横須賀・三浦版【8月15日(金)号】
副業・兼業マッチングプラットフォーム「YOSOMON!」のHP

横三地域県政総合センター 副業・兼業者助っ人に スキル持つ人材、県が呼び込み

 神奈川県横須賀三浦地域県政総合センターは、都心部を中心とした県外人材との交流機会創出を目的に、外部の「副業・兼業人材」を活用したユニークな事業に着手する。コロナ禍以降にテレワークや多様な働き方の受け入れが推奨されてきたことなどを受けて、副業・兼業を認める企業は全国的に増加傾向にある。同センターでは、専門的なスキルを持った人材を事業成長と課題の解決に意欲的に取り組む企業とをマッチングさせることで地域の活性化を図る。

 起業家育成や人材マッチングに強みを持つ「NPO法人ETIC.」が県の委託を受けて同事業を展開する。

 名乗りを上げた三浦半島の受け入れ企業16社と県外の副業・兼業人材のマッチングを8月中旬から9月上旬にかけて実施し、9月20日(土)に両者を集めてキックオフミーティングを開く。呼び込む人材の情報は、ETIC.が開設している副業・兼業マッチングプラットフォーム「YOSOMON!」(https://yosomon.etic.or.jp/)を活用する。

 半年間のプログラムで、副業人材は月に数回程度三浦半島を訪れて担当企業の課題解決に向けたサポートをしていく。遠隔地からのテレワークなども駆使してアドバイスする。受け入れ企業は、副業人材に対価として月額3〜5万円を支払う規約があるが、両者が合意すれば現物支給や施設利用などで手当てすることも可能という。事業を円滑に進めるため、双方の仲立ち役として地域コーディネーターが相談業務や進捗管理を行う。

 先行事例として、茨城県ではフルーツトマトの栽培農家が都心部に向けた販路開拓を依頼。ブランディングに長けた副業・兼業人材が、ネーミングやふるさと納税の返礼品化、定期購入システムの開発などに携わり成果を上げたという。

 今回の三浦半島では、マリンスポーツの普及を軸にしてビーチの賑わい創出を目指すケースや、寺院を一部宿泊拠点化していくことで地域観光の活性化をめざす宗教法人などがエントリーしている。

ふれあいグラウンド(JERAパワー横須賀合同会社提供)

横須賀火力発電所 「市民開放エリア」11月開園 事前登録がスタート

 横須賀火力発電所(久里浜9の2の1)を営業運転する「JERAパワー横須賀合同会社」は8月1日、敷地内に整備を進めていた市民開放エリア「JERA park YOKOSUKA」を2025年11月5日(水)にオープンすることを発表した。企業として地域共生のまちづくりを推進するもの。一部利用に公共施設予約システムを導入している横須賀市は9月1日(月)からの予約受付に先立ち、事前登録を開始している。

18万平方メートルに3エリア

 今回、市民に開かれる場となるのは、同社が工事を進めていた施設内の約18万3千平方メートルの敷地。カワヅザクラやオオシマザクラなどをはじめとする多種多様な樹木が約5万本植えられ、季節の花々と海を見渡せる景観だ。

 県道212号線沿いに位置し、サッカーやフットサル、テニスなどのスポーツを楽しめる「ふれあいグラウンド」(約8千平方メートル)、施設南側に整備され、千葉県・南房総エリアの山々や伊豆大島を望み、展望デッキを備える「ふれあいの丘」、イベント利用を想定した「ふれあい広場」(後者2つで約17万5千平方メートル)の3つのエリアに分かれている。ふれあいの丘・ふれあい広場を囲むようにつくられているオーバルコースは、ウォーキング・ランニング・サイクリングの専用コースを整備。自由に周ることができる。

 開園時間は夏季(4月〜9月)が午前9時から午後5時。冬季(10月〜3月)は午前9時から午後4時(グラウンドは午後3時まで)。正門から入場し、自由に利用できる。

 グラウンドのみ事前予約が必須で有料となる。横須賀市が民間施設に市の予約システムを導入するのは初。事前登録は電子申請サイト「e―kanagawa電子申請」もしくは市役所1号館4階企画調整課窓口にて。

