藤沢版【8月15日(金)号】

湘南工科大野中教授 国際会議でベストアワード 電動アシスト四輪自転車 重ねた実験評価、共感、期待も

 台湾の高雄市で開催された家電など民生用電子機器の国際会議「IEEE ICCE-TW2025」で湘南工科大学工学部機械工学科の野中誉子教授が「ベストポスターアワード」を受賞した。内容は、同教授が取り組みを進める電動アシスト付き四輪自転車について。「とてもうれしい」と喜びを語った。

 ベストポスターアワードのポスターは展示と、その傍らで来場者にプレゼンテーションする形式で研究発表を行う部門。今回は世界から審査を通過した56の展示があった。

 発表内容は湘南地域のような道幅が狭く、観光客が多い地域で課題となっている渋滞や駐車場不足を解消するために開発を進めている電動アシスト四輪自転車について。レンタサイクルのように誰もが使えることを想定し、男女の身長差や、漕ぎやすい運転姿勢を探るため多くの検証実験を実施。シートを基準にペダルとの距離、最適な高さを算出し、調整できる車体を試作したことなどを発表した。

 海外研究者から最適なポジションを探す実証実験への称賛のほか、日本ならではの電動アシスト自転車に対する質問や、健康や移動の達成感にもつながる「漕ぐ」仕組みなどにも共感と感心が寄せられ、今後の発展に期待する声も上がった。

辻堂を走る姿見たい

 電動アシスト四輪自転車は2021年、山梨県北杜市から観光の足として依頼を受けて開発。免許を持たない外国人でも乗れ、環境に優しく、転倒の危険も少ない。自分の力で移動する楽しさなどを兼ね備えたモデルとして、2022年3月に初代を完成させた。翌年にはオーバーツーリズム対策も兼ねた2代目となる小型の湘南モデルも開発した。

 求めているのは湘南地域で誰もが楽しめる乗り物として活用してもらうこと。野中教授は「レンタサイクルとして、辻堂を楽しんで走っている姿が見たい」と思いを語った。

防犯カメラに映し出された映像をスマホアプリで確認する栗原理事長

片瀬西浜・鵠沼海水浴場 防犯カメラに死角なし 寄贈受け設置、アプリで監視

 片瀬鵠沼・西浜海水浴場にある海の家に今月上旬、防犯カメラが新たに3台設置された。地方自治体へ防犯カメラを無償で提供する活動を行う団体、(一社)日本セキュリティ振興協会から江の島海水浴場協同組合に寄贈されたもので、撮影された映像が専用アプリで見られる仕組み。これまで死角となっていた箇所が映し出され、犯罪やトラブルの抑止に期待がかかる。

 夏季のみ営業する海の家で、設置費や維持費がかかる防犯カメラを取り付けるケースは稀だ。同組合ではもともと事務所周辺に3台設置していたが、海水浴場全体の様子は把握できなかった。

 同協会の松田浩幸さんは本藤沢在住で、海水浴場の西側が死角であることが以前から気になっていた。今春縁あって同組合の栗原義忠理事長と交流する機会があり、安全面の観点から互いに意見が合致。カメラを寄贈、設置するに至った。

 取り付けられた海の家は「アオ×シロ」「ラワラワ」「ニュー鈴屋」。同海水浴場全体がスマートフォンでリアルタイムに確認できる。栗原理事長は「犯罪の抑止力になるだけでなく、迷惑行為を未然に防いだり、トラブルが起きた時に有力な証拠になったりする効果もある」とした上で、「遠方から海に訪れた人が被害に遭い、悲しい思いを抱えたまま帰らせたくない。また海に来てほしいから」と話した。

 同協会は他にも、自動販売機の売り上げで防犯カメラを設置する活動「みんなで防犯プロジェクト」を展開。自販機の収益からカメラ代や維持費をまかなう取り組みで、全国に約80カ所設置している。佐賀県佐賀市では行政や警察署と協定を結び、犯罪やトラブルがあった際に警察に情報提供し、迅速な捜査、解決につながっている。

 今夏のカメラ設置は実証実験の位置づけで、先のスキームを藤沢でも応用したい考え。県や市に提案済みで、安全安心で持続可能な海を目指す。

 設置は海水浴場開設期間の9月7日(日)まで。

プロバスケチーム「湘南ユナイテッドBC」のヘッドコーチに就任した 鈴木 友貴さん 横浜市戸塚区在住 34歳

「泥臭くタフなチームに」

 ○…藤沢をホームタウンとするチームの運命は自身の手腕にかかっている。4季目のスローガンは「UN1(・)TE」。関わる全ての人と一致団結し、リーグ1タフなチームとなり、最もレベルが高く選ばれたチームのみ参戦できるBリーグワンを目指すという思いを込めた。「若くてエネルギッシュで仲の良い選手陣。皆で”1”にこだわりたい」。高まる興奮を抑えているかのようだ。

