平塚・大磯・二宮・中井 社会
公開日:2025.08.15
学校奪った平塚空襲
寒川町在住 大貫さん
平塚市の馬入で育った大貫達雄さん(91)は11歳の時、平塚第三国民学校に通いながら市内の軍需工場でネジを分ける仕事をしていた。子どもたちには一人ずつ貯金通帳が渡されるような時代で、「働いて一銭もらった記憶がある。けれど惨めだった」と振り返る。
1945年7月10日、地元の神明神社の祭りがあり、神輿を友人と担いでいた大貫さんは、グラマンの機銃掃射に襲われた。「馬入に神輿を置いて逃げた。怖かった」と険しい表情で話す。
その6日後未明、自宅にいた大貫さんは平塚空襲に遭った。警戒警報の「ウーウーウー」というゆっくり3回鳴るサイレンとは違い、空襲警報は10回鳴り続けた。家の周りは真っ赤に燃え、家族で現松原公民館裏の3m幅の裏道から逃げた。
バラックで卒業式
自宅には4発の焼夷弾が落ち、屋根が壊れて雨漏りするようになった。全校舎が焼失した小学校では、残った柱でバラックを作り、卒業式が行われた。「6年生は男女合わせて80人いたかな。みんな、燃え落ちた校舎を見て寂しそうだった」と語る。
その後は、青空教室のほかに、一式戦闘機「隼」のプロペラを市内で製作していた日本国際航空工業の焼け残った建物で勉強したこともあったという。
小学校を卒業後、売られていった女子の同級生もいた。大貫さんは、学校に通いながら16歳まで近くのうどん屋で働き、その後はボイラー技士などの仕事を経験した。
終戦後も苦労は続いたが、25歳の頃、「俺の人生ってなんだろう」と感じ、小さい頃から好きだった絵画制作を本格的に始めるようになった。今ではプロが参加する公募展への出品や個展を開催するまでに。「好きなことができるのも生きているからこそ。戦争は大嫌いだ」
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