大和版【8月15日(金)号】
予約手続きの画面=提供

大和警察署 免許更新が予約制に 8月4日から県内で

 大和警察署(松本和彦署長)は8月4日から、運転免許の更新手続きを完全予約制に移行した。これは県下一斉の取り組みで、これまで場所や時間帯によって生じていた窓口の混雑を緩和し、署員の業務負担を軽減していく狙いがある。

 県内では運転免許センターと横浜水上警察署を除く53署の合計54カ所で更新手続きが可能となっている。県内の年間更新受理数は約123万件に上り、大和警察署での昨年の受理数は約1万4200件だった。

 これまでの制度では、同署は大和市と綾瀬市在住者のみが受け付け対象だったが、新制度では予約をすれば県内すべての警察署や免許センターでも手続きが可能となった。例えば、相模原市在住で大和市に通勤している人が、職場近くの大和警察署を訪れ、更新手続きを行うといった利用も可能になる。

ネットと電話で

 予約方法は、インターネットの予約システムまたは予約専用ダイヤルの二通り。インターネット予約では、免許保有状況や希望する講習区分を選択し、免許証番号やはがきに記載されている予約番号などを入力して手続き場所と日時を決定する。電話での予約は専用ダイヤル(【電話】0570・011・171)にて平日午前9時から午後5時まで受け付けている。講習区分が「優良」、「一般」、「違反」、「初回」、「高齢」のすべての人が対象。更新連絡書が届いていない人や海外渡航、出産などを理由に期間前に手続きをする人などは対象外となる。

 同署交通総務係の森田美咲巡査部長は、「予約数で混雑予想ができ対応しやすくなった。この制度が浸透すれば、業務負担軽減につながるのでは」と話す。さらに「予約をせずに来署した場合も予約枠に空きがあれば対応できるが、時間を要する可能性があるため事前の予約を」と語った。

中国遠征での活躍を誓った水谷さん=4日・大和ゆとりの森

大和高等学校水谷瑠空さん サッカー県代表で中国へ 市内の高校から唯一

 大和高等学校の男子サッカー部(宮澤仁監督/部員数58人)に所属する水谷瑠空さん(2年)が8月25日〜29日、中国の遼寧省に県U―17(17歳以下)選抜の一員として遠征する。相互に友好提携を結ぶ神奈川県、遼寧省、京畿道(韓国)による「三県省道スポーツ交流事業」の一環として行われ、県選抜は中国や韓国のチームと対戦する。

 部では不動のMFとしてチームをけん引する水谷さん。昨年度は16歳以下の県選抜にも選ばれ、今年2月に行われた高体連東京選抜U―16チームとの試合にも後半から出場、勝利に貢献した。

 1年時の実績を考慮し、県下からおよそ40人を対象にした県サッカー協会による選考が今年4月から行われ、水谷さんは選抜入りを果たした。

 2度目の選抜入りについて「プレッシャーはありますが勝利に貢献できるよう頑張りたい」と水谷さん。今回の遠征は遼寧省、京畿道との交流を目的としていることから「中国や韓国の方たちとの国際交流が今から楽しみ」と期待に胸をふくらませる。

 水谷さんは幼稚園のころからサッカーを始め、中学生になると川崎市内の強豪クラブで活躍。全国大会も経験している。大和高校に進学後は1年からレギュラーを獲得し公立校の選手として注目を集めるようになった。指導にあたる宮澤監督は「チームにいなくては困る存在になった。中心選手としての自覚も芽生えてきた」と話す。

 サッカー部は9月に始まる選手権予選に向けて練習の日々を送る。「目標は8強」と話す水谷さんは「(中国遠征を通じて)成長して帰って来たい」と意気込んでいる。

大和綾瀬保護司会の会長を務める 篠田 正さん つきみ野在住 74歳

更生のゴールへ伴走

 ○…保護司は、罪を犯した人の社会復帰を支援する民間のボランティア。60歳を過ぎたころから務め、今年で14年目を迎えた。現在は、2市を活動区域とする大和綾瀬保護司会の会長も務め、対象者の生活指導や相談支援を行う。「『更生させる』という考えだと相手も硬くなる。会話で和み、距離を縮めたい」と語り、「その先に更生の糸口があるはず」と信じ、活動を続けてきた。