 ○…愛知県育ち。父は実業団所属の選手で、物心ついた頃からボールで遊んでいた。中学入学後はますます競技に没頭。バスケの名門、静岡県の藤枝明誠高へと進むと、フォワードとしてチームをけん引。インターハイ3位、国体準優勝、ウィンターカップベスト8と輝かしい戦績を収めた。大東文化大を卒業した後にプロの門を叩いた。

 ○…「厳しい世界だった」。名だたる選手が集う「滋賀レイクスターズ」時代は自分の理想とするプレーができず、苦悩する日々を送った。その後の「岩手ビッグブルズ」では3Pシュートを武器に活躍。しかし膝前十字靭帯断裂により、現役引退を余儀なくされた。指導者の道を歩み始め、2年前に父の実家である湘南を拠点に活動するチームからアシスタントコーチの依頼が舞い込んだ。「毎日一人一人と会話する。それはバスケ以外の家族やプライベートなこと」。選手との年の近さを生かし、親密な関係性を築いている。

 ○…4歳の息子は試合会場に訪れるようになった。子どもの成長ぶりを見るのは何よりの楽しみだ。選手もそう。「練習内容や食事、考え方、バスケに対する向き合い方が変わりつつある」と誇らしげ。「泥臭くボールに飛び込み、頑張る姿を多くの人に見てもらい、明日から勉強や仕事の活力になればうれしい」

市内の空襲被害 終戦間際、周辺地域から余波

 藤沢市も、太平洋戦争末期の空襲と無縁ではなかった。本格的な爆撃対象ではなかったが、横浜や川崎など周辺地域の空襲の余波を受ける形で、1945年5月ごろには、B29や艦載機、P51による爆撃や銃撃が相次いだ。

 特に深刻な被害が出たのは、終戦間際の7月30日だ。軍需工場だった住友特殊製鋼(現在の辻堂駅北口あたり)が標的となり、艦載機約20機が襲来した。この攻撃で小型爆弾(100キログラム位)20数発と焼夷弾相当数が投下され、機銃掃射も行われた。工場は甚大な被害を受け、5人の尊い命が失われた。

 当時の市民生活は厳しく、配給制度や食糧増産のための勤労奉仕が定着していた。京浜方面からの疎開者を受け入れる役割も担っていた。敗戦直後の県発表によると、藤沢市全体の空襲被害は死者21人、重傷16人、軽傷23人に上る。建物被害も全焼8戸、全壊12戸などが記録されている。
上福選手(左)と鈴木市長

女子プロレス団体 市教育基金に寄付 湘南台出身 上福選手が所属

 湘南台出身の女子プロレスラー・上福ゆき選手の所属団体、東京女子プロレスを運営する(株)CyberFightが5日、藤沢市の教育応援基金に10万円を寄付した。市から感謝状が贈られた。

 寄付金は今年5月に湘南台文化センターで行われたプロレス興行で集まった収益の一部。同団体は2022年から4年連続で市内での興行を開催し、寄付を行ってきた。

 鈴木恒夫市長から感謝状を受け取った上福選手は「今回の大会では中学の恩師や地元の友人も見に来てくれた。なじみのある地域でプロレスができてうれしい。いつかさらに大きな秋葉台体育館でも興行を行えたら」と展望を語った。

 岩本將宏教育長は「4年にわたって継続的な寄付をいただきありがたい」と感謝を述べ、「藤沢出身の上福さんが地元で試合をしてくれることは地元の子どもたちにあこがれと夢を与えていると思う。寄付は有効に使わせていただく」とコメントした。

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助成事業が開始 市民活動を支援

 市は1日、地域課題の解決などに取り組む市民活動を助成する「ミライカナエル活動サポート事業」について、すでに行政との協働で実施されている3事業に加え、5事業を今年8月開始の対象事業として発表した。

 採択団体と事業、交付金額は次の通り。▽nico川名=長期休みなどの子どもたちの居場所づくり▽湘南太鼓研究会えの=地元太鼓団体や学校、近隣チームによる演奏披露など▽湘南大道芸=ジャグリング体験会拡充事業▽おとあそび楽団=体験型音楽演奏イベントの開催(各5万円)▽藤沢市せっけん推進協議会=市民参加型イベントなどの開催(10万円)【協働事業】▽特定非営利活動法人湘南ふじさわシニアネット=電子回覧板普及支援(2024・25年度計240・5万円)▽六会リトルアンサンブル(MLE)=子どもの健全育成、文化教育振興(申請予定含む25・26年度計250万円)▽特定非営利活動法人湘南マンション管理組合ネットワーク=マンション管理組合運営の活性化支援(同250万円)

かながわ湘南ロータリークラブ 会長 望月 望さん

 20周年を迎えた今年のテーマは「仲間を作ろう」。他クラブとの横のつながりや奉仕活動に興味がある人など、仲間が増えることで「新たな気づきや次の支援につながるはず」と決めた。

