平塚・大磯・二宮・中井版【8月15日(金)号】
竹あかりの展示イメージ

平塚市 平和の祈り灯す竹あかり 8月17日 市民平和の夕べ

 平和の尊さを再確認する「市民平和の夕べ」が、8月17日(日)の午後6時30分〜8時に平塚市総合公園の大池とマザーアース周辺で開かれる。今年は平塚空襲・終戦から80年、核兵器廃絶平和都市宣言40周年の節目の年にあたり、記念事業の一つとして、竹あかりの展示が行われる。

 平和の夕べは、平和意識の普及と啓発を図るため、「アイ・ラブ・ピース」を合言葉に市が取り組む平和推進事業の一環として実施される。

 今年は、湘南電設業協同組合青年部による竹あかりの展示を実施。7月に実施したワークショップで制作された竹あかりも飾られ、同組合では「平和への思いが込められている」と話す。

 公園内の大池では、あさぎ・ピンク・クリームの3色の灯ろう用紙に、来場者が平和への願いを書いて流す灯ろう流しが行われる。先着700個。池の西側にある地球をイメージした球形のモニュメント「マザーアース」と大池の周りに、約300個のキャンドルを点灯。マザーアースの前にはキャンドルで「I♡PEACE80・40」の文字がかたどられ、温かな明かりが灯る。

 そのほか、すいとん試食(先着400食)や、平和の折り鶴ボード作製、中学生と高校生によるコーラス、市民広島派遣参加児童生徒の発表も。

 問い合わせは市行政総務課【電話】0463・21・9754。

原爆ドームの前に立つ長尾さん(本人提供)

大磯在住長尾さん 平和訴える国連大使に 広島でドイツ学生と研修

 大磯町在住の長尾颯和(さわ)さん(15)が、(公社)日本青年会議所(日本JC)の「JCI JAPAN グローバルユース国連大使」として8月24日〜31日に訪独。同国の学生と共に平和を考える研修に参加する。

 2017年にスタートした同事業は、日本や世界の未来を担う若者に、国内外での研修を通じて多様な文化や価値観に触れる機会を提供し、国際社会の課題解決や恒久的世界平和の実現に向けたグローバルな視点を養ってもらうことを目的としている。

 同大使に選ばれたのは、全国の中学1年生から高校3年生までの19人。毎年、同事業に積極的に参加している自修館中等教育学校(伊勢原市)に通う長尾さんは、今年初めて立候補した。2月〜4月に行われた選考で、志望動機を1分間で話す英語スピーチ動画と、「ドイツの社会情勢と恒久的世界平和の課題」と題した作文を提出した。作文では、戦後のドイツにおける不安定な電気料金の背景に戦争が深く関わっていることを指摘。戦争を繰り返さないためには教育の変革が重要だと訴えた。

 大使らは5月から、異文化理解や情報発信に関する研修を重ねてきた。7月25日から31日までは、東京都と広島県を訪問。広島では原爆資料館見学のほか、被爆者の話を聞く機会があった。長尾さんは「ドイツの大使などと同じ場所を訪れても、国や文化によって受け止め方が違うことに驚いた。平和について深く考える出発点だと思った」と振り返る。

24日からドイツへ

 8月24日〜31日は、第二次世界大戦で日本と同盟関係にあったドイツへ赴く。相互派遣は今回初めての試みであり、地理や文化、人種の違いを超えて互いに尊重し合える人材を育成するという趣旨を体現するものだ。

 これまでの活動を通して、19人の大使の中から2人が選ばれ、チュニジアのチュニスで11月に開催される「JCI世界会議チュニス大会」に参加。研修の成果についてプレゼンテーションを行う。長尾さんは「自分のやる気を伝え、選ばれたい。学校の人にも見ていてもらいたい」と話す。

8月15日に江戸民具街道で玉音放送体験イベントを企画する 秋澤 傑(まさる)さん 中井町在勤 63歳

音で感じる戦争の記憶

 ○…江戸時代から一般庶民が使っていた生活道具を数多く展示するおもしろ体験博物館「江戸民具街道」(中井町久所418)で館長を務める。8月15日は昭和天皇による終戦を伝えられた玉音放送を再現する。今年は戦後80年。日本でラジオ放送が開始されてから100年の節目の年だ。「当時の情報伝達手段としてのラジオが戦争といかに密接な関係にあったか、その歴史を多くの人に知ってもらいたい」。ラジオと平和への思いが、企画の原動力となっている。

