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大和 社会

公開日:2025.08.15

空襲の恐怖、いまも
つきみ野 小林美智子さん(85)

  • 東京大空襲について語る小林さん

 つきみ野在住の小林美智子さん(85)は、東京都浅草で生まれた。戦争が激化していく中で人々は下駄から地下足袋に履き替えて、父が営む下駄(げた)屋は3歳の頃には経営が傾いたという。

 1945年3月10日の真夜中、激しい空襲警報の音が響いた。「外に出るとすでに数メートル先まで火の海。突風が吹き荒れていた」。リヤカーに仏壇とちゃぶ台、姿見とわずかな家具を入れて母と姉の3人で逃げたが、あまりの強風で飛ばされそうになり、そのまま道に置いて防空壕(ごう)へ向かった。しかし、その壕の中の荷物にも火が燃え移っていた。

 2メートルほどの塀を飛び降りて風を避けたが、三方から炎に囲まれ、着ていた衣服は燃えてしまった。「頭上からは焼夷弾(しょういだん)がバーっと落ちてきて、不謹慎だけど花火みたいだと思った」と記憶している。

 火のない方へ必死に逃げると、両親と兄2人が勤めていた工場の門の守衛小屋があった。「ほっとしたことを覚えている」。赤い火をずっと見ていたせいか「目が開かなかった。小屋にあった雑巾を入れて汚れたような水に手拭いを浸し、目を冷やした」という。

 夜が明け、ようやくあたりが見えるようになり、目に飛び込んできたのは、建物がなくなった一面の焼け野原だった。「何もなくなってしまった」が、道路に置き去りにしていたリヤカーと積んでいた物は残っていた。「それだけが私たちの全財産となった」と当時を思い出す。

 8月15日。家族全員でラジオを聞き、終戦を知った。「2番目の兄が泣いて家の外へ出ていったことを今でも覚えている」。

 小林さんは現在、戦時体験の語り部として、市内の小学校などで講話をしている。「二度と戦争をしてはいけない。私たちの体験を若い世代が後世へと語り継いでほしい」と力強く語った。

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