 会員の多くが、ロータリーの支援を受けて留学に行った経験を持つ。自身もその1人で、職場にいたロータリーメンバーの誘いで、34歳の時にフロリダへ。その7年後の同クラブ発足から奉仕活動に参加している。

 クラブの成り立ちから国際支援に力を入れており、これまでミャンマーやネパールなどを支援。昨年から再来年にかけては、マダガスカル支援を行っている。「実際にメンバーと現地に行って、今年は学校支援をすることに決めた」といい、2校のトイレの整備を実施。市内では10月に行われる国際交流フェスティバルでネパールのコーヒーの販売も行う。

藤沢アクティライオンズクラブ 会長 川口 重幸さん

 就任とともにクラブ非常事態を宣言。メンバーの高齢化などによって実働メンバーが減り、今後奉仕活動を続けるために「会員増強一本」をテーマにする。

 市役所を定年したメンバーがいるなど、地域への熱い思いを持つ同クラブ。毎月、聖園子供の家を訪れ、一緒に絵を描く活動を行う。「子どもたちに名前を呼び捨てされるメンバーもいて、親近感を持ってくれている。孫みたいでかわいいよ」とにっこり。定期的に行う献血活動の他、昨年は病気の子どもとその家族を招いたチャリティコンサートを実施した。

 クラブ設立時からのメンバーで、会長も今回で2回目。普段は大庭でコーヒーの卸売をしている。「縁があって誘ってもらった。事務員を置かないことで、会費が他より安いのも設立時からの特徴。魅力あるクラブ活動で仲間を増やせたら」

遊行寺薪能9月に 入場券引換券 8月20日から

 能と狂言、歴史ある遊行寺を背景に繰り広げられる歴史絵巻が堪能できる「遊行寺薪能」の入場券引換券が8月20日(水)午前9時からかながわ信用金庫各支店で配布される。入場料は1人1000円。先着順でなくなり次第終了となる。

 2年に1度の遊行寺薪能。今年は9月18日(木)、同寺境内特設舞台で行われる。午後4時40分開場、5時20分開演。

 演目は能「経政」(喜多流・内田安信氏)、「黒塚白頭」(同流・内田成信氏)。狂言「口真似」(大蔵流・山本則重氏)。

 この催しは日本の古典芸能を通して、能楽への理解と普及を目的に毎年開かれている。

 問い合わせは実行委事務局(同信金内)【電話】046・821・1709。

シュートを決める生徒ら

「車いすって難しい」 第一中でパラ競技体験

 市立第一中学校(鵠沼神明)で2日、パラスポーツ体験が行われた。障害の有無を問わない競技を知ることで、広い視野を持ってもらおうと、生徒や保護者らで組織される「DON第一中おやじネットワーク」が企画。親子や関係者含め約100人が参加した。

 当日参加者が体験した競技は、車いすバスケットボール、ボッチャ、フライングディスクで投球の正確さを競うアキュラシーの3種目。車いすバスケをした石井葵向(ひなた)さん(1年)は「プレーするのは2度目だけれど、競技用車いすの操作が難しくて、ボールを取るのに手こずった。プロ選手の動きを見てみたくなった」と感想を述べた。

 同ネットワークの大沼敦代表は「学校ではなかなか学べないことに興味を持ち、いい思い出になれば」と話した。

鈴木市長(中央右)と感謝状を持つ山田理事長(中央)ら

市へ11万円寄付 (一社)藤沢市商店会連合会

 一般社団法人藤沢市商店会連合会(山田秀幸理事長)は5日、市「愛の輪福祉基金」へ11万円を寄付した。市からは感謝状が贈られた。

 商店街活性化に向けた事業を通じ、地域商業の振興やまちづくりに取り組んでいる同会。今回の寄付金は商店街イベントや普段の買い物客から寄せられた募金を活用したもの。同会は2002年から毎年継続して寄付を行ってきており、昨年度までの累計総額は約411万円に上る。

 鈴木恒夫市長から感謝状を受け取った山田理事長は「現在、商店街は市内に39か所。これからもイベントなどで地域を盛り上げ、市に助言をいただきながら地域活性化に向けて取り組んでいきたい」と話した。

 あいさつに立った鈴木市長は「長年にわたる継続した寄付はもちろん、普段からさまざまな地域のまちづくりに貢献していただきありがたい」と謝意を述べ、「いただいた寄付金は市の福祉推進に役立てていく」とした。

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講演会を企画した服部功志住職

片瀬・常立寺 平和を願う講演会 被爆者の会 垰下さん登壇

 早春のしだれ梅の名所としても知られる龍口山常立寺(片瀬3の14の3)で8月16日(土)、県原爆被災者の会会長を務める垰下雅美さん(88)を迎えた講演会が開催される。午前10時から。