まち歩きで地域課題を発見する「Hanto Innovation Lab」を主宰する 清水 英行さん 横須賀市船越町在住 53歳

暮らしの変化にやさしく気づく

 ○…深刻化する「空き家」の問題を建築と福祉、社会科学の視点を組み合わせて考察する地域研究組織を立ち上げた。コンセプトは「まち歩きを通じた暮らしの変化の兆し探し」。急な坂や階段の先にある高齢者宅は、どうやって日々の買い物やごみ出しを行っているのか。地域コミュニティーがどんな役割を担っているのか。「ちょっと気になるけど見過ごしてしまいそうな日常のひとコマにやさしく気づく活動です」

 ○…歩くことで「地域のリアル」を知ることができるという。空き家問題も各所で事情は異なる。伝統の継承や地理的条件、住まいの形態がコミュニティーに与える影響など、多角的な切り口で考察していく必要があるというのが持論。田浦・月見台で進む旧市営住宅群をドラスティックな手法で新陳代謝を図る取り組みに大きな関心を寄せ、浦賀・鴨居では平地と急峻な山側エリアではコミュニティーのあり方が異なると分析。様々な専門分野を持つ人や福祉を学ぶ学生などに声を掛け、今夏、実態調査に乗り出した。集めた知見は行政や研究機関との対話の材料にしていく。

 ○…公共建築や福祉施設の設計に長年携わってきた建築士。社会人として大学院に通い、全国の半島地域の空き家問題を研究。2023年に修了し、成果の実践の場として愛着のある三浦半島で活動を開始した。

 ○…建築と福祉の専門知識と大学院での研究を融合させ、新しい切り口で地域の課題解決を目指す。平日はハウスメーカーで図面と格闘し、週末はフィールドワークに勤しむ日々だ。協力者の呼びかけは「この指とまれ」方式。ほがらかかつ誠実な人柄にその輪が少しずつ広がっている。「みんなのやさしい気づき」を集めていく。

座談会では、パネルを用いて追浜の将来像を語り合った

追浜駅前再開発 まちの行く末に熱視線 シンポジウムに住民ら250人が参加

 追浜では、駅前のバスターミナル構想(バスタ)や建設予定の高層複合施設など、複数の再開発計画が進行している。しかし今年7月には、日産自動車追浜工場の生産ライン停止が発表されるなど、まちは大きな過渡期にある。追浜の未来はどのように変わるのか、行政や教育研究機関などが集う「追浜えき・まち・みちデザインセンター」は8月3日、再開発のビジョンや内容を広く市民と共有するシンポジウムを追浜コミュニティセンターで開き、関心を寄せる地域住民らを中心に市内外から252人が参加した。

駅前バスターミナル10年以内竣工へ

 「日産の問題が追浜に直面しているが、乗り越えてきた事例もある。追浜のバスタを拠点にどのようなまちづくりが進められるかを考えていく時だ」。計画途中で事業者が撤退したが、現在着工まで進んだ広島県呉市のバスターミナル計画の例を引き合いに羽藤英二同センター長は開会のあいさつで力強く話した。追浜観光協会の下澤敏也会長は「市民の声が反映されることもある。積極的に意見を頂けたら」と呼びかけた。

 バスタ計画は、駅前の機能強化を図るべく、横須賀市と国土交通省関東地方整備局が主体となった事業。バス停を集約し、公共施設や商業施設を立体的に配置する「地域密着型バスタ」を設ける構想だ。1階はバス乗降所などのターミナル、2階には駅直結の周遊性の高いデッキを設置。商業施設や子育て支援施設も導入することで、駅前での滞在時間を増やし、利便性を向上させることを目指す。