 ○…小田原市で生まれ育ち、高校卒業後、中井町で就職した。その後異文化学習のため、アメリカ・アイダホ州へ3年間留学。「アメリカは世界中の憧れみたいなイメージだったけれど当時のアイダホは、カウボーイがまだいるような田舎町でびっくりした」と笑いながら当時を振り返る。その後は照明関連企業に勤めながら、両親が運営していた同館を手伝い、2年前には館長に就任した。

 ○…平日は会社員、週末は館長として多忙な日々を送る。癒しとなっているのはギターを弾き、音楽に触れる時間だ。ハマるとのめり込む性格から、館内に自作のスタジオまで設けた。「中学生の頃に夢中になったビートルズを、最近また弾き始めた」と笑顔を見せる。

 ○…同館に展示される音や照明に関する道具類のほか、留学時代に経験した英語を生かした音声学の研究も続けている。今回の企画では、音声学を用いながら戦時中を描いた映画『サウンド・オブ・ミュージック』で使われる楽曲『エーデルワイス』の合唱も行う。「玉音放送や歌を通じて、戦争について考えるきっかけにしてほしい」と願うのは平和な世界だ。

平塚市少年野球大会 ジュニア・学童共に初優勝 計27チームが参加

 第62回平塚市少年野球大会が6月27日〜7月27日に開催され、学童、ジュニアの部合わせて27チームが参加。ジュニアの部(4年生以下)は平塚西少年野球部が、学童の部は湘南平塚ノースが優勝した。両チームともに、ジュニアの部と学童の部で優勝するのは初めて。

 平塚西少年野球部(藤間健仁監督)は、決勝を港スターズと戦い、8対3で撃破した。松延、山下、勝原、旭、金目小の5校からなる同部は、守備からリズムを作り、小技を絡めた野球が特徴のチーム。ジュニアの部主将の大野雄哉さんは、「みんなで一生懸命練習して優勝できてうれしかった。今後の大会もがんばりたい」と意気込みを語った。

 湘南平塚ノース(川崎俊介監督)はみずほ少年野球クラブと決勝を戦い、6対4で勝利し優勝に輝いた。

 神田、相模、横内、真土小の児童36人が所属する同チーム。川崎監督は「コツコツと、選手の長所短所を伸ばす指導を心がけている」と話す。

 主将の高橋惟翔さんは「監督からの『誰かが失敗しても誰かがフォローする』という言葉を信じて、みんなで実行できたことが勝因だと思う。チーム全員でつかんだ優勝」と喜びをかみしめていた。

生クリームを絞る参加者

高久製パン フルーツサンド作り伝授 崇善公民館で親子が参加

 手作業にこだわり、卓越した技術力等により、自社で製造した製品を販売する店舗を対象とした「ひらつか匠の店」に認定されている高久製パン(株)(平塚市老松町)と崇善公民館、平塚市商業観光課が主催のフルーツサンド作り体験会が8月2日、同館で開催された。

 当日は崇善地区の25人の小学生と保護者が参加。同社の高久真理子さんらが講師となり、食パンの向きや生クリームにコクを出すための隠し味などを伝授し、オレンジや桃、キウイやバナナを使った断面が花の形などになるフルーツサンドを調理した。

 子どもたちは、生クリームの絞り方などに苦戦しながらも「夏休み中に家でも作ってみたい」と笑顔を見せていた。

ブルーベリーを収穫する参加者ら=提供写真

中井の魅力味わって 48人が収穫体験

 中井町の豊かな自然と農業の魅力を発信する里都まち・なかい農作物収穫体験が8月2日に開催され、参加者はブルーベリー収穫などを通して同町の魅力を体験した。

 2011年に同企画は初めて開催された。旬の農作物を収穫する喜びや、食の大切さを学ぶこと、中井町の自然環境の良さを感じてもらうことが目的。今年は町内外から17組48人の家族などが参加した。

 参加者らは畑でブルーベリーを1つずつ丁寧に摘み取り、「甘い」「おいしい」と喜んだ。

 収穫後は、中井中央公園内の里都まちキッチンでピザづくりも体験。同町産のナスやオクラ、ベーコンなどの食材を自由にトッピングし、同公園内のピザ窯でオリジナルピザを焼いて食べた。