 垰下さんは小学3年生の時、疎開先の広島で被爆。「人が人でなくなる惨事を目の当たりにした。地獄だった」と語る。50代で藤沢市に移住。平和活動を続け、昨年は有志とともに藤沢市議会に「核兵器のない世界を」と陳情を提出し、賛成多数で可決。政府に意見書が届けられた。

 講演会を企画した同寺住職の服部功志さんは「終戦から80年の夏、被爆者の生の声に耳を傾け、すべての戦没者を供養し平和を祈りたい。ぜひ、お子さん、お孫さんとご参加を」と呼び掛けている。

 参加無料。定員100人。詳細は同寺【電話】0466・26・1911。
グリーンハウス外観

戦後80年 語り継ぐ記憶 洋館の辿った戦中戦 善行 グリーンハウス

 善行の丘に静かに佇む白亜の洋館、「グリーンハウス」。アサンテスポーツパーク(神奈川県立スポーツセンター)の敷地内にあり、国の登録有形文化財にも指定されている。その優美な姿の裏には、ゴルフ場のクラブハウスから戦争の司令部、そして戦後の集合住宅へと、時代の荒波に翻弄され続けた歴史が刻まれている。

社交場から軍の拠点へ

 グリーンハウスの歴史は1932年、ゴルフ場「藤澤カントリー倶楽部」のクラブハウスとして幕を開けた。旧帝国ホテルなどを手掛けた世界的建築家アントニン・レーモンド(1888〜1976年)が設計した建物は、政財界の要人や文化人が集う社交の場として賑わいを見せた。しかし、その平和な時代は長くは続かなかった。

 43年、ゴルフ場を含む広大な敷地は海軍に徴用され、グリーンハウスは「藤澤海軍航空隊」の司令部が置かれることになった。周辺には兵舎が建てられ、地下には防空壕が掘られた。

 航空隊には若者たちが集められ、ここで訓練を受けていた。燃料不足により飛行訓練ではなく、主に整備や通信の教育の場となり、レーダーや無線を取り扱う実習訓練が行われた。

12世帯の「我が家」

 終戦直後の45年9月、同地は米軍に接収され、550人の米兵が駐屯した。ハウス内には第12連合航空隊司令部が設置された。司令部機能が薄れていき、47年に米軍は完全撤収した。

 建物の歴史はここで終わらない。米軍の接収が解かれた後、住宅難などの影響から、藤嶺学園の教員家族らが住まいとした。一時は12もの世帯がこのグリーンハウスの中で暮らし、部屋では板張りの床にゴザを敷いて過ごすなど、それぞれが「我が家」となった。

 同建物の保全活動を行う「善行雑学大学」がまとめた『グリーンハウス物語』には、どの部屋に誰が住んでいたかが詳細に記されており、その中には「福本イズム」で知られる思想家・福本和夫氏の名前も見られる。

 「グリーンハウス」という愛称が生まれたのもこの頃だ。戦後、建物を利用したキリスト教系の福祉活動家たちが、緑の瓦屋根を持つことから「グリーンハウス」と呼び始め、それが自然と定着したという。

市民の力で未来へつなぐ

 現在、グリーンハウスの一部は展示スペースとして公開され、その歴史を学ぶことができる。善行雑学大学のメンバーは「登録有形文化財になったからといって、使わなければ意味がない。多くの人に利用してもらい、文化や芸術、スポーツを楽しむ交流の拠点となってほしい」と語る。

 今年10月には、建物のライトアップイベントも企画されており、その歴史的な価値と美しさを改めて発信する予定だ。戦争と平和、そしてそこに生きた人々の記憶を静かに宿しながら、グリーンハウスはこれからも地域のシンボルとして、新たな歴史を刻んでいく。
場所や時間は違えど空襲を経験した記憶を辿る野中妙子さん(左)と美久さん

夫婦それぞれの戦争体験 善行在住 野中美久さん(91)・妙子さん(89)

 善行に住む野中美久さん(91)・妙子さん(89)夫妻は子どもの頃、湯河原と小田原でそれぞれ空襲を経験した。心臓が凍り付くような体験を経て、たどり着いた答えはひとつ。「戦争はなくさなければならない」

いとこを奪った機銃掃射

 妙子さんは湯河原で空襲を受けた。警報が鳴り響くと、機銃掃射から身を守るため家族と共に押し入れの下段に隠れた。「はやく終わってほしいと思いながら隠れていた」と振り返る。弾除けとして上段から厚手の布団を垂らしていた。「ガラガラと飛行機が近づいてくる音が、未だに頭に残っています」と話す。