 現状、追浜駅前は、バスや電車、自動車などさまざまな種類の交通手段が接続する「交通結節点」となっている。その一方で、それぞれの動線が錯綜しており、交通流動性に課題が残る。このような状態を解決しようと2021年3月に事業計画を策定。事業検討会の開催や、交通事業者との意見交換、民間企業の参画意欲をはかる市場調査、将来導入を見込んでいる「連節バス」の運行などの実証実験を行い、深度化を模索してきた。

 これらを元に今年6月に改訂版を発表。追浜駅前交差点から追浜南町入口交差点までの0・7haをバスターミナルと決定した。用地測量や民間事業者の公募などを経て、概ね10年以内の竣工を描いている。

世代間分断ないまちに

 座談会は2部形式で実施された。第1部では、羽藤センター長のほか、事業を市とともに進める国交省の職員も登壇。バスタだけでなく、周辺で同時進行している、国道16号線の駅前交差点整備や、複合高層施設2棟の建設が予定される「追浜駅前第2街区」などに触れ、「これらと一体的に進め、まちづくりをすることで追浜の地域をよりよくしていく」と話した。また追浜は、横浜との市境にあるなど「災害時、救援物資などを運ぶ重要な拠点になる」と強調。そのうえで「駅2階部分には、災害時の帰宅困難者へ向けた一時避難所整備も視野にいれている」と話した。

 第2部では、育児サークル「Oppapamamaile」の神馬彩夏氏や下澤会長、(株)横浜DeNAベイスターズ野球普及・振興部の矢吹優一郎氏、関東学院六浦高校の学生らが登壇。同センターが描く30年後の追浜の姿を実現するためにできることを確認した。

 下澤会長は昔ながらの商店街での会話など対面コミュニティーの減少を危惧。「追浜の”人”に会いに来る。そんなまちにしたい」と話した。矢吹氏は球団経営とまちづくりの一体化を視野に、球団がまちのシンボルになることを目標に掲げる。六浦高の生徒が「変化をおそれないまちに。新しいことへのワクワク感を共有し多様な世代が楽しめる。そして世代間の分断をなくし、誰もが自由に意見を出し合えるような、ごちゃ混ぜの環境をめざしたい」と希望を口にすると、会場は大きな拍手に包まれた。

 1部と2部の間には、会場に設置された事業計画パネルや追浜地区を模型にした展示などが行われ、参加者らは疑問や質問を担当者らにぶつけていた。開発の経過とまちの変容に関心があり、参加したという湘南鷹取在住の蒲谷茂さん(80)は、鷹取方面から16号線に出る雷神社前の踏切の信号の間隔に言及。特に通勤時は交通渋滞が起こりやすく、「まちを見つめなおすこの機会に検討してくれたら。また、今後駅西側にもより一層目を向けてくれたら」と希望を話した。

アンテナショップで開かれた初のマルシェ

異業種交流「BPS横須賀」 地域に開かれた自由空間 衣笠にアンテナショップ

 異業種のつながりを軸に三浦半島で新しいビジネスを生み出していくことを目指す一般社団法人「BPS横須賀」は、アンテナショップを横須賀市衣笠栄町に開設した。

 参加企業は約40社。店舗や拠点施設を持たない会員が商品展示や販売会、セミナースペースとして活用するほか、複数の会員が合同でイベントを開催していく。8月3日には、「大人のマルシェ」と題した企画を初開催。結婚相談所による婚活相談、行政書士の終活相談、靴磨き店の出張メンテナンス、ハーバリウムづくりのワークシップなどがあり、来場者と交流していた。次回は8月17日(日)に開かれる。

 BPSでは、ジョイントビジネスと名付けた異業種連携による事業開発も推進している。社会問題化している空き家の解決をめざして、不動産事業者、土地家屋調査士、司法書士、リフォーム、不用品リサイクルなどによるチーム「AKIP(アキップ)」の立ち上げはその一例。それぞれが相互補完を図りながら課題解決とビジネスの両立に取り組んでいる。若松町にある築50年超の空き家を、日本の和のテイストと北欧のインテリアをミックスした「Japandi(ジャパンディ)」と呼ばれるスタイルの民泊として再生させた事例などがある。

