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横須賀・三浦 社会

公開日:2025.07.25

「混血児」と呼ばれた子どもたち
史実あぶりだした映画監督

  • 映画『Yokosuka1953』のワンシーン。母を探しに訪れたバーバラさん(左)と木川監督

 戦後の横須賀には、駐留軍兵士と日本人女性との間に多くの子どもが生まれた。彼らは「GIベイビー」「混血児」と呼ばれ、実際の数は定かではないが、当時の日本国内に2〜3万人が存在していたとされている。捨てられて命を落とす子どもも少なくなく、戦後復興の陰で社会問題となっていた。

* * * *

 養子縁組で幼くしてアメリカに渡った女性が今年6月、実に70年ぶりに日本の土を踏んだ。ネバダ州在住のマツコ・フリーマン(小林まつ子/72)さんが自身のルーツをたどるため来日した。

 支援したのが和歌山大学の教授で映画監督の木川剛志さん。マツコさんと同じような境遇を歩んできた女性、木川洋子(バーバラ)さんが日本を訪れて、生き別れた母を探す旅を記録したドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』(2022年)を手掛けた人物だ。木川監督のそうした活動を知ってマツコさんの娘から訪日の依頼を受けたという。

 マツコさんは1952年、アフリカ系アメリカ人の父と日本人の母の間に神奈川県で生まれた。当時「混血児」と呼ばれた子どもたちは、偏見や差別のなかで生きざるを得なかった。マツコさんもその一人で、戸籍を持たず葉山町の児童養護施設で保護され、55年、フリーマン夫妻の養女としてアメリカへ渡った。

 養子縁組は単独ではなかった。ともに施設で暮らしていたもう一人の少女も、マツコさんと同様に渡米する予定だったが、肌の色を理由に一度は養子を拒まれる。しかし、すでにマツコさんを迎えていた夫妻がその少女も引き取り、2人はアメリカで姉妹として育てられた。現在も現役の教師として活動するマツコさんは、自身の歩みを若い世代に伝えたいとの思いから来日を決意。娘も自身のルーツを知りたいと一緒にやってきた。

 戦後80年を迎える節目の年。差別と希望の歴史を語る貴重な証言の場が神奈川大学の授業の一環として開かれた。過去を振り払うようにマツコさんが学生に向けて発したメッセージが印象的だった。「異なる文化の間で育つことは、豊かな視点をもたらしてくれる」

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