 自分や家族は難を逃れたが、現在の高校生くらいの年齢に当たるいとこは凶弾に倒れた。湯河原駅にいたいとこは警報を聞き、すぐさま構内の椅子の裏に身を潜めた。しかし、無情にも銃弾は椅子を貫通。二の腕から腹部までを貫いた。「病院に運ばれたが亡くなった。椅子を破るくらいなら、布団なんかじゃ意味がなかった」。いとこを失った悲しみの中で思ったのは、兵器の恐ろしさだった。

「パイロットの顔が見えた」

 美久さんは小田原で戦闘機と遭遇した。1945年、国民学校の6年生だった。終戦直前のある日、空襲警報が止んだため友人とふたりで田んぼのあぜ道を歩いて通学していると、後ろから突然戦闘機の音が近づいてきた。驚いて振り返ると、低空飛行をするアメリカ軍のP51戦闘機が目に入る。瞬時に「駄目だ、終わった」と死を悟った。その距離は「パイロットの顔も見えた」ほどだった。しかし、米軍機は美久さんたちを撃つことなく、そのまま飛び去った。「あっちもこちらが子どもだと分かったから撃たなかったのではないか」と考えている。

 戦時下、場所は違えど共に身近に死を感じた野中夫妻。「次世代の人たちに当時を知ってほしい」と取材に応じてくれた。

平和への思いを話す加藤さん

「原爆の被害 繰り返さない」 湘南台在住 加藤雄飛さん(19)

 藤沢市の「核兵器廃絶平和都市宣言」に基づき、次世代を担う青少年が広島・長崎に派遣される「平和学習派遣プログラム」。湘南台在住の加藤雄飛さん(19・大学2年生)は、今年自ら手を挙げて参加し、長崎グループのユースリーダーに選ばれた。平和への思いを聞いた。

 参加を決意したのは、中学3年の時に訪れた広島の平和記念資料館で原爆被害の大きさを知ったこと。焼けただれた子どもの写真など、想像を絶する被害があったことを知り、大きな衝撃を受けたという。「もう、こうはさせたくない」と核兵器による被害を繰り返さない強い思いを抱いた。さらにグループでは小学生メンバーが放った「武器が無くなることが本当の平和ではないか」という素朴な発言に、真理なのではと刺激も受けた。「武器をなくすのは難しい。でも大切なこと」。武器のない平和な世界を築くためにも、原爆の怖さを知る必要がある。

 また戦後80年という節目で、社会や国際情勢の緊張感を感じていることも参加理由のひとつ。「改めて平和の大切さを身に染みて理解するべき」との思いを胸に長崎へ赴く。現地では復興の軌跡を知り、未来への希望を見出していく。

 31日(日)にはFプレイスで報告会を行う。
父の経験を語る柳川さんと相方のふくちゃん

「何人殺した」父の苦悩語り継ぐ 善行在住 柳川たづ江さん(70)

 「ふくちゃん、戦車に突っ込む人を誰か選んで」。「えー」。軽快にやり取りするのは、善行在住の柳川たづ江さんと相方のふくちゃん。腹話術で、日本兵だった柳川さんの父が、沖縄戦の決死攻撃で配置班長を経験した様子を演じている。

 柳川さんの父、日比野勝廣さんは、19歳の時に志願兵となった。「14歳から父がつけていた日記をのぞくと、17歳頃から毎日戦争の話が記されていた。見事に軍国少年となっていく姿がありありと見られた」

 日比野さんは中国で初年兵教育を受けた後、1944年8月に沖縄へ出兵。翌年4月1日に米軍が沖縄に上陸し、9日には激戦地・嘉数で戦闘。多くの戦友を亡くした。19日には体に爆弾を付けて戦車に飛び込む肉弾攻撃で1分隊12人を率いた配置班長として戦闘に加わった。

 日比野さん自身も右腕と右足を負傷。十分な手当てを受けぬまま、後から迫る米軍から逃げるため、病院を求めながら次々と後退。最終的には糸数アブチラガマ内の陸軍病院に収容された。破傷風に苦しみながらも生き延びたが、戦況悪化で日本軍は病院を解散。日比野さんを含む150人余りの自力で動けない重症者が置き去りにされた。水も食料もなく次々と仲間は命を落とし、数カ月ぶりに日比野さんが日の光を浴びた8月22日にはわずか9人しか生き残っていなかった。

終戦はなかった

 日本は負け、戦争は終わったはずだった。しかし、沖縄での経験は日比野さんを蝕み続けた。「いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)で、父は寝ながらよくうめき声をあげていました。真っ暗だったガマを思い出すから、いつも豆電球やテレビ、ラジオもつけたまま寝て」。年齢とともに症状は落ち着くと思っていたが、むしろ逆だった。「亡くなる直前、人差し指を1日眺め、『この指で何人殺したんだろう』と考えていた。父にとって死ぬまで戦争は終わらなかった」