 同企画を主催した町産業観光課の担当者は「ブルーベリー収穫やピザ作り体験を通して、町の魅力を知ってもらえた。今後の企画もぜひ参加してほしい」と話した。

花菜ガーデンで盆踊り 8月23日

 「ひまわりBONフェスティバル」が8月23日(土)に花菜ガーデン(平塚市寺田縄496の1)で開かれる。

 チケット(100〜300円)を購入して体験する輪投げやヨーヨー釣りなどの縁日は午後3時から7時(チケット販売は6時まで)。

 ステージでは、キッズダンスチームによるダンス(3時30分から)、相州平塚七夕太鼓保存会による和太鼓演奏(5時から)、金田盆踊り愛好会出演の盆踊り(5時30分から)を実施。フィナーレには打ち上げ花火も行う(7時30分から約3分間。天候により中止の場合あり)。雨天時は24日(日)に順延。(問)同施設【電話】0463・73・6170

賞状を持つ白石さん(左前)、石井さん(右前)、入賞した3人

湘南ビューティーカレッジ メンズカットで全国へ 白石さんと石井さん

 理美容学生の技術向上を目的とした「理美容甲子園 関東地区大会」が7月16日に横浜市で開催され、明石町の「湘南ビューティーカレッジ」に通う白石晴翔さん(20)、石井駿吾さん(20)がメンズカット部門で、優勝、準優勝を獲得した。2人は11月13日に岡山県で開催される全国大会に進む。

 30校、400人以上が参加した同大会。メンズカット部門では、国家試験の科目でもある男性用ミディアムカットの完成度を求められた。襟足から頭頂部のグラデーションの美しさが評価基準とされる中、出場者は制限時間30分で技術を競った。

 3位までが全国に進める同大会。石井さんと切磋琢磨してきた白石さんは、「1位と2位で全国に行こうと話していたのでうれしかった。全国でも同じ順位で終わりたい」と話し、石井さんは「左右対称にしつつ、グラデーションをきれいに仕上げられた。全国では自分が1位をとりたい」と闘志を燃やした。

 また、ネイルアート種目では、同校の生徒3人が入賞した。

中井町江戸民具街道 玉音放送をラジオで きょう午後1時30分〜

 中井町の江戸民具街道(久所418/秋澤傑館長=人物風土記で紹介)で8月15日(金)、真空管ラジオで玉音放送を聞くイベントが開催される。

 終戦の日にちなんで実施されているもので、午後1時30分から1時間ほど。要申し込みで先着20人。

 第二部として、世界の平和を願い、『エーデルワイス』を英語で合唱する。

 問い合わせ、申し込みは秋澤館長【携帯電話】080・9358・7251。

大磯邸園でうちわ作り 8月23日 小学生対象

 小学生の夏休みの思い出作りに「うちわづくりと冷却パックづくり」が8月23日(土)、明治記念大磯邸園(大磯町東小磯295ほか)大隈邸大広間で開かれる。午後1時30分から(約60分)。

 子どもたちに同施設へ来場してもらい、邸園や偉人の暮らし、歴史を知ってもらおうと企画。オリジナルうちわと夏の暑さ対策に利用できる冷却パックづくりを行う。

 対象は小学生で定員10組(家族は子どもの手伝いまたは見学)。事前申し込み制(先着順)。申し込み・問い合わせは同施設【電話】0463・61・0101へ。

次世代につなぐ奉仕の輪 中井LC 松本宏会長

 会長就任2年目を迎えた。一度解散したクラブは2020年に復活後、メンバーは30代から50代を中心とした21人。「若い人が奉仕活動に前向きなのは地域にとって明るいこと」とほほ笑む。

 今年度のテーマは「次につなごう 奉仕の輪」。解散前から残るメンバーから新しい世代にバトンを渡しながら奉仕に努める。奉仕活動も若者に目を向けて、小学生にアサガオセットの寄贈などをしてきた。「学生に向けた薬物乱用防止教室も実施したい」と新しい時代に期待をかける。

