをしてもらう。市の担当者は「若い世代はデジタル領域になじみがある。仮想空間を用いることで、よりフラットな意見交換を行いたい」と期待を込める。

マネジメント能力養成

 同事業の主眼は高校生のキャリアアップ支援だが、市職員がチームに加わってアイデアをブラッシュアップしていくことで、マネジメント能力向上にも寄与していくという。

 同事業は今年度から3カ年実施予定。市は現在参加する市内在住・在学の高校生を募集中。定員は20人で参加無料。締切は8月25日(月)。詳細は「横須賀市 はたらく課」で検索する。

「ミニオン」作品無料上映会

 横須賀市衣笠町のはまゆう会館は8月2日(土)、1日遊びつくせる夏休み恒例の「オープンデー2025」を開催する。

 人気アニメ映画シリーズ『怪盗グルーのミニオン超変身』の上映会(午後2時開始)やオリジナルエコバック、バッジづくりに挑戦するこどもクラフトワークショップ、絵本の読み聞かせ、スタンプラリーなどが楽しめる。時間は午前10時から午後4時。入場無料。

モニターを見ながらつま先で操作

「ハジチェック」体験会 足の握力ゲームで鍛錬 高齢者の転倒防止に

 体幹の安定性と密接な関係があるとされる足把(そくは)持力(じりょく)(足の握力)を楽しみながら鍛えるトレーニングゲーム「ハジチェック」を開発した(株)ニフコは8月6日(水)、横須賀市根岸町のリハビリデイサロン「海」FIRSTで無料体験会を開く。

 モニターを見ながら、足の指先を動かすだけの簡単な仕掛け。継続的にトレーニングを行うことで転倒予防などの効果が得らえる。当日は足把持力の測定もできる。

 体験者にはニフコの商品である靴の脱ぎ履きが簡便になる「結ばない靴紐(SPLC)」がプレゼントされる。時間は午前9時30分から11時30分。参加自由。

レジに立つ代表の平野三千夫さん

「肉の藤屋」(横須賀市安浦町) 100年の歴史に幕 常連客から惜しむ声

 地元で愛され続けてきた肉の卸売専門店「肉の藤屋」(安浦町3の24)が7月31日(木)の営業を最後に閉店する。創業以来約100年続いた伝統とこだわりの名物コロッケなどは食べ納めとなる。背景には新型コロナウイルスによる長期にわたる自粛生活の影響や、代表の高齢化などの事情がある。4代目の平野三千夫さん(86)は「肉屋のせがれとして生まれ、ずっと店に立ち続けてきた。お客さんに感謝してもしきれない」と深々と頭を下げた。

 同店は1925年に開店。初代の寛さん以来、「品質の良いものを安く」をモットーに、安浦の地で多くの人に親しまれてきた。三千夫さんは70年以上のキャリアがあり、肉の仕入れからスライス作業まで、一連の工程を担ってきた。店内にならべる惣菜は全て自家製。「人間と同じように、牛、豚にも個体差がある。健康優良で太ったものが良い」と自信を持って語る。市内屈指の老舗の閉店とあり、常連客から「これからどこで肉を買えば良いのか」「コロッケが食べられなくなるのはさびしい」などと惜しむ声が聞かれたという。

 三千夫さんは「いつの時代も、お客さん本位であることは変わらない。何世代も続けられてよかった」と静かに話した。

戦後横須賀の裏面史 養子縁組で渡米した女性の物語

 連合国軍による占領が解かれる1952年までの日本で、米・英軍の将兵と日本人女性の間に生まれた「GIベイビー」と呼ばれた子どもたち。

 その中で、幼くして海を渡ったひとりの女性の人生を描いたドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』の書籍版『横須賀1953 「混血児」洋子=バーバラの物語』(えにし書房)=写真=が先ごろ発刊された。

 1953年の横須賀を基点に、アメリカ人の養女となった木川ようこ(バーバラ)さんが66年ぶりに日本を訪れて、生き別れた母を探す旅路が綴られている。著者は同映画の監督を務めた木川剛志さん。264ページ、1800円+税。