 ○…下鶴間の農家に生まれた。夏休みになるとスイカを近くの防空壕(ごう)に運ぶ手伝いをした。「(防空壕は)天然の冷蔵庫でね」と、真夏の記憶をたどる。子どものころから運動が好きで、大和中学校では陸上部に所属。「小柄だったから」と長距離を専門にして健脚を磨いた。東京五輪で日本人選手が躍動する姿に背中を押され、校庭で汗を流した日々は「充実した時間だった」

 ○…大学卒業後、銀行の内定を受けていたが、市の広報に載っていた求人欄に目が留まり、「せっかくなら大和のために働きたい」と一念発起、23歳で大和市に入庁した。環境や防災対策などさまざまな分野で勤め、56歳からは消防長も務めた。結婚は27歳の時。2人の子どもに恵まれ、現在は妻と暮らす。保護司のほか、不動産管理業も営んでいる。

 ○…かつて、高校1年で退学になった対象者を担当し、試験勉強に2年間付き合ったことがある。「高卒認定試験に合格してね。うれしかった」と笑顔。こうした活動の一方、今後4年間で保護司会ではおよそ20人が退任の年齢を迎える。「人材確保が喫緊の課題」と位置づけ、今年2月には周知活動の一環でパネル展を初開催した。「保護司を必要とする人のために」と会員一丸で知恵を出し合いながら、走り続けている。

困っている人のため

 ○...今年度のスローガンを「風通しの良い組織づくり」とし、会員同士コミュニケーションを密に取り合っていく。「人が集まり多くのイベントに参加することで、より効率的な奉仕活動を行っていく」と意気込む。

 ○...クラブに入会したのは約28年前。友人から誘われたことがきっかけだった。「仲間がいたことが支えとなり、今まで活動を続けてこられた。多くの人とつながれたことは財産」と魅力を語る。会長を務めるのは今回で3回目。今年度は「今までの活動をより精力的に取り組んでいく。今年度からは市内で3クラブとなったので、協力してイベントなどを実施していきたい」

 ○...綾瀬市深谷上に本社を構える自動車部品工場「有限会社加川製作所」の代表取締役を務める。大和市は「クラブ活動の場であり、つながりが強いイメージ。エリアにとらわれず、たくさんの困っている人たちのために活動していきたい」と先を見据える。

チャレンジの一年

 ○...今年6月、市内3団体目のLCとして船出を迎えた。「当たり前に存在するクラブ」として浸透するためにも、「楽しく学びながら奉仕活動をしていく」という。「地に足をつけて、無事に一年後を迎えられるようにしていきたい」

 ○...今年度のスローガンには「Let's Challenge the LIONS!」を掲げた。新クラブの立ち上げということを踏まえ、「これからの1年間そのものがチャレンジの年になる」と語る。同時に「乗り越えた先にはさらなるクラブの飛躍と、より地域社会への奉仕が実現できる未来が待っている」と前を向く。

 ○...今後の取り組みとしては、前身となる団体で手がけてきた障害のある人へ向けた音楽会などの活動を継続していく。さらに、被災地復興を目的とする音楽祭が、今年度は規模を拡大し「芸術祭」として実施される。「まずは色々な人に知ってもらい、充実度を上げて地域へ根強く貢献できれば」と意気込んだ。

次の50年「協働」で前へ

 ○...1976年に創立した大和リバティライオンズクラブは、50年目を迎える。50歳で会長に就任したこともあり、「50という数字に縁を感じる一年」と話す。今年度のクラブスローガンは「協働」。「各メンバーがそれぞれのポジションでしっかり役割を果たす一年に」と意気込む。