 公園のグリーンテク西広場の清掃・整備では、最終的に昔生息していたホタルを復活させることが目標。未来の中井町を見据えた活動にまい進する。

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伝統を守り広げる 二宮LC 二見直樹会長

 知人に誘われたことをきっかけに7年ほど前に入会し、自身2度目の会長就任。「約50年続くクラブの伝統をしっかりと引継ぎ守っていきたい」と意気込む。

 今年度のテーマは「守り伝え広げよう」。同クラブの発足当初から継続され、代表的な活動となっている地元高齢者向けの講演会、「おじいちゃん・おばあちゃん大学」などの活動をさらに発展させ、クラブの認知拡大も図る。

 会長という役職の責任を感じながらも気負わず、「クラブは私1人ではなくみんなで作るもの。今までの人たちが形にしてきたものを守り、多くの人に伝え、新しい人に入ってもらえるような活動をしていきたい」と意気込んだ。

簑島さん宅に保管されている焼夷弾

今も残るあの夜の焼夷弾 大磯町国府新宿在住 簑島さん

 大磯町国府新宿在住の簑島敏明さん(90)は、国府村国民学校4年生の時に終戦を迎えた。今でも印象に残っているのは、二宮町の機銃掃射の音と、平塚空襲の夜の赤い空。「戦争の恐ろしさをまだわかっていなかった」と振り返るが、情景は鮮明に覚えている。

 1942年4月18日、高来神社の祭りに行こうと、友人たちと連れ立って海岸沿いを歩いていた時、陸側から海へと米軍機が飛んで行くのを見た。湘南平の高射砲から、追い立てるように砲撃する音が聞こえてきたという。「米軍機を間近に見たのはその時が初めてだった」。太平洋戦争中、日本が初めて米軍による本土空襲を受けた日だった。

機銃掃射 伝わる振動

 45年8月5日、米軍のP51による機銃掃射に見舞われ、JR二宮駅周辺で父を亡くした出来事を伝える、高木敏子さんの戦争体験記『ガラスのうさぎ』。簑島さんはその日、大磯町国府の自宅で近所に住む1歳年下の友人と遊んでいた時に「ダダダダダ」という大きな音を感じた。「二宮駅周辺がやられたと聞いたのは後から。当時はもっと近くにいる気がして怖くて家の中の柱の陰に隠れた」。家の中にいるにも関わらず伝わってくる振動に、逃れられない恐ろしさを感じたという。

祖母に手を引かれ林へ

 45年7月16日深夜から17日未明にかけて平塚市街を襲った平塚空襲の夜、東の空が真っ赤に染まるのを簑島さんは家族と見ていた。同日、大磯町内も空襲に遭っており、特に簑島さんの家からも近い寺坂地域は被害が大きかったという。

 空襲の夜、簑島さんは祖母に手を引かれ、ひのきの防風林のある近所の別荘跡地へと逃げた。「空が燃えているという感じだった。見上げながら逃げたのを覚えている」と簑島さん。後日、大磯町石神台にあった農地には、焼夷弾がたくさん落ちていたといい、「祖父が持ち帰ってきた」という1つを、簑島さんは今でも保管している。「こんなに重くて固いものが空から降ってきたなんて。戦争はやるべきじゃないと、伝えていきたい」と話していた。

個展の会場で話す大貫さん

学校奪った平塚空襲 寒川町在住 大貫さん

 平塚市の馬入で育った大貫達雄さん(91)は11歳の時、平塚第三国民学校に通いながら市内の軍需工場でネジを分ける仕事をしていた。子どもたちには一人ずつ貯金通帳が渡されるような時代で、「働いて一銭もらった記憶がある。けれど惨めだった」と振り返る。

 1945年7月10日、地元の神明神社の祭りがあり、神輿を友人と担いでいた大貫さんは、グラマンの機銃掃射に襲われた。「馬入に神輿を置いて逃げた。怖かった」と険しい表情で話す。

 その6日後未明、自宅にいた大貫さんは平塚空襲に遭った。警戒警報の「ウーウーウー」というゆっくり3回鳴るサイレンとは違い、空襲警報は10回鳴り続けた。家の周りは真っ赤に燃え、家族で現松原公民館裏の3m幅の裏道から逃げた。

バラックで卒業式

 自宅には4発の焼夷弾が落ち、屋根が壊れて雨漏りするようになった。全校舎が焼失した小学校では、残った柱でバラックを作り、卒業式が行われた。「6年生は男女合わせて80人いたかな。みんな、燃え落ちた校舎を見て寂しそうだった」と語る。