 BPS横須賀の活動はホームぺージ(https://bps-yokosuka.jp/)に詳細。

みうらビーチ商店会盆踊り大会 6年ぶり復活開催

 三浦海岸駅前のみうらビーチ商店会は8月20日(水)、複合拠点施設「チェルSeaみうら(南下浦コミュニティセンター)広場」で盆踊り大会を行う。6年ぶりの復活開催。コロナ禍と同センターの建て替え工事があり、見送られていた。

 午後5時開始、7時30分からお楽しみ抽選会。DJイベントも企画されている。雨天時は同センター2階多目的ホールで行う。

ラジオ体操をする会員ら(中央が藤村会長)

湘南鷹取「ラジオ体操会」 いつまでも健康に かんぽ生命の団体賞受賞

 横須賀市の湘南鷹取マンション自治会の「ラジオ体操会」は7月11日、(株)かんぽ生命保険(本社・東京都千代田区)が体操の普及啓発に努めた団体へ贈る「ラジオ体操優良団体等表彰」を受賞した。8月5日には同社から表彰状が手渡された。

 表彰は同社が1956年から行っているもので、団体と個人の表彰に別れている。

 同会は2014年に活動をスタート。冬季を除き、早朝にマンションの広場などで体操を行ってきた。体操だけでなく、懇親会や食事会などのイベントを実施してきたことも評価につながった。多い時で会員数は30人を超えていた。

 藤村正儀会長(86)は、「会員の仲間たちが会を盛り上げてくれた。とても感謝している」と10年の歩みを振り返った。

 会員の一人は「普段動かさない筋肉を動かすのが心地よい。ラジオ体操を集まってすることで、独居高齢者の安否確認につながるなど、見守り機能にもなる」と話した。

佐野町にあるブラフ積み擁壁

坂道と石垣の景観遺産 近代横須賀発展テーマに講座

 市民グループ「三浦半島の文化を考える会」は9月6日(土)、近代港町の特徴的な景観である坂道と石垣に焦点を当てた講座を開く。

 テーマは「近代横須賀発展の景観遺産 ─海と船から見える坂道とブラフ積み石垣─」。国土技術政策総合研究所元部長の吉田秀樹氏が講師を務める。建造物から地域の歴史を紐解いていく活動を行っている吉田氏が、横須賀市内に現存するブラフ積み石垣の調査結果を報告する。

 ブラフ積みは、横浜山手の外国人居住地などで見られる明治期に流入した西洋式の土木技術。石を長辺と短辺が交互に並ぶように積んでいくのが特徴だ。市内にも多数存在しており、分布や歴史的景観の形成経緯などを紹介する。

 会場は日の出町のヴェルクよこすか6階第1会議室。午後1時30分から3時30分。参加費500円(資料代)で先着50人。

 希望者は、往復はがきに【1】郵便番号【2】住所【3】氏名【4】電話番号【5】講座名を記して、〒238―0035 横須賀市池上2の1の5 久保木実方(三浦半島の文化を考える会事務局)。

紙芝居を上演する棚沢さん(右)と矢部さん

三木忠直の次女、棚沢直子氏 「戦争と平和を技術した」父 平和希求の思い紙芝居で

 太平洋戦争中、横須賀市浦郷町にあった「海軍航空技術廠」では、陸上爆撃機「銀河」や特攻兵器「桜花」などが開発された。これらの設計・開発にあたった海軍技術少佐の三木忠直(1909─2005)は戦後、初代0系新幹線の誕生に大きく貢献するなど、平和な世の中に向け、持てる技術を転用することに心血を注いだ。「もう一度、国家を背負ってみたかったんじゃないかな。ある種の執念ともいえる」-。三木の次女である棚沢直子さん(逗子市在住)は父の思いをそう推察する。