 ○...献血の啓発や災害復興支援、南林間駅西口の植栽活動といった、これまで行ってきた活動を継続する。それに並行して来年予定している「50周年式典」の準備にも取り掛かるなど、取り組むべきミッションは多い。しかし、それらに忙殺されるのでなく「ライオンズクラブの活動を楽しみ、そこから学びを得たい」と前向きだ。

 ○...自身が取締役を務める会社が今年で50周年を迎えるといい、「やはり50という数に縁があるのでしょうか」と笑顔で語る。スローガンに掲げた「協働」の先に見据えるのは、クラブの未来だ。次の50年へ、メンバー一丸で進む。

降り注いだ薬きょうを前に語る高橋さん

降り注ぐ薬きょうと爆弾 深見東 高橋則文さん(92)

 深見東に住む高橋則文さん(92)が、小学3年生だった1941年に、太平洋戦争が始まった。

 44年11月、B29の偵察機を目撃した。初めて目の当たりにした敵軍の戦闘機は恐怖の対象だった。その数日後の深夜午前0時頃、自宅近くの畑に爆弾が投下された。轟音(ごうおん)とともに凄まじい爆風に襲われ、自宅の雨戸が吹き飛ばされるほどの威力だった。何が起きたかもわからず、母と次兄、姉、弟と暗闇の中手を引きあいながら崖下の防空壕(ごう)に駆け込み、夜を明かした。

 翌朝周囲を見渡すと、あたりには数十カ所の爆撃跡があった。「まるで火山の噴火のよう」で、爆撃跡の周りには大量の土砂が飛び散っていた。当時、大人からは「まだ小さい方だ」と聞かされ、「さらに恐怖が増した」。

 45年春には自宅隣接の軍需工場を狙った空襲で、わずか30戸の集落が米軍の空襲を受けた。敵機の影を見つけた高橋さんは、「これは近い、危ない」と思い、山林に逃げ込んだ。機銃弾は木々をなぎ倒し、容赦なく住宅を襲った。自宅の数カ所から火の手が上がり、次兄とともに飛び回りながら消火し自宅を守った。この空襲で十数棟が全焼。同級生3人の家が焼け落ちた。

 8月15日に終戦を迎えたが、「銃撃戦は終わっても、受け続けていた恐怖がすぐには晴れなかった」と語る。「何をされるか分からない」「何が起こるか分からない」という新たな恐怖に直面した。米兵が自分たちには危害を加えないことがわかったとき、「ようやく戦争が終わったことを実感し、安心できた」。

 高橋さんは、「戦争体験が風化し、同級生には記憶を失っている人もいる」と、現状を憂う。「二度と同じあやまちを繰り返さないために、戦争の恐怖、それを乗り越えた人々の体験を次世代に伝え続けたい」と強調した。

「経験してきたことを後世に残したい」と語った石川さん=8月6日・上草柳

報道と裏腹「もって3年」 上草柳 石川公弘さん(91)

 津久井郡生まれの石川公弘さん(91)は、教師だった父の仕事のため、9歳の時に家族6人で大和にやってきた。現在も上草柳に暮らす。

 太平洋戦争開戦の翌年7月、商社マンだった叔父が米国から帰国。母の実家がある茅ケ崎で、石川さんは叔父と父の会話を聞いた。

 「日本はもって3年」。毎朝欠かさず新聞に目を通していた石川さんは、耳を疑った。のちに、日本海軍がミッドウェー海戦で大損害を受けたことを知った。それが隠された敗北だったことも。

 「叔父と父の会話を聞いた日、外ではシンガポール陥落の旗行列。新聞やラジオは日本の有利な戦況を報じていた」。11歳の石川少年は、8月15日の玉音放送も「日本がソ連に宣戦布告したというアナウンスが始まるかと思った」という。

 叔父の言う通り、3年ほどで日本は戦争に負けた。戦中は高座海軍工廠で働く台湾少年工の寄宿舎で舎監をしていた父は農業へ転身。しかし、ほどなく農地を手放すことになり生活は困窮した。