 その後は、青空教室のほかに、一式戦闘機「隼」のプロペラを市内で製作していた日本国際航空工業の焼け残った建物で勉強したこともあったという。

 小学校を卒業後、売られていった女子の同級生もいた。大貫さんは、学校に通いながら16歳まで近くのうどん屋で働き、その後はボイラー技士などの仕事を経験した。

 終戦後も苦労は続いたが、25歳の頃、「俺の人生ってなんだろう」と感じ、小さい頃から好きだった絵画制作を本格的に始めるようになった。今ではプロが参加する公募展への出品や個展を開催するまでに。「好きなことができるのも生きているからこそ。戦争は大嫌いだ」

自身で書いた本を持つ三木原さん

眸に残るエノラゲイ 平塚市広川在住 三木原さん

 『いまも眸に 潮干狩り中 エノラゲイ 豊後水道北進中』。2023年度第71回平塚市文化祭文芸部門公募展の「短歌」で一席を受賞した三木原淳一さん(88)の作品だ。

 三木原さんは第二次世界大戦中の1945年8月6日、大分県の洲崎で潮干狩りをしていた。その際、上空を米軍爆撃機B29「エノラ・ゲイ」が広島を目指して飛行していた記憶を詠んだ。専門家からは、「今日でも人類史上恐ろしい核兵器の使用や脅威を感じさせる状況を呼び起こす」と評価された。

一瞬ですべて消え

 鹿児島県生まれ。保険会社に勤めていた父は転勤が多く、1943年に大分支社に赴任。その半年後に召集令状を受け、中国戦線へ出征した。

 終戦間際の5月、大分市東方に位置していた海軍の飛行訓練場に、一機の中型爆撃機(B-27)が飛来し、ゆっくりと偵察旋回した後、黒い豆粒のようなものが投下された。ものすごい黒煙と火の粒が飛び散り、大爆発と共に大惨事となった。

 その4日後、警戒警報が鳴り響く中、防空壕に避難した途端、30〜40ⅿ離れた銭湯に一トン爆弾が直撃し、「一瞬にしてすべてが消えたことは鮮明に覚えている」。深さ10ⅿ以上、直径30ⅿ以上の円錐型の穴が空くほどの威力だった。三木原さんはそのときの爆風で破片が額に刺さり、「そのまま体の一部になってしまったよ」と、こぶを撫でる。

「降参」の絶望感

 終戦を迎えたとき、三木原さんは8歳。8月15日午前9時過ぎ、小学校の校庭に集められた。玉音放送を聞いたものの理解できず、近くにいた大人から「どうやら日本は降参して負けたので、敵がやって来て、どのような扱いを受けるかわからない。覚悟しろ」と言われた。「子ども心に絶望感で動くことができなかった」と振り返る。

 仕事の転勤で、2010年に平塚市へ越してきた三木原さん。娘婿は奇しくもイラン人で、家族は今も戦地から逃げている。三木原さんは「私の人生、戦争の話ばかりだよ」と静かに語り、肩を落とした。

取材に答える高橋さん

焼野原生き延びた先に 二宮町山西在住 高橋さん

 二宮町山西在住の高橋テル子さん(87)は、生まれ育った須賀で平塚空襲を体験した1945年当時、第二国民学校の1年生。5人きょうだいの末っ子だったテル子さんは、10歳ほど年上の二人の兄が出征する際、近所の人と三嶋神社を参拝した後、旭日旗を掲げて見送ったことを覚えている。

 「逃げるんだ。早く服を着て」。7月16日の夜中、空襲のサイレンが鳴るとともに、叫ぶ親の声でテル子さんは飛び起きた。目立って狙われないようにと黒いものをかぶりながら、急いで着替えるのが大変だったと振り返る。

 母親はやかんに水を入れ、食料など生きるための最低限のものだけを持ち、テル子さんはカバンも持たずに飛び出した。今の134号線を超えた先の藪を目指す中、戦闘機がぐんぐんと近くなり「音がとにかく怖かった」と話す。「ふせろ」の声で必死に頭を下げてその場をしのいだ。

 藪を出た浜辺の波打ち際には同じように避難した人であふれていた。家族や知り合いを探す声を背に自宅方面を見ると煙が上がっており、後になって見に行くと焼野原になっていた。