 三木は1933年、海軍省に入省。30代前半という若さで、技術者として国の重責を一身に背負った。桜花は沖縄戦に投入され、55人の若者が命を落とした。「父は味方をも殺してしまった。そのことから、自責の念にかられていた。人間爆弾のような兵器ではなく、せめて無人の兵器を開発するなら、まだ納得できると思っていたのに」

 敗戦後、米占領軍により海軍は解体され、飛行機の開発は禁止に。多くの命を奪ってしまったことへの後悔から、三木の視線は"平和の開発"に向いた。運輸省の技術研究所へ入所し、最終的にはメンバー25人を率いる車両構造研究室の室長として新幹線開発プロジェクトをけん引。「再び国家を背負い、新幹線0系という初代車両を開発した。結局、父は『戦争と平和』その両方を技術したことになる」。

傍観でなく当事者意識

 棚沢さんは、時代に翻弄されながらも平和を希求した技術者・三木の生涯や思いを紙芝居を用いて次世代につなぐ活動を開始。棚沢さんがストーリーを考案し、親戚の矢部雅子さんが絵を担当している。89歳の三木はあるインタビューで「若者には常に新しい挑戦をしてほしい」と答えている。生前、三木が抱えていたそうした思いを絵本を通じて子どもたちに分かりやすく伝えていく。「戦争に巻き込まれ死んでいくのが当たり前だった時代。ただ過去の出来事、歴史上の人物として捉えるのではなく、時代背景を理解する。そして当時、国民が何を思い、何を考えていたのか。もしその時代に自分が生きていたら、どうしていたのか。それらを考えないといけない」。

* * * * *

 「戦争は二度としてはいけない」。棚沢さんの記憶にいまも残る父の言葉を確固たる礎にして、平和な世の中を未来へ紡いでいく。
渡邊まひろ選手(前列右)と熊谷美沙選手、後列右から松浦佳代選手、伊池陽夏選手、船越心結選手(提供)

インハイV厚木王子ソフト部 活躍光った横須賀勢 主将の渡邊さん筆頭に5人

 今夏の全国高等学校総合体育大会ソフトボール競技大会を制した神奈川代表の県立厚木王子高校には、横須賀ゆかりの5人の選手がメンバーとして在籍しており、主将を務めた渡邊まひろ選手をはじめチームの勝利に大きく貢献した。

 渡邊選手、船越心結選手、伊池陽夏選手、熊谷美沙選手、松浦佳代選手は横須賀を拠点に活動する中学生女子ソフトボールのクラブチーム「横須賀ゴールドウェーブ」出身。5人は県内強豪の厚木王子に揃って入学し、腕を磨いていた。

 同校は今年度、県の春季大会や関東大会で優勝するなど好調を維持。昨年に続いて2年連続のインターハイ出場となり、昨年1回戦敗退の雪辱を期して今大会に挑んだ。

1回戦から順当に勝ち進み、決勝戦で岡山代表の創志学園と対戦。タイブレークの末に勝利を掴んだ。チームをまとめた渡邊選手は「一番厳しかった試合。大会前から監督に言われた『技術ではない』という言葉で、優勝を取りにいくという気持ち、良い顔で試合に取り組めた」と振り返った。

 高校日本一の快挙に中学時代、ゴールドウェーブの監督として5選手を指導してきた齊藤優季監督は「積み重ねてきた努力、悔しさを乗り越えてきた日々、チームのために全力を尽くしたその姿はまさしく成長の証。大舞台での活躍を誇りに思う」と喜びの言葉を贈った。

特攻兵器と新幹線を開発 三木忠直の生涯、紙芝居で

 横須賀市本町の市民活動サポートセンターで8月23日(土)、「新幹線を開発した三木忠直」と題した紙芝居が三木の次女、棚沢直子さんとその親戚、矢部雅子さんによって上演される。

 太平洋戦争中、悪化の一途をたどる戦況の中、日本は特攻兵器「桜花」や陸上爆撃機「銀河」などの機体を開発。海軍省の技術者だった三木忠直は、あらがえない命令の中、設計に携わった。戦後は、戦争への加担を悔やみ、軍事転用されない鉄道業界へ転身。初代0系新幹線、ロマンスカーなどの誕生に大きく寄与した。