 石川さんは早稲田大学に進学後、米軍キャンプ座間で宿直の通訳として働き、家計を支えた。

 東京五輪を目前にした1964年9月8日、上草柳に米軍のジェット機が墜落した。速報した夕刊紙には、上空からの写真が掲載され、立ち昇る黒煙のすぐ隣に石川さんの自宅が確認できた。

 ベトナム戦争から帰還した機体はバラバラに散り、子どもを含む5人が犠牲になった。平和の祭典を前にしたこの惨劇に、石川さんは憤りを禁じえなかった。

 この出来事をきっかけに石川さんは市議選への出馬を決意した。初当選以来、28年にわたり「ほぼ基地問題を扱った」

 終戦から今年で80年。石川さんは自身を「保守の立場」と前置きして、続けた。「尊い命が国の平和や安全保障の犠牲になることは、いつの時代も許されない」

東京大空襲について語る小林さん

空襲の恐怖、いまも つきみ野 小林美智子さん(85)

 つきみ野在住の小林美智子さん(85)は、東京都浅草で生まれた。戦争が激化していく中で人々は下駄から地下足袋に履き替えて、父が営む下駄(げた)屋は3歳の頃には経営が傾いたという。

 1945年3月10日の真夜中、激しい空襲警報の音が響いた。「外に出るとすでに数メートル先まで火の海。突風が吹き荒れていた」。リヤカーに仏壇とちゃぶ台、姿見とわずかな家具を入れて母と姉の3人で逃げたが、あまりの強風で飛ばされそうになり、そのまま道に置いて防空壕(ごう)へ向かった。しかし、その壕の中の荷物にも火が燃え移っていた。

 2メートルほどの塀を飛び降りて風を避けたが、三方から炎に囲まれ、着ていた衣服は燃えてしまった。「頭上からは焼夷弾(しょういだん)がバーっと落ちてきて、不謹慎だけど花火みたいだと思った」と記憶している。

 火のない方へ必死に逃げると、両親と兄2人が勤めていた工場の門の守衛小屋があった。「ほっとしたことを覚えている」。赤い火をずっと見ていたせいか「目が開かなかった。小屋にあった雑巾を入れて汚れたような水に手拭いを浸し、目を冷やした」という。

 夜が明け、ようやくあたりが見えるようになり、目に飛び込んできたのは、建物がなくなった一面の焼け野原だった。「何もなくなってしまった」が、道路に置き去りにしていたリヤカーと積んでいた物は残っていた。「それだけが私たちの全財産となった」と当時を思い出す。

 8月15日。家族全員でラジオを聞き、終戦を知った。「2番目の兄が泣いて家の外へ出ていったことを今でも覚えている」。

 小林さんは現在、戦時体験の語り部として、市内の小学校などで講話をしている。「二度と戦争をしてはいけない。私たちの体験を若い世代が後世へと語り継いでほしい」と力強く語った。

桜ヶ丘自治会が主催した盆踊り&納涼の夕べ=2日・金毘羅神社

夏まつりにぎわう

 今年の夏も大和市内の各地で夏祭りが開かれ、多くの地域住民らでにぎわいをみせている。

 2日、桜ヶ丘駅近くの金毘羅神社で「盆踊り&納涼の夕べ」が開かれた。桜ヶ丘自治会(渡辺秋夫会長)の主催で行われ、1千人以上が来場。境内では歌や盆踊りが披露されたほか、模擬店には長蛇の列ができた。

 渡辺会長は「こうして多くの人たちが集まり、夏の思い出ができたと思う」と笑顔で話した。

 3日には深見地区の宮下自治会館で「宮下夏祭り」が開催された。地元有志でつくる実行委員会の主催。会場では浴衣姿の子どもたちが目立ち、金魚すくいやボール投げのアトラクションを笑顔で楽しんでいた。

平和を見つめる シリウスでパネル展

 「平和を見つめるパネル展〜未来に語り継ぐ戦争の記憶と平和〜」が8月18日(月)まで、シリウス1階のギャラリーで開催されている。午前10時30分〜午後6時(最終日は3時)まで。