 そんな父の姿を見て、柳川さん姉妹は父の手記を一冊の本にまとめ、それを機に語り部となった。「父が日本兵であった以上、加害者としての側面も含めて伝える必要があった。でも、個人を責めるのは違う」。ただの歴史として語るのではなく、聞き手に"その時その場面で自分ならどうしていたか"自分のこととして一緒に考えてもらえるよう日々模索しながら語り継いでいる。
学生時代の写真を手にする郷さん

中学生が見た戦中の藤沢 天神町在住 郷勝哉さん(94)

 天神町在住の郷勝哉さん(94)は、湘南中学校(現・湘南高校)の生徒として勤労動員された日々を当時の写真とともに語った。

 学徒動員が本格化した1943年、郷さんは湘南中学に入学。最初に動員されたのは、市内の農業用水路を掘る仕事だった。「真冬で寒いし、まだ中学生だったから、大人用のスコップなんかは重たくて、つらかったな」と振り返る。

 若い男性は出兵していて、人出が足りてないかったため、平塚や海老名の農家の家に泊まり込んで田植えや稲刈りもした。「母が着物と交換して手に入れた野菜より、おいしい野菜や白米が食べられてうれしかったのを覚えているよ」

 戦況がさらに悪化した頃、郷さんが動員されたのは、日本精工(鵠沼神明)。飛行機のベアリングを製造していた。空襲警報が鳴ると、生徒は自宅に帰された。その頃の記憶で特に印象的だったのが、帰宅途中に同級生が機銃掃射に遭い、亡くなったこと。現・メルシャン(株)藤沢工場の近くにあった松林でのことだった。「カーキの国民服を着ていたから、上空から兵士と間違えられたのかもしれない」と郷さんは推測する。

 終戦後は物資がなく、進駐軍が廃棄した食料が配給された。カビの生えたチーズやチョコレートも配られ、郷さんは「それすらもおいしかった」と回想する。また、白旗交差点付近を提灯を持って歩いていると、米軍に懐中電灯と交換しようと言われ、「家に一つしかないから」とどうにか断ったのも印象的だったという。郷さんは「戦争の深刻さは、中学生の私には分からなかった。でも情報統制の恐ろしさは大人になるとともに実感した」と語った。

「あの戦争を支えたのは私のような一般の庶民だった。今振り返ると異常な世の中だった」と語る芝さん

青春奪われた「軍国少女」 片瀬在住 芝実生子さん(96)

 飢え、寒さ、緊迫、不安――。曖昧にかすんでしまった断片的な記憶。ただ、ふとした瞬間に生々しく去来する。

 芝実生子さんは1929年、片瀬に生まれた。31年に満州事変が起き、39年には第2次世界大戦が勃発。入学した片瀬小学校の壁には、額におさまった日の丸、菊の紋章と天皇・皇后の写真、御製、満州・朝鮮・樺太・台湾も赤く塗られた地図が張り出されていた。

 「模範的な軍国少女だった」。登下校時には神社で「必勝」を祈り、戦地の兵隊に慰問文や慰問袋を夢中で送り、国家のために良い行いをしたかを毎日書き込んだ。

過酷な学徒動員

 41年、乃木高等女学校(現・湘南白百合学園)に進学。同年12月に太平洋戦争が始まると、政府は次々と法令を発令。中高生も学徒動員で軍用工場などで働いた。乃木高女も例外ではなく、芝さんは4年になった44年4月から現・藤沢市民会館周辺にあった「東京螺子製作所」に配属された。

 木造の薄暗い工場内で巨大なモーターがうなる。芝さんは練習機「赤とんぼ」の翼を張るためのターンバックル(ねじ)を旋盤で作った。力のいる作業を終日行い、食事はドングリの粉で焼いたパンやポタージュのような雑炊ばかりで慢性的な栄養失調になり、下痢も続いたが、「戦地の兵隊さんは頑張っている。私も頑張らないと」と自らを奮い立たせた。

 しかし、戦況は悪化していった。45年5月、長い空襲の後、いつも避難していた新林公園の山をくり抜いた穴から外に出てみると、ただならぬ空気に嫌な予感がした。

 「西にも東にも夕焼けがあった。横浜方面の者はいるかと友人が呼び出され、泣きながら帰っていった。それきり工場には来なくなった」。横浜大空襲の日だった。

 7月には平塚も空襲に見舞われ、火が散るたびに「従兄弟の住む家にあたりませんように」と願いながら眺めた。

裸電球の灯り

 16歳の少女たちは自身に死が迫っていることを予感した。それでも「潔く死にましょう。乃木高女の生徒らしく」と淡々と交わされる会話。ただ頭の片隅には「白米のお弁当をもう一度食べたかった。キャッキャいって校庭で遊びたかった」と懐かしい思い出を再現させたくもなった。

 そのうち本土決戦に備えるよう呼びかけられ、工具を竹やりに持ち替えた。「なぎなたの訓練はしていたけれど、実際に米兵相手に突き刺す感触を想像すると、ひるんでしまうのでは」という焦りも募った。「でも悲しくはなかった。死ぬのは当たり前だったから」

