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横須賀・三浦 社会

公開日:2025.08.15

三木忠直の次女、棚沢直子氏
「戦争と平和を技術した」父
平和希求の思い紙芝居で

  • 紙芝居を上演する棚沢さん(右)と矢部さん

 太平洋戦争中、横須賀市浦郷町にあった「海軍航空技術廠」では、陸上爆撃機「銀河」や特攻兵器「桜花」などが開発された。これらの設計・開発にあたった海軍技術少佐の三木忠直(1909─2005)は戦後、初代0系新幹線の誕生に大きく貢献するなど、平和な世の中に向け、持てる技術を転用することに心血を注いだ。「もう一度、国家を背負ってみたかったんじゃないかな。ある種の執念ともいえる」-。三木の次女である棚沢直子さん(逗子市在住)は父の思いをそう推察する。

 三木は1933年、海軍省に入省。30代前半という若さで、技術者として国の重責を一身に背負った。桜花は沖縄戦に投入され、55人の若者が命を落とした。「父は味方をも殺してしまった。そのことから、自責の念にかられていた。人間爆弾のような兵器ではなく、せめて無人の兵器を開発するなら、まだ納得できると思っていたのに」

 敗戦後、米占領軍により海軍は解体され、飛行機の開発は禁止に。多くの命を奪ってしまったことへの後悔から、三木の視線は"平和の開発"に向いた。運輸省の技術研究所へ入所し、最終的にはメンバー25人を率いる車両構造研究室の室長として新幹線開発プロジェクトをけん引。「再び国家を背負い、新幹線0系という初代車両を開発した。結局、父は『戦争と平和』その両方を技術したことになる」。

傍観でなく当事者意識

 棚沢さんは、時代に翻弄されながらも平和を希求した技術者・三木の生涯や思いを紙芝居を用いて次世代につなぐ活動を開始。棚沢さんがストーリーを考案し、親戚の矢部雅子さんが絵を担当している。89歳の三木はあるインタビューで「若者には常に新しい挑戦をしてほしい」と答えている。生前、三木が抱えていたそうした思いを絵本を通じて子どもたちに分かりやすく伝えていく。「戦争に巻き込まれ死んでいくのが当たり前だった時代。ただ過去の出来事、歴史上の人物として捉えるのではなく、時代背景を理解する。そして当時、国民が何を思い、何を考えていたのか。もしその時代に自分が生きていたら、どうしていたのか。それらを考えないといけない」。

* * * * *

 「戦争は二度としてはいけない」。棚沢さんの記憶にいまも残る父の言葉を確固たる礎にして、平和な世の中を未来へ紡いでいく。

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