 会場では、広島県の高校生と被爆者が共同で制作した「原爆の絵」の複製画が20点ほど展示される予定。松本零士作の戦場まんがシリーズのうち1作品のパネル展示やアニメ上映、原爆投下時の広島の様子を疑似体験できるVR(16・17日のみ)も実施される。詳細は市HP、または国際・市民共生課【電話】046・260・5164へ。

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記憶をつなぐ 体験を語り動画に

 平和事業を展開している「大和市平和都市推進事業実行委員会」のYouTubeチャンネルでは、戦争体験者の講話を視聴することができる。

 同市は2003年、「次世代に戦争の記憶をつなげる条例」を施行。同会では活動の一つとして、戦時体験を語り継ぐ語り部の講話収録を行ってきた。昨年、年月の経過とともに戦争の記憶が風化しつつあり、語り部も高齢化する現状を踏まえ、YouTubeチャンネルが開設された。

 同チャンネルは委員会名で検索を。

芸術祭で被災地応援 8月31日シリウスで

 大和アートライオンズクラブ(北嶋恭子会長)が主催する「被災地復興応援芸術祭〜絆〜」が8月31日(日)、シリウスのサブホールで開催される。午後1時開演(午後0時30分開場)。

 当日は音楽や日本舞踊、ダンスなどが披露されるほか、能登半島地震の義援金ボックスの設置もある。

 入場無料で0歳から入場可(出入り自由)。当日のスケジュールは同クラブのインスタグラムで確認を。

 (問)同クラブ事務局【電話】046・204・9863

 

 

 

全国大会に出場する煌晟さん、隼斗さん、風翔さん、健さん、丈さん、飛羽さん(左から)

Refre'K 全国大会に6選手が出場 18日後楽園ホール

 フィットネスキックボクシングジム「Refre,K」(百瀬竜徳会長/大和南)の6選手が、8月18日(月)に後楽園ホール(東京都文京区)で開催される「アマチュアキックボクシング全国⼤会2025in後楽園ホール」に出場する。

 これは年に一度開催され、北海道や東北、関東、東海、関西、中国・四国、沖縄の各エリアで優勝した選手のみが出場できる大会。この大会で優勝すると、来年開催される世界大会への出場権を獲得できる。

 同ジムから出場する選手は次の通り。中学生クラス(中学1年生〜3年生)40kg級/松本煌晟さん(光丘中1年)、⼩学校⾼学年クラス(小学5・6年生)45kg級/小池隼斗さん(文ヶ岡小6年)、同クラス28kg級/小池健さん(同5年)、同クラス31kg級/鈴木飛羽さん(大野原小5年)、⼩学⽣低学年クラス(小学3・4年生)34kg級/松本風翔さん(深見小4年)、同クラス25kg級/松本丈さん(同3年)。

 松本煌晟さんは「練習の成果を出し切って、みんなで優勝を目指していきたい」と意気込んでいた。百瀬会長は「全国から強い選手が集まる大会で厳しい戦いになると思うが、普段の実力を出してくれれば優勝を目指せる」と鼓舞していた。

駅周辺の植栽について説明する佐藤委員長=6日・つきみ野駅近くで

不要品を美化活動に つきみ野自治会

 地域の美化活動を持続可能な形で推進しようと、つきみ野自治会の有志でつくる「つきみ野まちづくり委員会」(佐藤知明委員長)がこのほど、リサイクルショップチェーンの「ブックオフ」が展開する宅配買取寄付サービス「キモチと。」の活用を始めた。自宅で不要になった本やゲームなどを寄付すると、その査定金額が同会の美化活動費に充てられる仕組みだ。

 およそ3200世帯で構成されるつきみ野自治会では、20年ほど前から大和市と合意の上、東急田園都市線「つきみ野駅」前の南北およそ2Kmにわたる「鶴舞通り」で植栽を行ってきた。

 当初は自治会費でまかなっていたが、活動の周知や継続などを見据え、今回の取り組みに至った。同会の佐藤委員長(68)は「美しいまちを目指して活動しています。ご協力いただけるとありがたいです」と呼びかけている。

 寄付は「キモチと つきみ野」で検索を。