 同年8月、広島・長崎の原爆投下も知らされぬまま、「新型爆弾は白いシーツをかぶれば大丈夫とでたらめな指導を受けた」。そして8月15日、玉音放送は雑音でうまく聞き取れず、寮に戻って「いよいよ本土決戦。頑張りましょうね」と級友たちと励まし合っていたところ、敗戦を知らされた。突拍子もなく訪れた事実。小さな胸には大きな欠落感とともに、「死ぬはずの私がまだ生きていて、明日も明後日もずっと死なずに生きられる」と肩の荷を下ろしたような気分になった。裸電球に被せていた黒い布を取ると、その光はやけにまぶしく感じられた。

 「私にとって平和はこの時の灯り」

 同年の暮れ、自宅の玄関にやせこけた老人が腰かけていた。「みおちゃん」。15歳年上の兄だった。全身の震えとともに涙が止まらなかった。

 その後も手足を失った傷病兵、うつろな目をした戦災孤児、「パンパン」と呼ばれる私娼と進駐軍などをまちで見かけた。戦後を如実に表す風景。「これも戦争だった」

平和築く努力

 「聖戦ではなかった。私も戦争の片棒を担いだ一人」と後悔の念が押し寄せる。世界では今なお戦火が絶えない。

 「歴史をどう捉え、未来にどう責任を取るのか。平和を築く努力が過去を教訓とする者の生き方ではないでしょうか」

新体操でポーズを決める児童

跳ねて回って踊って 体操大会に子どもら319人

 体操競技に取り組む幼・小・中・高・一般の選手が一堂に会し、練習の成果を披露する「藤沢市民総合体育大会継承大会」(第38回体操種目別競技会)が2、3日の両日、秋葉台文化体育館で開かれた。17団体計319人が参加し、華麗な演技で会場を沸かせた。

 市と市体育協会の主催。技術向上や交流を目的に毎年行われている。

 参加選手はゆかやとび箱、タンブリング、平均台などから2種目まで出場できる体操競技の他、新体操ではボール、ロープ、リボンなどから1種目選ぶ個人、2〜7人のチーム編成で臨む団体で表現力などを競った。また特別種目として、静止時間を競う倒立競争と二重跳びの回数を競うなわ跳び競争もあり、参加者らはいずれも真剣な表情で取り組んでいた。

 市体操協会の石曽根和幸会長(65)は「それぞれの個性を伸ばし、今後さらに飛躍してほしい」と話した。

選手のサイン入りユニフォームを着用し、ボールを手にする鈴木市長(中央)と湘南UBCの関係者

湘南UBC 「さらなる高みへ」 新シーズンに向け市長表敬

 藤沢、茅ヶ崎、厚木、寒川の3市1町を拠点に活動する男子プロバスケットボールチーム「湘南ユナイテッドBC」の関係者が4日、鈴木恒夫市長を表敬訪問した。B3リーグに参戦し、4年目を迎える同チーム。昨季の報告と来季に向けた意気込みを語った。

 冒頭、同チームを運営する(株)湘南ユナイテッド藤沢の小河静雄代表は「昨季は選手のけがなどトラブルが重なり、リーグ11位という結果に終わった。来季は継続選手も多いので、チームの絆もより強固なものになるはず。変わらぬご支援を」と呼びかけた。また堀田剛司ゼネラルマネージャーは「真価が問われる時季。さらにステップアップしていきたい」、鈴木友貴ヘッドコーチ=人物風土記で紹介=は「堀田GMが築いた湘南のバスケを、もう1〜2段階前進させたい」、昨季に続きキャプテンを務める内田旦人選手は「子どもたちに夢を与えられるようなプレーをしたい」などと、それぞれ決意を新たにした。

 選手のサイン入りユニフォームとボールを寄贈された鈴木市長は「皆さん、市民との交流を盛んに行っている。戦績もあるけれど、藤沢を元気にすることはチームの基盤となるはず。今後の活動にも期待したい」と感謝と激励の言葉をかけた。

 2025―26シーズン第1節は9月27日(土)と28日(日)、秩父宮記念体育館で岐阜スゥープスと激突する。藤沢市民まつりと同時開催。第3節はスポーツ都市宣言周年事業として10月10日(金)と11日(土)、秋葉台文化体育館で東京八王子ビートレインズと対戦する。

ヒマワリの迷路(6日撮影)

ヒマワリ3千本の迷路 打戻 少年の森

 打戻の少年の森では現在、児童と保護者らが植えたヒマワリの迷路が完成し、一般に開放している。

 場所は園内北側の「みどりの泉」正面。御所見地区活性化実行委員会の協力で、同市民センターが公募した4家族により6月上旬にサンリッチオレンジなどのヒマワリが約3千本植えた。