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PCを寄贈した竹内代表理事(左)

シティサポートよこすか 中学生にパソコン寄贈

 一般財団法人シティサポートよこすかは7月18日、横須賀市が実施している、就学援助受給世帯の中学3年生を対象とした学習塾「ゆめ塾」へ事業所で不要となったPC約30台を寄贈した。今回の寄贈は、経済的な事情で個人用PCを所有できない児童や生徒たちに端末を無償提供している「三浦半島GIGAサポーターズ」を通じて行われた。

 元教員らでつくる同団体。端末を持っていないことで、学力格差につながる可能性を危惧し、2020年から活動を開始した。買い替えなどで不要になったPCを企業や市民などから募り、学校と同じ仕様で使えるよう整備し、提供している。村松雅代表は「PCを持てないことで学習の機会が損なわれないよう、取り組みを進めていきたい」と話している。

神奈川衛生学園専門学校 無料美容セミナー開講 小顔ケアに美容鍼灸

 神奈川衛生学園専門学校(横須賀市佐野町2の34)は、8月10日(日)と同月24日(日)、同校で無料の美容セミナーを開催する。

 10日は「セルフ小顔ケア」に関して学び、東洋医学の知識を生かした手法、手技を教わる。講師は同校卒業生でアロマセラピストの津田美奈子さん。時間は第1部が午前10時、第2部が午後1時から。

 24日は美容鍼灸を学ぶ講座で、エステと鍼灸を融合した新たな技術の第一人者である折橋梢恵さんがデモンストレーションを行う。時間は午前10時から。

 同校の担当者は「美容と健康に興味のある市民の皆さんに、広く参加してほしい」と話している。

 いずれも高校生以上が対象。定員は10日が先着50人、24日が同100人。男性の参加も歓迎する。

 申し込みは同校HPから。定員に達し次第受付終了。申し込みフォーム内のアンケートから、施術体験の抽選に応募できる。問い合わせは同校【電話】046・850・6310。

進塁打など状況に合わせた打撃が得意

鴨居小・森口優花さん 堅守に巧打、魅せろいぶし銀 女子学童野球県選抜に選出

 女子学童野球神奈川県選抜チーム「YAMAYURI」のメンバーに横須賀市から森口優花さん(鴨居小6年)が選出されている。6月に行われたセレクションには県内から約70人が参加。厳しい争いを勝ち抜き、18人に選ばれた。「うれしさと緊張感が押し寄せた」と森口さん。全国大会は8月14日(木)に岡山県で開幕する。

「後方支援」お手の物

 森口さんは市内を活動拠点とする少年軟式野球チーム「横須賀ジャガーズ」に在籍。同チームでは、二遊間に加え、投手も兼任するオールラウンドプレイヤーだ。選抜チームでは、主にセカンドを守り、背中には「4」をつける。

 「ヒットは少ないけど、バントや粘るバッティングは得意」と話すように、巧打が光る。守備では、自らが捕球し、二塁に送球するダブルプレーの動きの速さに自信がある。「まずは確実に打球を捕ること。あとは思うままに動いている」と澄ました感覚で流れを呼び込むプレーが持ち味だ。

 攻守で”いぶし銀”な活躍が期待される森口さんの上達の秘訣は、父や弟とともに行う早朝練習。自宅付近の公園でミート力を高めるトスバッティングやノックなど、日々汗を流し、向上心を欠かさない。

 「日本一をめざして一戦必勝でがんばりたい」。同月16日(土)に予定される高知県代表との初戦に向け、意気込みはばっちりだ。

キクミミヲモツⅤ ジャンル横断音楽ライブ

 ジャンル横断のアーティストによるライブイベント「キクミミヲモツV」が8月10日(日)、横須賀市大滝町のライブハウス「ヤンガーザンイエスタディ(YTY)」で開かれる。

 ”聞く耳を持つ”をコンセプトに演者と聴取者でステージをつくりあげていく。主催する横須賀アーティスト倶楽部では、横須賀の文化の成熟と活性化をめざすとしている。9組のアーティスト・バンドが出演する。

