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藤沢 社会

公開日:2025.08.15

中学生が見た戦中の藤沢
天神町在住 郷勝哉さん(94)

  • 学生時代の写真を手にする郷さん

  • 学徒動員で海老名に行った際の集合写真=本人提供

 天神町在住の郷勝哉さん(94)は、湘南中学校(現・湘南高校)の生徒として勤労動員された日々を当時の写真とともに語った。

 学徒動員が本格化した1943年、郷さんは湘南中学に入学。最初に動員されたのは、市内の農業用水路を掘る仕事だった。「真冬で寒いし、まだ中学生だったから、大人用のスコップなんかは重たくて、つらかったな」と振り返る。

 若い男性は出兵していて、人出が足りてないかったため、平塚や海老名の農家の家に泊まり込んで田植えや稲刈りもした。「母が着物と交換して手に入れた野菜より、おいしい野菜や白米が食べられてうれしかったのを覚えているよ」

 戦況がさらに悪化した頃、郷さんが動員されたのは、日本精工(鵠沼神明)。飛行機のベアリングを製造していた。空襲警報が鳴ると、生徒は自宅に帰された。その頃の記憶で特に印象的だったのが、帰宅途中に同級生が機銃掃射に遭い、亡くなったこと。現・メルシャン(株)藤沢工場の近くにあった松林でのことだった。「カーキの国民服を着ていたから、上空から兵士と間違えられたのかもしれない」と郷さんは推測する。

 終戦後は物資がなく、進駐軍が廃棄した食料が配給された。カビの生えたチーズやチョコレートも配られ、郷さんは「それすらもおいしかった」と回想する。また、白旗交差点付近を提灯を持って歩いていると、米軍に懐中電灯と交換しようと言われ、「家に一つしかないから」とどうにか断ったのも印象的だったという。郷さんは「戦争の深刻さは、中学生の私には分からなかった。でも情報統制の恐ろしさは大人になるとともに実感した」と語った。

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