 戦中・戦後で、戦争と平和の貢献、その両方に関わった三木の思いと生涯を紙芝居を通して伝えていく。棚沢さんが構成を、矢部さんが絵を担当している。時間は午後1時から。1回のみ。予約不要で参加無料。

 紙芝居は、子ども向けイベントが多数用意されている同センターの「のたろんキッズデイ」のイベント内で実施。午前10時から午後3時。詳細は同センター【電話】046・828・3130。

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オショロブネを引くこどもら(昨年)

わら船で先祖送り 8月16日、三戸のオショロ流し

 三浦市初声町三戸に伝わる盆の伝統行事「三戸のオショロ流し」が8月16日(土)、三戸海岸で執り行われる。「セイトッコ」と呼ばれる子どもらが麦わらと竹で編まれた「オショロブネ」(精霊船)を沖まで引き、先祖の霊を送る。

 同行事は、江戸時代後期から同地に伝わるとされる。文献によると、オショロ流しは1959〜60年に一時休止。その翌年、郷土研究の記録を目的に谷戸上で行われると、住民から再興を考える意見が挙がり、62年から復活した。毎年同日の早朝に谷戸上、北、神田の3地区が実施していたが、少子化による担い手不足で17年からは合同で1隻を送り出している。

 現在は地元保存会が中心となって受け継いでおり、2011年に国の重要無形民俗文化財指定を受けている。

 時間は午前6時から。詳細などは市文化スポーツ課【電話】046・882・1111(内線412)。

愛娘に向けた手紙を書く大島店長

横須賀市光風台 「ネット時代だからこそ」 手紙の温かさ伝えるカフェ

「ネット社会の今でこそ手書きのメッセージを」――。横須賀市光風台の閑静な住宅街にあるカフェKotodamA(コトダマ/大島陵店長)では、店内で手紙を書けるサービスを提供している。内容や宛先は自由。差出人の希望に応じて公開することもあり、「新社会人は失敗するのも当たり前。経験をどう吸収するかが大事!」などと不特定多数に向けた力強いメッセージが目立つ。3月のオープン以来、1カ月あたり数人の客が書いていくといい、大島店長は「気持ちが一番入るのは手紙。考えが整理されて、読む側に伝わりやすくなる」と語る。

亡き父が遺したもの

「ファミリーハイチバンだからゼッたいにだいじダゾ」(原文ママ)――。4年前に亡くなった父・経雄(つねお)さん(享年67)が遺した手紙を、大島店長は大事に保管している=写真下。表現がカタカナ混じりなのは、経雄さんの妻で同店長の母・リタさん(62)がフィリピン出身のため。息子は「直筆の文が持つ不思議な力を感じた。無限大の可能性を伝えたい」と使命感に駆られた。文字や内容に人それぞれの個性が生まれる手紙。自身の店で客に書く機会を提供し、その”良さ”を再認識してもらうことが狙いだ。大島店長は「さびれても、きっと残る文化なはず。皆さんも、思いを手紙にしてほしい」と話している。

 手紙サービスの価格は500円から。シーリング体験(300円)なども実施している。開店時間は午前11時から午後8時ごろまで。

パネルと戦争関連の本が並ぶ展示

横須賀市立北図書館 戦時下の夏島・浦郷 戦争関連本とパネル展

 横須賀市立北図書館(夏島町12)では、戦後80年を記念して、同館が所蔵する戦争関連本80冊と絵はがきパネル80枚を展示している。8月17日(日)まで。

 明治期から海軍は、夏島周辺や浦郷地域に進出。水上機の離着陸に適しているなどの理由で、1916年には「横須賀航空隊」が置かれた。32年には「海軍航空廠」(後の海軍航空技術廠)を設置。航空技術の実験研究施設として、旧日本海軍の主力戦闘機であった「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」や高高度で飛来するアメリカのB29爆撃機を迎撃するために終戦間際に開発されたロケット戦闘機「秋水」のテスト飛行などが行われた。