 午後1時30分開演、木戸銭2千円+ワンオーダー。問い合わせは【携帯電話】080・6535・2720(五月女さん)。

追浜二丁目内の掲示板に貼付されたステッカー

追浜2丁目平和会 地域ぐるみで「不審者NO」 自作ステッカーで防犯意識

「平和会の地域は、みんなで守る」「不審者を見たら即電話!」--。追浜2丁目平和会(並木真弘会長)は、「警察官巡回中」と記したオリジナルの防犯ステッカーを作成し、地域の治安を守る活動に取り組んでいる。町内に住む希望者に配布し、玄関や町内の掲示板などに貼付してもらうもので、地域一体で防犯意識を高めていく狙いだ。並木会長によると、現在会に加入する戸建て住宅約180世帯のうち、100世帯ほどに行き届いているという。

地域の団結アピール

 以前から同町では、不審者だけでなく、屋根や外壁のリフォーム業者を名乗る不審な訪問者、詐欺電話などが増加していた。対応を模索していた中、同町に住む鈴木邦義さんが、自宅敷地内をうろつく不審者を目撃。勝手口を開けられそうになったこともあったといい、会として防犯意識向上が急務であると再認識。田浦警察署にも相談し、視覚的に犯罪抑止効果のあるステッカー作成の案が浮かんだ。

 ステッカーは縦13cm×横18cmで赤・黄色の2種類を用意した。広告会社でデザイナーをしていた尾崎信夫さんがレイアウトやデザインを担当。「犯罪を寄せ付けないまちにするために、住民みんなで団結して地域を守っている。そんなメッセージが伝われば」と尾崎さんは話している。

ひとり親の防災心得 NPO法人ひまわりの講座

 ひとり親家庭を支援する「NPO法人ひまわり」は8月31日(日)、ひとり親家庭の防災を焦点にした講座を横須賀市本町の総合福祉会館で開く。参加無料。定員20人。

 2024年1月の能登半島地震で被災経験を持つ、ひとり親家庭のおばたみなこさん(石川県・NPO法人シンママ応援団理事長)を迎え、防災の心構えを聞く。講師として防災検定準2級を持つ行政書士の曽我将大さんも登壇する。

 時間は午前10時から正午。対象は横須賀市在住のひとり親・法廷離婚前別居中の人など。参加希望や問い合わせは、同法人のホームページまたは佐藤さん【携帯電話】070・6635・7365。

開催前日には、山本氏自らが館内を歩きながら展示作品の解説を行った

横須賀美術館「山本理顕展」 設計思想を詳らかにする 60点の模型や図面、スケッチなど

 2024年プリツカー賞受賞建築家の山本理顕氏の50年にわたる設計活動に焦点を当てた「山本理顕展─コミュニティーと建築─」が横須賀美術館(鴨居4の1)で始まった。11月3日まで。

 山本氏は建築上のパブリックとプライベートの境界を「閾(しきい)」と呼び、地域とのつながりを生む空間として重要視している。今回はおよそ60点の模型や図面、スケッチ、ドローイングで山本氏が社会や文化に問いかけてきた設計思想を浮き彫りにしていく。展示物の中には、建設されずに幻となった設計案も含まれているなど興味深い構成となっている。

 代表作の一つで07年に開館した横須賀美術館は山本氏がはじめて手掛けた美術館建築である。背後に控える森など周囲の景観に溶け込む外観、館内に自然光を取り込むための大きな丸い窓などが特徴的。美術作品にとって太陽光は作品の色身を変えてしまう天敵とされているが、緻密に設計された窓の配置に山本氏の美学や哲学を感じることができる。

 観覧料は大人2千円、大学生・65歳以上1千円、高校生500円、中学生以下無料。

映画『Yokosuka1953』のワンシーン。母を探しに訪れたバーバラさん(左)と木川監督

「混血児」と呼ばれた子どもたち 史実あぶりだした映画監督

 戦後の横須賀には、駐留軍兵士と日本人女性との間に多くの子どもが生まれた。彼らは「GIベイビー」「混血児」と呼ばれ、実際の数は定かではないが、当時の日本国内に2〜3万人が存在していたとされている。捨てられて命を落とす子どもも少なくなく、戦後復興の陰で社会問題となっていた。