 そんな光景に絶望しながらも避難先の納屋で親戚と会うと「無事でよかった」と抱き合った。

防空壕での勉強

 戦時中での学校生活は忘れられない。防空壕での勉強や、空襲警報が出た際に担任教諭が「死ぬときは一緒よ」と言って児童をかばってくれたことなど、鮮明に記憶している。

 8月15日に終戦が知らされた時は、「自分は小学1年生でよくわかっていなかったけれど、親たちは無口で少し寂しそうだった」と語る。

 終戦後は生き延びた家族と共に平穏に過ごし、同級生と10年ぶりに再会した同窓会には当時の担任教諭も参加した。

 「家族や身近な人々が生き延び、終戦後も会えた奇跡がうれしい」と話す一方、世界の情勢に、「なんでまだ戦争をやってしまうのか。絶対になくなってほしい」と平和を願い続ける。

資料を手に、語り部の練習をする伊藤さん

残ったのは「つるべ井戸」 平塚市宮の前在住 伊藤さん

 平塚市宮の前出身・在住の伊藤由紀子さん(90)は、第一国民学校(現崇善小)5年生の時に平塚空襲を経験した。

 1945年7月16日夜。「由紀子、早く起きて」。母に起こされ、玄関できょうだいの物と混ざった不揃いのズックを履いた。「空が真っ赤に燃えていた」。その光景に動転する祖母の手を姉と握り、妹、3人の弟を連れて家の外に出た。

 「何かあったら馬入の土手に逃げろ」。教員の父から言われていた言葉を思い出し、歩き始めると「グオー、グォー」とB―29の爆撃機の音と昼間のように照らす照明弾。その後焼夷弾が雨のように降り注いだ。「恐ろしくてとても歩けない」。近所の家へ逃げ込み、音が小さくなると必死で走り、やっとの思いで土手へたどりついた。

 夜が明け、家に近づくと近所の守山乳業の工場の焼け焦げたにおいがし、大勢の人が亡くなっていた。目をそむけたくなる光景が続いた。

 「私の家はどこ」。辺りを見回すと一面焼け野原で、目印の「つるべ井戸」を見つけ出し、自宅のあった場所がやっと分かった。

 その後の暮らしでは「常にお腹がすいていた」といい、家の手伝いでは「残った米が数粒でもあると食べられるから」と「釜洗い」が好きだった。必死に生き、終戦を知り、「もっと早く終われば、家も学校も無くならなかったのに」

次代へ語り続け

 40年間小学校教員を務め、退職前最後に勤めた平塚市立松原小での着任のあいさつで初めて経験を語った。「馬入の土手にも近いこの学区は、私たち家族の命を守ってくれた場所」。それをきっかけに教員たちの勧めで、全校児童に体験を話した。以来、中地区女性退職教職員の会「ゆりの会」に所属し、小・中学校、幼稚園や公民館で語り続けている。講演回数は80回に上り「聞く人に身近になるように、伝わるように」。語り部として経験を次代につなぐ。

7月度の月間ベストセーブ賞を受賞したポープ・ウィリアム選手。この日も鋭い反応でいくつかのピンチを防いだ

ベルマガ通信 走らされた湘南 弱点を突かれ柏に2失点を喫す 8月10日アウェー 湘南 0-2柏

 中17日の中断期間を経て臨んだアウェー柏戦は、勝利を渇望する湘南サポーターでゴール裏は埋め尽くされた。

 前半だけで湘南は6本のシュートを放った。前半27分に見せた、池田昌生選手のパスカットが起点となり、小野瀬康介選手がシュートした一連の攻撃は、湘南が目指すワンタッチパスによる局面の切り替えが形となった攻撃だった。それだけに、前半の内に得点が欲しかった。

 前半終了間際、左右に大きくボールを振られ、失点した。守備に人数は居るにも関わらず、プレスがかからない分、柏の攻撃陣にはパスコースを選ぶ余裕すら見えた。

 後半終了間際にも、パスミスを取られ、ロングカウンターを喫し失点した。ゴール前に走り込んだ柏の選手は3人。その内一番外を走った選手が決めきった。

 終了間際でも走りきる姿という、湘南が大事にしてきたプレーを、柏に見せつけられた。

 試合終了後のDAZN中継で形容された「走らされた湘南」この評価を覆す試合を見たい。

(ベルマガ・浜地隆史)