 ヒマワリは現在3メートル近くまで成長している。植えたメンバーであり2日に訪れた6歳と4歳の姉妹はゴール後「大きくなっていてびっくり」と感想を述べた。

 2022年から始まった迷路。昨年から1・5倍に拡張した。同市民センターは「8月3週目ごろ満開になるのではないか。ぜひ訪れて遊んでいただければ」と呼びかけた。

希望寄席チケット販売中 9月26日 湘南台で開催

 社会福祉法人光友会のチャリティー事業「希望寄席スペシャルステージ2025」が9月26日(金)、湘南台文化センター市民シアターで開催される。開場午後5時30分、開演6時30分。全席自由で1人2500円。

 真打として活躍している柳家三三さんや、七代目を襲名した三遊亭円楽さん、雷門音助さんの落語が楽しめる他、動物ものまねの江戸家まねき猫さんも登場する。

 この事業は、同会の福祉活動の啓発や財源支援、障がい者の社会参加などの目的で行われている。詳しくは【電話】0466・48・1500。

お礼状を手にする子どもたちと高見さん(右後ろ)

ふるさと納税で子ども・動物支援 市内初、返礼品なし

 藤沢市のふるさと納税制度に8月から、長後を拠点に活動するNPO法人「ことりのおうち」(高見広海理事長)への寄付が追加された。返礼品は用意されておらず、活動に賛同し寄付をした人にお礼状が送られる仕組み。ふるさと納税で返礼品がない例は市内初。

 市内複数の子ども食堂やフードバンクを運営し地域の子どもたちの支援を行っている他、小動物の保護活動などを行っている同法人。子ども支援活動と動物保護活動の2項目で、それぞれ寄附を募る。寄付金は食材費や動物の世話にかかる費用に充てられる。

 高見さんは「活動を広く知ってもらいたいと募集を始めた。動物保護に関心がある人は全国にいるので、寄附額の増加に効果が出たらうれしい。多くの方にご協力いただけたら」と話す。

 現在、同法人への寄付はポータルサイト「ふるさとチョイス」の限定品となっている。

虫かごを抱える程嶋理事長(右)と石井理事(右から2番目)ら

「リーン」と響く辻堂 湘南銀座商店街にスズムシ

 辻堂駅南口にある湘南銀座商店街で、スズムシの涼しげな音色が響いている。駅利用者に懐かしさと癒しを届けようと、同商店街振興組合(程嶋秀幸理事長)による「The響of鈴虫atくまの森モール」と銘打った企画。2020年から始まり、6回目を迎える。

 歩道の日陰にスズムシが入った虫かごを6カ所設置した。その数約300匹。夕暮れ時になると「リーン」と風情ある虫の音が一斉に聞こえる。

 スズムシを育てた一人、石井英樹理事は「原因不明だが、今年はあまりかえらなかった」とし、「村岡地区の愛好会などからスズムシを譲り受け、今年も無事に実施できた」という。その一部は近隣の保育園や青少年会館にも寄贈した。

 程嶋理事長は「辻堂に帰ってきた人にスズムシが『今日も一日お疲れさま』と言っているよう。皆さんに、ほっと一息ついてもらえれば」と言ってほほ笑んだ。

 展示は29日(金)まで。

子どもたちとセッションする石川さん(提供)

元・「たま」石川浩司さん ふじさわ宿交流館で音あそび 23日、参加無料

 ふじさわ宿交流館で8月23日(土)に、楽器を使った音あそびワークショップが開催される。午前10時から正午。講師は『さよなら人類』などのヒット曲で知られる元・「たま」の石川浩司さんと、音楽ユニット「TOKIDOKI」。

 同館で定期的に開催されている即興演奏ワークショップ「オトノバ」の夏休み特別編。初心者でも楽しく楽器で自由な演奏を体験できる(楽器は用意あり。持ち込みも可)。

 石川さんは1歳から7歳まで鵠沼松が岡に住んでおり、「僕が子どもの頃に住んでた藤沢。一緒に音遊びしよう!」とびかけている。

 参加無料。対象は小・中・高校生20人先着順。申込は同館【電話】0466・55・2255まで。

宇宙で働くこうのとり  開発の裏話聞く

 善行雑学大学の第315回講座が17日(日)、善行市民センターで開講する。午後2時〜4時(受付開始は1時30分)。

 テーマは「宇宙ステーション補給機『こうのとり』の開発/打ち上げ裏話」。講師は元三菱電機HTV(こうのとり)プロジェクト部長の千葉隆文さんが務め、ロケットが打ち上がるまでの過程や、資材・食料を無人で運んでいくこうのとりの安全性などについて解説する。また、宇宙ステーションへの接近の様子を実写映像で紹介する。

 定員100人、参加費500円。希望者は氏名・電話番号・住所(郵便番号のみ)を明記し、メール(kataoka9@gmail.com)へ申し込む。