* * * *

 養子縁組で幼くしてアメリカに渡った女性が今年6月、実に70年ぶりに日本の土を踏んだ。ネバダ州在住のマツコ・フリーマン(小林まつ子/72)さんが自身のルーツをたどるため来日した。

 支援したのが和歌山大学の教授で映画監督の木川剛志さん。マツコさんと同じような境遇を歩んできた女性、木川洋子(バーバラ)さんが日本を訪れて、生き別れた母を探す旅を記録したドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』(2022年)を手掛けた人物だ。木川監督のそうした活動を知ってマツコさんの娘から訪日の依頼を受けたという。

 マツコさんは1952年、アフリカ系アメリカ人の父と日本人の母の間に神奈川県で生まれた。当時「混血児」と呼ばれた子どもたちは、偏見や差別のなかで生きざるを得なかった。マツコさんもその一人で、戸籍を持たず葉山町の児童養護施設で保護され、55年、フリーマン夫妻の養女としてアメリカへ渡った。

 養子縁組は単独ではなかった。ともに施設で暮らしていたもう一人の少女も、マツコさんと同様に渡米する予定だったが、肌の色を理由に一度は養子を拒まれる。しかし、すでにマツコさんを迎えていた夫妻がその少女も引き取り、2人はアメリカで姉妹として育てられた。現在も現役の教師として活動するマツコさんは、自身の歩みを若い世代に伝えたいとの思いから来日を決意。娘も自身のルーツを知りたいと一緒にやってきた。

 戦後80年を迎える節目の年。差別と希望の歴史を語る貴重な証言の場が神奈川大学の授業の一環として開かれた。過去を振り払うようにマツコさんが学生に向けて発したメッセージが印象的だった。「異なる文化の間で育つことは、豊かな視点をもたらしてくれる」
4選を果たした牧山氏(20日、横浜市中区)

参院選 立民・牧山氏トップで4選 国民・籠島氏、自民・脇氏、参政・初鹿野氏が初議席

 第27回参議院選挙は7月20日に投開票が行われた。改選議席4に対して16人が立候補した神奈川県選挙区では、立憲民主党の現職・牧山弘惠氏(60)が73万1605票を獲得し、4選を果たした。国民民主党新人・籠島彰宏氏(36)、自民党新人・脇雅昭氏(43)、参政党新人・初鹿野裕樹氏(48)が初当選を決めた。3選を目指した公明党現職・佐々木さやか氏(44)は議席を失った。

立民・牧山氏 食料品消費税0%を

 トップ当選した牧山氏は「多くの方が物価高に苦しんでいることをまちを歩いて実感した。食料品の消費税を0%へ引き下げ、ガソリンコストの25円値下げを実現したい。生活に寄り添える政治を全うしたい」とあいさつ。選挙戦を通じ、排外主義的な主張が大きくなってきたことに対しては憂慮を示し、「世界情勢を鑑みると自由を重んじるあらゆる国と手を携えなければならないこの時期に間違ったメッセージを与えてしまってはいないか危機を感じている」と語った。

国民・籠島氏 手取り増への期待感じる

 籠島氏は元農水官僚。選挙戦では玉木雄一郎代表が何度も応援に入っていた。国民民主党は参院神奈川では初の当選。籠島氏は「『手取りを増やす』と訴え、多くの有権者からの期待を感じた。若い世代や年配者からの政治を変えてもらいたいとの思いが票になったのだと思う」と述べ、「海外にいた経験から日本と海外の賃金格差を感じる。これを埋めていくための持続的な賃上げを実行していかなければならない。農水省出身の経験を生かし、コメ政策の改革にも取り組みたい」と意欲を示した。

