平塚・大磯・二宮・中井 社会
公開日:2025.08.15
眸に残るエノラゲイ
平塚市広川在住 三木原さん
『いまも眸に 潮干狩り中 エノラゲイ 豊後水道北進中』。2023年度第71回平塚市文化祭文芸部門公募展の「短歌」で一席を受賞した三木原淳一さん(88)の作品だ。
三木原さんは第二次世界大戦中の1945年8月6日、大分県の洲崎で潮干狩りをしていた。その際、上空を米軍爆撃機B29「エノラ・ゲイ」が広島を目指して飛行していた記憶を詠んだ。専門家からは、「今日でも人類史上恐ろしい核兵器の使用や脅威を感じさせる状況を呼び起こす」と評価された。
一瞬ですべて消え
鹿児島県生まれ。保険会社に勤めていた父は転勤が多く、1943年に大分支社に赴任。その半年後に召集令状を受け、中国戦線へ出征した。
終戦間際の5月、大分市東方に位置していた海軍の飛行訓練場に、一機の中型爆撃機(B-27)が飛来し、ゆっくりと偵察旋回した後、黒い豆粒のようなものが投下された。ものすごい黒煙と火の粒が飛び散り、大爆発と共に大惨事となった。
その4日後、警戒警報が鳴り響く中、防空壕に避難した途端、30〜40ⅿ離れた銭湯に一トン爆弾が直撃し、「一瞬にしてすべてが消えたことは鮮明に覚えている」。深さ10ⅿ以上、直径30ⅿ以上の円錐型の穴が空くほどの威力だった。三木原さんはそのときの爆風で破片が額に刺さり、「そのまま体の一部になってしまったよ」と、こぶを撫でる。
「降参」の絶望感
終戦を迎えたとき、三木原さんは8歳。8月15日午前9時過ぎ、小学校の校庭に集められた。玉音放送を聞いたものの理解できず、近くにいた大人から「どうやら日本は降参して負けたので、敵がやって来て、どのような扱いを受けるかわからない。覚悟しろ」と言われた。「子ども心に絶望感で動くことができなかった」と振り返る。
仕事の転勤で、2010年に平塚市へ越してきた三木原さん。娘婿は奇しくもイラン人で、家族は今も戦地から逃げている。三木原さんは「私の人生、戦争の話ばかりだよ」と静かに語り、肩を落とした。
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