 今回の展示では、こうした経緯を伝える書籍などのほか、38年に昭和天皇が空技廠の視察をされた際に発行した「行幸記念絵葉書」(複写)など80枚を飾っている。

わたしのまちでいきる きょうだいの想い 編 【4】間違っているのは、私?「一般社団法人sukasuka-ippo代表理事 五本木愛」

 この連載では、障がいを持って生まれたうららの兄、蓮から見た妹の姿やきょうだい児として感じてきたことなど、さまざまなエピソードを紹介します。

 「今日の学校は雨が降っていて遊べなかった」。そんな何気ない会話が、なぜかいつも以上に他愛もなく聞こえていた、ある夕食時。子どもながらに"何か"があったんだと思わせるには十分な程の緊張感と空気が漂っていた。"誰かが怒られる"。その場にいる兄弟達みな、そんな風に感じていました。

 空気は鈍く淀み、薄くなる酸素濃度。これ以上はこの場に存在できない。そう思った頃、「兄弟ができたよ」─。母の一言で、さっきまでの張り詰めた緊張感は、蜃気楼みたいに消え去りました。そこからは正直あまり覚えていません。誰かの誕生日みたいに盛り上がった事や、誰にも言ってはならないと感じた私自身の本音が、真反対だったこと以外は。

 少し経ったある日、近くに住む兄と姉と食事を済ませたあと、私はテレビで当時好きだったバラエティー番組をぼんやりと眺め、他の兄弟4人は、学校でのことや習い事の話などをしていました。ただそれは、この後に続く前座でしかなく。

 「兄弟出来たんでしょ?」祝い事の声色で切り出した兄と姉。対して、妹と弟が「嬉しい!」と返す。まるでテニスの壁打ちみたいな、打つ前から分かりきっている会話とその温度感に、"私は間違っている"。そう思わされ、早くこの会話が終われと祈りました。

 しかし、兄と弟、妹たちがふと話題から外れた時、その打球軌道は完璧だった予測を逸れ、姉から私に向けられることになったのです。

-次回に続く

船番所の模型(浦賀コミュニティセンター分館蔵)

三郎助を追う〜もうひとりのラストサムライ〜 第7回文・写真 藤野浩章

 与力や同心の職は世襲制ではなかったが、親の退職後に奉行所に入ることが通例で、子が14、15歳頃になると見習いとして働き始めることが多かったという。三郎助も例外ではなく、幼少期から槍(そう)術、砲術、剣術を学んだほか、父・清司(きよし)から俳諧(はいかい)や和歌も教わるなど、文武両道の"英才教育"を受けていた。

 そして14歳になった1835(天保6)年に晴れて出仕することになるが、2年後、歴史に残る衝撃的な2つの事件に触れることになる。

 その1つは、大塩平八郎の乱。当時は天保の大飢饉の影響で全国的な米価急騰となり、各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発する不安定な時期だった。そんな中で「救民」を掲げた大塩らが決起し、豪商らを襲ったのだ。

 この乱と浦賀は直接的に関係しないが、反乱を起こした大塩は元与力で、奉行所の現役与力も参加していたこと、そして幕府の重要直轄地であった大坂で起こったことは、たちまち浦賀にも伝わっただろう。しかも当初は大塩が逃亡していたから、治安維持の観点でも緊迫した状況になったかもしれない。

 船番所で江戸へ出入りする船を調べる浦賀奉行所は、人や物資の流れを把握できるうえに、船乗りらとの会話から、世の中が今どんな状況になっているのかを容易に推察できる立場にあっただろう。ただでさえ米の"異変"を感じていたところへ、重要地の元役人による反乱が起こったのだ。その噂で奉行所はもちきりだったに違いない。それを聞いて、若き三郎助は何を感じただろうか。

 さらに5カ月後、2つめの事件が起こる。異国船が突如として、浦賀沖に現れたのだ。