自民・脇氏 党への信頼取り戻す

 脇氏は神奈川県の元局長。選挙戦では小泉進次郎農水相や菅義偉元首相らが精力的に応援。18日には石破茂首相が横浜市緑区へ応援に駆け付けた。脇氏は「県庁を辞めてからの11カ月間、多くの人と話をして、この国を動かしているのは、それぞれの方の力と思いなのだと実感した」と感想を語り、「私に信頼を託していただいた県民に感謝したい。政治への信頼、自民党への信頼を取り戻せるよう、私にできることは成果で、結果で返す。それしかない」と決意を述べた。

参政・初鹿野氏 薄かった反応、次第に大きく

 初鹿野氏は元警察官。参政党への注目が集まる中、最終日の19日は、公示日に続いて神谷宗幣代表が2度目の応援に入り、横浜市港北区での応援演説に多くの支援者らが集まった。大接戦となった4議席目の当確が報じられたのは午前4時ごろ。関係者と抱き合って喜んだ初鹿野氏は「最初は街頭で話していても反応は薄かったが、次第に数十人、数百人と集まるようになった。(有権者は)減税などの経済政策や外国人政策に共感したのでは」と述べ、「愚直にやるべきことを一生懸命やっていきたい」と抱負を語った。

公明・佐々木氏 逆風で接戦に敗れる

 佐々木氏は初鹿野氏との接戦に敗れて議席を失った。落選の報を受け、「大変厳しい、逆風の中の戦いだった。私の力不足でこの接戦を制することができなかったことを心からお詫び申し上げたい」と支援者に陳謝。「国内外の課題、主に物価高を中心とした多くの国民が感じている不安を公明党はしっかりと受け止めて、もう一度原点に立ち返って、寄り添っていく必要がある」と前を向いた。

共産・浅賀氏 4度目挑戦も届かず

 共産党新人の浅賀由香氏(45)は4度目の参院選挑戦となったが、今回も及ばなかった。浅賀氏は選挙戦を振り返り、「消費税減税の財源を明確に示したり、外国籍の人のせいで生活が苦しくなっているわけではないことを、根拠を示しながら戦うことができた唯一の候補者だったと思う」とし、「自民党の裏金問題への反省のなさや物価高対策の遅れを指摘し、自公が議席を減らすことに貢献できた」と述べた。

 神奈川県選挙管理委員会によると、選挙区の投票率は60・30%で前回の2022年を5・79ポイント上回った。

陸軍桟橋(西浦賀みなと緑地)

三郎助を追う〜もうひとりのラストサムライ〜 第4回文・写真 藤野浩章

 浦賀駅からバスで5分弱。浦賀病院バス停を降りると、目の前には浦賀湾が広がっていた。

 湾にL字型の桟橋が突き出ていて、東屋のある公園になっている。ここはかつて陸軍桟橋があったところで、太平洋戦争終結後に南方から兵士や関係者が引き揚げて来た際、最初に故郷の土を踏んだ場所だ。

 今からちょうど80年前の秋、首都圏では横浜とここ浦賀が引揚港に指定され、それからおよそ1年半で浦賀には実に56万人が上陸したという。故郷を想い続けた人々、日本を前にしてコレラなどの病気になる人。引き揚げそのものも過酷だが、それを受け入れた街の人々にもまた想像を絶する苦労があったのだろう。ここでは戦争は終わっていなかったのだ。

 その時から遡ること1世紀あまり。中島三郎助はこの地に生を受けた。父は浦賀奉行所与力(よりき)・中島清司(きよし)。目の前に広がる風光明媚な海は、世界と直接繋がっている--これが、三郎助に刻まれた最初のDNAだったのかもしれない。

 浦賀病院を回り込むようにして、港と反対側のエリアに入る。微妙に曲がった細い路地が続き、まるで迷路のような様子は、江戸時代からさほど変わっていないのではないだろうか。

 この先にあるのは、浦賀奉行所跡。当時の地図を見ると、広大な奉行所を囲むように、奉行の補佐役である与力、そして与力を補佐する同心(どうしん)たちの住まいがズラリと並んでいる。

 幼少期から奉行所が世界のすべてだった三郎助。しかしその奉行所が、新しい世界を開く大きな渦に巻き込まれていくなど、想像だにしていなかっただろう。