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大和 社会

公開日:2025.08.15

降り注ぐ薬きょうと爆弾
深見東 高橋則文さん(92)

  • 降り注いだ薬きょうを前に語る高橋さん

 深見東に住む高橋則文さん(92)が、小学3年生だった1941年に、太平洋戦争が始まった。

 44年11月、B29の偵察機を目撃した。初めて目の当たりにした敵軍の戦闘機は恐怖の対象だった。その数日後の深夜午前0時頃、自宅近くの畑に爆弾が投下された。轟音(ごうおん)とともに凄まじい爆風に襲われ、自宅の雨戸が吹き飛ばされるほどの威力だった。何が起きたかもわからず、母と次兄、姉、弟と暗闇の中手を引きあいながら崖下の防空壕(ごう)に駆け込み、夜を明かした。

 翌朝周囲を見渡すと、あたりには数十カ所の爆撃跡があった。「まるで火山の噴火のよう」で、爆撃跡の周りには大量の土砂が飛び散っていた。当時、大人からは「まだ小さい方だ」と聞かされ、「さらに恐怖が増した」。

 45年春には自宅隣接の軍需工場を狙った空襲で、わずか30戸の集落が米軍の空襲を受けた。敵機の影を見つけた高橋さんは、「これは近い、危ない」と思い、山林に逃げ込んだ。機銃弾は木々をなぎ倒し、容赦なく住宅を襲った。自宅の数カ所から火の手が上がり、次兄とともに飛び回りながら消火し自宅を守った。この空襲で十数棟が全焼。同級生3人の家が焼け落ちた。

 8月15日に終戦を迎えたが、「銃撃戦は終わっても、受け続けていた恐怖がすぐには晴れなかった」と語る。「何をされるか分からない」「何が起こるか分からない」という新たな恐怖に直面した。米兵が自分たちには危害を加えないことがわかったとき、「ようやく戦争が終わったことを実感し、安心できた」。

 高橋さんは、「戦争体験が風化し、同級生には記憶を失っている人もいる」と、現状を憂う。「二度と同じあやまちを繰り返さないために、戦争の恐怖、それを乗り越えた人々の体験を次世代に伝え続けたい」と強調した。

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